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2017年6月28日水曜日

J.S.バッハ ミサ曲 ロ短調(BWV 232)

















ライフワークのように、
数十年もの歳月をかけて作曲された名曲

音楽の形式や言葉は明らかにカトリックのミサなのに内容的、精神的にはコラールを中心にしたカンタータやモテットに近いという何とも厄介(?)な作品がバッハのミサ曲ロ短調です。

この作品はバッハがライフワークのように、数十年もの年月をかけて段階的に作曲した作品でした。

「神に栄光を帰す」を生涯のテーマに掲げて創作に取り組んできたバッハにとって、これは作品の成立した背景や内容においてもその結論と考えてもよろしいでしょう。

輝かしさ、敬虔さ、宗教的情感、声楽作品としての芸術性の高さ、どれをとっても非の打ちどころのない作品ですね。特に傑出しているのは、全体の半分以上の割合を占める合唱でしょう。

それぞれの合唱は独立した声楽作品というよりは、キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥスというミサ曲の括りの中で有機的な関係性を持った神へのメッセージでもあるのです。

ですから、この作品をお聴きになる場合は選んで聴くよりは、通して聴いていただいたほうが(またはキリエ、グロリア、クレド…と、括りで聴いていただくのも良いかと…)はるかにバッハが何を言いたかったのかが直接的に伝わってくるはずです。



プロテスタントと
カトリックの壁を
超えたミサ曲

キリエの合唱で、冒頭から形を変えて何度も繰り返される「主よ我を憐れみたまえ」のフレーズは通常ですと単調になりやすい構成です。しかしバッハの手にかかると、打ちひしがれた魂が次第に音楽としても言葉としても高揚し、敬虔な響きとなり、遂には神に許しを請う強い実感を伴った響きとなって伝わってきます。グロリアやクレドの壮麗さは音による輝かしさではなく、愛と信頼による心の調和や平安を願うバッハの心意気が作品として強く息づいており、曲が進むにつれて胸が熱くなってきます。

また、グロリアの中間部と全体の最後に挿入される「Qui tollis peccata mundi」と「Dona nobis pacem」は歌詞こそ違えど、まったく同じ旋律のコラール(ルター派をはじめとするドイツ・プロテスタント教会の礼拝等で歌われた賛美歌)で、この作品の大きなアクセントになっています。同じコラールのはずなのですが、どういうわけか違うナンバーに聞こえてしまうのは、やはりバッハの曲中の扱い方や巧みな構成力の成せるわざなのでしょうか……。

この作品が出来上がった背景には諸説ありますが、私が思うにはバッハが誕生する数十年前、ドイツでは30年戦争(1618年~1648年にかけて、ドイツやヨーロッパ諸国を中心にプロテスタントとカトリックの間で起きた歴史上最大の宗教戦争)の開戦中でした。おそらく、大多数の国民は終わりなき戦いに辟易し、疲弊していたことでしょう。

前述のように「神に栄光を帰す」というポリシーで作曲してきたバッハにとって、そのような世の不条理と同じ神を信じる者の醜い争いには到底我慢できるはずがなく、その強い想いがプロテスタントとカトリックの壁を超えたミサ曲として結実させた一因になったのではないでしょうか……。



バラエティに富んだ
様々な名盤

ミサ曲ロ短調は録音が非常に多く、演奏形態もモダン楽器やオリジナル楽器の演奏の他、合唱のパートも大人数、少人数の演奏と多種多彩で、様々な名演奏を聴くことが出来ます! 「ミサ曲ロ短調」は作品の内容、スタイルからしてもマタイ受難曲やヨハネ受難曲のようなドラマチックで情緒豊かな演奏向きとは違い、無駄な表情や過剰な思い入れはできるだけ排除したシンプルなスタイルが好ましいように思われます!

中でも最も心惹かれるのが、ジョン・エリオット・ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団、イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(SDG)です。2015年のライブ録音ですが、とにかく合唱の精度の高さは半端ではありません。特にグロリアやサンクトゥス等では主題というより、ともすればサッと流してしまいかねない中間部や経過句といったつなぎの部分のうまさが際立っています!
ソリストたちの歌も大袈裟な表現になるのを極力抑え、それぞれ透明感を湛えつつ、心地よいバランスと表情を保っているのがいいですね。
全体的に極めて音楽性が高く、流れを損なうことなく一気に聴かせてしまう表現力はさすがです。しかも、しっかりと本質を突いており、先入観なしでミサ曲ロ短調を聴いても充分に美しく、聴く喜びを与えてくれる演奏でしょう。

トーマス・ヘンゲルブロック指揮バルタザール=ノイマン合唱団、バッハフライブルク・バロック・オーケストラ(ドイツハルモニアムンディ)もオリジナル楽器の演奏ですが、合唱も管弦楽もまったくわざとらしさがなく、自然な発声と情感溢れる表現が素直に心に響いてきます。恐らくミサ曲ロ短調で、これほど心の通った合唱のハーモニーを聴くのは初めてのことではないでしょうか……。ヘンゲルブロックのタクトも奇をてらわず、見事としか言えません!









2017年3月13日月曜日

J.S.バッハ  6つのモテット
















声楽曲の主要なジャンルだった
モテット

「モテット」と言っても聞き慣れない言葉に戸惑われる方も多いことでしょう……。そもそもモテットは中世末期からバロック時代にかけて発達した声楽曲の主要なジャンルのひとつでした。ミサ曲以外のポリフォニー(複数の独立した声部で構成されている音楽を指す)を用いた宗教曲は押し並べてモテットと言われていたようです。

しかし、「モテットと言われても堅苦しいイメージしかないな…」とおっしゃる方もおられるのではないでしょうか。それは当然と言えば当然ですね! 確かに宗教曲ですし、どちらかというとドイツプロテスタント系のコラールを用いた音楽が主流ですので、下手をすると厳しく重々しいだけの音楽になってしまう可能性が充分にあるのです。

ここで紹介するバッハの「6つのモテット」も作曲家自身のコラールや受難曲、カンタータの断片を想わせる旋律が所々で使われています。従って、典礼を意識しつつ、音楽や言葉の本質を深く理解し、共感していない場合は悲惨な演奏になりかねません(もっとも、バッハのモテットに共感できない人が演奏や録音すること自体考えにくいことではありますが……)。

しかし、本質をしっかり捉えた演奏に出会いさえすれば、合唱の醍醐味を味わえたり、至福の時間を約束してくれる音楽でもあるのです。


音楽が湧き上がるグラーデン、
聖ヤコブ室内合唱団の演奏

上記のような意味からすれば、モテットらしくないけれど、最もモテットの魅力を引き出したのがグラーデン指揮=聖ヤコブ室内合唱団のライブ録音(Proprius)です。「モテットは堅苦しい」とつぶやいていた方……、これはそのような方にこそ聴いていただきたいアルバムです! 合唱の真髄を踏まえながらも、新鮮で柔軟なアプローチがとても心地よい音楽を作りあげているのです。

何よりも音楽が泉のように溢れ出て、停滞するところがありません。しかも、純度の高いハーモニーや発声の美しさは格別で、音楽に絶えず陰影と豊かさをもたらしているのです。

素晴らしいところをあげればキリがないでしょう。BWV225の弾むような発声、全体を有機的な流れの中で聴かせてしまう構成力!! またBWV159の憂いを帯びた表情、潤いや豊かさを含んだ歌声の味わい深さ……。BWV230での声がぶつかり合うような迫力や立体感、繊細かつ崇高な世界を表出する表現力には目を見張ります。

ガーディナー指揮モンテヴェルディ合唱団のライブ録音(SDG)も既成概念にとらわれない、オリジナリティあふれる音楽づくりが魅力です。グラーデン盤より更に個性的な表情が目立ちますが、作品の本質を逸脱していないのはさすがです。
合唱の精緻な響き、ディテールのこだわりが半端でなく、それが至るところで美しい表情を浮かびあがらせることに成功してますね。したがって聖ヤコブ室内合唱団を上回る部分も多々見られます。全体的に磨き抜かれた造型と圧倒的な音楽センスにはただただ舌を巻くばかりです。

2016年10月9日日曜日

バッハ ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047
















輝かしい響きと
快活なリズム
  バッハの代表作ブランデンブルク協奏曲(全6曲)の中で最も快活で輝かしい響きが心地よいのが第2番です。
 ブランデンブルク協奏曲は序奏なしですぐに主題が出てくるのが特徴ですが、中でも2番は第1楽章の冒頭からリズムがキビキビしていているのと、主題の展開が素晴らしいため自然に身体が動き出してしまいます。
 ソロ楽器が重要な主題を担い、それぞれに活躍するのがブランデンブルク協奏曲の魅力で、2番でもトランペットとオーボエが魅力いっぱいで、ヴァイオリンとリコーダーも随所にいい味を出しています。
 2番を聴きながら想うのは、バッハの楽器の扱い方の天才的な上手さです。たとえばトランペットのパートをオーボエに置き換えたり、ソロパート部分を合奏にしたら、これほどの魅力が出たかどうか‥‥。
 第1楽章の輝かしくも変化に富んだ曲調、第2楽章のエレジーのような澄んだ哀しみ、第3楽章の楽器の魅力を存分に味わえるフーガ! どれもこれもバッハだからこそ作り得た崇高であるけれども遊び心満載の傑作と言えるでしょう。

リヒターとゲーベル
新旧の名盤
 2番はソロ楽器のどこに力点を置くかによって、演奏も様変わりしますし、曲の印象も大いに変わってきます。その好例がカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ・管弦楽団(グラモフォン)ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティーク・ケルン(アルヒーフ)の新旧の名盤と言っていいでしょう。
 新旧と言っても新しいほうのゲーベルの演奏も1986年の録音ですから、かれこれ30年以上も前になってしまいますね……。
 リヒター盤は快活という表現がぴったりするくらい、ダイナミックに曲に切り込んでいきます! その表現は聴いていて思わず襟が正されるほどで、一気呵成の進行に心が奪われてしまいます。
冒頭のトランペットの一節をこれほど朗々と響かせたのは今もってリヒターしかありません。しかもそれが曲の本質を逸脱せず、ピタリとハマっているのはさすがです!
 第3楽章のトランペットとオーボエの神々しい響きに導かれて、光が差し込むような崇高な音楽として盛り上げていくのもリヒターならではです。
 これに対してゲーベル盤は音楽の推進力を充分に保ちながらも、ソロ楽器の響きの魅力を充分に引き出した演奏です。オリジナル楽器を使用しているだけでなく、各楽器がよくブレンドされて美しい響きを生み出しているのも特徴です。
 オーボエやリコーダーが実はこんなに魅力的なパートを演奏していたのかと再認識するような演奏と言ってもいいでしょう。
 特に第2楽章はソロ楽器の魅力が際立っていて、透明感溢れるスタイルの中に無垢の哀しみが漂うのです。

2016年6月16日木曜日

バッハ パルティータ第5番ト長調 BWV829















父親、教育者としての
愛に満ちた眼差し

 バッハは誰もが大作曲家として一目置く存在ですが、演奏家としても超一流で鍵盤楽器のスペシャリスト(当時としてはチェンバロがオルガンなのでしょう)、ヴィルトゥオーソとして名を馳せていたそうです。当然、鍵盤楽器のための作品は多く、平均律クラヴィーア曲集やゴルトベルク変奏曲といった有名曲以外にも数多くの名曲が存在します。イギリス組曲、フランス組曲、イタリア協奏曲、インヴェンションとシンフォニア、6つのパルティータはその代表格と言えるでしょう。

 私はバッハのクラヴィーア曲をさほど聴かないのですが、例外的に一曲だけ疲れた時によく耳を傾ける曲があります。それがパルティータ第5番です。
 ここに聴くバッハの良さは一言で言えば、柔和で優しさに満ちていることでしょう。しかも愛らしくきらきらと無垢な輝きを放っているところが何とも言えず魅力的なのです。

 無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータで厳しく突き放すような精神性の深みを表現したのとはかなり異質な世界です。これはバッハの父親としての優しさ、教育者としての愛に満ちた眼差しがそうさせているのかもしれませんね……。

 特に素晴らしいのは4曲目のサラバンドでしょう。主題にこれといった特徴こそありませんが、力の抜けきった柔和な旋律が次第に深遠な世界を構築していきます。主題が少しずつ形を変えて登場するたびに、様々な感情が交錯しつつ昇華されていく展開は本当に見事です。

 続く第5曲のテンポ・ディ・ミヌエッタは可愛らしい音の戯れが魅力的ですが、その一音一音に何と豊かな愛に満ちたメッセージが込められていることでしょう……。
 リズミカルで透明な詩情あふれるパスピエも、輝かしく晴れやかなフィナーレのジーグも魅力いっぱいです。


普遍的な魅力を持つ
ピアノの名盤

 この作品の演奏は当然、ピアノかチェンバロのどちらを選ぶかということになるのですが、私は普遍的な意味合いも含めて圧倒的にピアノをお勧めします。風雅があり格調高いのはチェンバロかもしれませんが、表現の幅やより繊細な感情表現が可能なのはピアノではないかと思いますので……。ですからここではピアノ盤のみの推薦ということになってしまいます。チェンバロファンの方、どうか悪しからず! 

 さて、第一にお勧めしたいのはエリック・ハイドシェックのピアノによる演奏です。
 パルティータ第5番は最初の3曲が後半の4曲に比べてやや魅力に乏しい嫌いがあるのですが、ハイドシェックの巧みな演奏はそのような欠点をも忘れさせてくれます。
 まず第3曲のサラバンドの音が何と柔らかく美しいこと! 何気なく気分を変えて弾かれたテーマが無限の余韻と豊かなニュアンスを醸し出してくれます。絶妙なピアノのタッチに加えて、センスあふれる造型やテンポ、リズムがこの曲をバロック音楽の枠や堅苦しさから解放しています。純粋にピアノ作品としての魅力を伝えてくれる演奏と言えるでしょう。

 クラウディオ・アラウの録音(フィリップス)は晩年のアラウの心境がそのごとくに反映された名演です! 中でもサラバンドが言葉には尽くせないほどに素晴らしいですね…。遅めのテンポから繰り広げられる木訥な音は明らかに流麗とか格調高いという言葉とは無縁ですが、テンポやリズム、造型のような音楽上の制約やスタイルが空しく感じられるほど、その表現は心の深奥に迫ってきます。テンポ・ディ・ミヌエッタも飾らない表現だからこそ、より無垢なメッセージとして伝わってくるのかもしれません!



2015年12月22日火曜日

J. S. バッハ 2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調BWV1043










ヴァイオリンの対話形式による
代表的な名曲

 自分の発した言葉が山に響いてこだまのように跳ね返ってきたらとても気持ちがスッキリした‥…という話はよく聞きます。また、合唱でソプラノが歌ったパートをバスが追いかけるように歌うことも気持ちを共有し高める上ではとても大事な要素とも言われます。

 人は発した言葉に対して何らかの応答があったり、お互いに語り合うように話が発展すると心が共鳴して無上の喜びを感じるようになるとも言いますね。たとえばそれが音楽のような創造芸術で対話が展開されるときの幸福感はいかばかりでしょうか‥…。

 バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」はタイトルどおり2つのヴァイオリンの対話から展開される名曲です。この作品は昔からバッハの協奏曲の中でも傑作中の傑作と言われてきました。
 まず、第1楽章の出だしから厳しく陰影に富んだ旋律が心に強く訴えかけてきます! 対位法により管弦楽と2つのヴァイオリンが高度に絡み合い、見事な調和が達成されていることにも驚かされます。比較的短い三楽章の構成の中にヴァイオリンのあらゆる表情や音楽的エッセンスがギッシリと詰まっているのです。 

 この作品を愛するヴァイオリニストが多いのも分かるような気がしますね‥…。 


美しく気高いラルゴ

 しかし、2つのヴァイオリンのための協奏曲といえば、私にとっては第2楽章ラルゴ・マ・ノン・タントに尽きます!
 このラルゴは本当に美しいです! バッハとしては異例の懐かしさに満ちていて、温かく包容力のある主題がとても印象的です。その美しいメロディが2つのヴァイオリンの対話によって深化し、瞑想や哀しみが自然と映し出されていくときこそ、この曲の真髄が聴かれると言ってもいいでしょう!

 バッハはラルゴに美しい主題を持った名曲を数多く書きました。このラルゴも後世にいつまでも語り継がれる永遠の名曲と言ってもいいのではないでしょうか。
 映画の中でたびたび使用されたり、様々なジャンルでアレンジされたりと、その人気のほどが伺えます。


バッハ作品に精通した
シェリングの名演奏

 さて、録音はどれを選べばいいんだろう……。ということになってきそうですが、私は文句なしにシェリングの演奏を選びます。その中ではマリナーと組んだ1976年盤(フィリップス)がいいでしょう。シェリングが自分で指揮して録音を入れた1965年盤(デッカ)もなかなかの名演奏ですが、録音状態やヴァイオリンの響きの自由闊達さや音色のまろやかさを考慮するとやはり1976年盤をとるのが無難かと思います。(残念ながら現在1976年盤は廃盤状態です…)

 とにかくシェリングのバッハは細部まで神経が行き渡っていて、潤いと豊かさで満ちあふれています。同じバッハの「無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ」、「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」等で唯一無二とも言えるような名演奏を残した人ですから、その演奏も自信と確信に満ちていて、「バッハはこう弾いたらいいんだよ」とヴァイオリンの表情で切々と伝えているかのようです。
 また、もう一人のヴァイオリンを担当するモーリス・アッソンやマリナーの指揮も端正にまとまっていて、ヴァイオリンの対話を最大限に生かしながら、好サポートを示しています。



2015年2月17日火曜日

バッハ カンタータ第1番『暁の星のいと美しきかな』









溢れるような喜びと希望が
情感豊かに展開

 バッハは音楽を「神の賜物」と考えた作曲家で、不世出の傑作「マタイ受難曲」、「ヨハネ受難曲」、「ミサ曲ロ短調」はもちろんのこと、多くの作品はこのような信念に基づいて作曲されたのでした。
 これはルター派(宗教改革で有名なマルティン・ルターを創始者とする教派)の正統的な流れを汲む考え方でもありましたが、単に教派の典礼音楽としての範疇に留めないところがバッハの偉大なところなのです。バッハがライプツィヒ時代に盛んに作曲した教会カンタータはプロテスタントの礼拝用の音楽として位置づけられているものですが、芸術的な価値も非常に高く、今なおその作品は多くの音楽家によって演奏されているのは承知の事実です。

 カンタータBWV1『暁の星のいと美しきかな』はルター派の牧師だったフィリップ・ニコライの原曲による作品ですが、バッハの息がかかることによって、新たな生命力が付与されたことは言うまでもないでしょう。この作品は受胎告知の祝日用として作曲されたもので、溢れるような喜びと希望が情感豊かに展開されていきます。

 最高の聴きどころは1曲目の管弦楽を伴う合唱です。まずヴァイオリン二挺が語り合うように奏でる懐かしく素朴な響きに癒されます。そこにホルンが絡むとますます牧歌的な雰囲気が醸し出されていくのがわかりますね……。
 少しずつ形を変えながら何度も繰り返され発展していく主題の展開はバッハの作曲の妙が充分に味わえるところです。この第1曲は合唱だけでなく、独奏楽器が主題を奏でる面白さと豊かさがふんだんに味わえる音楽といっていいでしょう!

 そして同じように独奏楽器(ヴァイオリン)が活躍するのが第5曲目のテノールのアリアです。このアリアは力強いフレーズの提示と卓越したリズムが素晴らしく、段々と音楽が進行するにつれて深みを増していくのが特徴です。何よりもヴァイオリンの伴奏が魅力的で、躍動的な喜びが伝わってきますね!

 同じ教会カンタータでもBWV140『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』やBWV147『心と口と行いと生活もて』の人気曲に比べるとBWV1は演奏頻度もぐっと少なくて地味な存在です。もっともっと聴かれてもいい曲ではないでしょうか……。



リヒターの
唯一無二の名演

 演奏はバッハのカンタータをライフワークとして捉えていたカール・リヒター=ミュンヘンバッハ管弦楽団および合唱団(アルヒーフ)が最高です。
 1曲目のヴァイオリンやホルンの響きからして彫りが深く、情緒豊かでありつつも格調高い音楽がいっぱいに拡がっていきます。しかも合唱の真摯でひたむきな表情が曲の持つ性格にピッタリです!
 リヒターの熱い気持ちと強い意思が比較的自然な形で発揮された名演奏と言えるかもしれません。

 ソリストでは第5曲のアリアを歌うエルンスト・ヘフリガーが際立っています。輝きに満ちた声、自然な陰影、立体的な表情等……本当に素晴らしく、変化に富んだこのアリアを意味深く聴かせてくれます。第3曲のアリアを歌うエディット・マティスの表情がやや硬く、単調に聴こえるのが少々残念ですがそれ以外はすべてに理想的です。

 教会カンタータ=ルター派の精神性という構図に決してこだわる必要はないのでしょうが、根底にプロテスタントの礼拝用の音楽としての下地があることを考えるとすれば、リヒター盤以外の選択肢は考えられないくらいこれは完成度の高い演奏と言えるでしょう。




2014年3月18日火曜日

J.S.バッハ 管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066











明暗を分ける管弦楽組曲

 バッハの管弦楽組曲といえば昔から圧倒的に2番と3番が有名で、CDでハイライト盤が組まれる場合はほぼ例外なく2番、3番が選ばれてきたと言っていいでしょう。
 2番と3番はバッハの作品全体の中でも演奏される機会が多く、録音が多いことでも有名でした。それに比べると地味で(人気がないとは言いませんが…)不幸な立場にある1番と4番ですが、それではバッハの作品としては不出来な部類なのでしょうか……。
 いえいえ決してそんなことはありません。2番のパディヌリや3番のエアのような人気曲こそありませんが、充実した構成と創造的な音楽の展開はバッハの音楽を聴く醍醐味でいっぱいです。

 特に1番の序曲は伸びやかで晴朗な響きが快く、希望の芽が段々と膨らんでいくような実感があります。数々の舞曲も新しい試みでいっぱいで、音楽の息吹が全編にみなぎっています。



不人気な1番、4番に光を照らしたゲーベル

 1番と4番については2番と3番が素晴らしいリヒターやカザルスがもう一つなのですが、ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティーク・ケルン(アルヒーフ)の演奏がこれまでのバッハ演奏の常識を覆した素晴らしい演奏です。スピーディーなテンポなのですが、とにかく響きが新鮮でセンス満点!壮重な構えはないのに過不足な感じがまったくありません。
 それよりもバッハの音楽には、こんな意味もあったのか、こんな処理の仕方もあったのかと驚くことばかりなのです!

 通常だと序曲は壮麗な響きで重厚感たっぷりの演奏スタイルがとられることが一般的なのですが、ゲーベルはそのような常識的なスタイルや音楽の流れにとらわれることは一切ありません。形だけをとれば、とてもバロックスタイルとはほど遠いように思えますし、人間的な温かみがでないように乏しいように感じてしまうでしょう。しかし、バッハの音楽の本質をしっかりと把握しているため、違和感がないのです。

 とにかくゲーベルの演奏は影に隠れてしまいがちな管弦楽組曲の1番、4番に市民権を与えたとも言える名演奏ではないでしょうか!





2014年3月13日木曜日

J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068



















壮麗・荘厳な響きの第3番

 バッハの管弦楽組曲は、バッハ自身の管弦楽曲の白眉であることはもちろん、バロック音楽、フランス風舞曲や宮廷音楽の集大成の作品として、昔から大変有名な作品でした。しかも軽快で愛らしいフランス風舞曲を壮麗な管弦楽作品に仕上げてしまうバッハの創作力にはただ驚くばかりです! あえて例えるなら、ブランデンブルク協奏曲が楽器の編成等のヴァリエーションに富んだ「柔」だとすれば、管弦楽組曲はグイグイと正攻法で押し通した「剛」ということになるかもしれません。
 
 中でも第3番は「剛」の代表格と言っていいでしょう。 序曲のトランペットに象徴される壮麗・荘厳な響きは輝きに満ちていますし、聴いていると襟が正される思いですね! この序曲は主部でフーガとなり、荘厳な建築物を様々な角度から仰ぎ見るようにどんどん発展していきます。

 2曲目は壮大な序曲と打って変わって、清澄な美しさを湛えた傑作で誰もが知るエア(「G線上のアリア」で有名)ですね。弦楽器と通奏低音の対位法的な構成はとてもシンプルなのに、そこからあふれる感動と余韻は深いという…、改めてバッハの深遠な精神世界を垣間見るような思いがいたします。

 ガボット、ブーレー、ジーグ……。いずれも、バッハらしい創造的で強い生命力を持った舞曲に仕上がっており、一本芯の通った魅力にあふれた音楽となっているのです。




リヒターとカザルスの厳しいアプローチ

 第3番はカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団(アルヒーフ)の演奏が最高です。序曲から物凄い緊張感が漲り、息もつけぬほどの集中力を聴く者に要求します。ここまで厳しい表現に徹する必要があるのか…という声もあがりそうですが、それでも力づくではない威厳に満ちた壮大な表現を実現できたのはリヒターだけでしょう。
 どこをとっても個性的で気まぐれな表現は見当たらず、その一途で真摯な表現に心打たれてしまいます。全体的に颯爽としたリズム感や清廉なアプローチがバッハにふさわしく、いつのまにか奏でられる音楽の魅力に引き込まれていきます。

 カザルス盤(CBS)もなかなか凄いですね。ただ、序曲だけは残念です。表現そのものは深く偉大なのですが、弦の響きが地味で渋く、演奏効果が弱いため、どうも音楽が立体的に展開しないのですね……。リヒターの壮大なアプローチを聴くとなおさらのことでしょう。
 しかし、エア以降の諸曲はリヒター盤以上かもしれません。精神的なゆとりが音楽に即興的な閃きや力強さを与えています。ガボット、ブーレなどのテンポの流動感や生き生きとしたリズムは最高で、あらゆるところにカザルスの名人芸が巧みに生きています。エアの自然な盛り上げかたもさすがで、心の奥底まで余韻が伝わってきそうです。






2013年9月30日月曜日

J.S.バッハ オーボエ、ヴァイオリンのための二重協奏曲ニ短調BWV1060a










 芸術作品を心から楽しみ味わうためには押さえるべき数々の条件がありますね。中でも大切なことは「偏見を持たない」、「純粋に作品と向き合うこと」になるでしょう。たとえば、最初から「バッハ、モーツァルト、ショパンの作品は凄い」という既成概念を持って作品の良し悪しを判断してしまうことですが…、これはあまりよろしくないことですね。既成概念を持って作品を鑑賞すると、本来様々なインスピレーションを受けるはずの感性のフィルターが閉ざされてしまいます…。つまり素直に作品を堪能することができなくなっ てしまうのですね。極端な話、作者の名前を伏せて絵を見たり、音楽を聴くことは大切なことかもしれません。もっと自分の目と耳、そして感性を信じることが大切でしょう!
 そして作品を鑑賞するときに、「自分だったらこんな風に表現してみたいな」とか、「こうしたらもっと面白いかも…」という感じで疑似創作体験をしてみることです。これは実際に曲を作るとか、絵を描いたりしなくてもイメージを思い巡らすだけで、作品に対する理解が深まるだけでなく、作品を鑑賞する楽しさや面白さが格段に増すのです!

 話がかなり横道に逸れてしまいましたが、このオーボエとヴァイオリンの協奏曲はバッハの作品であるかどうかが疑われているようですね。でも私はそんなことまったく気になりません。たとえバッハの作品でなかったとしても、作品の価値はまったく変わらないのですから……。

 そしてこの作品にはかつて途轍もない名演奏がありました。それがヘルムート・ヴィンシャーマンのオーボエと指揮、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのヴァイオリン、ドイツ・バッハ・ゾリスデン(コロムビア・廃盤)の演奏です。とにかく、この作品はヴィンシャーマンの演奏によって市民権を獲得したといっても決して過言ではないでしょう。絶妙な間合いやリズム感、音色の温かさ、高音の伸び等、ヴィンシャーマンの抜群の音楽センスにはため息が出るばかりです。この曲は二短調なのですが、短調の曲にありがちな息苦しさがまったくありません。それどころか少しずつ主題のスタイルを変えて展開されるメッセージはワクワクし、最高の幸福感さえもたらしてくれるのです。

 ヴィンシャーマン盤を聴けば、バッハの曲にこんなに愉悦感があったのかと驚かれる方もきっと多いのではないでしょうか。
 第1楽章のオーボエとヴァイオリンの対話はとても和やかで、短調であることを忘れるくらいスーッと心に溶けこんでくるような趣きがあります。第2楽章の弦のピッチカートを伴奏にした緩やかなメロディの展開も美しい表情を生み出し、長さを感じません。第3楽章も第1楽章とほぼ同じことが言えますが、ここでもオーボエとヴァイオリンの絡みが多彩な美しさを生み出しているのです。

 ※CDが廃盤の現在、この演奏を楽しむためにはiTunesの配信サービスを利用されるしかないようです。





2012年11月8日木曜日

バッハ  ブランデンブルク協奏曲第6番 変ロ長調






 ブランデンブルク協奏曲はバッハの管弦楽曲の中では最も人気が高く、演奏頻度の高い作品です。しかし、その中で今回とりあげる第6番は唯一演奏頻度が少ない作品ではないでしょうか。

 演奏頻度が少ない理由としては圧倒的に地味で演奏効果があがりにくいというのが通説になっているようです。でもよく耳を澄まして聴いてみてください。この曲ではヴィオラやチェロ等が終始活躍し、モノトーンを基調にした何とも穏やかで温もりのある響きが生み出されているではありませんか! 確かに全体のトーンは渋くて華やかさこそありませんが、これこそ低弦楽器の音色に精通したバッハならではの深い味わいと言っていいでしょう!
 この作品は「ブランデンブルク協奏曲の中で一番聴き疲れしない」とおっしゃる方も意外と多いのです。

 おそらく、弦楽四重奏やチェロソナタあたりが好きな人であれば、一度で好きになってしまう曲なのでしょう。6番は美しいメロディも随所にありますが、メロディの美しさよりは響きの美しさや奥深さが印象的な曲なのです。
 それだけにヴィオラが奏でる可憐な主題はストレートに心の歌となって響き、深い癒しを与えてくれるのです。ヴァイオリンには出せない艶やかでまろやかな音の拡がりが何ともエレガントですね!

 この曲は演奏効果というよりも、しっとりとした情緒を味わう曲なので最近の古楽団体の演奏より往年の名盤がやはり優れています。特にパウムガルトナーとルツェルン弦楽合奏団(DENON)の演奏はじっくりと音楽に浸り、隅々まで曲の良さを堪能できるでしょう。パウムガルトナーにはそれより古いアルヒーフ盤(1962年録音)がありますが、そちらの演奏も素晴らしく甲乙つけがたい名演です。
 一言付け加えておくならば、パウムガルトナーの新旧両盤は全集としても大変優れていて、どの曲も水準の高い演奏で魅了されます!











2012年6月4日月曜日

J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第2巻(BWV870~893)












平均律第2巻を作曲した頃のバッハは創作環境として恵まれたケーテンを離れ、才能と手腕を見込まれてライプツィヒの教会のカントル(教会の合唱指揮者・音楽監督)を任された頃でした。
第1巻はケーテン時代の置き土産のように作曲されたのですが、第2巻を作曲した時、前作よりすでに20年の歳月が過ぎていました。

これほどの歳月の隔たりがあれば当然の如く、気持ちの変化や創作意欲の欠如等が如実に出てくるものなのですが、この曲に関する限りバッハは少しも変わっていなかったのでした。
第1巻に勝るとも劣らない祈りに満ちた雰囲気と豊かな叙情が全編を一貫しており、しかも第1巻にはない行書的な自由さが随所に現れているのです。

中でも第1番プレリュードはバッハのこの作品に賭ける想いを感じとることができます。少しずつ装いを変えていく美しさに満ちた前作のプレリュードはとても魅力的でした。これに並ぶか超えるとなるとバッハといえど、決して容易な話ではありません。しかし、本作のプレリュードでも無限に広がる地平を想わせる確信に満ちた響きが、充実した世界観を描き出していくのです。 朝露を浴びた木々の葉がキラキラと輝き出すような希望に満ちた第2番のプレリュードも新鮮に響きます。

 第1巻ではオルガン的な響きや神聖な雰囲気が深い瞑想と静寂の境地を表していました。しかし、この第2巻では第1巻にはなかったゆとりと自由な曲想が作品の融通性を引き出し、より普遍的な感動と発見をもたらしてくれるのです!

平均律クラヴィーア曲集は曲の形式や構成の素晴らしさによって、あらゆる音楽を愛する人のピアノ演奏の源泉になっていることは間違いありません。しかし、それ以上にひとつひとつの曲の芸術的な品格や味わい深さが無類であることが、いつの時代でも愛される大きな要因となっているのでしょう。

  この第2巻で最も素晴らしい演奏として記憶されるのがグレン・グールドのCDであることは間違いありません。
第1巻では表現自体は抜群であるにもかかわらず、禁欲的なバッハの作品の性格に対して少々違和感があることが否めませんでした。しかし、この第2巻ではあらゆる部分の表情が生き生きとしながら作品の本質と無理なく溶け込んでいることがわかります!
 もちろん、グールド特有の寂寥感やデフォルメした表情も作品の魅力を引き出す上でプラスに作用しており.その表現力と音楽性に圧倒されます!

特に素晴らしいのは第1番プレリュードとフーガで、このプレリュードとフーガはともすれば平均律という作品のステータスに押される格好の萎縮した演奏になってしまいがちです。しかし、グールドの演奏はプレリュードの出だしから彼の感性のフィルターによって炙り出された抜群の雰囲気を湛えた音楽となっており、寂寥感とともに心の奥底に強く印象付けられる音楽になっているのです。また第16番ト短調のフーガも委細構わず突き進む硬質な音の迫力が独特の魅力を醸し出します!

エフゲニー・ザラフィアンツのCDは第1巻で紹介した通り、第1巻と第2巻から同じ調のプレリュードを12曲ずつ選び、計24曲を収録したものです。
ゆったりとしたテンポで情感豊かに歌われる演奏ですが、細部までよく彫琢された美しい演奏です。他の演奏でもの足らないという方には様々なインスピレーションを与えてくれる名演といっていいでしょう!


2012年5月17日木曜日

J.S.バッハ 平均律クラヴィーア曲集第1巻(BWV846~869










 バッハの平均律クラヴィーア曲集はバッハのクラヴィーア作品で最も重要な作品で、無限のイマジネーションと真摯な宗教性が融合した不朽の傑作です!

 19世紀の高名な音楽家のハンス・フォン・ビューローは「ベートーヴェンのピアノソナタ集をピアノの新約聖書だとしたら、バッハの平均律クラヴィーア曲集は旧約聖書だ」とたとえて賞賛しました。また「無人島にたった1枚だけクラシック音楽のCDを持って行くとしたら、何を持って行く?」という質問に多くの人はこの曲を選ぶと言います。つまり、それほどこの曲には豊かな音楽のエッセンスが充満しているということなのでしょう!

 バッハはフランス組曲、イギリス組曲、パルティータ、インヴェンションとシンフォニア等のクラヴィーアのための傑作をたくさん残しました。どちらかと言えばこれらの作品は娯楽性が強く、リズムや音色の多様な変化で面白さを追求した感じなのですが、平均律はずっと奥が深く、森羅万象の響きや音楽の原点に立ち返るような真摯な祈りが満ちあふれているのです。

 12平均律に新たな可能性を追求した功績と意欲はもちろん見逃せません。しかし、何よりもこの作品全体に満ちあふれているのはバッハの音楽への深い愛情なのです。
 「平均律クラヴィール曲集第1巻」は神の秩序をうつしとった、小さな完成された「世界」(ミクロコスモス)、音楽の小宇宙などと形容されることもある作品です。それぞれのプレリュードとフーガは24のすべて異なる調によって書かれ、ハ音を主音として開始し、長調と短調の曲を交互に配置しながら半音階ずつで上行を繰り返しロ短調で終結する組み合わせで構成されており、そこから驚くほど豊かな精神世界をつむぎ出していくのです! 


 宇宙や自然界の日常的な営みの中にあるキラキラと輝く諸々の感情! それはバッハの心のメッセージであり、心の四季のような各曲がさまざまな表情を映し出す鏡となっているのです。バッハはそれらの感情や心の機微を最高のインスピレーションで再現しています。
 たとえば、水面が刻一刻と装いを変えるように紡ぎ出される有名な第1曲ハ長調のプレリュード、夜空の星の清澄な輝きを想わせる第7曲変ホ長調のプレリュード、牧歌的な雰囲気が平和な瞬間を彷彿とさせる第17曲変イ長調のフーガ、また悲痛な哀しみを彩る深遠な第4曲ハ短調のフーガ等がそれらの代表的な例でしょう。
 そしてこれら24曲の心の四季には、絶えず神聖な余韻や静寂が流れ、至福の時を約束してくれるのです。全編を通じ、何と人間の心のさまざまな情感や祈りが結晶化されていることでしょうか!

 演奏は予想通り難しく、CDで大体満足できる演奏はいくつか存在するものの、現在のところこれといった決定盤はありません。

 タチアナ・ニコラエーワの演奏は日本でのライブ録音です。録音がいいところが魅力です。平均律にまつわるイメージを決して壊さず、しかも深い精神性に裏打ちされた音楽が随所で鳴り響き、優しい語らいやチャーミングな表情も兼ね備えた安心して聴ける演奏と言っていいでしょう!
 特に詩情豊かな各曲のフーガは抜群の呼吸と立体的な造形でとても味わい深く、その音楽性の高さに思わず酔わされます。

 グールドの演奏はどこをとっても常識的な表情はなく、最初はとまどうかもしれません。しかし個性的でありながら、本質をしっかり見据え、生き生きとした表情を曲に与えたグールドのアプローチは実に爽快です! 表現は一瞬たりとも曖昧になることがなく、聴く者はグールドの世界にぐいぐい引き込まれる事になるでしょう! 長調のプレリュードであってもどことなく寂寥感を伝える彼の表現は独特で、他のピアニストからは絶対聴けないものです。ただし表現自体は偉大なのですが、作品が本来求めている演奏なのかはまた別の問題と言えそうです。


 エフゲニー・ザラフィアンツの演奏は正規の推薦盤としてはお勧めできませんが、発想の面白さと演奏のあまりの素晴らしさにどうしても採り上げたくなりました。
 ザラフィアンツは個々のプレリュードそのものに完結性を見出し、(フーガはすべて省いている)曲集の各巻に収められた同じ調のプレリュードを一対の組としてとらえたのです。CDでは、第1巻と第2巻から同じ調のプレリュードを12曲ずつ選び、計24曲を収録しています。こういう考え方もあったのかという意外性に新鮮な驚きを感じます! そして何より素晴らしいのはゆったりとしたテンポで際限なく情感豊かに歌われる演奏です。情報量も多く、今まで認識されなかった繊細な響きや情緒が浮かび上がってくるところに改めてこの作品の潜在的な偉大さを実感します!
 
 このCDを聴く限り、ザラフィアンツには今後是非とも平均律の全曲集をレコーディングしてほしいと願うばかりです……。


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2011年9月27日火曜日

バッハ ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052




傍若無人な演奏を思いのままに実現





 バッハのピアノ協奏曲は普段はよほどのことがなければ聴かない曲です。なぜかと言えばチェロ組曲や無伴奏ヴァイオリンソナタのような突き抜けた面白さは無く、演奏ももう一つピンとくるものがなかったからです。そもそもピアノ協奏曲はチェンバロ協奏曲をそのまま楽器を変えてアレンジした作品なので、弾くほうにもそれなりのセンスが要求されるのです。
 しかし偶然20年ほど前に出会った演奏にはすっかり心を奪われてしまいました。それがシプリアン・カツァリスのピアノとヤーノシュ・ローラ指揮リスト室内管弦楽団によるものでした。

 何が凄いかというとそれは1にも2にもカツァリスの超絶的ピアノに尽きることになるでしょう。
 この作品でカツァリスはバッハの作品を少しも臆することなく、自分の信じた表現で傍若無人な演奏を思いのままに実現しているのです。

 彼の演奏の凄いところはすっきりとした古楽奏法や軽妙なタッチにはまったく目もくれず、ストレートに力強い音色を奏で、音と音とのがっちりとした有機的なつながりを実現しているところなのです!そのことが、音楽に決定的な存在感を与えているのです。
 特に凄いのが最初の2曲BWV1052、1056です。それにしても何という胸のすくピアニズム!繊細な和音の表情などよせつけない快刀乱麻の進行にただただ呆然と聴き入るのみです。しかも、瞬間瞬間に命をかけた潔い表現はとても格調高く、風格さえ漂わせるのです。

 多くのピアニストが細部の優美さにこだわるあまり、退屈に聴こえてしまうバッハのピアノ協奏曲をここまで透徹したピアニズムで一貫したカツァリスの表現力には驚かされます。それと同時に、バッハのピアノ協奏曲の作品としての魅力(特にBWV1052)を改めて証明してくれたカツァリスの功績は大きいと言えるでしょう。






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2011年5月18日水曜日

無伴奏チェロ組曲 BWV1007-1012















  バッハが書いた作品の中で最高に発想が自由で、テーマ、リズム、音色の面白さが無類なのは無伴奏チェロ組曲でしょう!ヴァイオリンに比べると地味なイメージが強く、単独で演奏されることがほとんどなかったチェロに光をあてたところがバッハの鋭く深い視点を感じます。
  この重々しい響きを放つチェロに軽快な舞曲をあてはめたり、驚くほど柔軟で味わいのある響きを引き出してみせたバッハの先見性とセンスはやはり並大抵のものではありません。その後のチェロの演奏に新しい可能性を見いだした功績はとても大きいと思います。

   この無伴奏チェロは大変に有名な曲なので、チェロ以外の楽器やオーケストラに編曲されることも多々あります。けれども、哀愁を帯び、深い精神の鼓動のような独特の響きはやはりチェロでなければ!とつくづく思わされるのです。

  同じバッハの作品に規模や構成が良く似た「無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ」という作品があります。ヴァイオリンソナタとパルティータはある意味、徹底的に芸術性にこだわり、とことんまでヴァイオリンという楽器が表現し得る可能性を追求したところがあります。それに対し、無伴奏チェロはもっと自然体で音楽を心ゆくまで楽しんでいる様子がうかがわれます。
   たとえば、音色やリズムの変化によってさまざまな表情を描いたり、組曲ごとに調性を決め、流れが分断しないように工夫したり等、そのきめ細やかさは驚くほどです。

   そのような持ち味を最大限に発揮した例として、組曲4番のプレリュードをとりあげてみたいと思います。最初に分散和音のテーマが繰り返し演奏されるのですが、そのテーマは広い音域を上下動する中でぐんぐん発展し、広々とした澄み切った青空のようなものを表出していきます。そして、その青空の表情も次第に哀しみの色あいに変わったり、瞑想の色あいに変わったり、希望の色に変わったり……。そこには多種多様なメッセージが盛り込まれているのです。

  数多くある無伴奏チェロの演奏で最も素晴らしいのがピエール・フルニエの演奏です。この演奏(グラモフォン、1960年録音)は気品があり、しかも奥行きのある充実した響きがとても心地良いです。録音も良く、安心してこの作品の魅力を堪能できるでしょう。フルニエはこの曲をフィリップスから10年後に再録音していますが、やはり甲乙つけがたい名演奏です。
   パブロ・カザルスの演奏(EMI、1936-1939年録音)は大変古いのですが、やはり外すわけにはいかないでしょう。スケールが大きく気迫に溢れた演奏は素晴らしく、録音の古さを超えて心に伝わってきます。練習曲としての位置づけしかなかったこの作品を、強い共感を持って弾き切ったカザルスの演奏は今もってこの曲を聴く上での重要な選択肢のひとつです。




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