2015年1月31日土曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第6番K238(2)










初期のピアノ協奏曲の
傑作K.238

 無邪気な微笑みと心の翳りを併せ持つ音楽の天使!
 人の心の機微に優しく語りかける詩人……。
 モーツァルトは音楽の天才と言われたりしますが、それ以上に私たちの心を捉えて離さない天才ですね!それにしても、モーツァルトの音楽ってどうしてこんなに愛おしいのでしょうか⁉

 以前の投稿でモーツァルトのピアノ協奏曲で第20番以前の作品も魅力に溢れていると書きました。初期のピアノ協奏曲の中で傑出しているのが6番K.238です。K.238は音楽的な純度の高さ、モーツァルトらしいメロディとリズム、こぼれ落ちるようなセンスと魅力に溢れているのです!中でも絶品なのが第3楽章ロンド・アレグロでしょう。まさに天使の微笑みとはこのような音楽を言うのではないでしょうか⁉

 ロンド・アレグロに何度も登場するホルンはピアノの対旋律に回ったり、意味深いフレーズを吹いたりと実に効果満点です。寛いだ感じで登場するピアノの第一主題もとても親しみやすくていいですね!
 口笛を吹きながらスキップするように音楽は軽快に進んでいくのですが、音楽はまったくダレたり退屈になることなく、さまざまなエピソードや余韻を残しながら心に染み込んでくるのです。

 第1楽章、第2楽章もくどさや無味乾燥なところが一切なく、自然な陰影がありメロディが少しずつ形を変えながら空気のように聴く人の心にスーッと染み込んでくるのです。ちょっとしたリズムやメロディに込められた繊細なニュアンス、音楽的な味わいは最高で、音楽を聴く喜びにいつのまにか満たされるに違いありません。



バレンボイムの
理想的な名演

 ダニエル・バレンボイムはモーツァルトのピアノ協奏曲を重要なレパートリーの一つにしています。やはりここで紹介するベルリンフィルとの録音もピアノ、オーケストラ、録音のすべてが揃った名演奏と言っていいでしょう。バレンボイムは1970年代にもイギリス室内管弦楽団とピアノ協奏曲全集を録音していますが、完成度はやはりベルリンフィルとのものが1枚も2枚も上と言っていいでしょう。

 このK.238でのバレンボイムのピアノは実に豊かで深く、モーツァルト特有の純粋無垢な響きも充分に表現されています。第3楽章ロンド・アレグロの自在でメリハリに富んだ表現、音楽の流れを損なわない音楽性はさすがです。
 ベルリンフィルの伴奏も豊かで音楽的だし、楽器の響きに奥行きがあります。そのことがK.238でモーツァルトが伝えたかった愉悦や無垢な魂をより一層引き出しているような気がしますね。
   前回推薦したペライア=イギリス室内管弦楽団と共に聴き続けたいCDです。
 
 




2015年1月28日水曜日

クロード・モネ 「左向きの日傘の女」




左向きの日傘の女  1886年 オルセー美術館




散歩、日傘の女 1875年 ワシントンナショナルギャラリー 




あふれる光と風の
思い出

 モネは印象派の画家の中でも、光や時間の流れを表現することに深い関心を寄せた画家でした。
 その傾向は中期の名作「左向きの日傘の女」(※右向きの日傘の女も同じ年に描かれています)にもよく表れています。写真が一般的ではなかったモネの時代(19世紀後半)は、絵がいかにしてその場の雰囲気を醸し出せるか否かということがとても重要な問題でした。なぜならば、生きた記録として残す手段が絵か文章か歌ぐらいしかなかったからです。
 もしモネが現代に生きていたとしたら、カメラの絞りやシャッタースピードに徹底的にこだわり、風景や女性を被写体にして驚くような美しい写真を撮影する凄腕のカメラマンになっていたのではないでしょうか……。

 この「日傘の女」は知人の娘、シュザンヌ・オシュデがモデルなのですが、絵の源泉になっているのは7年前に世を去った妻カミーユとの美しい思い出だと言われています。この絵から遡ること11年前に描かれた「散歩、日傘をさす女」は妻カミーユと息子ジャンをモデルにした絵なのですが、なんと幸福感に満たされた絵でしょうか! 二人の表情をさわやかな光や風が温かく包んでいる様子が伝わってきます。
 「左向きの日傘の女」は構図や絵柄、雰囲気すべてにおいてこの絵が土台となっていることは間違いありません。モネはカミーユとジャンを描いた時の美しい思い出がよほど心に深く刻まれていたのでしょう……。永遠に戻ってこないが、永遠に忘れられないあの日、あの瞬間が……。その時の晴れた日のさわやかな気候もほぼ一緒で、同じようなシチュエーションで描かれているのです。



10年の時がもたらした
モネの心境の変化

 ただし、10年あまりの間にモネの表現には大きな変化が現れているのは確かです。それは心境の変化と言っていいのかもしれないですね。たとえば「左向きの日傘の女」を見ると、モデルの顔はヴェールに包まれていて、誰なのかを特定することはできないように描かれています。
 しかも人物の性格描写にはほとんど目を向けていません。むしろ人物は自然の素晴らしさを表現する上で邪魔にならない程度に抑えられていますね。では脇役なのか?というと、もちろんそうでもありません。光の反射や投影する影、風がなびく様子を表現するのに白いドレスを纏った人物は格好のモチーフなのです。  
 すでにこの時代モネは、自然が織りなす神秘と調和に心を奪われていたのかもしれません。

 「左向きの日傘の女」で見事なのは、まるでその場に立っているかのように自然の息吹や臨場感を追体験できることでしょう。あふれるような光と心地よい風がモネのイマジネーション豊かな色彩や感性によって紡ぎ出されていることがわかります。