皆さんはモーツァルトの音楽で一番肩の力が抜けた作品と言えば何を想い出されるでしょうか? おそらくその最右翼としてあげられるのが晩年のクラリネット協奏曲やピアノ協奏曲27番K595だと思います。
この2曲は表向きは明るい曲調なので喜びにあふれた快活な曲と思われがちですが、実際はとても喜びを表現したとは言い難い作品です。ひとことで言えば「諦観の音楽」と言っていいのでしょう…。モーツァルトの音楽の中では異色の作品といってもいいかもしれません。
特にピアノ協奏曲27番の透明な詩情はそれまでのピアノ協奏曲とは明らかに一線を画するものです。 融通無碍の境地と言っていいのかどうかわかりませんが、「もはやこの世に何の未練もありませんよ……」と言わんばかりに展開されるモーツァルトの清澄な音楽がとても印象的です!
晩年のモーツァルトは多額の借金を抱え、生活は哀れなくらいに困窮を極めていたといいます。それでもいざ作曲するとなるとこんな凄い作品を生み出してしまうのですから、改めて天才で根っからの音楽家なのだなと思いますね…。
かつてのピアノ協奏曲で聴かれた無垢で色彩感溢れるモーツァルトの姿はもはやここにはありません。最期の年に作曲されたK.595はモーツァルトの魂が地上と天界の間をさまよっていたのでは…。そう想わせるほど神々しい光を放ち、透明な詩情が全編を覆っているのです。
第1楽章の出だしはいつもの輝かしいピアノ協奏曲の始まりとは明らかに異質のものです。翳りに満ちた表情で静かに始まる独特の雰囲気が何とも言えません。その後の展開部でも情熱や気迫、流麗とは無縁な静かな諦観が曲を一貫します。じわじわと押し寄せる枯れた味わいが静かな晩秋の情緒を想わるではありませんか……。
第2楽章もあらゆる呪縛から解き放たれた瑞々しい詩情が最高ですね……。ピアノに絡む木管が相変わらず美しく、瞑想や可憐な微笑みが浮かんでくるようです。
幼い頃の美しい記憶が走馬灯のように心地よいリズムとなって展開される第3楽章も深く胸に染みます。いつしか音楽は何気ない戯れから無限の高みへと舞い上がっていくのです……。
演奏はステレオ初期に録音されたバックハウスのピアノとベーム指揮ウイーンフィル(Decca)の演奏が今もってベストと言っていいでしょう。モーツァルトとしては形にこだわらない異色の作品が結果としてはバックハウスやベームにぴったりのスタイルとなったのに違いありません。無理に誇張したりすることなく、音楽は自然な流れの中でこの曲から最高に深い意味を伝えてくれます。