ブルックナーを語る上で忘れてならない演奏
クナパーツブッシュの8番
いよいよ本格的な冬が近づいて参りました。以前は、街のあちこちからクリスマスソングが聞こえてきたものですが、今年は不景気もあるのでしょうか、随分と静かです。私はこの季節が大好きです。なぜかというと1年で最も心が浄化され、新しい年を迎えるための心のけじめをつける時のような気がするからです。
ずいぶん昔、凍てつくような寒い山道を歩いている時に自然の厳しさと気の遠くなるような偉容をひしひしと感じたものでした。その時、心の中を何度も去来したのがハンス・クナッパーツブッシュがミュンヘンフィルを指揮したブルックナーの交響曲第8番でした。
クナッパーツブッシュの指揮姿を見ると頑固一徹で気風のいい下町の職人さんと重なって見えて仕方ありません。怒りっぽいけれども、人が良く気は優しい……。しかし反面、モノを見る目は確かで妥協を許さない腕が確かな職人さんというイメージが強く伝わってきます。その徹底的なクナッパーツブッシュのこだわりから生まれたのがこの途轍もない演奏だったのでしょう。
この演奏はかねてから交響曲第8番を語る上では絶対に外すことのできない演奏として演奏家や音楽評論家の間では定説となっておりました。
その演奏の価値は45年以上過ぎた今でも少しも色褪せておりません。クナッパーツブッシュはワーグナーを最高最大の作曲家として崇めておりましたが、この演奏はワーグナー指揮者としての見識と経験があらゆる意味でプラスに作用したのではないかと思います。
何より驚かされるのはそのスローテンポです。このままだと曲が途中で止まってしまうのでは……。と余計な心配をしてしまうほどの極端な遅さです。しかし、クナッパーツブッシュの情熱と気迫はそんな些細な心配をあっさりとクリアーしてしまいます。とにかく全篇を通してこれほど楽器が雄弁な表情を発し、意味深さを獲得したことはなかったのではないでしょうか。その音色は人が発する失意や嘆きの声であったり、悲しみ、畏敬の念であるかのようです。
冬の荒野をさまよい歩くような独特の響きと深い呼吸は知らず知らずのうちにクナッパーツブッシュが紡ぎだす崇高で劇的な世界に誘ってくれます。かなり個性的でデフォルメも相当なように思われます。しかし、この演奏が決して一人よがりにならないのは曲の本質を理解した真実な表現やスケルツォ中間部、第4楽章の展開部で見られる限りない優しさが聴く者の心をとらえて離さないからでしょう。クナッパーツブッシュは派手なパフォーマンスをしているのではありません。ただ、自分の心にひたすら忠実に再現した結果がこれ程までの演奏になっているのです。その証拠に曲に心酔しているにもかかわらず、あくまでも平静を装い客観的な演奏を貫いていることがますます圧倒的な迫力とスケールを獲得することにつながっているのです。