ベートーヴェンのピアノソナタと言えば、誰もがまず最初に思い浮かべるのは「月光」ソナタではないでしょうか!印象的なのは何といっても第1楽章の最初の第1主題! 物思いに沈み、哀しみを背負うように奏されるこの第1主題は正直言って暗く重苦しい感じがつきまといます。しかし、同時にこの世のものとは思えない魂の深部から語りかけるようなこの崇高な情感はいったい何でしょうか!?
いついかなる時も誠実に生きたいと願うベートーベンの想いは、第1主題の繰り返しの部分でかすかに希望を感じさせる調に転じます。しかしそれもつかの間、苦悩と哀しみはそれを押しつぶすようにじわじわと広がっていき、どうすることもできぬまま展開部を迎え、哀しみにあえぎながら第1楽章は静かに終わっていきます。
「月光」はやはり第1楽章が最大の魅力です。この第1楽章は、昔から人気があって、ピアノの発表会やコンサートではよく披露されます。静かな曲調ですが、一音一音の持つ意味は大変に深く神秘的です。ともすれば、シンプルな曲調と、きりりと締まった古典的な主題ゆえに静かに始まり終わっていく印象が強くイメージされます。しかし連続する転調や主題の発展の中に考えられないような心の動揺や祈り、子守唄のような慰め等、さまざまな感情が交錯しながら展開されていくのです。
この作品ではベートーヴェンの苦悩が全編を覆っているのですが、それなのに曲は一切破綻していません。やはり尋常ではないベートーヴェンの才能や精神性がこの作品で実感できるのです!
ベートーヴェンが些細なことには目もくれず、なりふり構わず突進するようになるのはかなり後年のことなのです。たとえば、28番のソナタや29番のハンマークラヴィーアソナタとは別人のような繊細さと生真面目さです。主題ははっきりしていますし、曲がどのように展開していくかがわかりやすいのです。まだこの頃はベートーヴェンも純情だったのです。(もちろん、後々すねて悪い人間になったというわけではありませんが……)
もちろん、月光ソナタは古今を代表する名曲ですが、とにかく28番あたりからのソナタの驚くべき円熟度は瞠目すべきものがあるのです。年代を追ってベートーヴェンのピアノソナタを聴くとそのはかりしれない深化を実感するに違いありません!
演奏はバックハウスが1960年に録音したものがやはり最高で、他の追随を許しません。透徹したピアノの音色、深みのある表現、あらゆるものをすべて飲み込んでしまうような大きさや包容力がここにはあります。
ホロヴィッツが1963年に録音したCBS盤もデリカシーに満ちた透明感あふれるタッチが印象的です。ベートーヴェンらしい腰の据わった表現ではありませんが、透徹したピアノの音色は哀しみの心をスタイルの違いを超えて