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2018年6月5日火曜日

ベートーヴェン 交響曲第8番 ヘ長調 作品93



















ベートーヴェン異例の
明るく爽やかな音楽

ベートーヴェンは作曲する際、妥協することなく、どこまでも自分の理想とポリシーを貫き通した人でした。
したがって彼の作品は形式にとらわれたり、人の関心をひくだけの音楽はほぼないと言っていいでしょう。一様にどれも強靭な精神性と革新的な閃きに満ちあふれているのです。
彼の交響曲はどれもこれも傑作揃いですが、その中で一つだけ異質な作品があります。
それが1817年作曲の第8交響曲です。

中期の英雄交響曲、交響曲第5番のような極限の緊張感とドラマチックなソナタ形式に貫かれた作品とは異質の世界がここにあります。ベートーヴェンとしては珍しく最初から最後まで微笑みに溢れ、心地よいゆとりと潤いがあるのです。

とは言うものの、最後の大作、第九の前の交響曲です。ベートーヴェンが単にあっさりとした作品を作るはずがありません。

仮に他の作曲家がこのようなスタイルで、同じように充実した作品が作れるだろうかといえば、それは甚だ疑問です。
ここにはベートーヴェンの卓越した音楽性と豊かな精神性が無理なく融合しているのです。


ユーモアと骨太な
魅力が同居

第一楽章の溌剌としていて、何事にもとらわれずに前進するたとえようのない爽快感!
けれども中間部で見せる真剣な眼差しや格調高い高揚感は中期の傑作にも通じるし、懐の深さを感じざるを得ないのです。

第二楽章のメトロノームの動きを模したといわれる主題は明るく親しみやすく、ベートーヴェンのイメージを一新させてくれます。もちろんそれだけではなく、キリッと引き締まった造形とリズムは一つの方向に向かって熱く燃えあがっていくのです。

第三楽章もそれを継承していて、ユーモアに溢れた感覚が新鮮ですが、粗野で骨太な魅力はベートーヴェンならではです。

第四楽章は第八交響曲の特徴のすべてを結集した密度の濃い音楽となっています。多彩な主題の展開は広々とした世界が彷彿とされますし、高い理想と信念に向かって進行していく格調の高さに心うたれるのです!

この交響曲はいい意味での軽さとベートーヴェンらしい強靱な響きが両立しないと何とも具合が悪いので意外に難しいのです……。 デヴィット・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(ARTE NOVA)の演奏はストレートな進行と虚飾を排した表現が光ります! 
モダン楽器の演奏をオリジナル楽器の演奏のように見立てているところがポイントです。オリジナル楽器の切れ味とモダン楽器の豊かな響きの良さがミックスされた秀逸な演奏と言えるでしょう。ただし、第四楽章だけはストレート過ぎて、やや物足りなさが残ります。

セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルの演奏は相変わらずスローテンポの演奏ですが、しっかりとした足どりのスケール雄大な演奏ですが、間延びしたりしないのはさすがです。特に第4楽章は密度の濃い大芸術となっているのです!


2015年7月13日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第6番へ長調「田園」作品68(3)




























自然と人との
崇高な関係を描いた傑作

 自然はいつの時代も人間に有形無形の贈り物を届けてくれます。心に記憶を留めたり、感性を育んだりする上で自然は計り知れないほどの恩恵を与えてくれますし、自然と関わりを持たずに生きることは不可能でしょう。

 私たちは自然のあるがままの美しい姿を未来へつないでいく大切な責任があるのかもしれません。

 「人間と自然」……。
 切っても切り離せない永遠の関係を音楽として表現した作品は実は数えるほどしかありません。
 その一つは言うまでもなくベートーヴェンの交響曲第6番「田園lですね。改めて全曲を通して聴くと、こめられたメッセージの崇高さや懐の深さを痛感せずにはいられないのです。まさに汲めども尽きない泉のような作品こそ「田園lの魅力と言ってもいいでしょう。

 この曲の偉大なところは自然の美しい姿を描いたことではなく、自然と人との崇高な関係を描いたところにあります。
 ベートーヴェンは風や光、自然の情景や移ろう季節の様子に神の声を聴いたと彼自身の手記に記録していますが、「田園lはその言葉通り、神が与えてくれた豊かな自然の恵みを高らかに賛美し謳歌しているのです。

 それにしても何と叡智と感謝に満ち満ちた作品なのでしょうか!特に第2楽章や第5楽章フィナーレを貫いているテーマは自然と語らい、自然と一体になることの尊さを伝えるかのようです。大地は絶えず呼吸し、愛の光を放ち、私たちをすっぽりと包み込んでいることをベートーヴェンは音楽で言い尽くしているではありませんか。

 ブルックナーの8番や9番も聴くたびに新たな発見がありますが、この作品の愛に満ちたメッセージの数々は格別ですね……。



往年のマエストロたちが
残した名演奏

 「田園」は交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」、第9番「合唱」のように激しく闘争的なテーマがないため、とかく安全運転をすれば何とかなると思われがちですが、それはとんでもない間違いです。演奏によって曲の魅力や本質が語りはじめたりする場合もあれば、失われたりするケースも少なくありません。とにかく油断できない作品なのです。

 演奏でまずお薦めしたいのは、カール・ベームがウィーンフィルを振った1976年の録音(グラモフォン)です。この作品の根底にある格調の高さを最も歪みなく表現しています。金管楽器、ティンパニ等の生々しい響きはもちろん、ウィーンフィルの持ち味である柔らかさに迫力を付け加えた充実度満点の演奏です。

 ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を振った1958年の演奏(CBS)はさわやかで個々の楽器の味わいを最大限に曲調に生かしたオーソドックスな名演奏です。雄弁で温もりのある響きを生み出しつつも重々しくならないところが素晴らしく、今後も田園のスタンダードナンバーであり続けることでしょう。

 ウィルヘルム・フルトヴェングラーが収録した1952年のウィーンフィルとのスタジオ録音(EMI)も忘れられません。特に第1楽章のスケール雄大で奥行きのある響きの凄さ! フルトヴェングラーは楽しいとか爽やかなイメージには決してとらわれていないのです。
 自分のスタイルを崩さず正攻法で押し通し、曲の本質を逸脱しないフルトヴェングラーの表現力には舌を巻きます。そのためあらゆる部分から瞑想や祈りが彷彿とされ、ベートーヴェンの音楽の懐の大きさを改めて実感するのです。

 セルジュ・チェリビダッケが指揮するミュンヘンフィルとの演奏(EMI)は超スローテンポの個性的な演奏です。しかし、「田園」の場合はそれが曲の持ち味とマッチしているため違和感がありません。フルトヴェングラーの時と同じように、曲の大きさがそれを救っているのですが、雰囲気も満点で楽器の響きの彫りの深さや奥行きのある表現が最高です。




2014年12月21日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調作品125














年末の定番となった
ベートーヴェン「第9」

 今年も残すところわずかになってしまいました。ついこの間、年が明けたと思ったのに気がついたらあっという間に年末になってしまい、容赦ない時の流れの早さに唖然としてしまいます。
 さて、年末というとクリスマスシーズンということで賑わってきますが、私にとってすぐに思い浮かぶのが今や年末の定番となったベートーヴェンの「第9」コンサートです。今年はN響は誰が振るのかとか、都響は大物指揮者が振るかも…という想いをめぐらすだけでも楽しくなってきます。

 それだけベートーヴェンの「第9」が日本人の生活に定着してきたと言えるのでしょうね。では「第9」はどれだけ曲の本質が理解されて聴かれているのでしょうか? 残念ながら、これだけ年末の風物詩として愛されるようになった今でも充分に理解されているとは言い難い状況なのです。

 ある人は「とにかく、あの歓喜の合唱が出てくるまで耐え忍びながら聴いているんだよ…」と洩らしたことがありました。また、ある人は「あのグロテスクで意味不明な主題をさんざん聴いた後に歓喜の合唱がひょいと出てくるととても感動的なんだ♪」とまでおっしゃる方もいらっしゃいます。「えっ⁉ 第九コンサートって鑑賞という名の修行なの?」と思わず言いたくなってしまうのですが…。

 おそらく、多くの人は第4楽章の歓喜の合唱が出てくるまで辛抱して聴いているというのが実情なのでしょう……。でもそれではあまりにももったいない話ではないでしょうか。何と言っても第9の最大の聴きどころは第1楽章や第3楽章にあるのですから。



古典派に決別!
ロマン派の扉を開く

 「第9」は第4楽章に合唱を置いたこと自体、当時としては非常に画期的なのですが、もっと驚くのは、第1楽章のはるか先の時代を見据えたような抽象的で神秘的な音楽の開始です!「ベートーヴェンは古典的な様式や枠組みとはきっぱりと決別してしまったのか…」と思わせるほど第8番までのスタイルとは大きく変わっていたのでした。この楽章が最初にあるため「第9は難しい」と敬遠される方も少なくないのではないかと思います。    

 第1楽章は何回聴いても凄い音楽です。初めてこの楽章を聴いた時、あまりのスケールの大きさと前衛的な主題や経過句の出現に消化不良になったのを思いだしますね…。あの中期の傑作、英雄交響曲や第5交響曲ですら古典的なソナタ形式が曲の構造としてしっかりと息づいていたのに、第9になるともはやそのような枠組みさえ取りはらわれているのです。

 私が第9を聴いたのはカラヤン=ベルリンフィルが最初でした。次にバーンスタイン=ニューヨークフィルだったと覚えているのですが、歓喜のコーラスで華々しく盛り上がる第4楽章以外は双方ともあまり印象に残っていません。特に第1楽章は二人の大物指揮者で聴いたのにチンプンカンプン……。結果的に私にとって第1楽章はますます遠いものになってしまいました。

 しかし、それからしばらくして難解だと思っていた「第9」のイメージを根底的に覆す出会いがやってきます。それが伝説的名演奏と評されるフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団のライブ録音(EMI)でした。第1楽章の冒頭からまるで別世界で音が鳴っているような苦渋に満ちた重々しい響きやスケール雄大な独特の雰囲気に圧倒され、一瞬にして私の心を鷲掴みにしたのです…。

 フルトヴェングラーの指揮はスコアの読みが深く音符に潜む感情を雄弁に音にしたもので、私にとって初めて第9の実像が強い感動を伴って伝わってきたのでした。この時ほど演奏芸樹の素晴らしさを痛感したことはなかったように思います。
 フルトヴェングラーの類稀な名演から、第1楽章は宇宙的な拡がりや偉容が根底にあり、その中で人間の苦悩や底知れぬ不安を体現した作品なのだと実感するに至ったのでした。



豊かな人間感情に満ちた
第3楽章

 第3楽章はゆっくりとした緩徐楽章(アダージョ・モルト・カンタービレ)ですが、何という愛に満ちた様々な心模様が充満していることでしょうか。回想や悔悟、逍遙、憧憬、様々な想いが心を駆け巡りつつ、音楽は途切れることなく流れていきます。ある時は人生を肯定する崇高な主題として現れ、ある時は人生の敗北や葛藤を匂わせる主題として忍び寄ってきます……。 たっぷりとした呼吸、間合い、有機的な響き等、バトンテクニックよりは人間性や精神的なゆとりが要求される音楽で、ある意味最も指揮が難しい楽章と言ってもいいかもしれません。
 ここは第1楽章とならんで、深さにおいては「第9」の頂点といっていいでしょう。



強い意志の力の終楽章

 そして究極の第4楽章! 冒頭の地の底から唸りをあげるような管楽器の凄まじい不協和音に驚きますが、それに毅然と応答するチェロやコントラバスの内なる声に強い意志の力を感じざるを得ません。その後も第1楽章のテーマ、第2楽章のテーマ、第3楽章のテーマが奏されますが、いずれもチェロやコントラバスが毅然と否定します。
 しかし、チェロとコントラバスが誇り高い歓喜のテーマを奏すると、それに同調するようにオーケストラも静かに高揚しつつ共に歓喜のテーマを歌っていくのです。ここは第九の最高に感動的な瞬間でもありますね…。

 日頃、当たり前のように口ずさんでいる歓喜の合唱ですが、実は発見と閃きに満ちていて、どこをとっても常識的な美しい声楽のバランスを求めた部分はありません。

 ベートーヴェンは音楽の美観や常識的な音楽上のルールを少々犠牲にしたとしても、精神性の高揚や有機的な音の響きを絶対的に優先させているのです。ベートーヴェンが合唱を採り入れた大きな理由も「人間の声こそが究極の表現」と考えたからなのでしょう。

 合唱に管弦楽を絡ませた終楽章はドラマチックで熱いエネルギーに満ちあふれていていますし、フィナーレに向かって変化し発展する様子はまるで宇宙の再創造を見るかのようです。



永遠の名盤
フルトヴェングラーのライブ

 演奏は前述しましたようにフルトヴェングラー=バイロイト祝祭室内管弦楽団が今なお名盤として燦然と輝いており、その芸術的価値はまったく薄れることがありません。半世紀以上が経過し、モノーラルで録音があまり良くないにもかかわらず、今でも演奏は他を大きく引き離しています。
 第9の本質を余すところなく伝えてくれたこの演奏にはただ感謝の言葉しかありません。これに肉薄する録音を探すとしたらやはりフルトヴェングラーが残したいくつかのライブ演奏盤ということになるでしょう…。
 フルトヴェングラー没後60年を経過した今、本当は最新デジタル録音でフルトヴェングラーの牙城に迫る演奏を聴きたいのですが、クラシック音楽界の現状をみる限り、この夢は当分かないそうにありません…。とても残念ですが、しばらくはフルトヴェングラーが遺した財産に耳を傾けるしかないようです。




2013年8月21日水曜日

ベートーヴェン ピアノソナタ第21番ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」










強い意志を感じさせる作品

 ベートーヴェンのピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」は私にとって思い出深い曲です。この曲の圧倒的なエネルギーや懐の深い曲調は学生時代に挫けそうになった私へ限りない勇気を与えてくれたのでした……。

 ベートーヴェンの音楽は強い意志を感じさせる作品が多いのですが、この「ワルトシュタイン」もそのような性格が見事に反映された作品の一つです!特に第1楽章はエネルギーがみるみるうちに集積され放出されるような激しい情熱が渦巻きます。音楽は淀むことなく、めまぐるしい転調やシンコペーションリズムの挿入、大胆な和音が続出するにもかかわらず、曲が一切破綻していません。それはベートーヴェンの音楽に強固な太い芯が通っているからなのでしょう……。
 第2楽章は約3分少々の短い楽章ですが、決して第1楽章と第3楽章の場つなぎ的な楽章ではありません。第1楽章と第3楽章の場面転換を強く印象づけ、心の内面を深く見つめる重要な楽章なのです。沈思と回想、ここから聞こえてくるのはベートーヴェンの内省の想いなのです……。第2楽章は分散和音が回帰し、思い出を閉じるように第3楽章に移行していきます。
 すると無限の優しさと愛おしさにあふれた第3楽章のロンド主題が現れます!忘れかけていた大切なものに巡り会えた喜びと深い安らぎがあたりを支配します。曲中に何度も形を変えて展開されるロンド主題は平和を謳歌する象徴のように次第に深化されていくのです。


ベートーヴェンの精神を具現化したようなバックハウスの名演奏

 演奏はバックハウスの録音(DECCA)が他のピアニストとは別次元の演奏と言えるでしょう。ベートーヴェン演奏に対する揺るぎない自信と確信が成せる技なのでしょうが、それにしても聴けば聴くほど凄い演奏です!

 第1楽章の豪快でスケールの大きい表現、第2楽章の心の機微や内省的な表情を息づかせる表現、第3楽章の懐の深い表現と息づかい……。ともすればバックハウスのイメージから豪快一辺倒な演奏を思いがちですが、決してそうではありません。多彩な表情や深い感情の余韻を随所に聴かせてくれるのです。
 聴く人は音楽に浸る幸福感を最高に感じることが出来るでしょう!「ワルトシュタイン」においてバックハウスは心技体すべてでベートーヴェンの精神性を具現化している(熱情ソナタにも言えることですが)と言っても過言ではないでしょう!特に息もつかせぬパッセージの有機的な流れやフレージングの見事さ!バックハウスが施す音楽の”間”はただの余白ではなく、曲の全体像を彫琢する重要な音なのです。ステレオ初期の録音ではありますが、今もその存在感は絶大です。


2013年7月28日日曜日

ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調 作品67 part2









今なおコンサートの花形プログラム

 音のドラマが心を揺さぶり、充実度満点のベートーヴェンの交響曲第5番は昔から多くの指揮者がこぞって取り上げた作品でした! その傾向は今も変わっていないと言っていいでしょう。コンサートの花形プログラムであることは間違いありません。苦悩から歓喜へ至る勝利の道程は人の心を鼓舞する強いメッセージがありますし、演奏効果がすこぶる高いことも人気の要因なのだと思います。これはいかに第5が聴衆にアピールする魅力をふんだんに持った作品なのかということのあらわれに違いありません。

 ただし演奏そのものは決してたやすくはありません。表面的に曲の体裁を整えたり、バトンテクニックの上手さで感動的な演奏を実現させることは、まず不可能と言っていいでしょう。音楽的に優れているとか、センスがあるという類いの要素はこの曲に関しては逆にマイナスの材料になりかねないのです。第5は指揮者の人間性、精神性、芸術性までも浮き彫りにしてしまう恐ろしい作品といっても過言ではありません。とにかく上っ面を撫でた指揮、マニュアル通りの指揮では到底表現できない高度な精神と意志の力が音楽に色濃く反映しているのです。


音楽の概念を根底から覆す作品

 第1楽章はメロディ的な要素が一切なく、音楽の概念を根底から覆すような革新的で大胆な試みに驚かされます。たたみかけるような絶望的な主題や緊迫感漲る構成が曲が進行するにつれて次第に魂の鼓動や訴えを如実に表出していくではないですか! 
 第2楽章の回想や瞑想…、ここではさまざまな想いが夢のように交錯します。しかしベートーヴェンは自分を取り戻しつつ、過去に決別しながら着実に前進していくのです。
 第3楽章の冒頭は第5で最も印象的な部分かもしれません。暗闇の中からゆっくりと顔を上げ、恐れと不安に怯えながらも地に足を着けて歩き出す姿が印象的です!
 そして第4楽章フィナーレの圧倒的な勝利の凱旋!執拗なくらい何度も何度も繰り返される歓喜のテーマは有無をも言わせぬ感動と興奮を引き起こしてくれます!


チェリビダッケの密度の濃い名演奏

 最近これは…と思える素晴らしい演奏に巡り会えました!それはセルジュ・チェリビダッケがミュンヘンフィルを指揮した1992年のライブ演奏(EMI)です。第1楽章からチェリビダッケ独特のゆったりとしたテンポで始まりますが、引き締まった造型と磨かれた立体的な響きが他では味わえないような充実した演奏を創り出しています。
 第一楽章は一般的に早いテンポでグングン押していく指揮者が多いのですが、チェリビダッケはテンポを変えたり、興奮して加速したりということが一切ありません。ただ有機的で気持ちのこもった楽器の音色が最上の純音楽的な美しさを引き出しているのです!

 特に素晴らしいのは第3楽章の冒頭の暗闇からの目覚めを表出する意味深い響きではないでしょうか。絶望や喘ぎを深い呼吸でじっくりと表現しており、思わず感情移入させられます。それに続く第4楽章も金管楽器の強奏を始めとする、これぞベートーヴェンという隙のない響きがたとえようのない満足感を与えてくれます!録音が素晴らしいところも魅力で、現在フルトヴェングラーの数種類の録音を除けば、最も安心して聴ける演奏と言っていいかもしれません。




2013年5月23日木曜日

ベートーヴェン  交響曲第3番変ホ長調『英雄』作品55











飛躍的な変化を遂げた交響曲

 ベートーヴェンは交響曲の作曲に並々ならぬ意欲と情熱を注いでいました。それは残された9曲の圧倒的な充実度からも充分にうかがえます! その傑作揃いの交響曲の大きな転機になったのは第2番なのですが、飛躍的な変化(革命的といっていいのかもしれません…)を遂げたのは間違いなく交響曲第3番「英雄」でしょう。これはベートーヴェンというだけでなく、西洋音楽の歴史から見ても決定的な足跡と存在感を示した音楽と言ってもいいと思います。
 何が飛躍的なのかと言えば…、それは主題の巨大な構造や疾風怒濤のような不屈のエネルギーがそれまでの一般的な音楽的常識を超えてしまったことでしょう! 特に第一楽章で次々と繰り出される主題は精神的な高揚感を伴いつつ、さまざまな形に変化しながら、かつてないドラマチックな世界を展開するのです。もはやメロディがどうだとか、音は綺麗に響くだろうかということは「英雄」では二の次三の次にさえなっているのです。ベートーヴェン自身にとって「英雄交響曲」は過去と決別し、新しい人生を出発する大転換の時だったのです。

 ここではハイドン、モーツァルトに代表される古典的様式の音楽的美感、バランスの良さといったさまざまな定義を完全に覆す自由な音楽が生み出されているのです。
 このことは曲の形式にも表われていて通常ならば第二楽章でアンダンテかアダージョにするところを異例の葬送行進曲を採用、第三楽章でもトリオあたりが妥当なところをスケルツォを採用するなど音楽のタブーを次々と破ったところがさすがベートーヴェン!というところでしょうか。「美しいためなら破り得ない法則は何一つない」といったベートーヴェンの信念がここでも生きてくるわけです。


ドラマチックでスケール雄大!交響曲の金字塔

 第一楽章で冒頭のトゥッティによる二度の強奏から英雄の出現を示すテーマが奏されると次第に勇壮な世界が浮かび上がってきます。このとき音楽は点ではなく線となってみるみるうちに巨大なエネルギーを放出していきます。ひとつひとつの和音がこんなに深い意味を持って語りかけてくることがあったでしょうか……。勇壮な響きとそれを打ち消すような激しい心の葛藤が幾度も現れドラマチックな展開が続きますが、緊張の糸はまったく緩むことなく終結部を迎えます。聴けば聴くほどに構成の見事さに驚き、それぞれの主題の有機的なつながりの素晴らしさにため息が出るばかりです!

 第二楽章に葬送行進曲を置いたのはベートーヴェンにとっても大きな挑戦だったことでしょう。一般的には葬送曲によって感傷的になったり、曲のイメージや流れを損なってしまうのでしょうが、ベートーヴェンの場合は音楽に真摯な祈りがあり展開の必然性があるためにまったく違和感がありません! こんなに崇高で深い慟哭に満ちた趣きの音楽を作ることはベートーヴェン以外はかなり困難なのではないでしょうか……。チェロやコントラバスの多用、フーガの挿入、前衛的な不協和音の多用など、これまでの音楽的常識を打ち破る規格外の音楽を作ったのです。後の作品、ミサ・ソレムニスのミゼレーレを彷彿とさせるような心に染みいる深い哀しみが印象的です。

 第三楽章スケルツォは重厚な葬送行進曲の後だけに弾むようなリズムと晴朗な響きがとても心地よいですね!まるで「天馬空を行く」かのような奥行きがあって引き締まった楽想が心のウヤムヤをすべて消し去るかのようです。

 第四楽章の変奏曲も音楽の常識からいって交響曲に採用されることは例がなく、しかもフィナーレに置かれるのは当然この作品が初めてです。テーマは自身が作曲した「プロメテウスの創造物」から引用されているのですが、それだけに変奏曲をフィナーレに置いたのは深い意味があっての事というのは当然でしょう。このフィナーレにはもはや迷いがありません。試練を克服した喜びと深い魂の安らぎを心ゆくまで謳歌するもので、太陽の光のように放出される音楽のパワーは輝かしく比類がありません!


貴重なカール・シューリヒトの演奏会録音

 演奏のほうに目を向けると、名作だけあってCDには事欠きません。ただし、いい演奏は大体がモノーラルからステレオ初期に偏っており、もっともっと現役の指揮者にも頑張ってほしいな……というのが率直な印象です。(こういう作品でいい演奏が出てこないとクラシック音楽界も盛り上がらないと思うのですが…)
 演奏のみを考慮すれば、昔から名盤の誉れ高いフルトヴェングラー指揮ウイーンフィルのスタジオ録音(1952年、EMI)がやはりナンバーワンでしょう。とにかく響きが深いし、壮大なスケールや曲のメリハリ、自然な息づかい、楽器の存在感等どれをとっても「英雄交響曲」の求めているイメージにぴったりという感じです! ひとつだけ残念なのはモノーラルのために響きが浅くなって聴こえるところが多々あることでしょうか。

 1963年のライブ録音ですが、カール・シューリヒトがフランス国立放送管弦楽団を指揮した演奏(Altus)もフルトヴェングラーに勝るとも劣らないような素晴らしい名演奏を成し遂げています。特に録音が素晴らしいですね! 1963年のライブというと誰もが音質には期待しないと思うのですが、この録音は破格の素晴らしさです! しかもステレオ録音! 音も生々しくまるで会場で聴いているかのような錯覚にとらわれます。そして何と言ってもシューリヒトの解釈が素晴らしいですね。
 
 即興演奏で力を発揮するシューリヒトの面目躍如といったところです。鋼のような強靱な響きとストレートな進行に見せる味わい深さ!フルトヴェングラーのような重厚な響きこそありませんが、ベートーヴェンそのものという意味深い響きが続出し曲を堪能させてくれます。シューリヒトがステレオで「英雄」を残してくれたことと、当日の演奏を素晴らしい音質で残してくれた録音スタッフの功績に、ただただ感謝の言葉以外ありません……。



2013年4月1日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第2番ニ長調作品36






 ベートーヴェンの交響曲といえば大抵の方は俗に「運命」と呼ばれる第五や第六の「田園」、第九あたりを思い浮かべることと思います! 哲学的な第五、人類愛的な第六、宇宙的、形而上学的な第九……、前記の作品が名曲中の名曲であることはもはや議論の余地がありません。
 これらの作品に共通しているのは音楽の常識を塗り替えた自由な主題の展開や崇高な精神性が息づいていることでしょう。つまりベートーヴェンの個性があらゆる面で全開しているということなのです!

 今回取りあげる2番はベートーヴェンが失意のどん底から立ち直り、新しい1歩を踏み出した記念すべき作品です。前作の第1番とは比べものにならないくらいベートーヴェンの意思が浸透し、熱いハートと躍動感を持った魅力作なのです。もちろん、ベートーヴェンらしいなだれこむような迫力や燃え上がる情熱も充分です。

 特に第1楽章のハイテンポで刻まれるリズムは大変印象的ですね。曲は次第に雄大な曲想に発展していきます。展開部での地の底から雄叫びをあげるような管楽器、弦楽器の合奏がとても勇壮で胸をすきます。2番は「英雄」、「運命」とは違い小型の作品ですが、引き締まったダイナミズムが素晴らしいですね!しかも古典的な格調も備えているのです! 

 第2楽章の懐かしく愛に満ちた主題も非常に魅力的ですし、第3楽章に初めて導入されたスケルツォの存在感と雄弁さも大変印象的です。そして第4楽章はスフォルツァンドのリズムが大変個性的ですね。このスフォルツァンドを基調として真実味にあふれた様々な感情を吐露しつつ力強いフィナーレを迎えるのです。

 CDは今なお、ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を指揮したステレオ録音(CBS)が最高の名盤です。特に第2楽章はこれ以上不可能なくらい叙情的に愛の主題を歌い抜いています!ベートーヴェンが託した想いはこのワルターの演奏を聴かずしては始まらないともいえるのではないでしょうか。もちろん他の楽章も素晴らしく最高の気迫と有機的な音の響きが一貫しており、この作品の素晴らしさを改めて伝えてくれるのです!






2012年11月26日月曜日

ベートーヴェン ピアノソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」







ベートーヴェンの交響曲は素晴らしいのだけれども、いざ聴こうと思うとかなりの心の準備や集中力が必要……と思ったことはありませんか? 確かにベートーヴェンの曲は傑作揃いなのは間違いないのですが、とっつきにくさでも1級品……。
 ピアノソナタの「月光」、「熱情」や田園交響曲、ヴァイオリン協奏曲のようにあまりにも有名で絶えず耳にする作品はいいのですが、それ以外の作品は音楽の美しさ以上に精神的な緊迫感が気になってしまいます。

 芸術的な完成度や圧倒的な昂揚感において秀逸なオペラ「フィデリオ」が不人気なのも、エンターテインメント性(サービス精神と言ってもいいかも…)に乏しいことが最大の原因ではないかと思ってしまうのです!?
 しかし、そんなベートーヴェンの作品にもポピュラーな音楽はもちろん存在します。その代表例がピアノソナタ「悲愴」ではないでしょうか!

 「悲愴」ソナタは全体の音楽の流れも良く、スムーズに純音楽的な美しさを実感し堪能できる数少ない作品なのです。特に第2楽章アダージョの美しさは格別で、これまで様々なジャンルの音楽にアレンジされたりしています。このアダージョは、おそらくベートーヴェンでしか表現できない崇高なロマンと人間的な優しさを持った永遠の名旋律といえるでしょう!

 この頃のベートーヴェンは、いい意味での古典的な格調を軸にした音楽スタイルを持っており、後年の疾風怒濤、気宇壮大的な作品にはない純粋な魅力がふんだんに詰まっているのです。そして随所にベートーヴェンの誠実さがにじみ出た愛すべき作品と言っていいでしょう。

 演奏はバックハウスのステレオ盤(DECCA)の演奏が深い味わいを伝える名演奏です。スケールが大きく、格調高いピアノの響きはこの曲の本質をくまなく引き出している感じです。何度聴いても飽きない、ベートーヴェンの音楽の魅力に極め尽くされた演奏と言っていいかもしれません!










2012年7月22日日曜日

ベートーヴェン  ミサ・ソレムニス



 





ミサ曲の概念を
変えたミサ曲

 ミサ曲は古くから西洋音楽では特別なジャンルでした。「神との対話」を生活の根底に置き、カトリック的な伝統や精神と共に発展してきた西洋文化ではそれは自然の成り行きだったのです。それに対してカトリック的な精神にあまり触れることのない日本においてミサ曲は演奏頻度は高くなく、本質も決して理解されているとはいえません。とはいえ、本質を突いた演奏に出会えば良さを実感したり強く心が惹かれるのは間違いないのです!

 ミサ曲といえばバッハの「ミサ曲ロ短調」やジョスカン・デ・プレの「ミサ・パンジェ・リングァ」、ビクトリア「聖週間のレスポンソリウム集」、パレストリーナの「教皇マルチェリスのミサ」、ハイドンの「ネルソンミサ」、モーツァルトの「戴冠式ミサ」あたりがミサ曲の魅力をふんだんに持った名作であり最高峰といえるでしょう! 
しかし、それはあくまでもベートーヴェンのミサ・ソレムニスを別格とすればの話で、ミサ・ソレムニスを聴いてしまうと他の作品はすべて影が薄くなってしまいます。ベートーヴェンのミサ・ソレムニスに関する限り、他のミサ曲とはまったく別次元の作品といっていいでしょう!これは初めて世に現れた全人類的なミサ曲と言っても決して過言ではありません!

 ベートーヴェンは生涯、特定の教会の音楽監督やお抱えの作曲家になることはありませんでした。これは一定の枠や型にはまることを極端に嫌うベートーヴェンのことですから充分にうなずけることでしょう。


 大公に献呈する構想が
神の賛歌へと膨らむ

 敬虔なクリスチャンであり、カトリックの信仰を持っていたベートーヴェンでしたが、権威主義的で教理に縛られる教会の価値観にはかなり批判的であったようです。彼は形や典礼よりも心の奥底でしっかりと神を見つめていたのでした。「神は創造主」、「全知全能の親なる神」という言葉が甥や親友に宛てた数々の手紙でも伺い知ることができます。 ベートーヴェンにとって神は遠い存在ではなく、永遠に変わらない心の支えとして心の中や作品に生き続けたのでした。

 そんなベートーヴェンだからこそ、ミサ・ソレムニスのような普遍的で真実性に満ちたスケール雄大な作品を生み出すことができたのでしょう。ミサ・ソレムニスはベートーヴェンの個性が最大限に発揮された奇跡ともいうべき作品です。

 当初この作品は、親交のあったルドルフ大公の大司教即位式の献呈用として作曲されるはずでした。ところが作曲を進めるにつれて、彼の心の中でインスピレーションがどうしようもなく溢れて、構成は次第に大きく膨らんでいったのです。遂には即位式に間に合うことなく、実際に完成の日を迎えたのは即位式から5年もの歳月が経った時でした……。
 おそらくベートーヴェンはルネッサンス期やバロック音楽の大家たちが作曲したミサ曲の通念にとらわれないで、教会音楽という枠組みを超えた壮大な叙情詩を描きたかったのでしょう! そのような観点からも、ミサ・ソレムニスは音楽の性質としてはミサ曲というよりはオラトリオと言っていいのかもしれません。演奏が通常教会ではなく、一般の演奏会場で行なわれるのもこの作品の持つ性格や精神性を充分に物語っていますね!



強靭な魂と
神への熱い想いが
深遠な芸術を誕生させた

 この作品は、彼の強靭な魂と神への熱い想いがギリギリの鬩ぎ合いで具体化し、かつて類を見ない深遠な芸術を誕生させたと言っても過言ではありません。
 第1楽章キリエの冒頭から山の高峰を仰ぎ見るような堂々とした主題が展開されます! 壮大なオーケストレーションと確信に満ちた合唱の響きは音楽史上なかったものと言っていいでしょう。ひたすら心の告白と訴えを伝えようとする音楽への献身は、やがて神への敬虔な祈りや賛歌へと結晶化されていきます!

 『キリエ』 、『グローリア』、『クレド』、『サンクトゥス』、『アニュス・デュイ』のいずれも重要で、それぞれが有機的な繋がりを持って曲が構成されてており、その創作力と芸術的なポリシーには驚かされるばかりです。「どこが聴きどころか」という質問には簡単には答えられないほど曲の内容が深く、充実感は比類がありません!あえて印象に残る箇所をあげるとすれば、まず「in Gloria Dei Patris,Amen」に導かれるグローリア第6部の階段を確実に一歩一歩を踏みしめるような強靭なフーガの魅力。そして心からの訴えを歌に託すアニュス・デュイ前半の哀しみの表現あたりがあげられるでしょうか……。もちろん他にも聴きどころは満載です……。

 ミサ-ソレムニスを一貫しているのは一言でいえば巨大な精神でしょう。作為的な要素がないため、音楽性や形式の素晴らしさ以上に精神性の偉大さがひしひしと伝わってくるのです! この作品はまさに精神の勝利によってもたらされたものなのでした。

  ベートーヴェンにとって宗教曲は教会の礼拝堂における儀式とか、教義的なものという概念はあまりなかったのでしょう。ミサ-ソレムニスは後のミサ曲や宗教曲に対する考え方を一変させたばかりでなく、歌そのものに対する発想を根本的に変えさせた記念碑的な作品といってもいいのではないでしょうか。


 演奏はこれまで演奏会やCDのどちらも満足できる演奏はほとんどありませんでした。やはり集中力の持続やテンポ、合唱の難しさ、深い精神性の表出等に大変な難しさがあるからなのでしょう。唯一素晴らしいのがオットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団とその合唱団を指揮したEMI盤で、これは空前絶後の名演奏と言ってもいいでしょう。テンポやスケール感も申し分なく、この曲に想い描かれるイメージを充分に表現し尽くした演奏です。




2011年12月9日金曜日

ベートーヴェン ピアノソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」








 ベートーヴェンの数あるピアノソナタの中で最も有名で人気のある作品は「月光」ですが、最も演奏が難しいのはおそらく「ハンマークラヴィーアソナタ」でしょう。では最もベートーヴェンらしい魅力が充満している作品と言えば、皆さんはどの作品を思い出されますか?
 ある人は、有名なアダージョを持つ「悲愴」ソナタという方もいらっしゃるでしょうし、ある方は勇壮な「ワルトシュタイン」とか、ドラマティックな「テンペスト」のソナタという方もいらっしゃるに違いありません。

 しかし、私は断然「熱情」ソナタを挙げたいと思います!おそらく熱情ソナタほどドラマティックで緊密な構成を持つ作品はないでしょう。
 音の背後にある途轍もなく深い魂、一音たりともおろそかにできない切迫感はピアニストには極度の集中力と感情移入を要求します!ありとあらゆる悲壮な曲想を駆使しながらも少しも感傷的な雰囲気には陥らず、なおかつ、無類のエネルギーと真実性に満ちた音のドラマを表出しているのは見事というほかありません。曲の意味を理解すればするほど生半可な気持ちでは弾けなくなる曲ですが、それだけに曲に没頭して弾けた時の喜びや達成感は並大抵のものではないでしょう。

 この頃になるとテンペストソナタ(ピアノソナタ17番)のような明確なテーマやメロディはほとんどなくなってしまいます。
 「熱情」は交響曲第5番と同様に作品に盛り込まれた内容は、既に古典の枠を大きくはみ出しています。「さらに美しいためならば破り得ない法則は何一つない」というベートーヴェンの言葉がこれを見事に実証しているのです。
ベートーヴェンは生きている証としてどうしてもこの作品を完成させなければならなかったのです。それ位、彼の作品の中では大きな意味を持つ作品だったのでしょう!

 この作品にどことなく良く似た作品って聴いたことありませんか?そう、ショパンの「革命」のエチュードです‼ 特に主旋律の伴奏テーマは瓜二つで、かなり「熱情」の第3楽章の構成を意識していることがわかります‼
 ショパンも激しく淀みない力強いテーマを書くために、きっとベートーヴェンのピアノソナタを大いに参考にしたのでしょう!

 「熱情」はバックハウスのステレオ録音(Decca)が他を大きく引き離す圧倒的な名演奏です。ともすれば機械的になりやすい第3楽章のリズムも自信と確信に満ちて弾ききっています!第1楽章の次第に曲が盛り上がっていくところの緊張感も抜群です。揺るぎない作品への共感と理解があってこそ可能な演奏だったと言えるのではないでしょうか!





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2011年9月11日日曜日

ベートーヴェン ピアノソナタ第14番嬰ハ短調作品27の2「月光」








ベートーヴェンのピアノソナタと言えば、誰もがまず最初に思い浮かべるのは「月光」ソナタではないでしょうか!印象的なのは何といっても第1楽章の最初の第1主題! 物思いに沈み、哀しみを背負うように奏されるこの第1主題は正直言って暗く重苦しい感じがつきまといます。しかし、同時にこの世のものとは思えない魂の深部から語りかけるようなこの崇高な情感はいったい何でしょうか!?

いついかなる時も誠実に生きたいと願うベートーベンの想いは、第1主題の繰り返しの部分でかすかに希望を感じさせる調に転じます。しかしそれもつかの間、苦悩と哀しみはそれを押しつぶすようにじわじわと広がっていき、どうすることもできぬまま展開部を迎え、哀しみにあえぎながら第1楽章は静かに終わっていきます。

「月光」はやはり第1楽章が最大の魅力です。この第1楽章は、昔から人気があって、ピアノの発表会やコンサートではよく披露されます。静かな曲調ですが、一音一音の持つ意味は大変に深く神秘的です。ともすれば、シンプルな曲調と、きりりと締まった古典的な主題ゆえに静かに始まり終わっていく印象が強くイメージされます。しかし連続する転調や主題の発展の中に考えられないような心の動揺や祈り、子守唄のような慰め等、さまざまな感情が交錯しながら展開されていくのです。

この作品ではベートーヴェンの苦悩が全編を覆っているのですが、それなのに曲は一切破綻していません。やはり尋常ではないベートーヴェンの才能や精神性がこの作品で実感できるのです!
  ベートーヴェンが些細なことには目もくれず、なりふり構わず突進するようになるのはかなり後年のことなのです。たとえば、28番のソナタや29番のハンマークラヴィーアソナタとは別人のような繊細さと生真面目さです。主題ははっきりしていますし、曲がどのように展開していくかがわかりやすいのです。まだこの頃はベートーヴェンも純情だったのです。(もちろん、後々すねて悪い人間になったというわけではありませんが……)
もちろん、月光ソナタは古今を代表する名曲ですが、とにかく28番あたりからのソナタの驚くべき円熟度は瞠目すべきものがあるのです。年代を追ってベートーヴェンのピアノソナタを聴くとそのはかりしれない深化を実感するに違いありません!


演奏はバックハウスが1960年に録音したものがやはり最高で、他の追随を許しません。透徹したピアノの音色、深みのある表現、あらゆるものをすべて飲み込んでしまうような大きさや包容力がここにはあります。

ホロヴィッツが1963年に録音したCBS盤もデリカシーに満ちた透明感あふれるタッチが印象的です。ベートーヴェンらしい腰の据わった表現ではありませんが、透徹したピアノの音色は哀しみの心をスタイルの違いを超えて



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2011年4月8日金曜日

ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」





  以前、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」はベームがウィーンフィルを指揮した演奏が素晴らしいと書いたことがありました。もちろん、この演奏は文句なしに素晴らしい演奏であることに違いはないのですが、「この名曲をこの演奏だけに限定していいものだろうか?」という疑問が頭をもたげて仕方なかったのです……

 そこで今回は改めて田園交響曲で忘れられない演奏を別の観点からもう少しとりあげていきたいと思います。

 田園交響曲は自然の描写にとどまらない懐の深い曲なので、実は様々な解釈が可能なのです。たとえば、ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を振った1958年の演奏はさわやかで個々の楽器の味わいを最大限に曲調に生かしたオーソドックスな名演奏だと思います。雄弁で温もりのある響きを生み出しているのに、重々しくならないところが素晴らしく、多くの人がこの曲に抱いているイメージはほぼ包括していると言っても間違いないと思います。

 また奇数番号の交響曲の圧倒的な素晴らしさに比べ、あまり評価されていない嫌いがあるフルトヴェングラーの演奏ですが、実はこれが素晴らしい!
 特に1952年のウィーンフィルとのスタジオ録音は忘れられません。第1楽章のどこまでも深く奥行きのある響き!決して楽しい雰囲気をイメージしているわけではありませんし、光が燦燦と照らすような情景を表現しているわけでもありません。フルトヴェングラーは瞑想に浸るように、ある時は大気の流れに身を任せながら自分自身を見つめるように内省的な響きを生み出しているのです。
 それでもスケールが大きく、彫りの深い響きは最高で、「田園」にはこんなに深い精神性が眠っていたのか?と改めて驚かされるのです。

 むしろ、大自然の叡智や偉大さを伝えるという意味ではこれが本当の「田園」なのでは?と思うところも少なくありません。ともすれば「田園交響曲」=さわやかというイメージを連想しがちなのですが、ここで聴かれる田園は自然に宿る神の崇高なメッセージを描いているのです。そして自然への感謝と祈りが随所に顔を覗かせているのです。





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2011年2月7日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調作品92




 この曲は最近やたらとCMやBGM等で使われることが多い曲です。そもそも数年前にテレビドラマの「のだめカンタービレ」でテーマ音楽として使用されたのがきっかけでないでしょうか。第7は第3「英雄」や第5「運命」ほどの深刻さはなく、第9のように難解ではありません。ベートーヴェンの交響曲としてはとっつきやすく、なじみやすいのです。しかし、とっつきやすいように感じるのも明るく親しみやすい曲調だからであって、一皮むけば気宇雄大で疾風怒濤の如くすさまじい気迫と情熱が爆発、全開するのです。ベートーヴェンの精神的なゆとりからくる円熟した創作力と驚くべきインスピレーション…。それが心技体すべてにおいて合致したまさに特上の名曲といっていいのではないでしょうか。

 第7交響曲を耳にする時、忘れられないメッセージがあります。それはロマン・ロランが彼の名著「ベートーヴェンの生涯」で書いた一節です。
 〝『第7交響曲』それはまだ私の知らないものだった…沈黙…最初の音が鳴りだすと、もう私は一つの森の中にいた。(中略)動揺する森、やがてまた堂々と瞑想の主題を取り戻す森である。(中略)森の荘重なささやきとその巨大な呼吸とがそれを包んでいる。その呼吸は高まり、また落ち入る。一つの休止。耳はそばたつ。こだまの中の応え。森の中の呼びかけ。オーケストラのシンバルの促すような調子。一切が待ち受けている。一切が飛躍の準備をする…すると見よ!短々長音階の音律。舞踏。初めは小さな装飾音と短連符とを持った田舎風の優雅さで、優しく静かである。(ベートーヴェンの生涯、岩波書店刊=ロマン・ロラン著、片山敏彦訳より)〟
 ロマン・ロランの名文によって、ベートーヴェンの音楽が好きになった人はきっと少なくないでしょう。この第7交響曲の場合も彼の卓越した表現力と感性で第7交響曲の魅力を見事に表現し尽くしています。特に最初の出だしで〝森の中にいた〟と明言するあたりは並外れた感性を感じます。

 第7交響曲は自然から受ける普遍的なイメージやインスピレーションがベースになっているのでしょう。田園交響曲を創ったベートーヴェンの創作力は渇くことなく、より自由な形式で次の段階へ発展したことを強く感じさせるのです。
 第1楽章での可憐な小鳥のさえずりや心地よい風、まばゆいほどの太陽の光は闇を照らし、心を照らします。その後次第に荘厳さと輝きを増し、雄大な音楽となっていくのです。第2楽章の悲しみをじっと堪えるようなアレグレットの主題は鎮魂歌のように失われてしまったものへの哀しみを崇高に謳い上げていきます。第3楽章スケルツォは第4楽章へ続く重要な役割を果たす楽章ですが、破壊力満点のエネルギーと求心力が一気に結集されます。
 第4楽章はなりふり構わず突進するベートーヴェンの粗野な魅力がよく出た音楽と言えるでしょう。この曲の真骨頂といってもよく、根源的なエネルギーに満ちた音楽は有機的な響きと微動だにしない緊迫感の中で魂の祭典と化します。低弦(チェロ、ヴィオラやコントラバス等)のえぐる響きが凄く、中間部のティンパニとの絡みでは稲妻のような閃光を呼び起こし、鋼鉄のように強靭な造形を生み出していきます。圧倒的な求心力を保ちながら、フィナーレに向かってぐんぐんと加速を増すくだりはただ呆然とその行方を見守るばかりです。ワグナーがこの曲を「舞踏の神化」と評したように、ここには単に音響的な強さばかりでなく魂を揺さぶる何かがあるのでしょう!
 それだけに本質をしっかりとつかんだ演奏はいても立ってもいられないほどの感動を受けることは間違いありません。

 演奏はフルトヴェングラーがこの曲を非常に得意にしており、実際数種類ある演奏は精神性において抜群でどれも素晴らしい出来栄えです。しかし、なにせ録音も古く半世紀以上経った今、最高の状態では味わうことができません。そこでお薦めしたいのがカルロス・クライバーが1982年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライブ演奏です。何よりも録音が良く、演奏は気迫に溢れ「凄い!」の一言です。音色も明るく、この曲に備わった魅力を歪みなく味わうことができます。面白いのは演奏が終わった直後、現実のことと思えないのか、拍手がパラパラなのですが、その後正気に戻った客席から割れんばかりの喝采とアンコールの連呼がされます。まさにライブならではの出来事といえるでしょう!



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