2010年12月27日月曜日

ヘンデル オラトリオ「サウル」




Handel Oratorio Saul conducted by Jürgen Budday


Handel Oratorio Saul conducted by Rene Jacobs



劇的でスケールの大きい「サウル」

 ヘンデルという人は、不思議な人です。バロックからの伝統的な様式に立脚した作品を書いたかと思えば、古典派を飛び越え後のロマン派を想起させる劇的でスケールの大きい作品も書いたりしています。鍵盤楽器のためのクラヴィーアソナタ集が前者の代表とすれば、オラトリオ「サウル」は明らかに後者の代表と言えるでしょう。この作品は、旧約聖書「サムエル記」をテーマにした実に雄渾なオラトリオです。ベートーベンはヘンデルの作品をこよなく愛したといいますが、それというのも「サウル」のように自由闊達で強靭な音楽を好んでいたからなのでしょう!

 ヘンデルが「サウル」の作曲に取りかかった1738年頃は彼の生涯で最も脂の乗りきった時代でもありました。ヘンデルのオラトリオというと一般的にはメサイアだけしか知られていませんが、考えてみるとこれは本当に不思議な話ですよね。単に知名度の問題なのか、上演してどれだけ人が呼べるのか?という問題がつきまとうからなのか……。理由は定かではありませんが、とにかく演奏される機会が極端に少なかったという事なのでしょう。

 しかし今時代が移り変わり、これまでのクラシック音楽に飽き足らないファンはヘンデルのオペラやオラトリオに新鮮な魅力と味わいを発見するといいます。ヨーロッパでは公演のチケットの売上も上々で、新たな音楽ファンも獲得しているとも聞きます。日本の場合、ヘンデルのオペラやオラトリオ公演で採算をとるには大変な努力が必要なのかもしれませんが、是非とも定例化していってほしいですね!


ドラマティックな「サウル」のストーリー

 さて、「サウル」はヘンデルの最高傑作といってもさしつかえないほど音楽的にも内容的にも優れた作品です。簡単なあらすじは次のとおりです。サウルは神に遣わされたイスラエルの初代王でした。そこに平民の出でありながら勇敢で男らしく、戦争に出ると多大な手柄を立てる羊飼いの青年ダヴィデが現れます。ダヴィデは民衆にとってもはや英雄だったのでした。サウルはダヴィデを息子のように思い愛していましたが、神に愛され、民衆に支持され賞賛されるダヴィデに強い恐怖と嫉妬心を抱くようになります。
 サウルはアマレク人との戦いで神の言葉に反逆したため、預言者サムエルの信頼を失ってしまいます。サムエルは神の願いのもとにダヴィデを国王にすべく、彼に香油を注ぐのでした。

 その後、ペリシテ人との戦いで大勝利を収めたダヴィデにサウルは激しく嫉妬し、殺害を目論見ます。しかし、息子ヨナタンやダヴィデの妻となった娘ミカルの配慮でダヴィデは難を逃れます。行く末に不安を感じたサウルは神に願いを求めますが、神は彼に答えを与えることはありませんでした。
 そこでサウルはエンドルの巫女のもとを訪ね、死んだ預言者サムエルの霊を呼び出します。サムエルの霊が告げたものは、神はサウルを既に見放したというものでした。
 イスラエル軍はペリシテ人の軍勢に追いつめられ、サウルと息子のヨナタンは戦死します。それをミカルと姉メラブから聞いたダヴィデは親友の死を嘆くのでした。結局、最後まで神に従順であったダヴィデとダヴィデに嫉妬し神から離れ、ついには乱心してしまうサウルとの明暗が絶妙に描かれているのです。


聴きどころが満載

 音楽は全編聴きどころが満載です。特に素晴らしいのは冒頭の序曲に続いて演奏される約10分にも及ぶコーラスではないでしょうか。民衆の声を象徴する合唱とそれに絡んで、アリアや男声の三重唱、女声の三重唱等次々に変化に富み劇的な高揚感と共に一気に曲のクライマックスを築き上げていきます。
 要所要所で出てくる合唱も実に意味深く響きます。第2幕でサウルが理性を失い、自分を見失いつつある恐ろしさを歌う部分。イスラエルの民がダヴィデを讃えるフィナーレの部分等、目を見張るくらい聴き応えのある合唱が全体を盛り上げていきます。

 それぞれのアリアはもちろんのこと、間奏として挿入されるシンフォニアや管楽器のファンファーレ、行進曲なども「サウル」の世界観を形成するのに大きく貢献しています。竪琴を模したハープやカリオンも彩を添え、音楽を聴く醍醐味が随所に散りばめられている感じです。「サウル」の最大の魅力はちっぽけな人間感情の機微によって音楽自体に傷がつくことがまったくないことでしょう。これはヘンデルの音楽そのものの懐の深さを実証するものでもあります。


新譜が続々と登場!

 「サウル」は「メサイア」以外では最もレコーディングの多いオラトリオで、その人気ぶりが充分伺えます。このところ「サウル」は新譜が続々と発売され、おすすめの演奏も近年のものが中心になりました。
 特にユルゲン・ブッダイ指揮ハノーヴァー・ホーフカペレ、マウルブロン修道院室内合唱団は特別なことは何もしていないため、一度聴いた限りでは大変に地味な演奏に聴こえます。

しかし内容は濃く、ソリストたちの深い表現に驚かされます。マクリーシュ盤でもミカルを歌うアージェンタとダヴィデのチャンスの内省的な表現は特に忘れられません。この演奏はあくまでもミサ曲のような視点に基づいているようで、しみじみとした情感が印象的です。
合唱の立体的な響きも素晴らしいです。決して磨き抜かれたアンサンブルではありませんが、声に強い信念と主張があり、民衆の共鳴感や心の動きを捉えて感動を呼び起こします。ただし、全体的に楽器の響きや音楽の流れ、体裁があまりにもそっけなさすぎて物足りなく感じる場面も多々あるのが残念です。

 ルネ・ヤーコブス指揮コンチェルト・ケルン、RIAS室内合唱団他は最高のテクニックと劇的な表現に支えられた最高峰の演奏と言えるでしょう。個性的でデフォルメされたソリスト達の歌や、オペラのようにストーリー性のある表現は音楽にメリハリを与え快適な流れを生み出しています。しかも易々とハイレベルの音楽に仕上げてしまうコンチェルト・ケルンやRIAS室内合唱団の歌は圧倒的です。

 ポール・マクリーシュ指揮ガブリエルコンソート&プレイヤーズの場合は、どこをとっても不足のない、あらゆる面で最高にバランスのいい演奏です。ですから、これから本格的にサウルを聴こうという方には最も適した演奏かもしれません。ショルのダビデ、アージェンタのミカル、グリットンのメラブ等の歌手陣も素晴らしく、心理描写にも光るものがあります。音楽の流れも最高で全体的にスキのなの無い演奏と言えるでしょう。


ヘンデル「サウル」追加