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2015年9月14日月曜日

クロード・モネ 『印象・日の出』










画風を変えることは
制作上の必然性が伴う

 画家が絵を描くときに避けて通れないことがあります。
 それは自分に忠実にモチーフを見ようとすればするほど、画家の心に新たなスタイル(画風)への必然的な転換意識がどんどん沸き上がってくることと、画家として成長し進化するためにはその可能性を否定しないで受け入れることなのです。画家は基本的に商業デザイナーやイラストレーターではありませんので、制作上の制約はもちろんありません。いくらでも自分の思うがままにスタイルを変えることができます。

 しかしリスクもあります。スタイルを変えることによって、文化人や評論家、パトロンからまったく見向きされなくなったり、美術協会から追放されたり、過剰なバッシングを受けることも珍しくありません。それが急進的な画風であればあるほど風当たりは強いと言えるでしょう。

 ただし画家の制作ポリシーがしっかりしていると、そのようなバッシングや締め出しもいずれ時間が解決してくれるのです。

 印象派の旗揚げをしたと言ってもいいモネですが、彼も「印象・日の出」を発表した当初は大変な誤解と中傷を受けた人でした。この絵について「まだ未完成じゃないのか…」とか、「タッチが荒すぎる」、「手抜きだ」ととんでもない言いがかりをつけられたのでした。しかしモネは彼自身の中に描きたい絵のイメージが明確にありましたし、ちょっとやそっとではそのポリシーが崩れることはなかったのです。



物事の本質を鋭く見抜く目


 モネの絵は日本で非常に人気があります。それは日本人が四季折々の移り変わりや些細な変化に敏感なのと同様に、モネの絵には細やかな情感を映し出す感性のフィルターが備わっているからなのでしょう。

 モネは繊細な感性だけでなく、物事の本質を鋭く見抜く目も人一倍優れていました。モネの絵を見るとそれぞれの絵が静止した空間ではなく、呼吸をし、生きて語りかけるように私たちに迫ってきます。この「印象・日の出」も、モネ一流の目と感性が捉えた卓越した風景画と言えるでしょう。
 モネは決して絵画の新しい流派を立ち上げようと躍起になって描いたわけではなく、自分の感性を信じて描いていったら「たまたまこんな絵になった」というのが本音なのではないでしょうか……。

 この絵は文字通り、本格的に印象派が産声をあげるきっかけになった作品です。モネがこの作品を発表した当時はアカデミックな絵が主流の時代でした。

 モネがモチーフとしてよく選んだル・アーブル港。太陽が昇る瞬間といくぶん湿気を含んだ空気に朝もやが微妙に絡みつく気だるい早朝……。その様々な要素がこの絵に変化とドラマを生み出していますね…。瞬間を逃すまいと素早く的確に刻み込まれた筆のタッチは港の情景を生き生きと再現しています。おそらくモネは「今ここに立っている……」という臨場感や空気、肌で感じた偽らざる感覚を絵で訴えたかったのでしょう。
 空を覆う太陽の光、水面に映る光は同じところにとどまることなく、確かな時間の経過や動きを感じさせます。

 経験値やテクニック、頭で考えて常識的な範囲内で綺麗に絵をまとめたのではなく、自分が今、生きていることの紛れもない証、それこそが「印象・日の出」だったのかもしれません。





2015年1月28日水曜日

クロード・モネ 「左向きの日傘の女」




左向きの日傘の女  1886年 オルセー美術館




散歩、日傘の女 1875年 ワシントンナショナルギャラリー 




あふれる光と風の
思い出

 モネは印象派の画家の中でも、光や時間の流れを表現することに深い関心を寄せた画家でした。
 その傾向は中期の名作「左向きの日傘の女」(※右向きの日傘の女も同じ年に描かれています)にもよく表れています。写真が一般的ではなかったモネの時代(19世紀後半)は、絵がいかにしてその場の雰囲気を醸し出せるか否かということがとても重要な問題でした。なぜならば、生きた記録として残す手段が絵か文章か歌ぐらいしかなかったからです。
 もしモネが現代に生きていたとしたら、カメラの絞りやシャッタースピードに徹底的にこだわり、風景や女性を被写体にして驚くような美しい写真を撮影する凄腕のカメラマンになっていたのではないでしょうか……。

 この「日傘の女」は知人の娘、シュザンヌ・オシュデがモデルなのですが、絵の源泉になっているのは7年前に世を去った妻カミーユとの美しい思い出だと言われています。この絵から遡ること11年前に描かれた「散歩、日傘をさす女」は妻カミーユと息子ジャンをモデルにした絵なのですが、なんと幸福感に満たされた絵でしょうか! 二人の表情をさわやかな光や風が温かく包んでいる様子が伝わってきます。
 「左向きの日傘の女」は構図や絵柄、雰囲気すべてにおいてこの絵が土台となっていることは間違いありません。モネはカミーユとジャンを描いた時の美しい思い出がよほど心に深く刻まれていたのでしょう……。永遠に戻ってこないが、永遠に忘れられないあの日、あの瞬間が……。その時の晴れた日のさわやかな気候もほぼ一緒で、同じようなシチュエーションで描かれているのです。



10年の時がもたらした
モネの心境の変化

 ただし、10年あまりの間にモネの表現には大きな変化が現れているのは確かです。それは心境の変化と言っていいのかもしれないですね。たとえば「左向きの日傘の女」を見ると、モデルの顔はヴェールに包まれていて、誰なのかを特定することはできないように描かれています。
 しかも人物の性格描写にはほとんど目を向けていません。むしろ人物は自然の素晴らしさを表現する上で邪魔にならない程度に抑えられていますね。では脇役なのか?というと、もちろんそうでもありません。光の反射や投影する影、風がなびく様子を表現するのに白いドレスを纏った人物は格好のモチーフなのです。  
 すでにこの時代モネは、自然が織りなす神秘と調和に心を奪われていたのかもしれません。

 「左向きの日傘の女」で見事なのは、まるでその場に立っているかのように自然の息吹や臨場感を追体験できることでしょう。あふれるような光と心地よい風がモネのイマジネーション豊かな色彩や感性によって紡ぎ出されていることがわかります。 






2014年10月1日水曜日

クロード・モネ 「睡蓮の池、夕暮れ」









モネの晩年の渾身の作

 全長6メートルにもおよぶ大きさのこの絵は現在「チューリヒ美術館展」(2014年9月25日~12月15日=東京、2015年1月31日~5月10日=神戸)で日本初公開されています。とりわけ印象的なのは画面全体を覆う水面に映った夕陽ですね。
 夕陽に反響した水面は強いエネルギーを獲得し、神秘的な輝きを放っています!これは、当時視力を失いかけていたモネの渾身の作で、そのあまりの絵に対する純粋さに心うたれてしまいます。

 この絵はモネ自身の心象風景なのかもしれませんし、希望の灯を失わずに生きていこうという強い信念が水面に映る夕陽として結実したのかもしれません。

 「時間の流れとともに多彩な表情を映し出す水面とそこに浮かぶ睡蓮の花の対比の面白さ……。」以前の投稿で、モネの睡蓮をテーマとして扱ったとき、こんな表現を使ったことがありました。

 モネは晩年自宅に日本風の池を造り、よくも飽きもせずにと思うくらい睡蓮の絵ばかりを描き続けたのですが、この作品をじっと見ていると、もはや具象とか抽象とかという形式的なジャンルで区分けできるような絵ではないということを痛感するのです。色彩やフォルム、空気感、時間軸までが渾然一体となっており、モネが行きついた最後の境地といっていいかもしれません。

 最晩年にこんなにスケールの大きい意欲作を描きあげたということは、モネにとって睡蓮の池は喜怒哀楽を率直に映し出す鏡であり、心の原風景となっていたのかもしれません……。
 これほどの大作になると、画集や写真で見るよりも原画を直接ご覧になるほうがいいのは間違いないでしょう。なぜなら、画家の絵に込められた息づかいや微妙な色合いのニュアンス等の絵全体から伝わるメッセージは印刷物とではやはり段違いだからです。





2013年12月5日木曜日

クロード・モネ  「グランド・ジャット島」










   印象派の画家は色彩の明度や光の表現に関しては敏感だが、マチエールの扱い方や構図、精神的な深さが今ひとつ……。という意見を聴くことがたまにあります。もちろん、印象派の画家の良さを充分に認めつつあえて苦言を呈したのでしょうが、確かにそのような傾向がまったくないわけでもありません。しかし、このモネの絵はそのような不満も払拭する大変密度の濃い絵です。 印象派というとモネ、モネ=印象派、印象派=モネのように扱われることが多い画家ですが、彼が美術史に与えた影響はとてつもなく大きいことは言うまでもありません。 
  グランド・ジャット島はパリのセーヌ川河畔の約2キロに及ぶ中州です。印象派の画家たちが風光明媚な行楽地としてこよなく愛した場所で、絵の題材としても度々扱われています。特に点描画の代名詞とも言われるスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は有名ですね!
  モネが描いた「グランド・ジャット島」の絵からはコローのような樹々を揺らす風を感じますし、刻一刻と表情を変えつつある雲の存在感が印象的です。そして辺りを覆う空気感が素晴らしく、その時の状況が視覚だけでなく、心や身体的な感覚としてビビッドに伝わってくる感じです! これはモネ自身がいかに風景の中に入り込んでいるかの証拠ですし、描かれたタッチの見事さが画家の生気や息吹を伝えていますね!

  また遠くの工場の煙が雲と重なるような形で描かれているのが特徴ですが、モネはこの絵を通して失われつつある自然の姿を告発したかったのでしょうか……?いずれにしてもその真意は明らかではありませんし、その理由いかんによって価値を失う絵でないことは間違いないでしょう。








2011年7月13日水曜日

国立西洋美術館常設展9 モネ「睡蓮」









 モネは見慣れた何でもない風景にちょっとした魅力を発見し、それを光と色彩の巧みな描写によって良さを引き出した人でした。
 ところで「モネの代表作は何か?」とたずねられたら何と答えますか?おそらくほとんどの方は「睡蓮」と答えるのではないでしょうか?モネ=睡蓮だとおっしゃる方もいらっしゃるくらいです。確かにこの「睡蓮」のシリーズは画家としてのモネのすべてがあるといっても過言ではないと思います。それほど生命力、色彩の神秘的な鮮やかさ、存在感では際立っているのです。

 世界各国に連作として結構な数の「睡蓮」が展示されていますが、国立西洋美術館のこの「睡蓮」も素晴らしい出来映えです。モネはアトリエにわざわざ日本式の庭園を造り、晩年の創作のほとんどを「睡蓮」に費やしたといいます。

 おそらくモネは「睡蓮」を描くことに画家としての大切な何かを見つけたのでしょう。絶えず時間の流れとともに多彩な表情を映し出す水面とそこに浮かぶ睡蓮の花の対比の面白さ……。それはモネの創作意欲をこの上なく刺激したのかもしれません!
 この作品はモネ自身、庭園の池というわずかな空間に表出する神秘の世界をまるで宇宙を見るような興味と関心を注いで描き綴ったような気がしてなりません。画面全体を埋め尽くす水面の大胆な構図や迷うことなく運ばれる筆のタッチは神秘の世界を醸し出しています。



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2010年5月8日土曜日

国立西洋美術館常設展2




第2回 クロード・モネ「雪のアルジャントゥイユ」


クロード・モネ(Claude Monet 1840年〜1926年)


 この絵の魅力は何と言っても、日常的な冬の情景の一コマを画家自身が共感を持って描き上げたことに尽きると思います。特に雪が美しく、さわやかに描かれていることに皆様はすぐにお気づきのことでしょう。モネがこの絵を描いた時、雪がかすかな光に反射して、とても神秘的に美しく輝くように見えたのだと思います。
 一般的に雪の情景を描くとどうしても暗く重々しい雰囲気になってしまうことが多いのですが、モネはそれを避けたかったのかもしれません。ですからこの絵では冬の寒々しい風景ではなく、希望がほのかに伝わってくる非常に好感のもてる絵になっているのです。
 モネは昔から、日本人に大変人気がありました。こんな絵を見ると、四季折々の変化に敏感な日本人の感性にとてもマッチしていたのかもしれませんね。なぜ日本で人気があるのかがわかるるような気がします。