2016年2月24日水曜日

モーツァルト オペラ『フィガロの結婚』

















人を信じる
温かなまなざし

 「モーツァルトの音楽は人を幸福に導く」と、以前このブログで書いたことがありました。

 それにはいくつかの理由が考えられます。まず最初にあげられるのが、モーツァルトの音楽は非常に徳性が高いことです。それは音楽から自然に放射される人格と言ってもいいでしょう……。こんなことを言うとたぶん誤解されるかもしれません。というのも、「あんな軽いノリの音楽を書いているのに何が人格だよ」とか、「モーツァルトが書いた手紙の文面はふざけすぎるくらいふざけてるじゃないか!」と反発を受けることが必至だからです。

 しかし音楽は言動で価値が決まるのではありません。モーツァルトの言動云々よりも、音楽はその人の内面の本質を鏡のように映し出すといいます。

 おそらくモーツァルトほど愛とウイットにあふれた音楽を作った人はいないでしょう。人を信じる温かなまなざし………。それは彼の音楽に共通するもので、心の垣根を取り払い、あらゆるものを無条件で受けとめてくれる音楽と言っていいかもしれません。

 もう一つは音楽に悲哀に満ちた衣を被せなかったということです。ともすれば芸術家が生活苦に陥ったり、絶体絶命のピンチに立たされると、作品もそれに比例して悲観的になりがちです。 しかしモーツァルトの場合はどんなにシリアスなテーマの音楽であろうと、小鳥がさえずるように自然な微笑みを湛え、限りなく透明感あふれる曲を作り続けました。

 あくまでも聴き手の心を窮屈にするという概念がないのでしょう……。それ自体がモーツァルトの音楽の徳性の高さを意味するものなのかもしれません。


モーツァルトの
すべてが詰まった
名曲オペラ

 モーツァルトと言えばオペラ、オペラと言えば『フィガロ』というくらい「フィガロの結婚」を作曲した当時のモーツァルトは心身ともに充実していた時期でした。

 ここにはモーツァルトの音楽のすべてがあるといっても過言ではありません。
 特にオペラを作曲する時のモーツァルトは交響曲や管弦楽を作曲する時と明らかに違います。 彼の持って生まれた人を喜ばせる天分はオペラにおいてこそ最高に発揮されたと言っていいでしょう。中でもフィガロはモーツァルトがオペラ作曲家としての真髄を極めた傑作で、自身のオペラ作曲の原点になる作品です。

 『フィガロ』の台本は基本的にドタバタの恋愛劇です。モーツァルトはこの貴族社会の恋のアバンチュールをユーモアを加えて痛烈に皮肉る一方で、ビクともしない音楽美に貫かれた人間愛を描いてみせたのです。
 ウィーンでは上演禁止になったり、「倫理的に問題がある」と槍玉にあげられるほどの酷評ぶりでした。しかし、プラハの公演では聴衆に熱狂的に迎えられ、この大人気を契機に交響曲第38番『プラハ』が作られたほどです。

 『フィガロ』の音楽はすこぶるエネルギーにあふれ、輝きを放っているため、劇中の様々な性癖をもった登場人物たちが何とも愛おしく魅力的な人物像として浮かび上がってくるではないですか……! ユーモアたっぷりの人物描写や目まぐるしい転調、火花が飛び散るような重唱等の音楽的な効果はモーツァルトの手にかかると、破綻のない純音楽的な魅力として語りかけてくるのです!

 これは夢のような大人のメルヘンと言っても差しつかえないでしょう。モーツァルトの音楽は終始明るく微笑みかけてくるですが、その反面、ドキリとするような陰影に富んだドラマを展開し、改めてこのオペラの懐の深さを痛感させるのです。

 『フィガロ』の上演に接すれば接するほど、音楽のもつ「素の魅力」、「屈託のない音楽美」に魅了されることでしょう。 



やりたいことをやり尽くした
クルレンツィスの名盤

 『フィガロ』は人気作であるため、昔から録音には事欠きません。指揮者にとっては一度は振ってみたいし、歌手にとっても一度は歌いたい作品であることは間違いありません。しかし最近までこれが決定盤と言える録音がなかったのです。ところが、最近あらゆる面で唸るしかない凄い演奏が出てきました!

 それが、テオドール・クルレンツィス指揮ムジカ・エテルナのCD(ソニー・クラシカル)です。これは新時代の『フィガロ』演奏の幕開けと言っても決して過言ではないでしょう。
 これを聴いて、改めて「フィガロの結婚」に込められたモーツァルトのメッセージの深さを実感いたしましたし、このオペラの尽きない魅力が甦ってきたのです。

 とにかく一切既成概念にとらわれない演奏と解釈は見事です。たとえば第一幕の終結部で伯爵がケルビーノに「スザンナを抱いてやれ」と言う場面の冷やかしに強烈な口笛を入れてメリハリをつけたり、チェンバロに代わってフォルテピアノを使い全体の構成をより自然に聴かせる工夫をしたり……と、自由自在なのです。オペラでここまでやるの?というくらい全編徹底的にやりたいことをやり尽くしている感じです!

 しかし、クルレンツィスの狙いは奇をてらうことではありません。あくまでも埃にまみれたフィガロの演奏に新鮮な驚きを呼び起こし、誰もが納得する演奏を成そうという強い気概がひしひしと伝わってくるのです!
 クルレンツィスが曲の本質をがっちりとつかんでいるために、大胆な表現を随所にとりいれていてもまったく違和感がありません。

 クルレンツィスの意思が隅々まで浸透している結果なのか、オーケストラの響きにも立体的な格調高さと躍動感がありますし、表情の変化の自在さも驚くばかりです。ノンヴィブラートで歌う歌手たちの魅力!また、それぞれの歌手たちの抜群のセンスと絶妙な感情表現にも大いに惹かれます。

 ベームの指揮は甘美で優雅な空気感、シンフォニックな響きの表出等々、『フィガロ』に必要な要素をことごとく兼ね備えていて見事です。終始安心して聴ける演奏といっていいでしょう。
 また、キャスティングが超豪華です。フィガロにヘルマン・プライ、スザンナにエディト・マティス、伯爵にディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、伯爵夫人にグンドゥラ・ヤノヴィッツという当代きっての実力派歌手が勢揃いで、現在このようなオールスターキャストを揃えるのはほぼ不可能に近いのかもしれませんね…。