2015年5月1日金曜日

パブロ・ピカソ 『泣く女』










20世紀を象徴する
天才画家

 ピカソは20世紀最大の天才画家であり奇才でした。様々なエピソードにも事欠かなくて、ピカソの作品や生き様を見ると混乱と不安に揺れた20世紀をそのまま象徴する画家であることを痛感したものです。

 とにかく描くことにかけては天才的な能力を発揮し続けた画家でした。生涯10万点以上の油彩や版画、挿絵を描いたのも、持って生まれた天性の絵心と驚くべき創作力の現れといっていいでしょう。多くの画家がスランプや苦悩、葛藤で描けない時期を抱えたとしても、ピカソの場合は融通良く立ち居振る舞い巧みに画風を変えながら、まるでカメレオンのように美術界に君臨したのでした。
 しかもピカソは芸術家としては珍しくマネジメント能力にもすこぶる長けていて、自分の絵画を販売路線に乗せる戦略や画商との交渉術にも稀有の才能を発揮したようです。

 また1956年にフランスのサスペンス映画の巨匠、アンリ・ジョルジュ・クルーゾーに「ピカソ~天才の秘密」の撮影を許可したのも、考えてみればピカソが自分を売り込むという意味合いや宣伝効果を引き出したい想いが多分にあったのかもしれません。
 ピカソがひたすら「描く」という至極単純なテーマを扱った映画でしたが、即興的で緊張感漂うドキュメンタリータッチの本作はカンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞したのでした。この映画ではピカソの創作という行為そのものがミステリアスであるということから大いに注目を浴び、映画は大成功を収め、改めてピカソの創作の天才性を世間にアピールすることとなったのです。 


「泣く」という行為に心惹かれたのか
強烈な創作のヒントとなったのか……。

 ところで『泣く女』は20世紀最大の傑作とも問題作とも言われた有名な『ゲルニカ』の後に描かれた作品でした。モデルはピカソの愛人でもあったドラ・マールという写真家です。
 ピカソは女性の「泣く」という行為によほど心惹かれたのか、または強烈な創作のヒントとなったのか、その後もこの『泣く女』を何枚も描き上げています。中でも一番傑作として有名なのがロンドン・テートギャラリーに飾られているこの絵ですね。

 これを見るとすぐに気づくのが女性の表情が一方向からではなく、様々な角度から見た表情が同じ平面上に表現されていることです。
 その表情は連続する映像的効果も醸し出し、ただならぬ存在感と迫力で見るものに訴えてきます。鋭角的な線とそれぞれの色彩をかたどる黒い輪郭線は、女性がハンカチを噛んで口惜しがる様子を強烈なインパクトと共に表現してみせているのです。

 また、一見、支離滅裂に見えるこの絵をピカソは彼一流の造形感覚で構成し直し、崩された絵から意味のある絵へと再創造しているのです。リアルな形を単純な線や色彩、構図でまとめ、なおかつピカソの強烈な個性で味付けした『泣く女』は他愛のないテーマからでも、充分に絵が成立できることを証明してみせたのです。


2015年4月27日月曜日

メンデルスゾーン 「パウロ」


















早熟で天才的な創作力を
発揮したメンデルスゾーン

 メンデルスゾーンは早熟で天才的な創作力を発揮した作曲家として有名ですが、ではメンデルスゾーンの作品といえば皆さんは何を思い出されるでしょうか?
 おそらく『ヴァイオリン協奏曲』、『交響曲第4番イタリア』、『交響曲第3番スコットランド』、『弦楽八重奏曲』、管弦楽曲『真夏の夜の夢』をあげる方が多いことでしょう。
 もちろんそれらがメンデルスゾーンの重要な作品であることに違いはありません。しかし、ただひとつ重大なレパートリーが欠けていることにお気づきになりませんか? それは声楽曲なのです。特に宗教的オラトリオや聖歌集は絶対に省くことの出来ないメンデルスゾーンの重要な作品群なのです!

 メンデルスゾーンは生涯3曲のオラトリオを作曲しました。そのうちの1曲はいうまでもなく『エリヤ』ですが、あと2曲は『エリヤ』の10年前に作曲された『パウロ』と晩年に作曲された未完の『キリスト』です。さすがに『キリスト』は録音が限られていますが、『パウロ』はかなりの数がCDとして発売されており、オラトリオ、宗教曲としてはもちろん、声楽曲としても重要な位置を占める作品です。お気づきの方もいらっしゃることと思いますが、『パウロ』は新約聖書の使徒行伝に出てくるユダヤ教からキリスト教に改心したパウロの物語です。さまざまな迫害を乗り越えてイエス・キリストの福音を堂々と述べ伝えていくまでが劇的に描かれています。

 メンデルスゾーンの『パウロ』は後年の『エリヤ』のように壮大なスケール感やドラマチックな展開こそありませんが、メンデルスゾーン独特の清廉な語り口や誠実で気高い人間性が溢れ出た名曲です。また、バッハのカンタータのように要所要所にコラール(ルター派の賛美歌)が組み込まれており、それがアリアや合唱との絡みの中で一編の美しい詩のように光を放っているのです。
 『パウロ』は決して難解な作品ではありません。全曲を通して聴いたとしてもおよそ2時間強ですし、親しみやすく気の利いた曲が次々と続くのもこのオラトリオの魅力でしょう。若書きの宗教曲(26歳で初演)ということで敬遠される向きもあるようですが、もっともっと聴かれて然るべき曲だと思います。 


徹頭徹尾、聖書に忠実で
清新な美意識に貫かれている作品

 このオラトリオの良さは芸術ぶった傲慢さや癖がなく、徹頭徹尾、聖書に忠実で清新な美意識に貫かれていることです。曲中のアリアも格調が高いし、無類の優しさが際立っていますね。
 たとえば第一部に登場するソプラノのアリア「エルサレムよ」の何と甘く優しさに満ちたメロディでしょうか! その余韻と情感は幼い頃に聴いた懐かしい子守歌が彷彿とされます……。パウロの歌う第36曲レチタティーヴォ「ふたりの使徒は、これを聞いて」と合唱が絡む「あなたがたが神の神殿であることを」は全曲の核心の部分で、力強く威厳に満ちた表情が心にしみます。

 また合唱もそれぞれに趣向が凝らされており魅力がいっぱいです。多彩な変化と表現で惹きつける第一部最終合唱「おお、なんと深く豊かな神の英知とご洞察だろう」。壮麗で輝かしい第二部最初の合唱「世界はいまや主のものであり」。 民衆の殺意を叫ぶ声(合唱)に対して許しと愛が憂愁のように漂うコラール、第二部第29曲の「あの男はエルサレムでこの名を呼ばわる者をみな」。確固たる信頼と涼やかな余韻が印象的な第二部43曲の「見よ、なんという愛を」。いずれもメンデルスゾーンだからこそ作り得た秀逸なナンバーばかりと言っても過言ではないでしょう。


美しいメロディラインを
最良の形で再現した
ベルニウス盤

 演奏は勢いに任せた力ずくの表現をするのではありませんし、これといった効果を狙っているわけでもありません。ちょっと聴いただけではパンチ力に不足し、平穏無事に淡々と進行しているだけのように感じることでしょう。しかし、『パウロ』という作品の性格を考慮すれば、これは本質を的確に捉えていますし、これほど音楽の喜びがひたひたと迫ってくる演奏も少ないでしょう。
 作品に対するベルニウスのポリシーがソリストたちの表現や楽器の響きにも現れていて、全編が豊かな音楽で満ちていることに気づかされます。特に素晴らしいのが合唱でしょう。精緻で、純度の高いハーモニーは心に素直に染み込んできます。メンデルスゾーンの美しいメロディラインが最良の形で再現されていると言っても過言ではないでしょう。ソリストたちの心のこもった演奏も大変に好感がもてます。

 何と言ってもライプツィヒ放送合唱団のハーモニーが美しく彫りが深いですね。しかも、旋律に心が通い、ともすれば薄味になりがちな合唱曲に深みを与えています。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の響きもコクがありますし、ヤノヴィッツ、アダムらの独唱陣も存在感があり、名曲に花を添えています。安心して音楽に浸ることが出来ます!