苦難の時代のミサ曲といえども
重苦しくならない
ハイドンの傑作
ハイドンは交響曲や弦楽四重奏曲はもちろんのこと、ミサ曲でも堅苦しくない魅力あふれる数多くの作品を世に送り出しました。しかし、たった1曲だけネーミングからして取っつきにくそうな曲があります……。それが通称「戦時のミサ」と呼ばれる「パウケン・ミサ」なのです。
このミサ曲の標題から「何やら戦争にまつわる重苦しい作品なのかな」と思われる方も多いのではないでしょうか。しかし、実際はかなり様子が違います。
何を隠そう、「戦時のミサ」は戦争をテーマにした作品ではなく、作曲された18世紀末当時のオーストリア情勢が非常に緊迫したものだったことに起因しているのです。当時ナポレオンをはじめとするフランス軍はオーストリア方面を激しく攻め立て、1809年には遂にウイーンを陥落させたのでした。そのような時代的な背景もあって、ハイドンはこの作品を戦時のミサとしてスコアに描き込んでいたというのですが、その気持ちもわかるような気がいたします……。
さて「戦時のミサ」ですが、この作品はミサ曲というだけにとどまらず、純粋に作品としても魅力的ですし立派です。まず、キリエ冒頭のなごやかで落ち着いた合唱からしてハイドンの優しさと度量の大きさを感じますね……。主部は生き生きとしたリズムと無垢なメロディが心地よく、連続して現れる主題の展開の見事さに息をのみます。何という天才的な筆の冴えなのでしょうか!
グロリアやクレドの無垢で多彩な迫力も充実していていますが、感動的なのはアニュス・デイでしょう。 祈り、悲痛な想い、回想やら、様々な情感が込められたこの音楽はティンパニの音と共に刻々と表情を変えつつ、決然たる意志と勇気を導き出していきます! 全体を通して苦難の時代のミサ曲といえども決して深刻になったり暗くならないところがハイドンの偉大なところかもしれません!
透明感あふれる
ガーディナー盤と
立体的なリリング盤
演奏でメリハリが効き、純粋に聴いていて美しく飽きさせないのはジョン・エリオット・ガーディナーとモンテヴェルディ合唱団のCD(Philips)でしょう。
特にキリエの絶妙なハーモニーの美しさに加え、聴かせどころをしっかりと捉えた表現は最高です!
グロリア、クレド、サンクトゥスもまったく窮屈さを感じることがありませんが、特に素晴らしいのはアニュス・デイ! 静かで深い祈りに満ちた声の響きが陰影を伴って作品の魅力を際だたせていきます。 ファンファーレのように鳴り響くアレグロの部分も熱気を帯びながら聴く者を興奮の渦に巻き込んでいきます。
立体的な音の構築が素晴らしく、音楽を聴く喜びでいっぱいに満たしてくれるのがヘルムート・リリング指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団およびゲヒンゲン聖歌隊(ヘンスラー)の演奏です。細部の表情こそガーディナー盤に一歩譲りますが、密度の濃い声の響きや安定したハーモニー、柔らかく強靱なオケの音色は何度聴いても飽きませんし、ハイドンの音楽の魅力に改めて気づかせてくれる演奏と言ってもいいでしょう! ソリストもそれぞれに素晴らしいのが特徴です。