2016年7月2日土曜日

デューラー 『芝草』







草花に宿る
強い生命のエネルギー

 デューラーの『芝草』は有名な水彩画ですが、一般的によくある植物画とはちょっと違います。

 何が違うのかと言えば、線のタッチや、構図の取り方、色彩表現等が奇抜なわけではありません。ご覧の通り、表現方法は至ってシンプルですし、グイグイと正攻法で推した描画好きにはたまらないアカデミックの頂点とも言うべき絵なのです。

 かといって、シャルダンやドガの花の絵のように見て美しいわけではありません……。しかし、特別なことをしていないはずのに小宇宙を想わせるような存在感は圧倒的ですし、私たちに向かってそれぞれの草花が何かを語りかけてくるような気がします。 
 この絵を見ると草花は確かに呼吸をしていて、程度の差こそあれ人間のように様々な感情を持っているのではないかと思えてくるから不思議ですね……。 

 『芝草』はデューラーの明確で強い表現意図が感じられる絵です。それはおそらく草花に宿る強い生命のエネルギーや神秘を表現することだったのでしょう。それこそ一本一本の草花に神経が行き届き、血が通うその姿は、まさしく生命のエネルギーを放射するかのようで、私たちの心を掻き立ててやまないのです!



2016年6月26日日曜日

ポール・マザースキー  『ハリーとトント』










ロードムービーの傑作

 こういう映画って、撮れそうでなかなか撮れないのではないのでしょうか?
 仮に内容がネタバレしたとしても、この映画の良さは見ないことにはわからないでしょう。

 妻に先立たれ、ニューヨークのアパートで愛猫トントと暮らす年金暮らしのハリーが、区画整理で立ち退きを命ぜられたことから始まる様々な人々との出会いや交流を描いたロードムービーです。

 この映画のタイトルからすると猫のトントが主役級の扱いなのかと思ってしまいかねません。でも決してそうではなく、トントはハリーの思いがけない動向を左右する重要なキーパーソン(キーキャット?)になっているのです。
 たとえば娘のいるシカゴに向かう時、飛行機の手荷物検査がハリーには耐えられず、飛行機を断念してバスに乗り込みますが、バスの中でもハプニングが起きてしまい結局は途中で降りるようになってしまいます。でもこのことが様々な人との出会いを呼ぶことになるのですが……。

 成功の要因は一にも二にもハリーを演じるアート・カーニーの巧さでしょう。大らかで、決して上目づかいにものを言ったり、人を否定することなどしない。あくまでも人の話をよく聞き、忠告を素直に受け入れ、場を和ませる人柄と言ったら……。家族や出会った人々とのやりとりからそれがしみじみと伝わってくるのです。
 配役の設定もあるかもしれませんが、とにかくいい味を出しています。少しも気負ったところがなく、あくまでも自然体の演技なのです。できればこんなふうに年をとりたいものですね……。


シリアスな現実を
ユーモアとキャラクターの
魅力で包み込む

 この映画が制作された1970年代当時のアメリカはベトナム戦争で疲弊し、若者たちは心の行き場を失いドラッグに溺れる等、すべてにおいて自信を失った時代でした。
そのような時代を反映するエピソードもちらほらと交えながらも、ハリーからはそれを包み込む人間の大きさと大人の心のゆとりを感じるのです。

 はっとするような美しい場面も随所に現れます。
 たとえば、車を運転しているときに、ひとりごとのように出てくる亡き妻への想いやそれを見つめるトントや優しく包むピアノの調べ……。
 また、数十年ぶりに昔の恋人に会うために訪れた老人ホームで、時間のギャップを埋めるかのように二人で踊るダンスシーン……。いずれも切なさや優しさが込みあげてきて、時が止まったような感じさえする印象的なシーンです。

 シリアスな現実をユーモアとキャラクターの魅力のオブラートで包み込んだ愛すべき作品と言えるでしょう。