2015年7月13日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第6番へ長調「田園」作品68(3)




























自然と人との
崇高な関係を描いた傑作

 自然はいつの時代も人間に有形無形の贈り物を届けてくれます。心に記憶を留めたり、感性を育んだりする上で自然は計り知れないほどの恩恵を与えてくれますし、自然と関わりを持たずに生きることは不可能でしょう。

 私たちは自然のあるがままの美しい姿を未来へつないでいく大切な責任があるのかもしれません。

 「人間と自然」……。
 切っても切り離せない永遠の関係を音楽として表現した作品は実は数えるほどしかありません。
 その一つは言うまでもなくベートーヴェンの交響曲第6番「田園lですね。改めて全曲を通して聴くと、こめられたメッセージの崇高さや懐の深さを痛感せずにはいられないのです。まさに汲めども尽きない泉のような作品こそ「田園lの魅力と言ってもいいでしょう。

 この曲の偉大なところは自然の美しい姿を描いたことではなく、自然と人との崇高な関係を描いたところにあります。
 ベートーヴェンは風や光、自然の情景や移ろう季節の様子に神の声を聴いたと彼自身の手記に記録していますが、「田園lはその言葉通り、神が与えてくれた豊かな自然の恵みを高らかに賛美し謳歌しているのです。

 それにしても何と叡智と感謝に満ち満ちた作品なのでしょうか!特に第2楽章や第5楽章フィナーレを貫いているテーマは自然と語らい、自然と一体になることの尊さを伝えるかのようです。大地は絶えず呼吸し、愛の光を放ち、私たちをすっぽりと包み込んでいることをベートーヴェンは音楽で言い尽くしているではありませんか。

 ブルックナーの8番や9番も聴くたびに新たな発見がありますが、この作品の愛に満ちたメッセージの数々は格別ですね……。



往年のマエストロたちが
残した名演奏

 「田園」は交響曲第3番「英雄」や第5番「運命」、第9番「合唱」のように激しく闘争的なテーマがないため、とかく安全運転をすれば何とかなると思われがちですが、それはとんでもない間違いです。演奏によって曲の魅力や本質が語りはじめたりする場合もあれば、失われたりするケースも少なくありません。とにかく油断できない作品なのです。

 演奏でまずお薦めしたいのは、カール・ベームがウィーンフィルを振った1976年の録音(グラモフォン)です。この作品の根底にある格調の高さを最も歪みなく表現しています。金管楽器、ティンパニ等の生々しい響きはもちろん、ウィーンフィルの持ち味である柔らかさに迫力を付け加えた充実度満点の演奏です。

 ブルーノ・ワルターがコロンビア交響楽団を振った1958年の演奏(CBS)はさわやかで個々の楽器の味わいを最大限に曲調に生かしたオーソドックスな名演奏です。雄弁で温もりのある響きを生み出しつつも重々しくならないところが素晴らしく、今後も田園のスタンダードナンバーであり続けることでしょう。

 ウィルヘルム・フルトヴェングラーが収録した1952年のウィーンフィルとのスタジオ録音(EMI)も忘れられません。特に第1楽章のスケール雄大で奥行きのある響きの凄さ! フルトヴェングラーは楽しいとか爽やかなイメージには決してとらわれていないのです。
 自分のスタイルを崩さず正攻法で押し通し、曲の本質を逸脱しないフルトヴェングラーの表現力には舌を巻きます。そのためあらゆる部分から瞑想や祈りが彷彿とされ、ベートーヴェンの音楽の懐の大きさを改めて実感するのです。

 セルジュ・チェリビダッケが指揮するミュンヘンフィルとの演奏(EMI)は超スローテンポの個性的な演奏です。しかし、「田園」の場合はそれが曲の持ち味とマッチしているため違和感がありません。フルトヴェングラーの時と同じように、曲の大きさがそれを救っているのですが、雰囲気も満点で楽器の響きの彫りの深さや奥行きのある表現が最高です。