切なさと無邪気さが
同居する
詩的な作品
ドビュッシーはショパンのピアノ作品に多大な影響を受けたようです。
後期の傑作「前奏曲」や「練習曲」はその最たるものですね。しかし、決して模倣にはなっておらず、その音楽はドビュッシーでしか書けないオリジナリティあふれる作品と言えるでしょう。
さて、ドビュッシーは実はバラードも書いています。バラードと言ってもショパンのように主題がドラマチックに変化する音楽とはちょっと違います。
これはドビュッシーが自分のスタイルを確立する以前の作品のため、ドビュッシーの音楽技法に馴染んでいる方にはちょっともの足らなく感じるかもしれませんね……。
しかし、他のピアノ音楽にはない詩的な情感やノスタルジックな曲調が素晴らしく、まるで絵本のショートストーリーを覗いたような優しい気持ちになるのです。
普段、クラシック音楽を聴いたことがない人やドビュッシーの音楽は苦手だと思っている人にとっては案外この曲は耳にも心にも優しいかもしれませんね……。
冒頭の序奏の部分でピアノのおさらいのようにテーマのイメージを浮かび上がらせたり、繰り返す部分から始まるのですが、これがとても印象的です。そして、ちょっぴり哀愁が漂うテーマが奏されると、俄然、曲は切なさと無邪気さが同居する様々な情景の中をさまよい歩くようになるのです。
これを聴くとドビュッシーという人は何てロマンチストで詩人なんだろう思わずにはいられません……。
待望の演奏
ベロフの真摯な
音楽づくり
この作品は小品であるのですが、演奏は大変に難しく、またドビュッシー独特のしっとりとした情感や繊細な詩情を出せるピアニストも意外に少ないため、なかなか録音には恵まれてきませんでした。
そのような中で、ワルター・ギーゼキングが1955年に遺した演奏(EMI)はピアノに心が乗り移ったかのような名演奏でしたが、録音が古くやや雰囲気に乏しいのが残念でした。
しかし、ミシェル・ベロフがデジタル録音したCD(DENON)はそのような不満を見事に解消してくれました。ベロフは実にセンス満点な音楽づくりをしており、色彩豊かにこの曲を表現しています。それは時に発色のよい透明水彩のかすれやにじみのように多彩な表情を醸し出し酔わせてくれます。その繊細な音色の心にしみること……。何という演奏でしょうか。