2018年2月10日土曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K271「ジュノーム」

















モーツァルト初期の名作

モーツァルトはあらゆる楽器の中でもピアノを愛し、ピアノに自分のありったけの想いを込めて作曲したことで有名ですが、初期の名作、ピアノ協奏曲第第9番「ジュノーム」もその好例と言えるでしょう!

特に、涙に彩られたメロディが印象的な第二楽章アンダンティーノはピアノの音色だけでなく、オーケストラにも哀しみの心が深く滲み出ていて、心を揺さぶられます。音楽が進むにつれて、その表情は幾重にも変化し、ますます憂いの想いが募っていくのです。そんな哀愁を帯びた旋律であるにもかかわらず、中間部でさり気なく無邪気な微笑みを見せるところもモーツァルトらしいですね……。

しかも、決して暗くなったり、重苦しくならないのは、モーツァルトの音楽がどこまでも澄み切っているからなのでしょう!

澄み切ったと音楽という意味では、ピアノのソロで始まる主題が印象的な第三楽章ロンド-アレグロもそうかもしれません! まるで青空にぐんぐん舞い上がっていくような、この透明感、飛翔感は一体何なのでしょうか。

この二つの楽章に対して対照的なのが、肩の力を抜いて口ずさむように音楽が開始される第一楽章です。平凡で何でもないように聴こえたりもするのですが、全体的に聴く人の心と耳を拒まず、水が土に染みこむような受容度の高い音楽になっているのです。また、随所に光と風を感じさせる音楽性の高さも魅力と言えるでしょう!


解釈や演奏が難しい
第一楽章、第三楽章

「ジュノーム」は第二楽章が素晴らしくよく書けているため、よほど平凡な演奏でない限り、大抵は音楽の美しさが伝わってくることでしょう。しかし、第一楽章や第三楽章はそうはいきません…。ここはピアニストや指揮者の解釈、センスが大いに要求されるところで、ツボにはまれば作品の隠れた美しさや愉しさを引き出せるでしょうが、失敗すると退屈でつまらない演奏になりかねません…。

その点、リチャード・グード(ピアノ)、オルフェウス室内管弦楽団(Nonesuch)は自然なスタイルながら、曲の美しさを充分に堪能させてくれる演奏です。グードは表現の幅が広く、深い解釈をするのがモットーのピアニストですが、この曲ではモーツァルトらしい愉悦に溢れた響きが心地よく、一小節ごとに変わる表情も豊かで生き生きしています。
オルフェウス室内管弦楽団との息もピッタリで、特に第一楽章の中間部、ピアノとオケが言葉を交わすように展開するあたりは音楽を聴く喜びでいっぱいに満たされます。


有名な第二楽章の素晴らしさが際立っているのが内田光子(ピアノ)、ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団(DECCA)です。第二楽章はオケの出だしからして寂寥感が漂っているし、ピアノの音色も秋の深さと哀しみの情をひたすら伝えていきます。第一、第三楽章も安定感抜群で、内田のカデンツァも魅力いっぱいです。「ジュノーム」の美しさを再認識させてくれる名演奏と言っても過言ではありません。