2014年1月31日金曜日

ジャン=フィリップ・ラモー 「カストールとポリュックス」













ラモーの真価を世に知らしめた傑作!

 ラモーはフランスバロックはもちろんのこと、バロック時代および18世紀を代表する作曲家といってもいいでしょう。
 和声を徹底的に研究した人だけあって、その音楽には独特の響きがあります。特に楽器の特徴や響きの本質をとらえた詩情あふれるメロディは見事という他ありません。しんみりとした哀しみの情感も決して重苦しくなりませんし、色彩豊かで繊細に構築されたハーモニーはフランスのエスプリを感じさせ恍惚とさせられます。とにかく音の絵本のようにファンタジックな夢の世界がどんどん拡がっていくのです。 

 カストールとポリュックスはラモーが1737年に書いた作品ですが、台本やストーリーの流れに不備な点があり、当初は思ったほどの評価は得られませんでした。その後音楽共々、大幅に書き替えられ、現在演奏されているのはラモー自身が1754年に改訂版と銘打って発表した5幕構成の版と言って間違いありません。

 おおよそのストーリーはギリシャ神話に基づくもので、双子のカストルとポリュックスの兄弟愛の深さを描いた物語です。二人は美しい太陽の娘テライールを愛していたのですが、許婚ということもありポリュックスと結婚の儀式が交わされようとしていたのでした。しかし、ポリュックスがカストールとテライールが相思相愛であることを知ると、自ら新郎の立場をカストルに譲るのでした。一方、ポリュックスを愛していたスパルタ王女のフェーゼが嫉妬し、敵軍にけしかけて反乱を起こします。その敵軍との攻防に身を投じたカストルが戦死してしまいます。
 ポリュックスはテライールがカストルを失い、あまりにも憔悴していることや、民衆も嘆き悲しんでいる姿に愕然とするのでした。そこで霊界に渡っていき、父ジュピターに向かって何とかカストルを生き返らせてほしいと懇願します。しかし、それを可能にするためにはポリュックスが身代わりに死ななければならない旨を忠告されるのでした。そこで、それを受け入れたポリュックスは霊界に旅立っていくことを決意します。その事を案じたカストールは1日だけテライールに会えば、霊界にまた戻るという約束をするのでした。テライールとの再会を果たしたカストールは喜びや別れを嘆き悲しむ中で自分の宿命を受け入れ霊界に戻ろうとしますが、そのときジュピターが降臨し、「兄弟ともに永遠の生命を生きよ」と告げられるのでした。



洗練された色彩や光のようなイマジネーション

 先日、ヘンデルの「セメレ」でもお話ししたように、この「カストールとポリュクス」も序曲がとても印象的です。運命のいたずらを匂わせるような、ありきたりではない一種独特の響きが様々なイメージを膨らませてくれます。続く、心の葛藤をドラマチックに表現した短い合唱も斬新で美しく、一瞬にして心をとらえてしまいます。

 第3幕で民衆がカストルの死に直面し、哀しみに打ちひしがれる中で歌われる合唱やテライールが歌うアリアはこの世のものとは思えない高貴な響きやデリカシーに満ちています。また、それに対してフィナーレでカストールの復活を喜び、次々と変奏曲のように展開される舞曲の数々も何と喜びにあふれていることでしょうか! 
 ラモーは彼のオペラでメヌエットやガヴォット、タンブラン、パスピエ等の愛らしい舞曲をよく使うのですが、これが大変に効果をあげているのですね! 重苦しいストーリーの展開の中でも、ラモー特有の魅力に満ちた舞曲が現れると、不思議と無垢で洗練された色彩や光のようなイマジネーションが彷彿とされ、希望に沸き立つのですね!
 
 「カストールとポリュックス」のCDは現在のところ大変に少なく、演奏で本当に満足できるのはウイリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサン(ハルモニア・ムンディ)に尽きるといっていいかもしれません。クリスティの指揮は精緻で透明感あふれる素晴らしい演奏です。特に第3幕の民衆が嘆き悲しむ合唱の美しさは最高ですし、フィナーレの舞曲の楽しさも絶品です!
 全曲盤がなければ、ハイライト盤でも良さを充分に味わえることと思います。









2014年1月26日日曜日

音楽を愛し、音楽に愛されたクラウディオ・アバド



アバド氏の死を悼む









 先日、ニュースで指揮者のクラウディオ・アバドさんが亡くなったことを知りました。享年80歳だったそうです。私はこのニュースを聴いて大変にショックを受けました。
 なぜなら、私がクラシック音楽に親しみ始めた1980年当時、アバドさんはまだ若手・中堅のホープと言われた人だったのでした。その頃の若々しく躍動感にあふれた残像や演奏は瞼に焼きついて離れず、今後もいろいろな驚きを与えてくれるだろうと信じていたからです。

 もちろん人並み外れた才能と音楽性の持ち主で、その前途は洋々たるものだったことは間違いありません。。私も近い将来、世界を席巻する大指揮者になる人だろうと思ったのでした……。
 中でも1970年代に録音されたチャイコフスキーの「ロミオとジュリエット序曲」とスクリャービンの「法悦の詩」の何とも言えない正統的なリリシズムに痛く感動したものでした。
 また、チャイコフスキーの「悲愴」もあふれるような歌があり、このように鳴ってほしいというイメージにオーケストラの響きがその如く再現されるのが大変な驚きでした。「亡き王女のためのパヴァーヌ」の美しく透明感に満ちた表情、ブラームス「第2」の既成概念にとらわれない無垢な歌! もちろんヴェルディやロッシーニのオペラの素晴らしさはイタリア人としての強い共感が成せる技だったのでしょう!
 本当に、1970~80年代のアバドさんの音楽はいつも初々しい感動と音楽を聴く喜びを与えてくれたものでした……。

 しかし、1990年のベルリンフィルの常任指揮者、音楽監督就任という名誉ある立場が彼の音楽人生の歯車を少しずつ狂わせてしまったのではないのでしょうか? ベルリンフィルと言えば泣く子も黙る天下の名オーケストラ、世界中の音楽ファンが良くも悪くも注目を寄せるのも無理からぬことです。皮肉なことに彼の持ち味である歌やインスピレーションや躍動感は次第にこの頃から薄れていったのです。

 もしこれがベルリンフィルではなく、ロイヤルコンセルトヘボウやバイエルン放送交響楽団とかであれば、事情は大きく変わっていたことでしょう。  
 ご本人も深く悩まれたのでしょうし、出口のないトンネルをいつもトボトボ歩く感じだったのかもしれません。結局2002年に体調を崩し、ベルリン・フィルを退団されるのですが、それでもこのベルリン・フィルの十数年は後進の育成や音楽環境の整備に多大な貢献をされたと聞きます。
 
 彼は最後の最期まで真の音楽家としての人生をまっとうされたのでしょう。きっと天上界でも美しい音楽を響かせてくれるのではないでしょうか。
 心からご冥福をお祈りします。