2016年12月19日月曜日

革命的音楽体験・Spotify








ついに日本でサービス開始
驚きの音楽配信サービス「Spotify」

 今、音楽配信サービスのSpotify(スポティファイ)がとても話題になっています!
 ともかくSpotifyはアプリをダウンロードさえすれば、アルバム1枚をまるまるお手持ちのスマホや端末で無料で聴けてしまうという凄さなのです。これまでアルバムを聴いてみたいと思っても、ショップやオンラインショップで全曲試聴サービスがあるわけではないし、買うのに躊躇していた方には大変な朗報かもしれません!
 今後、Spotifyで聴いて、本当に気に入ったアルバムはプレミアム会員に登録してダウンロードするという公式が出来るかもしれませんし、とても有り難いといえば有り難いサービスですね。

 かつてアップルのitunes musicやamazonのミュージックストアが出現したときは、「手軽で便利、これは凄い!」と思ったものです。でもSpotify旗揚げと同時に今後は同様の音楽配信サービスの事業展開はどうなっていくのか?と考えてしまいます(余計な心配かもしれませんが……)。いや、それ以上に心配なのはアーティストや音楽関係者の収益、CD、レコードショップの経営のほうですね。これから本当にどうなってしまうのでしょう……。

 私はCDショップに大変お世話になってきました。CDを買うだけではなく、いろいろなCDジャケットを眺めたり、新譜を試聴したり、どっぷりと音楽的な余韻や空間に浸ることがいい意味で気分転換になるのです……。

 しかし現在、地方だけではなく首都圏や都心の大型店舗も年々減ってきていることは間違いありません。それはCDが売れないという明白な事実があり、それに伴うCD制作会社の企画・販売も頭打ち状態になり、結局は音楽ソフトの内容も貧弱にならざるを得ないという皮肉な結果を生み出すことになっているのです。


今後はSpotifyのキーワード検索に
新しい音楽の喜びが見いだせるかも

  いつも思うのですが、私たちは便利さ、快適さを手に入れると同時に、とても大事なものを失い続けているように思えて仕方ないのです。便利になると確かに手間はかからなくなるし、時間の節約にもなる……、一見いいところばかりのように思われますが、決してそうとはいいきれません。

 なぜなら、「手間をかけるということ」や「心のゆとり、心の余暇を持つこと」は人間の精神衛生上、絶対必要なことだからです。これが実は気持ちを整理し、リセットする上ではとても重要なことなのです。忙しい今の時代に一見無駄なことのようですけれども、私にとってCDショップでのひとときというのは、明らかに気持ちを切り替え、心の充電をするのに一役買っていたのです。今後この失われた感覚はどのように補充していけばいいのでしょうか……。

 とは言うものの、Spotifyの提供するサービスは魅力いっぱいです! たとえばクラシック音楽ファンであれば、検索で「バッハ ミサ曲ロ短調」と入れたとすれば、それに相当するアルバム候補が続々と表示され、次々に聴き比べることが出来ます。お気に入りのアーティストの作品をドンドン表示させていくことも、マイリストを作成して後で聴くこともできます。

 つまり音楽ファンにとっては無限の音楽鑑賞スタイルと楽しみを提供してくれる驚くべきサービスと言えるでしょう。私ももう少し聴いて気に入ったらプレミアム会員に登録するのも時間の問題かもしれません……。


2016年12月12日月曜日

ベラスケス『鏡のヴィーナス』









ラスケスが描く
唯一の裸婦像

 17世紀スペインの大画家ベラスケスといえば王女をはじめとする典雅で格調高い肖像画で有名ですが、同時に泣く子も黙るほどの圧倒的画力の持ち主としても有名ですね。さらに傑作の誉れ高く、謎の絵としても名高い「ラス・メニーナス」の例のように、様々な細工を施した画家としても有名です。
 今回ご紹介する「鏡のヴィーナス」はベラスケスにとって、おそらく唯一ともいえる裸婦をモチーフにした絵ではないでしょうか。当時のスペインはカトリックの教義的な締め付けが厳しく、画家がヌードを描くことはすぐさま非難の対象になり、容易なことではなかったようです。


素晴らしい演出と
格調高さ

 しかし、この絵は裸婦を描く上で充分な資質と必然性を備えているのです。
 たとえば裸婦の顔を直接描かないで、キュービットが持つ鏡に裸婦の表情を浮かびあがらせていることです。本当にうまい演出ですね……。これによって世俗的で生々しい雰囲気が緩和され、代わりに幻想的で甘美な雰囲気が醸し出されることになったのです。
 その魅力を大きく引き出しているのは、ヴィーナスの身体の曲線の美しさや透明感あふれる肌の輝きであることは言うまでもないでしょう。
 また、キュービットの愛らしい姿態と表情も大変魅力的です。キュービットが膝を曲げて鏡を持つ様子はとても意地らしく、微笑ましい空間を生み出しているのです。
それにしても裸婦を描いても、いささかも品位と格調を落とさず描き切るベラスケスのの表現力はさすがというしかないですね!

2016年12月4日日曜日

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝-ボスを超えて-












ブリューゲルの『バベルの塔』
日本で24年ぶりの公開

 これは楽しみな展覧会です!
 何と言ってもブリューゲルの『バベルの塔』が見られるのがいいですね。
 
 バベルの塔は言うまでもなく彼自身の作、『雪中の狩人』と並ぶ大傑作です。スケール雄大で、細部にも様々な趣向が凝らされていて、絵を見る楽しさやワクワク感を限りなく伝える数少ない作品の一つではないかと思っています。

 そのブリューゲルが絵を組み立てる上で多大な影響を受けたといわれるヒエロニムス・ボス。ボスの絵は怪奇的な部分と人間の五感を刺激してやまない独特の魅力がありますね……。今なお根強い人気があるというのも何となくわかるような気がします。
 また、この展覧会ではCGを使ってバベルの塔の創作の秘密と魅力を解き明かすのだとか……。ちょっと楽しみではあります。





【開催概要
ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展
16世紀ネーデルラントの至宝 ― ボスを超えて ―
会期:2017年4月18日(火)~7月2日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室
住所:東京都台東区上野公園8-36
時間:9:30~17:30
  ※金曜日は20:00まで(入室は閉室の30分前まで)。
  休室日:月曜日
  ※ただし5月1日(月)は開室。
価格:一般 1,600(1,400)円、大学生・専門学校生 1,300(1,100)円、高校生 800(600)円、65歳以上 1,000(800)円
※()内は前売券・20名以上の団体券。
※前売券は2017年1月11日(水)~4月17日(月)で販売。
※中学生以下は無料。
※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳持参者と付き添い(1名まで)は無料。
※4/19(水)、5/17(水)、6/21(水)はシルバーデーにより65歳以上無料。
※毎月第3土・翌日曜日は家族ふれあいの日とし、18歳未満の子を同伴する保護者(都内在住、2名まで)は一般当日料金の半額(いずれも証明できるもの提示)。
巡回情報 大阪会場
会期:2017年7月18日(火)~10月15日(日)
会場:国立国際美術館
住所:大阪府大阪市北区中之島4-2-55

2016年11月26日土曜日

小津安二郎「秋刀魚の味」













古くて新しい
小津作品の真骨頂

 私にとって小津安二郎監督の映画はとても相性がいいようです。
 遺作となった「秋刀魚の味」(1962年)は妻を亡くした父が、よく出来た娘をお嫁に嫁がせるまでの日々を描いた映画です。極端に言えば、日常のありふれたやりとりだけを描いた映画ですが、まったく退屈に感じません。むしろ心地よい疲れさえ感じるのはなぜなのでしょうか……。 すでに50数年前の映画ですが、小津監督の映画を見ていると何気ないあたりまえのシーンにも大切な人生の側面が浮き彫りにされているような気がするのです。

 この映画で交わされる会話はほとんど他愛のない内容です。しかし、そこには家族間の言うに言えない奥ゆかしい感情が漂っていますし、人として生きることの辛さや切なさが暖かな眼差しとともに伝わってくるのです。
 小津監督の美学はこの映画でも冴えに冴え渡っています。たとえば、カメラのポジションを変えないでローアングルで撮り続けるのもその一つでしょう。その他、無駄な動きを極力取り除いたり、俳優の視線、セリフの口調、調度品の色調の統一を試みたのも徹底した演出のこだわりからくるものなのでしょう。

 動きが少なく、セリフは棒読みのようで、時に物足りなさを感じるほどなのですが、かえってそのことが見る者に多くのことを考えさせるゆとりを与えてくれるのです。このようなシーンの演出も小津監督が名匠と言われるゆえんなのかもしれません…。



気心を知り尽くした
俳優たちとの呼吸

 私はこの映画を見て、なんだかとても胸が締めつけられるような気がいたしました。
 特に印象的なのは娘(岩下志麻)を嫁がせる日の父親(笠置衆)の表情です。心にぽっかり穴が空いたような感覚が伝わってくるシーンですね……。娘の幸福を考えればうれしいはずなのに、それが素直に喜べない父親の戸惑いや寂しさ……、そのような複雑な心境が絶妙に描かれているのです。


 花嫁衣装を身に纏った娘が畳に手を突いて「今までいろいろとお世話に……」と言いかけた瞬間、父が「ああ わかってる わかってる しっかりおやり…幸せにな」と言葉をさえぎる場面があります。
 ぶっきらぼうな表現なのですが、おそらく父にとってこれ以上のはなむけの言葉はなかったのでしょう…。おそらく、「家族なんだからそんな堅苦しい挨拶はいいよ」とか、あるいは「娘を送り出すってこんなに寂しいものだったのか…」のような入り混じった思いが心の中で交錯していたのかもしれません。


 小津監督は俳優たちに常々、「余計な個性を出してほしくない」と伝えていたようですね。彼の映画の常連キャストだった原節子や笠置衆も納得がいくまで何度も撮り直させられたようです。 小津監督は笠置衆に「あんたの演技が見たいんじゃない。とにかく言われたとおりにやってくれ」と口を酸っぱくして言っていたようです。

 「だったら役者は誰でもいいんじゃないの?」と思われるかもしれません。
 でもそうではなかったのです……。小津監督が願ったのは演技をしなくても確かな存在感と気品をスクリーン上に漂わせる役者の存在だったのです。小津組と言われ、毎回同じ役者さんで撮影に臨むことが多かったのも、彼らに全幅の信頼を置いてのことだったのでしょう。


 平凡な日常に横たわる孤独と寂寥感。時には能楽や小気味よいリズムの演劇の舞台を見ているような錯覚にとらわれる小津監督の独特の映画の世界。それは日本的情緒と哀愁を絡ませつつ、日本の伝統美とモダンアートのような斬新な美を両側面で魅せてくれる唯一無二の世界なのかもしれません……。

2016年11月18日金曜日

セザンヌ「リンゴとオレンジ」








静物画に新風を吹き込んだ
セザンヌ 

 セザンヌの絵のファンは多いと言われています。
 確かにセザンヌの絵を見ていると、「こんな物の見方もあったのか」とか、「こういう描き方もあったのか」と、いい意味で創造性を刺激されますし、新鮮な驚きがあります!
 たとえば、遠近法は昔から絵を描く上で絶対に外せない技法として重要視されてきました。しかしセザンヌは自身の絵でこれをあっさりと外してみせたのです。もちろん、気まぐれで外したのではなく、苦悩と葛藤の末に行き着いた表現だったのですが……。
 「リンゴとオレンジ」、これは数多いセザンヌの静物画の中でも特に有名で、最高傑作と称されることもしばしばです。何より絵の気品の高さと物のしっかりとした存在感が際立っていますね!
 この絵の主役はタイトル通り、リンゴとオレンジです。その他のモチーフは花瓶であろうと布であろうと、すべてはリンゴとオレンジを引き立てるための材料であり脇役にすぎないのです。


リンゴとオレンジの
並々ならぬ存在感

 特にリンゴやオレンジの量感や密度の濃さは半端でありません。しかも豊かな色彩からは芳醇でみずみずしい果実のイメージさえ伝わってくるのです!
 それは幾重にも積み重ねられた絵の具のマチエールによるところが大きいでしょうし、目で見た形よりも肌で実感した体験や感動を大切にしていることもあげられるでしょう。 セザンヌはリンゴやオレンジを1個ずつ、やみくもに描いているのではありません。積まれたリンゴやオレンジを一つの集合体としてとらえ、それぞれの関係性や多面的な表情を描くことによって、より果物の存在感を強固なものにしているのです! 

 丹念に着色されたカラーバリエーションの幅の広さも大きな魅力となっているのは間違いありません。
 先ほど遠近法の問題をあげましたが、果物が置かれたテーブルと背景との距離感がほとんどないことにお気づきでしょうか?
 おそらく、セザンヌは立体的な空間の中に巧みに平面的で装飾風の表現を加えることによって、リンゴとオレンジを強く印象づけようとしたのでしょう。

 それにしても、この絵は何回見ても飽きることがありません。おそらく普遍的な眼で物を見たり、色彩や形を突き詰めることによって絵を再創造しようとする画家の眼差しに共感を覚えるからなのでしょう……。

2016年11月13日日曜日

エルガー「エニグマ変奏曲」











友人たちの人柄を
愛情豊かに表現した音楽

 クラシック音楽を聴き始めたばかりの人にとって驚きの一つにあげられるのが、交響曲や協奏曲の一楽章あたりのトンデモナイ時間の長さです。しかも退屈せずに最後まで聴き通すのは、よほど気に入った場合でない限り至難の業なのではないでしょうか。しかし、だからといって難しい音楽ばかりなのではありません……。 

 中でも、エルガーの「エニグマ変奏曲」はポピュラー音楽を聴くような感じで接しても充分に楽しいですし、まったく違和感はないでしょう。しかも形式が変奏曲ですから、CDで聴く場合、トラックが変奏曲ごとに分かれていて(つまり自分の聴きたい変奏曲をワンタッチで選んで聴ける)とても聴きやすいのです!

 何より素晴らしいのは変奏曲の一曲一曲が気が利いていることと、エルガーらしい端正なリリシズムが全開していることです。管弦楽による変奏曲としてはブラームスの名曲「ハイドンの主題による変奏曲」に匹敵する魅力的な作品と言えるでしょう。
 全体を通して聴くと約30分ほどの音楽なのですが、特筆すべきは、エルガーが変奏曲のテーマとして友人たちの人柄を「気の許せるいいやつ」、「懐かしい友の思い出」……、といった感じで愛情豊かに表現していることです。これはラヴェルが『クープランの墓』で第一次大戦で亡くなった友人たちに哀悼の意を込めて作曲したケースに似ていなくもありません。
 
 その友人たちの描き方もなかなかユニークですね! 全体の基本テーマになっている第1変奏(妻アイリスを描いた)や集大成の第14変奏・終曲をはじめとして、友人たちの実像を想わせる魅力的な主題や旋律が続々と現れます。
 たとえば第6変奏は、のどかで微笑ましいテーマが何ともいえない懐かしい雰囲気を醸し出してくれたりします。
 軽快なリズムとユーモアが冴える第7変奏、慕わしさと大らかさが滲み出ているような第8変奏と、どれもこれも生き生きとした個性が伝わってくるのです!


心の友、イェーガーへの感謝と敬意
第9変奏「ニムロッド」

 短くてチャーミングな変奏曲の中で、第9変奏のニムロッドだけは静寂に満ちた祈りや崇高なテーマによる賛歌が印象的で、「エニグマ変奏曲」の文字通りの精神的な支柱といえるでしょう。ここだけは敬虔なイメージが強く、別の音楽のように聴こえます。
 英国ではニムロッドが国民の心情に寄り添う音楽としてとらえられているようで、重要な式典ではたびたび使用されますね……。たとえば、2012年のロンドンオリンピックの開会式もその好例でしょう。

 このような音楽に発展したのはエルガーの精神的苦痛や窮地を救い、音楽に少なからず影響を与えた親友(イェーガー、編集者、評論家)の存在が大きかったようです。イェーガーは唯一無二の心の友だったのかもしれません。
 フィナーレの第14変奏は、妻アイリスやあらゆる友への尊敬と感謝の想いを綴った集大成の音楽で、ここにエルガーの最良の音楽的特質と魅力が集約されているといってもいいでしょう! 

モントゥーの
押しも押されぬ名盤

 演奏は古くはなりましたが、ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団(Decca タワーレコードオリジナル)が押しも押されぬ最高の名盤です。
 この録音を聴くとモントゥーの守備範囲の広さが改めて実感されます。ベートーヴェンやブラームスのようなドイツ古典派やロマン派、ラヴェルやドビュッシーといったお国もの、かと思えばバッハの管弦楽曲やチャイコフスキーの交響曲などにも素晴らしい名演奏を残した本物の巨匠でした。

 この演奏もまったく力んでいないのに、音楽が大きくて包容力があり、聴くものを幸福感で満たしてくれます! 
 切れの良いテンポとリズム、柔軟で豊かな楽器の響き、ユーモアと生真面目さのバランスが絶妙な味わい、どれをとっても最高です。





2016年11月3日木曜日

ゴッホ「星月夜」











ゴーギャンとの決別と
幻覚に悩まされつつの創作

 これはゴッホが晩年に残した偉大な傑作であるとともに、何かと議論の対象になることが多い作品のひとつです。
 1888年、ゴッホは芸術に対する考え方の違いからアルルでのゴーギャンとの共同生活に終止符を打ち、パリへ戻る決心をします。その後、極度に精神を病むようになり、サン=レミ(フランス)にあるカトリックの精神病院に入院することになったのでした。
 
 「星月夜」はちょうどその頃、ゴッホが病院の窓から見える夜景を描いたものです。力強く独創的な画風は多分に何かを暗示する意味合いや神秘的な要素を含んでおり、そのことは当時のゴッホが置かれていた状況とあいまって様々な憶測を生む要因になっているのかもしれません。この時代に描かれた絵画はアルル時代に描かれたあふれるような光と黄金色に輝くような色彩がすっかり影を潜めてしまったのでした。

 晩年ゴッホは繰り返される幻覚や幻聴との闘いの苦悩に明け暮れつつ、筆を執っていたことは間違いありませんし、そこには生命を削りながら絵に向かっていく姿が彷彿とされるのです……。


イトスギと夜空
ゴッホが描く永遠のテーマ

 ここに描かれた夜空は暗い闇に覆われているとか、静まり返った情景という印象はありません……。ゴッホが星空を眺めるときに「吸い込まれるようで、どこまでも夢見心地だ」と語っていたように、それは普通の人が眺めるような感覚ではなく、幻想的で限りなく心を鼓舞する神秘的なものとして写ったのかもしれませんね……。

 月の光や星の輝きは厚塗りの線とタッチで、あたかもさんさんと太陽の光があたりを照らし出すように画面上に強烈なエネルギーを放射しています。
 しかもグルグルと渦巻き状に拡がる夜空の運行は緊張感と流動感にあふれていて、そこには尽きることのない神秘性とロマンが醸し出されるのです。

 晩年ゴッホが好んで描いたイトスギ(画面の左、前方の尖った樹木)は、花言葉によると「絶望や死」という意味があり、またゴッホ自身もイトスギがキリストの十字架を象徴するものとして意識したり、イトスギを自身になぞらえたりすることもあったようです。 ゴッホは糸杉に様々な想いを投影することで、苦境に喘ぎながらも描き続ける自分自身の心の拠り所として捉えていたのかもしれません。

2016年10月25日火曜日

クロード・ルルーシュ監督 「男と女」デジタルリマスター版・「ランデブー」














映像と音楽は最高
「男と女」

 先日、恵比寿ガーデンシネマに往年の名画『男と女』(クロード・ルルーシュ監督、1966年フランス)、そして幻の短編映画『ランデブー』の二本立て(1本の映画料金なのですが?)を見に行ってきました。

 フランシス・レイ作曲のボサノヴァ調のテーマ音楽“”ダバダバダ♪“”は今や映画音楽のスタンダードナンバーとして知らない人がいないくらい有名ですね。
 映画はデジタルリマスターされていて、ほぼ50年前の映画とは思えないくらいにリフレッシュして美しく鮮明な映像に仕上がっています。
 まず感心するのがオープニングの美しさ……。これはドーヴィルの港を広角レンズで撮影したのでしょうか、ほどよいパースペクティブが心地よい奥行きを生みだしています。
 その後も海辺のシーンがたびたび出てきたり、野原を馬に乗って走るシーンが出てきたり、ヨットで海に出るシーンが出てきたりするのですが、とにかくカメラワークが自然でセンス満点です!
 また映画の中で現実のシーンがカラーで、回想のシーンがモノクロやセピアでというようにモンタージュ効果が多用されていますが、これもなかなか効果をあげています。

 映像も音楽も雰囲気も最高で、加えて二人の主役アヌーク・エーメの凜とした美しさやジャン・ルイ・トランティニャンのダンディな佇まいも悪くないのですが、いかんせん肝心のストーリー展開や内容そのものにはもう一つ感情移入できませんでした……。

 二人とも伴侶を事故で失っていて、寄宿舎に子供を預けているところも同じで、そんな二人が惹かれあっていく…という内容はドラマの設定としては大変面白いのですが、ただ、あまりにも人物の描き方が淡泊というか全体的にあっさりしすぎている気がするのです……。特にお互いの伴侶への慕わしい気持ち、共感や愛する人への特別な想いがあまり伝わってきませんし、描き切れていません。そのため最後の結末もかなり無理があるような気がしてならないのです……。


予想外!『ランデブー』の
迫力と面白さに降参!!

 それでは収穫がなかったのか……?というと、いえいえ決してそうではありません。 実は『男と女』に入る前、申し訳なさ程度に公開された短編映画『ランデブー』(1976年フランス、未公開)の迫力と面白さにすっかり参ってしまったのです!
 時間にしておよそ9分ぐらいでしょうか……、これはストーリーがあってないようなもので、フェラーリにカメラを取り付けて、パリの街を猛スピードで疾走するというだけの映画なのです。実はこの映画も監督はクロード・ルルーシュなのです。二本立てという意味がようやくわかりました。

 この映画、当時「危険すぎる!交通マナー違反だ!悪影響を与える!」云々の非難やら猛反発を受けて上映禁止となった幻の映画なのです。それはそうでしょう! 信号が変わろうが、歩行者が横断しようが、車が接近しようが、構わずアクセル全開で突っ走るというトンデモない映画なのですから……。見ている間中ヒヤヒヤ、どきどき、ワクワク?……がとまらない文字通りスリル満点の映画なのでした。
 この映画にはシミュレーションゲームのような細工がありませんし、撮り直しや編集も一切ありません。つまりF1ドライバーがぶっつけ本番で一般道を疾走するというあまりにも命知らずの無茶苦茶な映画だったのです。

 したがって、その迫力と興奮は並大抵のものではありません! これはもはや生きたドキュメンタリーと言えるでしょう。そのため、いつのまにか自分が車に乗っているような感覚にとらわれています。エンジン音が唸りを立てれば立てるほど、次にどうなるのか予測できない独特の緊張感や達成感が入り混じって、ますます目が離せない状況を創りあげていくのです!










2016年10月20日木曜日

ジョン・エヴァレット・ミレー 『オフィーリア』










見事な演出効果で生まれた
オフィーリアの神秘的な表情

 ジョン・エヴァレット・ミレーはイギリス・ラファエル前派の代表的な画家として知られています。そのミレーの作品の中でとびきりの傑作として名高いのがここに紹介する『オフィーリア』です。
 おそらくミレーの名は知らなくても、この絵を知っている人は多いのではないでしょうか。

 『オフィーリア』はシェークスピアの戯曲『ハムレット』の登場人物のひとりです。ある日、ハムレットに父親を殺されて精神錯乱状態に陥ったオフィーリアはふらふらと小川にやってきます。無邪気にいろいろな花で花冠を作って、シダレヤナギの枝にかけようとして木によじ登った瞬間に枝が折れてしまいます。川に落ちたオフィーリアは哀れにもそれがもとで息をひきとるのでした。
 この絵はまさにオフィーリアが川に落ちて流されてゆく一瞬の光景を描いた作品なのです。

 まず、目を見張るのがシチュエーションの設定の緻密さと構図の斬新さです。特に川辺の自然の描写は見事で、緑の草花が生い茂っている様子はみずみずしくも美しく、目に焼きついて離れません。とにかくあらゆる部分に繊細で気品に満ちた筆のタッチや彩度の高い色彩が生きているのです。徹底的にこだわりぬいて描かれた絵だということが一目瞭然ですね。
 実はこの情景描写はあらかじめイギリス・サリー州イーウェル市のホッグスミル川の風景を元に描かれており、この丹念な描写こそが『オフィーリア』の大きな成功の要因になっているといえるでしょう。しかし、作画中は悪天候や環境の悪条件に悩まされ続け、何度も断念せざるを得ないような状況に陥ったようです。

 それに対して、画面を左右に分割する水平線の構図はたとえようのない落ち着きと静けさを生み出しています。その水平線上にぽっかりと顔を浮かべるオフィーリアの表情があまりにもリアルで強烈にひきつけられてしまいます。彼女は川に沈んでゆく間、何を思っていたのでしょうか……。虚ろな表情にも、安堵の表情にも、一瞬の淡い夢を見ていたのか恍惚とした表情にも見えます。
 かぐわしいほどの美しい情景描写を用いながら、美のはかなさと生きることの不条理、現実世界の非情なまでの美しさを画面上で対比させて見事な効果をあげているのです。
 
 オフィーリアのモデルになっているのはラファエル前派の有名なモデル、19歳のエリザベス・シダル(後にラファエル前派の画家、ロセッテイの妻)でした。ミレーはロンドンの自分のスタジオで、水を満杯に張ったバスタブに横たわらせて描いたそうです。
 彼は水を温めるためにオイルランプをいつも置いていたのですが、ある日、作品に入り込みすぎて火が消えたことに気づかず、シダルは厄介な風邪をひいてしまいました。そのため彼女の父親から多額の治療費を請求され支払った経緯もあるようです。

 こういう綿密な演出や設定の中で様々な過酷な状況で描かれた絵だけに、並々ならぬ緊張感が漲っているし、誰が見ても虜になるような美しく神秘的なオフィーリアの表情が胸を打つのは当然と言えば当然でしょうか……。

 さまざまなエピソードに事欠かない作品ですが、この絵は写実的な美しさはもちろん、アールヌーボー的な洗練された様式美を持った絵でもあることを付け加えておきたいと思います。

 













2016年10月15日土曜日

内田光子のモーツァルト ピアノ協奏曲第17番・第25番(1)








今なお深化する
内田のモーツァルト

  久しぶりに内田光子が弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴きました。

 それは最近リリースされたばかりの新譜、ピアノ協奏曲第17番・第25番(DECCA/UCCD-1434)のことで、彼女がクリーブランド管弦楽団の指揮も兼ねる一連のシリーズ(ライブ録音・音質大変良好)のひとつです。
 実を言うと、このシリーズのピアノ協奏曲を最初から最後まで通して聴くのは初めてで、恥ずかしながら私がいかに内田光子のピアノと距離を置いていたかを如実に示している証拠かもしれません……。


 2曲を聴いた率直な感想ですが、これは凄いです!とにかく徹頭徹尾、内田の音楽に対する真摯な音楽観と深い解釈で貫かれていて、その演奏にはまったく妥協がないのです。
 以前録音され、あらゆる面で究め尽くされた感があるジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団とのピアノ協奏曲集(フィリップス、1985~1988年)の演奏を一段も二段も越えているのです。これは凄いことで、今なお内田のモーツァルトが深化し続けていることに驚かされた次第です。

 内田さんといえばシューベルトにしても、モーツァルトにしても翳りの濃い音色が魅力なのですが、この録音ではそれが一層徹底されているのです。よくモーツァルトの演奏は弾むようなタッチ、微笑みながら自由自在に、遊び心満点に演奏するのが理想……云々、ということをよく聴きます。
 けれども私はモーツァルトの演奏は明るく茶目っ気タップリても、穏やかで内面的であろうが構わないと思っています。基本的にその演奏が心に響く演奏であればスタイルはどうであれ関係ありませんから。



心技体が備わった円熟のピアノ
美しい表情が満載!

 そのような視点からすれば、内田さんのモーツァルトは明らかに後者、「穏やかで内面的」な部類に属するでしょう。ただし、旧盤にあった「気品に溢れ優雅」という形容詞はもうここではあてはまらないかもしれません。

 それでは今回は第25番に絞って感想を述べてみたいと思います。
 25番ニ長調は冒頭のクリーブランド管弦楽団の合奏から何ともいえない音のひろがりとゆとりがあり、聴き応え充分と言っていいでしょう。遅めのテンポも楽器の細かな表情や曲の本質を浮き彫りにするには効果的で、まったく外連味のない音楽が流れていきます!
 ベートーヴェンのような強い意志で弾かれるピアノの密度の濃いテーマや経過句は、こんな捉えかたもできたのか! と驚くことばかりです。しかもモーツアルトの本質はしっかりと捉えているので、違和感がありませんし、聴き疲れがしないのです。
   このCDのライナーノートで「この作品はハ長調で進行するのだが、印象はハ短調のように哀愁の彩りを湛えながら進行していく」というくだりがありますが、内田さんのピアノはそれを自然な形で体現しているのです。
 そしてさらに凄いのが第2楽章アンダンテです。ここは旧盤でも他の追随を許さない素晴らしい演奏でしたが、新盤はさらに内面の深化が著しく、音色に心が滲み出ているとはこういうことを言うのではないでしょうか。
 このアンダンテは平穏な日常が淡々と流れるように音楽が展開するため、下手をすればとても退屈な演奏になりかねません。しかし、内田さんの演奏は違いますね……。一音一音に驚くような深い感性のきらめきと内面の吐露があり、モーツァルトがどのような思いを込めて作曲したのかが伝わってくるのです。

 第3楽章アレグロも相変わらずゆったりとしたテンポを保ちながら、表面上の効果には目もくれず、自分が伝えたい音楽の心を紡ぎ出していきます。 それは中間部での夢の中をさまよい歩くような部分の抑制が効き、愁いに満ちた表情の深さにも表れており、真摯でかつゆとりを持った遊びの境地が最高です。
 モーツァルトが伝えたかったであろう愛おしさや無垢な心の表現をいっぱいに持ちながらも、それをあえて表面には出さないところが内田さんのモーツァルトの真骨頂です。しかしその演奏は紛れもなく透明感と清澄な詩情を湛えつつ心をいっぱいに満たしていくのです。

2016年10月9日日曜日

バッハ ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047
















輝かしい響きと
快活なリズム
  バッハの代表作ブランデンブルク協奏曲(全6曲)の中で最も快活で輝かしい響きが心地よいのが第2番です。
 ブランデンブルク協奏曲は序奏なしですぐに主題が出てくるのが特徴ですが、中でも2番は第1楽章の冒頭からリズムがキビキビしていているのと、主題の展開が素晴らしいため自然に身体が動き出してしまいます。
 ソロ楽器が重要な主題を担い、それぞれに活躍するのがブランデンブルク協奏曲の魅力で、2番でもトランペットとオーボエが魅力いっぱいで、ヴァイオリンとリコーダーも随所にいい味を出しています。
 2番を聴きながら想うのは、バッハの楽器の扱い方の天才的な上手さです。たとえばトランペットのパートをオーボエに置き換えたり、ソロパート部分を合奏にしたら、これほどの魅力が出たかどうか‥‥。
 第1楽章の輝かしくも変化に富んだ曲調、第2楽章のエレジーのような澄んだ哀しみ、第3楽章の楽器の魅力を存分に味わえるフーガ! どれもこれもバッハだからこそ作り得た崇高であるけれども遊び心満載の傑作と言えるでしょう。

リヒターとゲーベル
新旧の名盤
 2番はソロ楽器のどこに力点を置くかによって、演奏も様変わりしますし、曲の印象も大いに変わってきます。その好例がカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ・管弦楽団(グラモフォン)ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティーク・ケルン(アルヒーフ)の新旧の名盤と言っていいでしょう。
 新旧と言っても新しいほうのゲーベルの演奏も1986年の録音ですから、かれこれ30年以上も前になってしまいますね……。
 リヒター盤は快活という表現がぴったりするくらい、ダイナミックに曲に切り込んでいきます! その表現は聴いていて思わず襟が正されるほどで、一気呵成の進行に心が奪われてしまいます。
冒頭のトランペットの一節をこれほど朗々と響かせたのは今もってリヒターしかありません。しかもそれが曲の本質を逸脱せず、ピタリとハマっているのはさすがです!
 第3楽章のトランペットとオーボエの神々しい響きに導かれて、光が差し込むような崇高な音楽として盛り上げていくのもリヒターならではです。
 これに対してゲーベル盤は音楽の推進力を充分に保ちながらも、ソロ楽器の響きの魅力を充分に引き出した演奏です。オリジナル楽器を使用しているだけでなく、各楽器がよくブレンドされて美しい響きを生み出しているのも特徴です。
 オーボエやリコーダーが実はこんなに魅力的なパートを演奏していたのかと再認識するような演奏と言ってもいいでしょう。
 特に第2楽章はソロ楽器の魅力が際立っていて、透明感溢れるスタイルの中に無垢の哀しみが漂うのです。

2016年9月27日火曜日

ラヴェル 「ハイドンの名によるメヌエット」








遊び心が功を奏した
魅力作

 これはわずか2分足らずのメヌエット風のピアノ曲です。
 タイトルからしてハイドンに敬意を表して、古典的な曲調で書かれた曲と思われがちです。
 でも実際はそうではなく、ハイドン没後100年を記念して、パリの音楽雑誌が当時のフランスの大作曲家たちに作曲依頼した企画だったのでした。その内容というのはHAYDNの5文字を音にあてはめて主題を作るという、いわばロジカル的と言うかパズル的な発想の企画だったのです。
 そのような企画ですから、比較的に遊び心のある作曲家は好意的に受け入れたようですが、そうでない作曲家は「もってのほか!」という感じでまったく相手にしなかったらしいですね……。

 ラヴェルは遊び心のある人ですから、当然のようにこの企画に乗って美しい作品を残してくれました! 出来上がった音楽は雰囲気があって機知に富んだラヴェルらしいセンスが光る作品といっていいでしょう! 光と心地よい空気が漂う中を夢と現実の世界を行き交うような……、とてもファンタジックな作品だと思います。
 
 演奏はサンソン・フランソワのピアノ(EMI)が聴く者を夢の世界に誘ってくれます。フランソワの演奏はただただ素晴らしいの一言に尽きます! 音の一つ一つに気持ちが浸透し、のびのびとしたフレージングや即興的な演奏が音楽を大きく息づかせているといえるでしょう。


2016年9月21日水曜日

ルーベンス  虹のある風景










人々の生活を反映した
エネルギッシュな自然の姿

 風景画は描いた人の人柄や人生観が絵に表れやすいとよく言われます。

 ここで紹介する「虹のある風景」は歴史画、人物画の大家としてバロック絵画の頂点を極めたルーベンスが晩年に描いた風景画です。ルーベンスといえば筋骨隆々とした力強く豊満な肉体の人物画を描いてきた人としてあまりにも有名ですね。

 でもそのルーベンスが晩年になると次第に農夫や動物たちをを配置した風景画を描くようになります。これはどういうことなのでしょうか……。
 もちろんルーベンスが外交官という多忙な職を離れたということもあるでしょうし、故郷のアントウェルペン(現在のベルギー)郊外に家を購入したことや気持ちの余裕が出てきたこともあるでしょう。
 少なくとも若い頃のルーベンスは風景画を描くという発想がなかったようです。いや、風景画を描く機会に恵まれなかったといってもいいでしょう。

 これは推測ですが、若い頃からその才能を認められ、宮廷で精力的に絵を描き続け、外交官としても重要な職務をこなし、そのうえ富と名誉にも恵まれたルーベンスが晩年に至って自分自身を見つめる……、そのような心境に至ったとしてもまったく不思議ではありません。

 とはいえ、この絵でもルーベンス独特の力強く人生を肯定するような画風がはっきりと認められます。たとえば、くっきりと空に浮かび上がった虹や、まばゆいほどに大地を照らす光は印象的ですし、大気の状態を表す空や雲の多彩で奥行きのある表現、木々が放つムンムンするような空気感は本当に見事です。
 それは安らぎや心の原風景を届けてくれるような自然の姿ではなく、人々の生活を反映した生命力に溢れたエネルギッシュな姿なのです。

2016年9月17日土曜日

ゴッホとゴーギャン展










切削琢磨しながら
最高の作品を生み出そうとした


 ゴッホとゴーギャン、画風も性格もまったく違う19世紀を代表する画家の二人‥‥‥。

 なぜこの二人がフランス・アルルの地で共同生活をしながら創作に励んだのかは今もって謎です。またいろいろ詮索してもあまり意味のないことなのかもしれません。
  ただ一つ言えるのはお互いに自分にはない世界を共有しつつ、切削琢磨しながら生涯最高の作品を生み出そうとしていたことでしょう。
 そんな二人を同時公開する展覧会が『ゴッホとゴーギャン展』(2016年10月8日~12月18日、東京都美術館)です。
 なにもかもが違う二人ですが、様々な角度から見ることで不思議と浮かび上がってくる何かがあるのかもしれません。
 


展覧会基本情報

会期    2016年10月8日(土)~12月18日(日)
会場    東京都美術館・企画棟 企画展示室
休室日   月曜日、10月11日(火)
      ※ただし、10月10日(月・祝)は開室
開室時間  9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室  金曜日、10月22日(土)、11月2日(水)、3日(木・祝)、
      5日(土)は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
観覧料   前売券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生1,100円
       / 高校生 600円 / 65歳以上800円
      ※前売券等の詳細は特設WEBサイトへ
      当日券 | 一般 1,600円 / 大学生・専門学校生1,300円 
      / 高校生 800円 / 65歳以上1,000円
      団体券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生1,100円
       / 高校生 600円 / 65歳以上800円
      
      ※団体割引の対象は20名以上
      ※中学生以下は無料
      ※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳
      精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と
      その付添いの方(1名まで)は無料
      ※いずれも証明できるものをご持参ください
特設サイト http://www.g-g2016.com     

2016年9月8日木曜日

ヘンデル 組曲HWV426











日々の生活の中で吸収する
自然のエネルギー

 皆様は日々の生活の中で、自然の営みがもたらす恵みやその影響について関心を寄せられたことがありますでしょうか……。普段は気づかないかもしれませんが、それは私たちにとって確実に心の重要な部分を占めていて、知らず知らずに心の養分として吸収されていることは間違いないでしょう。

  たとえば、太陽が大地をくまなく照らすようすに無限の希望を感じたり、温かな陽射しや涼やかな風が心をなごませるように、ごく当たり前のように展開される自然の営みが私たちにとっては心の成長や発展、精神的な回復を促すきっかけになっていたりするのです。このことからも私たちの心を刺激する重要な要素が自然のエネルギーにあるといってもいいでしょう。
 私たちは自然が放つ汚れのない美しさや気高さ、愛らしさ、無限のインスピレーションを日々受けながら、それに感動し、感応しているのです。 


堅実なスタイルを持った
生命力に溢れた音楽

 ヘンデルの組曲HWV426をそうした自然の美しさや気高さに見立てるのは少々無理があるかもしれません。でも、さりげなくて自己主張しない音楽なのに、創造性豊かで包容力があるところは近しい何かを感じるのです。
 その音楽の魅力をひとことで言うと「堅実なスタイルを持った生命力に溢れた音楽」といってもいいでしょう。
 何がそんなに魅力的なのかというと、飾らないスタイルもそうですが、音楽に生成と発展の要素があり、さまざまなパートに永遠の余韻を感じさせる響きがあるところでしょう。なぜなのでしょうか? ヘンデルの音には不思議と輝きと生命力が宿っていますね……。

 プレリュードは単純明快な主題から音が積み重ねられると、音楽はどんどん発展し、雄大な世界が広がっていくのを感じます!
 特に見事なのがアルマンドとクーラントです。主題やメロディに少しも誇張はないのに、音楽が開始されると光を浴びて眠っていたあらゆるものが起き上がるように、音楽は美しく気高く彩られながら様々な表情を映し出していきます!
 HWV426はチェンバロの演奏が高貴で堅実なロココ調を感じさせていいのですが、ピアノの演奏で聴くと神秘的でエレガントな雰囲気が醸し出され、時代を超えた普遍的な音楽としてさらに作品の魅力が高められるような気がします。


ハイドシェックが成し遂げた
ピアノの名演

  この作品はいかにもチェンバロにふさわしい高雅な雰囲気が支配する音色と形式を持っています。そのため演奏も圧倒的にチェンバロ版が多く、ピアノは少数派かもしれません。しかしピアノでその構造や音色を丹念に掘り下げていくと稀に見る名演奏が実現したりします。
 エリック・ハイドシェックの演奏はその代表的な名盤と言ってもいいでしょう! もぎたての果実のようにフレッシュで、しかも語り口が上手く、フランス風の様式を用いたこの曲を実に魅力的に聴かせてくれます。

 バロック音楽だからといって、一般的な演奏様式に倣って弾かないのがハイドシェックの凄いところで、この録音もヘンデルの音楽の隠れた魅力を充分に引き出していますね。一音一音に感動と発見があり、その驚くべき感性の豊かさとしなやかな演奏スタイルには唖然とさせられます。

2016年9月1日木曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36(2)








『悲愴交響曲』と並ぶ
傑作中の傑作

 この曲については以前も書いたことがあります。しかし、第1楽章と第2楽章の素晴らしさについてどうしても書き足らない内容があったので、改めて投稿させていただきました。

 4番はチャイコフスキー後期3大交響曲の中でも6番『悲愴』と並ぶ傑作中の傑作です。おそらくベートーヴェン以降の交響曲をひもといても指折りの傑作だと言っていいのではないでしょうか。

 何といっても素晴らしいのは第1、第2楽章で、この二つの楽章だけでも4番を聴く価値が充分にあるといってもいいでしょう。
 残念なのは圧倒的な二つの楽章に対して、第3、第4楽章の内容が少々物足らないことです。この交響曲が『悲愴交響曲』ほど絶大な支持を得られないのは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれません。それにしても前半と後半の2つの楽章では差がありすぎます。 チャイコフスキーは最初の2つの楽章に心を注ぎすぎて疲れてしまったのでしょうか……!?。

 そうかといって、4番をシューベルトの未完成交響曲のように2楽章で完結させるには到底無理があるでしょう。
 なぜなら、シューベルトの2楽章めはアンダンテで、単一楽章でも充分に曲が成り立っているのに対して、4番の2楽章めはアンダンティーノで明らかに次の楽章への予感を感じさせるからです。
  

4番のすべて
第1楽章、第2楽章

 とはいうものの、この交響曲の第1楽章、第2楽章はそれを補ってあまりある内容といえるでしょう。

 特に素晴らしいのが第1楽章です。 
 出だしの金管楽器のファンファーレが奏されると、そのドラマチックで重厚な響きからただならぬ空気感が伝わってきます! その直後の不安や哀しみ、苦悩が入り混じった第一主題も忘れがたい印象を残します。劇的で、文学的な香りさえ漂わせながら音楽は進行していきます…。

 しかしさらに素晴らしいのは展開部でしょう! たとえば、おどけたメロディによる舞曲は刹那的な喜びや虚しさを強く印象づけますし、運命的な警告を表す金管楽器の強奏や息の長い悲しみのパッセージは心を震わせます。
 とにかく音楽が多彩で緻密、あらゆる手法を駆使しながら、窮屈にならずに真実味にあふれた音楽と緊迫したドラマを展開していくのです。

 第2楽章のオーボエソロと弦楽器による哀愁を帯びたロシア民謡風の主題は、大変もの悲しく心に深く刻み込まれます。それは雪に埋もれた冬の荒野が目の前に広がるようで、何とも言えない情緒が漂います……。
 これに対して展開部では雪解けを待ち望む希望と憧れの感情が次第に高まり、頂点に達します。このコントラストは絶妙で、主題が生きてるからこそ、音楽の深い味わいが生まれたのでしょう。

 先ほど物足らないと書いた第3、第4楽章もひとつの独立した曲として捉えれば、これはこれで充分に魅力的です。
 第3楽章はバレエの間奏曲のようであり、第4楽章はサーカスのテーマ音楽のように華々しく力強く鳴り響きます。全体を通してみればどのように盛り上げていくかは指揮者の適性と力量に任されるといっていいかもしれません。


ムラヴィンスキーの
圧倒的な名演奏

 前回も申し上げたようにこの交響曲はムラヴィンスキー=レニングラードフィル(現サンクトペテルブルクフィル)の独壇場で、中でも作品のすべてともいえる第1楽章が素晴らしい仕上がりです。
 ムラヴィンスキーは最初の金管楽器のファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、それに続く序奏のほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の音が聴く者の胸を痛く締めつけます。

 何という音楽性でしょうか! 20分にも及ぶ楽章ですが、長さをまったく感じさせず、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしになってしまいます。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。
 しかし、この人はあくまでも自然体を貫き、抜群の音学センスに裏打ちされながら深遠で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。