2016年6月8日水曜日

ヘンデル オラトリオ「テオドーラ」






















ストーリー同様に
不遇な運命を辿る

 皆様はヘンデルの晩年のオラトリオ『テオドーラ」をご存知でしょうか?
 『テオドーラ」と言ってもおそらく「馴染みがない」、「聴いたことがない」という方が圧倒的に多いのではないでしょうか。  確かにストーリーはクリスチャンが迫害を受けて殉教の道を辿るという悲劇的な内容ですし、一般的にはハッピーエンドで終わるオラトリオの常識を覆した作品ということもあって、何とも言えない深刻なムードが漂います。それは一般的になるはずがありませんね………。 実際、初演当時はあまりにも重苦しい内容だという噂が広まって、劇場は閑古鳥が鳴いていたといいます。

 それでは、さっそく全体の大まかなあらすじをあげてみましょう。「時は4世紀、ローマ帝国の支配下にあったシリアの首都アンティオキアが舞台です。ローマの総督ヴァレンスは皇帝ディオクレティアヌス(キリスト教徒に大迫害を行ったことで有名な人物)の誕生日を祝うために、すべての市民にローマの神々へ捧げ物をするように命じます。
 
 しかし、敬虔なキリスト教徒のテオドーラだけは最後まで捧げ物や異教への改宗を拒絶するのでした。結局テオドーラは捕らえられ、彼女には「ローマの男たちの相手をしよ」という屈辱的な刑が宣告されるようになります。テオドーラに密かに想いを寄せ、キリスト教に改宗したローマの士官ディデュムスは友人の伝で牢獄に忍び込み、彼女と衣装を取り替えて逃がしてあげます。その後、テオドーラはディデュムスが処刑されると聞いて、彼の元に戻る決心をするのでした。二人は最後まで信仰を貫き死の道を選ぶのでした…」



驚くべき感性の深さ!
ヘンデル晩年の傑作

 このオラトリオが日本で公演されることは、まず皆無に等しいのですが、ヨーロッパやアメリカでの公演は決して珍しくなく、むしろ個性的な演出や劇的な内容で根強い人気があったりするのです。もちろん、演出に個性的な面白さがあったとしても、肝心の音楽や台本、そして原作に魅力がなければ、どうしようもありません。

 その肝心の音楽だけをとれば、これは稀代の名作と言っていいでしょう!!……。またロバート・ボイルが書いた原作もなかなかの傑作です。

 ヘンデルが作ったオラトリオの中では異色の作品なのですが、不思議と暗く重苦しい気持ちにはなりません。これは円熟した作曲技法の冴えもあるのでしょうが、何よりヘンデルらしい求心力のある明解な音楽づくりに加えて、思慮深く崇高な精神が音楽の中で無理なく共存しているからでしょう。

 特に各幕のポイントに置かれた合唱がどれもこれも素晴らしく、いずれも最高の聴き所を演出してくれます。メリハリのある楽曲と各声部が豊かに溶け合うハーモニーはさぞかし劇場や舞台で聴けば感動的なのではないでしょうか!
 たとえば、第二幕最後の合唱”He saw the lovely youth, death's early prey” は失意と絶望の中にあっても希望と安らぎがさざ波のように広がっていく心境を見事に謳っています!

 アリアも揃って情緒があり、特にテオドーラのアリア""Angels, ever bright and fair"は大らかな叙情性と美しい余韻が最高ですし、第二幕後半のテオドーラとディデュムスのデュエット"To thee, thou glorious son of worth"" もこの世のものとは思えないような悲しみをこらえた美しさが胸に染みます。

 とにかく地味な作品なのですが、音楽は一瞬たりとも間延びしたり、冗長になることはありません。しかも、それぞれのシーンに応じて多様な変化を与えたり、崇高なメッセージを加えるなど…本質を鋭く見つめるヘンデルの眼差しは見事です!



決定的な名盤こそないが
意欲的なクリスティ、アーノンクール盤

 演奏は数々ありますが、これは凄い!と言えるような名盤は現時点ではありません。それだけ演奏が困難を極めるということなのでしょう……。

 今のところ最も安心して聴けるのはクリスティ指揮レザール・フロリンサン(エラート)でしょう。合唱の声部のキメの細かさや透明感のあるハーモニーが心地良いし、何よりクリスティの指揮がツボにはまっているため、それぞれのシーンが重々しくならず聴き疲れがしません。
 ソリストではテオドーラのソフィー・ダヌマンが美しく潤いのある声で華があり、全体にわたって癒やしを与えてくれます。


 アーノンクール盤は歌手たちが切々と訴えるように歌っているのが特徴で、特にテオドーラのロバータ・アレクサンダーは高潔な表情や心からの表現が大変心打ちますが、人によっては切々とした感情の吐露がうっとうしく感じてしまうかもしれません。これはアーノンクールの指揮にも言えることで、曲の本質を極限まで表現しようとしているためでやむを得ないことなのでしょう……。

 マクリーシュ指揮ガブリエルコンソート&プレイヤーズ{アルヒーフ)は合唱、指揮、ソリストたちのアリア等すべてにわたって理想的で、実に音楽的に優れています!演奏や歌唱に大きなうねりや個性的なテンポ、リズムがないので、『テオドーラ』をこれから聴きたい方にはうってつけかもしれません。