2015年3月29日日曜日

ラファエロ 「美しき女庭師」








ルーブルの至宝
「美しき女庭師」

 ルーブル美術館の名画と言えばあなたは何を思い浮かべますか?
 大抵の人が真っ先にあげるのが、レオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」ではないでしょうか。また、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」やダヴィッドの「皇帝ナポレオン一世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」のような大作もなかなかインパクトがあるとおっしゃる方も少なくないでしょう。
 しかし、小さな作品でありながらもそれに勝るとも劣らない輝きを発している作品があります。それがラファエロの「美しき女庭師」です。

 もし、この絵がルーブルからなくなってしまったとしたら、おそらく館内の火が消えてしまうほどのたとえようのない寂しさを味わうことになるでしょう……。
 これはモーツァルトの音楽にも同じようなことが言えます。仮にモーツァルトの作品が消滅したとすれば、地上から光が失われたかのような喪失感を味わうようになるかもしれません。
 彼らの芸術は決して芸術家然とした特異性や凄みがあるわけではなく、革命的な手法を編み出したわけでもありません。むしろ空気のように人の心に自然に浸透しながら、得も言われぬ潤いと幸福感を与えてくれるのです。

 また、二人の芸術に共通するのは非常に高い次元で知情意のバランスがとれていることでしょう。研ぎ澄まされた完璧なまでの美しさや調和を保ちつつ、何でもないようなところに洞察の眼が光り、高い叡智を感じさせてくれるのです。晴朗でありながら純粋無垢でユニセックスな魅力を持ち、周囲を明るく照らす芸術……。芸術の理想形がここにあるといっても決して過言ではありません。


右に出る者がない
ラファエロの聖母子画

 長い西洋絵画史を見渡して、聖母子を描いてラファエロの右に出る人はまずいません。聖母子の絵というと、どうしてもキリスト教的で静的・神秘的な印象が拭えないのですが、ラファエロの聖母子の絵はちょっと違います。
 この「美しき女庭師」に描かれている愛情と気品に満ちあふれた描写は画家の繊細で深い洞察力が生きた最高の賜物と言えるのではないでしょうか。

 左側のキリストの愛らしくて輝きに満ちた表情!右側のヨセフも純粋無垢な子どもらしい仕草を見せています……。またそれを見つめる母親の愛情豊かで思慮深い表情…。じっと見ているとその美しさと微笑ましさに何とも愛おしくなってきます。
 しかし、母親の瞼の奥には来るべきキリストの運命を憂いているようにも感じられ、その象徴的な表現力の深さに驚かされます。


 この絵も構図が素晴らしいですね!中央に三角形を配した典型的な安定感のある構図ですが、決して単調になっていません。それはキリストに注がれる聖母マリアとヨセフの視線の動きが絶妙な共鳴感を呼び起こすからですし、それぞれのポーズが力感のあるムーブメントによって実に効果的なアクセントを生み出しているからです。
 
 愛と美と調和を具現化し、しっかりと大地に根ざした人としての強さと包容力も備えた素晴らしい名画としてラファエロの「美しき女庭師」は今後も多くの人を魅了することでしょう。