2010年6月18日金曜日

ラフマニノフ 交響曲第2番ホ短調作品27




 ラフマニノフはメロディーメーカーとしてクラシックの作曲家の中では特別な存在と言えると思います。特に彼の代表作ピアノ協奏曲2番の旋律の美しさは格別で、旋律の美しさゆえにこの曲を愛するという方もきっと多いのではないでしょうか。


 その美しさも、甘く切なく、やるせない想いが描かれることが多いのです。いい意味で聴く人の心をかき乱すのです。ムード音楽のようで格調がないとか、底が浅いとか非難されることがありますが、でもこの甘く切ないムードをとってしまったら、ラフマニノフではなくなるでしょう。

 この独特のムードにロシアの広大な大地を思わせる郷愁が絡んだら…。きっと鬼に金棒でしょう。それを実現した曲が自身の交響曲第2番なのです。特に第3楽章アダージョはムード満点で、ロシアの広大な情景が眼の前に現れたかのような美しさです。この楽章は、漂うようなメロディーが郷愁を伴い、夢のような陶酔の時間を与えてくれるのです。その他の楽章も郷愁を伴う美しいメロディーが満載で、耳と心に最高の満足感をもたらしてくれます。

 この曲は、クルト・ザンデルリンクとフィルハーモニア管弦楽団が最高に美しい演奏を残しています。前述のアダージョも騒がず、華美にならず、情緒満点に息の長いフレーズを描き出しています。他の楽章も特別な演奏効果は狙っていないのですが、じんわりと心に響く深く豊かな響きを奏でています。





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2010年6月16日水曜日

ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調作品67





 ベートーヴェンは生涯に9曲の交響曲を残しました。いずれ劣らぬ名作揃いですが、それぞれの作品には強い個性としっかりしたテーマがあります。最初は少々敷居が高いような気がするのですが、一度聴き始めるとそれぞれの作品が放つ音楽的な魅力にぐいぐい引き込まれ、飽きることがないのです。

 さて、第5交響曲は皆さんよく御存じの「ダダダダーン!」の出だしで始まる名曲です。日本では昔から「運命」という標題で有名でした。
 よくパロディでこの曲の冒頭が面白おかしく使われることが多いのは皆さん知っていますよね!? でも、この作品は決してネガティブなイメージを売りにする曲ではないのです。絶望的な曲でもありません。誤解のないよう申し上げますが、この曲はとても健全な作品なのです。なぜかといえば、人間の心に潜む闇の部分や心を縛りつけている弱い自分をえぐり出し、心を解放しようという悪の力に対する真剣なそして、大々的な挑戦状だからです。

 交響曲第5番「運命」は人間の心の葛藤や挫折と勝利への道程が、古典主義的な形式のなかに凝縮されて表現されています。けれども作品に盛り込まれた内容そのものは、既に古典の枠を大きく抜け出しているのです。

 「さらに美しいためならば破り得ない法則は何一つない」というベートーヴェンの言葉はこれを見事に実証しているといえるでしょう。それは有名な第1楽章冒頭の救いようのない絶望感とそれを克服しようとする主題の激しい精神の相剋にはっきりと表れています。
  この精神の葛藤のテーマは更に第9の第1楽章で驚くべき深化を遂げていきます。しかし、この暗く悲劇的な主題が決して人を失意や絶望感に陥れることはありません。それは希望の光が照らされることを信じて疑わない彼の強固な信念が作品の隅々に投影しているからなのです。
「第5交響曲」は決して深刻ぶったイメージを頭に思い浮かべながら書かれた曲ではなく、ベートーヴェン自らが心底実感し強く溢れ出た想いを書き留めたのがこの作品のエキスとなっているのです。ですから、作品そのものは本当にシンプルでかつ強い説得力を持っているのです。

 演奏はこの曲を得意中の得意にしていたフルトヴェングラーの数種類の演奏の独壇場です。彼はベートーヴェンの1番を除く奇数交響曲を本当に得意にしていました。これらの作品に関してはベートーヴェンの魂が乗り移ったかのような名演奏をしばしば聴かせてくれました。残念なのは、ステレオ時代に突入する前に亡くなってしまったためにモノーラルの古い録音しか残っていないことです。以前、EMIからブライトクランク方式の(擬似ステレオ化した)1954年版のCDが出ていました。このCDは出来栄えが良く、音の広がりを充分に実感でき、響きも自然で、技術者のセンスを感じるものでした。願くばそのCDをもう一度発売してほしいものです。フルトヴェングラーの5番の演奏はどれを選んでも秀逸な出来栄えなので、あとはご自分の耳で判断されるのが良さそうです。
 もう1枚ステレオ盤から推薦すると、真っ先に思い浮かぶのがムラヴィンスキーがレニングラードフィルを振ったものが素晴らしいです。この演奏は楽器の響きに恐ろしいくらい存在感があり、厳しく引き締まった造形がこの作品にぴったりとハマっています。しかし、残念ながら今廃盤とのこと……。
 仕方がないので、他を探すとやはりカルロス・クライバーがウィーンフィルフィルを振ったグラモフォン盤ということになるでしょう。変に飾り気がなく、単刀直入でストレートな演奏が、この曲の本質を見事に描いています。






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2010年6月15日火曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調作品36







  エフゲニー・ムラヴィンスキーは不世出の大指揮者です。驚くことに彼は約50年に渡ってソ連のレニングラードフィル(現在のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の常任指揮者に君臨したということです。それだけでも奇跡のような出来事といえるでしょう。なぜなら、当時のソ連は泣く子も黙る共産主義国として、多くの国々から恐れられていました。政情は大変不安定で、大多数の国民は貧困と粛清の恐怖におののき、明日は自分がどうなるかわからない状況だったのです。

  しかも、 人間不信と憎悪が渦巻く生き地獄のような世界。それは生きているだけでも心が疲弊し、病んでいく世界なのです。そのような殺伐とした状況下でも数十年に渡って音楽監督に就いていたのはおよそ信じ難い話だし、大いに尊敬に値するといっても過言ではないでしょう。
  やはり、ムラヴィンスキーの芸術性、精神性は突出したものだったのでしょう。また楽団員を魅了する人間性やカリスマ性も持ち合わせていたのだと思います。しかし、彼がどんなに才能があり、実力的には申し分なかったとしても、その職務を全うするためには、想像を絶するような苦労が当然あったに違いありません。彼の紡ぎ出す音楽はそのようなギリギリの限界状況と絶えず向き合ってきた真実性や、厳しい芸術性を多分に持ち合わせています。それとは裏腹に素顔の彼は茶目っ気があり、自然を愛しペットを飼うなどとても心優しい一面を持っていたようです。

 ムラヴィンスキーの演奏はベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスらの交響曲の演奏も目を見張るものがありますが、やはりチャイコフスキーやショスタコヴィッチの交響曲は避けて通れません。その代表作のひとつとして挙げられるのが、西ヨーロッパ公演時にグラモフォンに録音されたチャイコフスキーの交響曲第4番でしょう。 
 チャイコフスキーの交響曲第4番は慟哭と失意の絡まる名作です。バレエ音楽等の劇場音楽に才能を発揮した彼のストーリーテラー的な要素が芸術的な高みに達した作品といってもいいのかも知れません。特に第1楽章と第2楽章は古今の作品を見渡しても稀有の名作であることは間違いないでしょう。ただこれを受ける第3、4楽章は前記二つの楽章に比べれば随分とあっさりした印象です。この二つの楽章は指揮者の手腕がかなり要求されます。

 ムラヴィンスキーの指揮はこの作品のすべてともいえる第1楽章が特に素晴らしいのです。ムラヴィンスキーは最初のトランペットのファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、その後に続くほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の調べが聴く者の胸を締めつけます。何と言う音楽性でしょうか!20分あまりのこの楽章はとても短く感じ、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしなのです。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。しかし、この人の場合は、演奏スタイルが至って自然体で、何も特別なことはしていないのですが、抜群の音学センスとあいまって、実に高貴で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がまたたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。



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