手は口ほどに物を言う?
「目は口ほどに物を言う」とは昔からよく使われる諺です。確かに相手の目を見ると、その人が言葉を発しなかったとしても、何を考えていて、どのような精神状態なのか分かるような気がしますね!
それでは手だったらどうでしょうか? おそらくほとんどの人は「手の動きで分かるもんか…」と答えるに違いありません。
しかし、ここにその一般の常識を大きくうち破った偉大な作品があります。デューラーの「祈りの手」です。
さて、この「祈りの手」には様々なエピソードがあるようです。それはデューラーは貧しい家庭に生まれ育ったために絵の具を取りそろえる経済的な余裕がなかったが、高名な画家に弟子入りしたときに同じ境遇の友人と出会ったという話です。
二人は親交を深め、それぞれの創作活動を支援するために働いて生活費を工面していこうということで合意しました。まず友人が炭鉱で働き、その間にデューラーが絵を描き続けるということになったのですが……。首尾良くデューラーの絵は売れ始め、その報告を友人に伝えようとしたら友人の手は炭鉱の厳しい仕事で指が曲がらなくなっていた(つまり絵が描けなくなっていた)という話です。友人の手を見たデューラーは「せめて手を描かせてくれ…」と頼みこみ、それが不朽の傑作になったというお話なのですが……。
確かに感動的な話ですが、私はこういうエピソードは真偽のほどはともかく、あまり気にしません。というよりはエピソードがどんなに感動的だったとしても、出来上がった作品自体がよくなければお話にならないからです。
それならむしろエピソードがなかったほうが良かったということになりかねませんし…。
崇高で敬虔な表情が伝わる絵
もちろん、「祈りの手」は芸術作品としては申し分ない傑作中の傑作です。そして、何と美しく豊かな表情を持った絵なのでしょうか!今まさに手を合わせようとする崇高で敬虔な表情がこの手からは自然と伝わってくるのです……。
この作品で手の動きの方向性や血管の隆起、心の動きを伝えるような線のタッチに至るまで、すべてを有機的な表現として絡ませ、大胆かつ細心の注意を払ったデューラーのアプローチは寸分の揺らぎがありません。手のひらから指先の隅々まで神経を通わせ、感情移入したムーブメントの表現は、もはや人体のパーツではなく、心や性格を有した一つの個性として結実しているのです!
ひたすら一生懸命描いたらこういう絵になったというのではなく、ここにはポイントを的確に捉えた鋭い洞察力やアカデミックな表現ながらデューラーの個性をしっかりと伝える並々ならぬ存在感が絵としての価値をさらに高めていることは言うまでもありません。