2012年6月27日水曜日

ラヴェル クープランの墓













 この曲を初めて聴いたのは学生の頃でした。ラジオから流れてきた管弦楽曲版の演奏だったのですが、ファゴットやオーボエ等の管楽器の奏でる古風な美しさもさることながら、決して声高にならない中庸を得た落ち着いた味わいや抜群のセンスにすっかり参ってしまったのです。
 最初のプレリュードが流れた時から、いつのまにかこの曲の虜になっている自分に気づきました。まるで穏やかな風が樹々の枝葉を揺らし、爽やかな光が古き良き時代の城壁を照らすかのような何とも言えない温もり感やさりげない曲の佇まいが印象に残ったものです。
 その時確信しました!「クープランの墓」はラヴェルの数々の管弦楽曲の中でも心地いい楽器の表情や抜群のニュアンスを持った稀に見る傑作だということを‥…。

 この曲にはピアノの原曲があり、そちらのほうには管弦楽曲にはないトッカータを含む2曲があり、特にトッカータはとんでもない名曲であることは後で知ったのでした…。そもそも、「クープランの墓」というタイトルは18世紀のフランスの大作曲家クープランを偲んで作られた作品ではなく、第一次世界大戦で戦火に散った友人たちの想い出に寄せて作られた組曲なのです。ではなぜ「クープランの墓」というタイトルがついたのかと言えば、この頃のラヴェルは18世紀前後の古典的なフランスの大家たちの音楽様式に回帰しつつ作曲をしたので、そこから18世紀のフランスの大家=クープランという名前が浮上したのです。

「クープランの墓」というタイトルからすればほとんどの人がしんみりしたイメージを想い浮かべるのでしょうが、この曲にはそのような固定観念が通用しません。「クープランの墓」は鎮魂歌というよりは自由な形式でさまざまなヴァリエーションや楽想が凝縮されているのです!とはいうものの「ラ・ヴァルス」や「スペイン狂詩曲」のような強烈な色彩感はありません。もちろんラヴェルならではの透明感や色彩感もしっかり備わっているのですが、それが決して表に出ることはないのです。変幻自在でありながらも静かなリリシズムを湛えたニュアンスや一貫した古典回帰の響きが、この作品にある種の風格をもたらしているのです!

 最初のプレリュードの装飾音は明らかにフランスバロックの時代の音楽技法を踏襲しており、確かにこのタイトルはそれにふさわしいようにも思われます。続くフーガやそれ以降の組曲も内容はラヴェル以外のなにものでもなく、楽器の表情といいバランスといい雰囲気豊かで色彩豊かなそれぞれの楽曲は真にインスピレーションに満ち溢れているのです!

 ところで、管弦楽曲版はピアノ原曲にあるフーガとトッカータの2曲が省かれています。さまざまな諸説がありますが、トッカータに関してはピアノでさえ超絶的な技巧を要するこの曲を再現するには限界があるだろうというラヴェルの見識なのかもしれません。

 このトッカータは故人を偲ぶ曲としてはあまりにも威勢が良すぎるとか、強烈すぎると想われる方もいらっしゃることでしょう! しかし、逆にラヴェルの構成力の凄さや本当の意味での秀でた感性と才能を改めて痛感させるフィナーレにもなったのです。
 とにかく、とめどなく溢れる音のエネルギーと弾けるようなリズムの突進力は圧倒的な高揚感と感動を与えてくれます!弾き進むにつれて16分音符の何気ない連打はみるみるうちにまばゆい光を発しながら大地に強く根ざした強固な音楽へと変貌していくことに気づかされるのです!ラヴェルは最後のトッカータで光が燦燦と輝くような充溢した生命力を謳歌することでこの曲を限りない前進や発展の象徴として閉じたかったのではないのでしょうか…。

 この曲に関してはピアノ版と管弦楽曲版の二つから推薦盤を挙げたいと思います。ピアノではまずモニク・アースが録音したエラート盤がおすすめです。全曲過不足無く、しかも曲の魅力を奇を衒わず、気品漂う演奏に仕上げていることに大変好感が持てます。これから「クープランの墓」を聴いていきたいという方には最適な演奏かも知れません。
 これに対してエリック・ハイドシェック盤は抜群の音楽性とダイナミズムで一気に駆け抜ける演奏です。しかし、よく聴くと一音一音に無限のニュアンスが込められており、その抜群のセンスに驚かされます。この演奏は何と言ってもトッカータの凄さに尽きるでしょう。まるでライブで弾いているかのような熱気溢れる緊張感と即興性は聴く者の心を捉えて離しません!トッカータを聴くだけでも充分に価値ある演奏と言っていいでしょう。

 管弦楽曲版はシャルル・デュトワ=モントリオール交響楽団のデッカ盤が大変に美しく、楽器の柔らかな表情やコクのある響きが心地よい雰囲気を醸し出しています。