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2016年11月13日日曜日

エルガー「エニグマ変奏曲」











友人たちの人柄を
愛情豊かに表現した音楽

 クラシック音楽を聴き始めたばかりの人にとって驚きの一つにあげられるのが、交響曲や協奏曲の一楽章あたりのトンデモナイ時間の長さです。しかも退屈せずに最後まで聴き通すのは、よほど気に入った場合でない限り至難の業なのではないでしょうか。しかし、だからといって難しい音楽ばかりなのではありません……。 

 中でも、エルガーの「エニグマ変奏曲」はポピュラー音楽を聴くような感じで接しても充分に楽しいですし、まったく違和感はないでしょう。しかも形式が変奏曲ですから、CDで聴く場合、トラックが変奏曲ごとに分かれていて(つまり自分の聴きたい変奏曲をワンタッチで選んで聴ける)とても聴きやすいのです!

 何より素晴らしいのは変奏曲の一曲一曲が気が利いていることと、エルガーらしい端正なリリシズムが全開していることです。管弦楽による変奏曲としてはブラームスの名曲「ハイドンの主題による変奏曲」に匹敵する魅力的な作品と言えるでしょう。
 全体を通して聴くと約30分ほどの音楽なのですが、特筆すべきは、エルガーが変奏曲のテーマとして友人たちの人柄を「気の許せるいいやつ」、「懐かしい友の思い出」……、といった感じで愛情豊かに表現していることです。これはラヴェルが『クープランの墓』で第一次大戦で亡くなった友人たちに哀悼の意を込めて作曲したケースに似ていなくもありません。
 
 その友人たちの描き方もなかなかユニークですね! 全体の基本テーマになっている第1変奏(妻アイリスを描いた)や集大成の第14変奏・終曲をはじめとして、友人たちの実像を想わせる魅力的な主題や旋律が続々と現れます。
 たとえば第6変奏は、のどかで微笑ましいテーマが何ともいえない懐かしい雰囲気を醸し出してくれたりします。
 軽快なリズムとユーモアが冴える第7変奏、慕わしさと大らかさが滲み出ているような第8変奏と、どれもこれも生き生きとした個性が伝わってくるのです!


心の友、イェーガーへの感謝と敬意
第9変奏「ニムロッド」

 短くてチャーミングな変奏曲の中で、第9変奏のニムロッドだけは静寂に満ちた祈りや崇高なテーマによる賛歌が印象的で、「エニグマ変奏曲」の文字通りの精神的な支柱といえるでしょう。ここだけは敬虔なイメージが強く、別の音楽のように聴こえます。
 英国ではニムロッドが国民の心情に寄り添う音楽としてとらえられているようで、重要な式典ではたびたび使用されますね……。たとえば、2012年のロンドンオリンピックの開会式もその好例でしょう。

 このような音楽に発展したのはエルガーの精神的苦痛や窮地を救い、音楽に少なからず影響を与えた親友(イェーガー、編集者、評論家)の存在が大きかったようです。イェーガーは唯一無二の心の友だったのかもしれません。
 フィナーレの第14変奏は、妻アイリスやあらゆる友への尊敬と感謝の想いを綴った集大成の音楽で、ここにエルガーの最良の音楽的特質と魅力が集約されているといってもいいでしょう! 

モントゥーの
押しも押されぬ名盤

 演奏は古くはなりましたが、ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団(Decca タワーレコードオリジナル)が押しも押されぬ最高の名盤です。
 この録音を聴くとモントゥーの守備範囲の広さが改めて実感されます。ベートーヴェンやブラームスのようなドイツ古典派やロマン派、ラヴェルやドビュッシーといったお国もの、かと思えばバッハの管弦楽曲やチャイコフスキーの交響曲などにも素晴らしい名演奏を残した本物の巨匠でした。

 この演奏もまったく力んでいないのに、音楽が大きくて包容力があり、聴くものを幸福感で満たしてくれます! 
 切れの良いテンポとリズム、柔軟で豊かな楽器の響き、ユーモアと生真面目さのバランスが絶妙な味わい、どれをとっても最高です。





2015年6月13日土曜日

エルガー ヴァイオリン協奏曲










隠れた名曲
エルガーのヴァイオリン協奏曲

 エルガーは19世紀後半から20世紀前半に活躍したイギリスの作曲家ですが、一般的によく知られているのは「愛の挨拶」や「威風堂々」などの比較的コンパクトにまとまった作品と言えるでしょう。その一方で2曲の交響曲やチェロ協奏曲、オラトリオ「ゲロンティアスの夢」などの熟成された音楽の充実度や魅力は格別で、すでに大作曲家の領域にあったと言っても過言ではありません。

 ヴァイオリン協奏曲はそのようなエルガー特有の雄弁な管弦楽と繊細な表情とが成熟した味わいとひとつとなった魅力あふれる傑作です。
 第1楽章の哀愁に満ちた濃厚なロマンは絶えず自分の内面を見つめる深さがあり、忘れられない印象を届けてくれます。第2楽章は牧歌的な主題を中心に繰り広げられる地味で渋い音楽なのですが、ヴァイオリンが奏でる懐かしい情緒と崇高な祈りが次第に心を満たしていきます。第3楽章の毅然とした管弦楽の響きとヴァイオリンの音色がぶつかりあう表情がアグレッシブな感動を巻き起こしていく様はどうでしょう!

 しかし、名曲チェロ協奏曲に似た曲調を持ち、充実した内容を誇るこの作品がチェロ協奏曲に比べるといまだにマイナーなイメージが拭えないのは何故なのでしょうか? それは3楽章構成の協奏曲としては異例の長さを持つ作品のため(通して演奏すると約45~50分位)、この作品に挑戦するヴァイオリニストが少なかったことが挙げられるでしょう。また、第1楽章に多々見られるように意外に超絶的な技巧を要する箇所が多いため、集中力を切らさず演奏するのが至難の業なのです。
 

ケネディとラトルが
魅せた名演奏!

 この作品は上記のような理由のため意外にレコーディングが少なく、往年のヴァイオリニストでもハイフェッツやメニューイン、イダ・ヘンデル以外にはめぼしい演奏がありませんでした。

 しかし、1997年に録音されたケネディ(ヴァイオリン)、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市立交響楽団(EMI)の演奏はこれまでの不満を一気に吹き飛ばすような名演奏です。特にケネディのヴァイオリンの表情はこの曲にピッタリで、エルガーが表現しようとした感情の高まりや繊細な表情、ロマンチックな情感等があふれるように表現されています。ラトルの指揮もヴァイオリンをしっかりとサポートしつつエルガーの音楽を雄弁に打ち出しています!

 ケネディはこの曲を得意にしているらしく、1985年にもヴァーノン・ハンドリー指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI)と録音しています。こちらのほうもなかなかの名演奏ですが、やはり表現の幅が一枚も二枚も深みを増し、好サポートを得た1997年盤こそ最高の名演奏といえるでしょう!




2015年2月19日木曜日

エルガー  愛の挨拶










絶妙な転調
美しい中間部

 この曲をはじめて知ったのは、確かFM放送でオーケストラ版が流れていたのを聴いたときだったように思います。 そのときは何てロマンチックで懐かしい情感が香る曲なのだろうかと思いました。最初の有名なテーマは、現在CMや映画、テレビ番組のBGM等で頻繁に聴かれるようになりましたね。

 何よりテーマが親しみやすく覚えやすいですし、ヴァイオリンやチェロ、ピアノで演奏するにしても弾きやすいのが最大の魅力ですね!おそらくこれからも多くの人が口ずさみ、愛される名曲として受け継がれていくことでしょう。
 
 愛の挨拶で私が一番惹かれるのは、中間部でやや憂いを帯びた主題が出てくるところです。 回想のシーンが蘇るように少しずつ調を変えながら展開される美しいメロディ……。時間の流れが止まったかのようにも思えるこの絶妙の味わいは『愛の挨拶』がただの小品ではないということを強く感じさせるのです。
 こんなに可憐で美しい音楽を作った人が、あの行進曲『威風堂々』や『チェロ協奏曲』を作った人だとはちょっと信じられないような気もいたします。



グローブスの
しっとりとした演奏

 この曲はさまざまな形で演奏されますが、私が聴いて一番しっくりくるのはチェロやピアノの独奏ではなくオーケストラ版ですね。なぜかと言えば、魅力的な中間部の美しい転調が最も味わい深くて余韻が残るのがオーケストラ版だからなのです。
 チャールズ・グローブスがフィルハーモニア管弦楽団を指揮した演奏はゆったりとしたテンポとしっとりと愛情を込めた表情が美しく、この曲の決定版といってもいいかもしれません。
 しかし残念なことにグローブス盤も現在は廃盤になっているようです。お聴きになるとしたら、とりあえず『ウェディング・クラシックス』とタイトルがついたウェディングに纏わるイメージの作品を集めたオムニバス盤しかないようですね。




2010年7月13日火曜日

エルガー チェロ協奏曲ホ短調 作品85






 イギリスの作曲家エルガーは愛の挨拶や威風堂々の作曲家として、良く知られています。これらの小品で聴ける愛想が良くフレンドリーな味わいは彼独特のものでしょう。しかも英国紳士然とした格調高い味わいは音楽家としての彼の評価を揺るぎないものにしているのです。
 しかし、彼の交響曲や協奏曲、声楽曲あたりになると意外と知られてないんですよね……。これが!?
 上記の小品と比べると、作品としてはかなり素晴らしいのに、どうも地味な雰囲気が強いのと、もうひとつ個性が乏しいために良さが伝わりきらないのかもしれません。何よりも曲の認知度がいまいち……。同年代のラヴェルやシベリウス、グリーグあたりがはるかにポピュラーで一般的な評価が高いのと比べると、かなりマイナーな感じが拭えないのは私だけではないと思います。
 
 しかし、そんなエルガーの大作の中でもチェロ協奏曲はかなり演奏頻度の高い作品です。最初にチェロで奏される、哀愁を帯びたモノローグはその後の作品の性格をイメージづける大変印象的な名旋律です。その後、手紙に落とした一滴のインクがじわじわと滲んで広がっていくように曲も深みを増して発展し、さまざまな味わいを与えてくれるのです。
 この作品はチェロが主旋律の重要な部分を担当しているので、1にも2にもチェロの演奏が良くないと話になりません。しかもチェロ奏者に歌心が無いと、演奏は空虚なものになってしまうでしょう。胸の痛みを抱えながらも、それを音楽として昇華させられるようなとびきりの歌心が要求されるのです。
   演奏はジャクリーヌ・デュプレがジョン・バルビローリ=ロンドン交響楽団と組んだ演奏が歌心、叙情性、劇的迫力等において圧倒的に優れています。エルガーがこの曲において語りたかったメッセージが余すところなく表現されていることには驚かされます。
  特にデュプレのチェロは哀愁の滲む旋律に対してこの上なく感情移入し、まるでむせび泣くかのように内面的なメッセージを目一杯伝えてくれます。しかも録音時、彼女は20代の前半だったということですが、とても信じられないことです。その音はすでに老境の成熟した精神性が漲る音となっているのです。エルガーの死後、30年の時を経て、デュプレのこのような名演奏によってこの作品の真価は定着したといっても過言ではありません。