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2012年5月3日木曜日

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調




ブルックナーの演奏を手中に収めたシューリヒトの名演





最近この曲は演奏会のプログラムに組まれることがとても多いようです。交響曲の定番として一躍人気を博してきた感じですね! 人気の理由として弦楽器はもちろんのこと、金管楽器、木管楽器が大活躍して、さまざまなシーンで印象的な旋律を奏でることが大きいし、それによって曲に豊かな表情を与えられることがあげられるでしょう。特に金管楽器は弦楽器と同等かそれ以上の存在感を示しており、骨太で強靭な曲の構造、宇宙的な意志の表出等の性格付けに大きく貢献しているのです。

もちろん聴き所も多く、聴き手は長い曲にもかかわらず最後まで集中力を切らさず堪能できるのは魅力的なフレーズや響きが有機的につながっているからなのです。
ブルックナーの8番は彼が全曲を完成させた最後の交響曲で、未完成の9番のような孤高の魂や抽象的な深化こそありませんが、曲の内容、充実度、精神性、オリジナリティ、そのどれをとってもブルックナー、いや交響曲史上最高の作品と言ってもいいかもしれません。

なんと言っても驚くのはブルックナーの日常的なモチーフに対する感動の深さと泉のようにあふれる創作力でしょう。ブルックナーは交響曲でかつて私たちがあまり耳にしたことがないような宇宙的で神秘的な旋律を生み出しました。一見武骨で無意味に聴こえる音の羅列も、実はとても意味があり、何度も聴き込むほどに感動と深い余韻を実感させてくれるのです。メロディラインは決して複雑にせず、息の長い音型と繊細な弦の刻み、虚飾を一切排した純粋無垢な響きと構成で素晴らしい浄福の世界を描いて見せたのです!

8番は終始、内省的な彩りに覆われ、心の深いところに焦点を定めています。特に第1楽章は悲惨な情景が現れ、重々しく打ちひしがれた心を携えて苦悩する人間を彷彿とさせます。第2楽章も曲の本質的な部分においては、絶えず魂の安住の地を求め、もがき苦しみながら彷徨する旅人の姿を想わせます。 しかし、いたるところで澄んだ空気や爽やかな風、どこまでも抜けるような青空、広大なアルプスのような自然がバックボーンとなり、心を満たしてくれるのです! したがって重苦しい曲調であっても絶えず清浄な気流が流れ、絶望の淵に追いやられそうな人間を暖かく包み込んでくれるのです! 

第3楽章から第4楽章にかけては曲の核心の部分にあたり、次々と印象的な名旋律が現れます! 第3楽章のアダージョは神秘的な第1主題で始まります。第1主題のテーマは失意と悲しみを慈しむ心洗われる音楽といっていいでしょう。
そこにチェロを主体にした美しい第2主題が現れます。それは歓喜や慰め、悲しみ、祈りが入り混じったような一瞬で心を捉えて離さない名旋律と言っていいかもしれません。きっとこの旋律には私たちの心の奥底に眠っている美しい記憶の断片を引き出す何かがあるのでしょう!
その後金管楽器の壮麗な響きが虹のような輝きを生み出し、最高潮に達したところで神の栄光が地上に出現するのです! 第3楽章の終結部で潤いに満ちた天国的な情緒の中で名残惜しそうに終了するのが何とも印象的ですね。


第4楽章は冒頭の強い意志に導き出された金管楽器のファンファーレがただならぬ心の嵐を呼び起こします。息をつく間もなく次々と意味深いメロディが現れ、回想、瞑想、慟哭、嘆き等のさまざまなエピソードに満ちた深遠な世界を表出していくのです! そして終結部では痛ましい情景の表出、破滅的な合奏と共に小鳥が寂しくさえずります。その後、悲しみを抱えながら足どりを再開しますが、やがて神の栄光を顕すかのように希望の光と無限のエネルギーが降り注がれ、充溢した状況のうちに曲は終了するのです!

この8番は前回、クナパーツブッシュがミュンヘンフィルを振ったスタジオ録音盤をおすすめしました。もちろん画期的な大名演に違いないのですが、多分にワーグナー的な色彩感覚の強い演奏であることは否めません。そこで今回は純正のブルックナー演奏として同時代録音(1963年)のカール・シューリヒト&ウイーンフィル(EMI)の演奏をとりあげたいと思います!

シューリヒトの演奏はテンポが速く、かなり積極的に表情を付けているので、「どこが純正のブルックナーか」とおっしゃる方も当然おられるでしょう。 しかしこの曲に深い共感を寄せるシューリヒトの演奏はやはり格別で、ブルックナーの演奏スタイルを完全に手中に収めていることを痛感します! ウイーンフィルの演奏はやはり素晴らしく、楽器の音色の豊かな色合い、美しさ、存在感すべてにおいて満点です! 特に弦の刻みは決して同じ表情の羅列ではなく、絶妙に変化しながら崇高で豊かな色付けを全体に施していくのです!
金管楽器の雄弁なこともこの上ありません。時には「明るすぎるのでは」とか、「軽すぎるのでは」という異論も出てくるのでしょうが、これこそブルックナー本来の無垢な響きを最大限に生かしたものと言えるでしょう。
シューリヒトの表現は決して音色が暗くなったり、重くなったりすることはなく、終始快い透明感と気品を湛えながらブルックナーの音楽の本質を解き明かしてくれるのです!


2011年11月25日金曜日

ブルックナー 交響曲第9番ニ短調









晩秋を彩る交響曲の最高峰

 最近、気候がちょっと危ういですね。もう11月も下旬になるというのに、あまり秋らしい気配を感じません。20年も前であれば、朝の空気はひんやりして気持ちよく、昼も清々しい青空と穏やかな光に心が知らず知らずのうちに満たされたものです…。それが今ではすっかり季節感がなくなってしまい、気候のあまりの不安定さに気持ちも不安定になったり、健康も害したりと戸惑うばかりです。目に鮮やかで、人の心を和ませてきた紅葉も最近はほとんど見られなくなってしまいました。何だかとても残念で仕方ありません…。

 本来ならば、この時期は秋が深まる1年中で最も美しい季節の一つだと思います。一般的には晩秋とも言われますが、晩秋は芸術においても優れた作品が生み出されてきた季節でした。ところでこの晩秋と言えば、私自身の感性にピッタリくるのがブルックナーの第九交響曲です。

 個人的な話になり恐縮ですが、私がブルックナーの交響曲を最初に聴いたのは何を隠そうこの作品でした。今思うと無茶苦茶な選択だったな…と思いますが、最初に9番を聴いたことは逆にブルックナーの音楽の奥深さや醍醐味を知るという意味でよかったのかなと思います。この第九交響曲はいろんな演奏でLPやCDを聴きましたが、まったく聴き飽きることがありません。それどころか聴くたびに新しい発見と驚きを与えてくれるのです。

 もちろん、ブルックナーがあらゆる面で彼の人生の総決算とも言うべく、魂のすべてを注ぎ込んだ作品ですから、そう簡単に音楽に親しめるわけはありません。しかし地味で超硬派の作品ではありますが、独特のその響きに慣れると音楽の本質が少しずつ解き明かされ、聴こえなかったものが聴こえてくる喜びや楽しみが無性に感じられるようになるのです!



既成概念に縛られない作曲姿勢

 世の中には多くの第九交響曲がありますが、この作品はその中でも次元の違う究極の傑作と言ってもいいかもしれません。まず何よりもブルックナーのまったく既成概念に縛られない作曲姿勢に感心させられるのです。


 印象的なのは全編を貫く弦の刻みです。この弦の刻みはブルックナー特有のもので、デリカシーに溢れ、内省の色あいを強く表出していくのですが、情報量はとても多く、わずかな情景の変化を的確にとらえていくのです!

 第1楽章は冒頭のホルンの奥深い響きにまず魅了されますが、ここで既にただならぬ気配があたりを支配します。森羅万象の深い響き…。それは私たちがいつも親しんでる自然の情景ではなく、私たちの想像を遥かに超えた厳しい自然の姿として現れるのです。険しい山々、仰ぎ見るような高峰、吹きすさぶ心の嵐、天地が鳴動するようなユニゾン等、聴くたびに戦慄を覚える厳しい響きが連続して現れます。

 第2楽章も圧巻です。ストラヴィンスキーやバルトークらも顔負けなくらい独創的で大胆な和声とリズム!わずかな隙さえ許さない密度の濃い構成がとても印象的です!宇宙に漂うさまざまなエネルギーがどんどん集積され、桁外れのスケールを獲得し爆発するようなエネルギーが充溢します。とにかく聴く者の心を完膚なきまでに打ちのめしてしまう音楽と言っていいでしょう。

 第3楽章はさらに深く印象的な音楽が展開されていきます。幽玄な世界が表出され、魂を震撼させるパッセージが続出します。第3楽章の冒頭、夜明けとともにメラメラと燃えるように太陽の光が天地を照らしますが、その直後それを拒絶するように虚無感や哀しみが押し寄せます‼非常に印象的な部分ですが、いっさい暗く重々しい気持ちにならないのは不思議です。それどころか深遠な響きに心がひき付けられてしまいます!
ブルックナーはこの曲を「愛する神に捧げる」とメッセージを寄せているように、一個人の人間感情の哀しみを描いているのではないのですね。したがって悲劇的なテーマや破滅的なテーマが大多数を占めているにもかかわらず、暗い想いやどうしようもない気持ちにさせないのはそのためなのでしょう。



音楽に対して謙虚に純粋に心を開くことが、第9を理解する秘訣

 人智を超えたこの音楽を振るためにはただ単に音楽家、指揮者というだけでは難しいのかもしれません。宗教家であったり、哲学者であったり、詩人であること……。いやそれ以上に既成概念はいっさい持たないで、音楽に対して謙虚に純粋に心を開く以外に方法はないのかもしれません。そうしてこそ初めてこの曲はさまざまなことを語り始めるのだと思います。

 演奏で忘れられないのはカール・シューリヒトがウィーンフィルを指揮したEMI盤です。冒頭のホルンの響きからして意味深く、曲の核心を突いた演奏は素晴らしいです!構えは決して大きくないのですが、自然体でありながら楽器の音色、響きは実に雄弁で、この曲が何を言わんとしているのかを表現し尽くしている感じです。
他にもギュンター・ヴァントとベルリンフィル、オイゲン・ヨッフムとベルリンフィル、朝比奈隆と大阪フィル等、印象的な演奏はたくさんありますが、まずシューリヒトとウィーンフィルの演奏を聴いてから他の演奏を聴くとブルックナーの9番はより身近な存在になるかもしれません。





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2011年6月18日土曜日

ブルックナー 交響曲第5番変ロ長調












風格と推進力に富んだ傑作!

 今、最もライブで聴いてみたい作品!それはブルックナーの交響曲第5番です。この曲はどこまでも渋く、曲中も難解なテーマが多いため一般的には決して馴染みやすい作品ではありません。気軽に口ずさめるようなフレーズもあまり見当たりませんし、転調も激しく、この音楽の真意を理解するのに苦労するくらいです。それでもこの曲に強く惹かれるのは、おそらく理屈では説明し難い何かがあるからなのです。

  この曲の一番の魅力はちょっとやそっとではビクともしそうにない骨太で質実剛健な作風にあります!しかも曲が全体的によく練られており、終始あわてることなく地にしっかりと足がついた風格と推進力が印象的なのです。何度耳にしても飽きることが無く、浮ついたところが一切無い音楽!この音楽を一度好きになると終世その魅力から離れられなくなるファンが多いというのも分かるような気がします。


 ブルックナーを堪能するにはある程度音楽的な資質が必要とも言われています。その資質とは「既成概念を持たない」ことや、「素直な心の状態を保つ」ことが最も大きいかもしれません。つまり、流れる音楽に純粋に心と耳を開放するということがこのような長大な曲を聴く上での最大のポイントになるのではないでしょうか。
 5番で次々と現れる抽象的なテーマは一見とっつきにくそうですが、ただ単に難解なのではありません。いぶし銀的な魅力を持ち、根底には強靭な精神性を内包しているのです。


ライブでこそ、曲の凄さが実感できる

 人は想像を絶する巨大な建造物に接したり、大自然の威容を目の当たりにする時、ただ圧倒され畏敬の念を抱く以外になす術がないということがよくあります。この曲の第4楽章などはまさにそうでしょう! 聳え立つ大聖堂のように力強いコラールが連続して現れ、ライブなどではその凄さを体感できる楽章だと思います。金管楽曲やティンパニが活躍し壮大なフィナーレを迎えるまでの間、胸は高鳴るばかりで精神的な充足度や演奏効果は頂点に達します!

 この作品は巨匠と言われる指揮者たちがこぞって録音しています。古くはクナパーツブッシュとウィーンフィル、マタチッチとチェコフィル、ヨッフムとアムステルダムコンセルトへボウ管弦楽団、チェリビダッケとミュンヘンフィル、朝比奈隆と大阪フィルらが名演奏を繰り広げてきました。
 その中で録音も含めて最も素晴らしいのはギュンター・ヴァントがベルリンフィルと組んだ演奏になるかと思います。ヴァントの演奏は自信に溢れ、どこをとっても不足のない充実した響きを引き出しています。しかも力づくで付けられた表情ではなく、楽器の有機的で意味深い響きが連続するのです。それはこの曲の内面性を生かしたもので、随所に瞑想や祈りの感情が漂いこの曲に膨らみを持たせているのです。





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2010年12月5日日曜日

ブルックナー 交響曲第8番ハ短調



ブルックナーを語る上で忘れてならない演奏
クナパーツブッシュの8番

  いよいよ本格的な冬が近づいて参りました。以前は、街のあちこちからクリスマスソングが聞こえてきたものですが、今年は不景気もあるのでしょうか、随分と静かです。私はこの季節が大好きです。なぜかというと1年で最も心が浄化され、新しい年を迎えるための心のけじめをつける時のような気がするからです。

  ずいぶん昔、凍てつくような寒い山道を歩いている時に自然の厳しさと気の遠くなるような偉容をひしひしと感じたものでした。その時、心の中を何度も去来したのがハンス・クナッパーツブッシュがミュンヘンフィルを指揮したブルックナーの交響曲第8番でした。
 クナッパーツブッシュの指揮姿を見ると頑固一徹で気風のいい下町の職人さんと重なって見えて仕方ありません。怒りっぽいけれども、人が良く気は優しい……。しかし反面、モノを見る目は確かで妥協を許さない腕が確かな職人さんというイメージが強く伝わってきます。その徹底的なクナッパーツブッシュのこだわりから生まれたのがこの途轍もない演奏だったのでしょう。
 この演奏はかねてから交響曲第8番を語る上では絶対に外すことのできない演奏として演奏家や音楽評論家の間では定説となっておりました。
  その演奏の価値は45年以上過ぎた今でも少しも色褪せておりません。クナッパーツブッシュはワーグナーを最高最大の作曲家として崇めておりましたが、この演奏はワーグナー指揮者としての見識と経験があらゆる意味でプラスに作用したのではないかと思います。


  何より驚かされるのはそのスローテンポです。このままだと曲が途中で止まってしまうのでは……。と余計な心配をしてしまうほどの極端な遅さです。しかし、クナッパーツブッシュの情熱と気迫はそんな些細な心配をあっさりとクリアーしてしまいます。とにかく全篇を通してこれほど楽器が雄弁な表情を発し、意味深さを獲得したことはなかったのではないでしょうか。その音色は人が発する失意や嘆きの声であったり、悲しみ、畏敬の念であるかのようです。
  冬の荒野をさまよい歩くような独特の響きと深い呼吸は知らず知らずのうちにクナッパーツブッシュが紡ぎだす崇高で劇的な世界に誘ってくれます。かなり個性的でデフォルメも相当なように思われます。しかし、この演奏が決して一人よがりにならないのは曲の本質を理解した真実な表現やスケルツォ中間部、第4楽章の展開部で見られる限りない優しさが聴く者の心をとらえて離さないからでしょう。クナッパーツブッシュは派手なパフォーマンスをしているのではありません。ただ、自分の心にひたすら忠実に再現した結果がこれ程までの演奏になっているのです。その証拠に曲に心酔しているにもかかわらず、あくまでも平静を装い客観的な演奏を貫いていることがますます圧倒的な迫力とスケールを獲得することにつながっているのです。





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2010年10月8日金曜日

ブルックナー 交響曲第6番イ長調





   私は10数年前までブルックナーの交響曲が大好きで、ことあるごとに様々な演奏に触れてまいりました。特にヨッフムがベルリンフィルを指揮した第9は心底共感し、あの長い曲を何度も聴き返したことをよく覚えています。ブルックナーの交響曲から放たれる音の響きは独特でこれまでの西洋音楽の通念とはちょっと違うものでした。特に自然の情景が次々に移り変わるように場面が転換される構成は私にとってかなり新鮮だったのです。
  
 しかし、ブルックナーの交響曲が日本の演奏会でよく取り上げられるようになった90年頃からは逆にかなり距離を置くようになったのです。なぜそうなってしまったのかは自分でもよく分からないのですが、きっとあの長い導入部と展開部に浸る心のゆとりがなくなったのが原因ではないかと思うのです。

 我ながら、いつのまにか考える時間や瞑想に耽る時間が少なくなってしまった……。とつくづく感じるのです。毎日時間に追われ、世のデジタル環境の整備が伴う中で、アナログ的な目に見えない大切なものを次々に失ってしまったのではないかと思うのです……。もう一度自分をリセットしたいと思うことしきりですが、世の中そう甘くありません。日常の生活では決められたタイムテーブルに沿って行動していかないとたちまちはみ出し者になってしまいます。しかも時間は無常にも過ぎていきます。そのような意味でも毎日どれだけ濃密な時間を過ごせているのかは甚だ疑問です。

 そうなのです!ブルックナーの交響曲は時間や世の動向という制約からはまったくといっていいほど解放されているのです。ゴールへの強烈なプレッシャーが無いのです。ブルックナーの音楽の本質は今ある美しいメロディーをいかに感じ、心に溶け込ませるかなのです。忙しさのあまり、純粋な心、オープンな心が閉ざされるとブルックナーのあの悠々とした大河の流れのような響きはとても辛くなるのです……。

 極端な話、ベートーヴェンやマーラーの交響曲と比べると、ブルックナーの音の響きのありようはまったく違います。ベートーヴェンの交響曲が強い主張と存在感の固まりで、絶えず「こうだ!」と明晰な断定の基に曲が作られているのに比べ、心象風景のように悲しみ、嘆き、喜び、友愛、感謝といった諸々の感情が祈りの中に集約されたブルックナーの音楽は明らかにカトリック的な人生観や宇宙観が核心を占める特異な存在ではないかと思うのです。


 前置きが長くなってしまいましたが、ブルックナーの交響曲第6番は例にもれず美しい作品です。特に第2楽章の神聖な光に終始照らされたような趣きのあるこの楽章は疲れた心に水が染み込むかのように慰めと潤いを与えてくれます。寂しげな表情で慈しむようにじわじわと心に接近してくる第1楽章も忘れられません。決して演奏される機会は多いとはいえない作品ですが、穏やかな光と風が全編に流れ、詩情あふれる作品として忘れることのできない作品です。
 この作品はヨッフムがバイエルン放送交響楽団と組んだ古いほうの録音が、シュターツカペレ・ドレスデンと組んだ演奏よりも詩情に溢れ、無垢な表情をうまく表現していると思います。特に第2楽章の見事さは何回聴いても飽きることがありません。ブルックナーの音楽の美しさを最大限に浮き彫りにした演奏とはこのような演奏を指して言うのかもしれません。



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