2015年11月23日月曜日

パブロ・ピカソ 「ゲルニカ」















20世紀最大の傑作で 
20世紀最大の問題作!? 

 この絵を見るたびに、絵の底知れぬ迫力や衝撃的なメッセージを充分に認めながらも、素直に賞賛できないもどかしさを感じるのは私だけでしょうか…?

 それはこの絵が政治と深い関わりを持っているということもあるでしょうし、「悲惨な歴史の事実をこのように大胆にデフォルメしていいのか……」、という私自身の良心的な葛藤が心に去来するせいなのかもしれません。  

 しかし、20世紀の巨匠ピカソが描いた作品で最も印象に残るものと言えば、ほとんどの人がこれをあげるのではないでしょうか。つまり、知名度やエピソードにおいても、ピカソの数多い絵の中で群を抜いた作品ということになるのです。

 しばしば20世紀最大の傑作といわれ、あるときは20世紀最大の問題作ともいわれる本作は制作の成り立ちからして複雑な背景を抱えており、「いいものはいい」と断言できない難しさがあるといってもいいでしょう。

 まず『ゲルニカ」について語るには、どうしても1936年から1937年に起きたスペイン内戦にまつわるエピソードを外すわけにはいきません。



スペイン国内の大混乱と
大戦が絡まった悲劇

 1930年代のスペインは第二共和制がひかれていました。しかし、1936年にソ連主導の共産主義を推進するスペイン人民戦線が政権を握ると資産家の土地の没収や政教分離が断行され、やがて国政は機能しなくなり、国民の生活はすさんだ状態に陥ったのでした。

 次第に国内ではマヌエル・アサーニャ首相率いる政権への不満が高まり、1936年7月、軍人のフランシスコ・フランコがクーデータを起こすと、これに保守勢力やカトリック教会、資本家たちが結集して、事実上スペインは内戦状態となったのでした。

 故国を離れてフランスに在住していたピカソは共和国政府の支持者でした。1937年4月26日にビスカヤ県のゲルニカがドイツ軍によって爆撃されると、これに対して大きな憤りを覚えたピカソは、パリ万博で展示する壁画を「ゲルニカ」と題して世界中に訴えることを決めたのでした。

 反乱軍がスペインを制圧し、フランコが総統として政権を握ると、『ゲルニカ』はピカソの要望もあって、公開中だったニューヨーク近代美術館に留まることになります。ピカソは生前この絵を故国で見ることができずに世を去り、その後フランコが亡くなるまで約40年に渡り保管されることとなったのでした。まさに数奇な運命に翻弄された絵といってもいいのかもしれません。



構図の素晴らしさと
ずば抜けた造形感覚

 この絵を描くとき、ピカソの筆は迷いがなかったと言います。出品するテーマを変えて描かれた絵ですから、そこには相当な思い入れがあったのでしょうし、胸のうちの様々な想いがダイレクトに形として表されたのでしょう!悲惨な光景をピカソは彼一流の独創的な手法で描き上げたのでした!

 この絵の特徴は何と言っても構図の素晴らしさとずば抜けた造形感覚でしょう!一見、子どもが描いた落書きを幾何学形態として羅列したように見られなくもありませんが、よく見ると随所にピカソの凄さが見え隠れします。たとえばありとあらゆる手法を採り入れようとした一切の既成概念にとらわれない制作姿勢です。

 苦しむ人や叫ぶ人、驚いた表情をした人や家畜などが不思議な形や面の組み合わせの連続で構成されており、絵の中に隠された様々な謎や異様な雰囲気は世の不条理を知らず知らずに私たちに突きつけるようになります。これはピカソ自身が身体感覚として持っているイメージが直感的な閃きとして、様々な線や形を生み出し、特殊な効果を生んだと言ってもいいでしょう。つまり、『ゲルニカ』は写実的に丹念に描かれた絵以上に強いメッセージ性を伴って、五感に訴えかけてくるのです!

  また、 全体を構成する黒を基調にしたトーンとコラージュのような独特の風合いが鬼気迫る現実を決して品位を下げないで見せてくれるところはさすがです。グレートーンが絵のテーマとなった死と絶望のイメージをことさら強く印象づけるようになったのは間違いないでしょう。

    今や反戦のシンボルとして活用されるようになり、絵の内容よりも絵の成立背景やエピソードが一人歩きしてしまっているという現実……。『ゲルニカ』が本当の意味で正当な評価を受けるのはいつのことになるのでしょう…。