2012年10月26日金曜日

モーツァルト ピアノソナタ第8番イ短調K.310









 モーツァルトはピアノをとても愛していました(ピアノというよりもフォルテピアノというほうが正しいのかも…)。 そして彼とピアノの関係は切っても切り離せない重要な作曲の源泉だったということはほとんどの方がご存知ではないかと思います。中でもピアノソナタk310は短調の曲ではありますが、昔から日本ではとても人気がありました。

 この作品はモーツァルトのピアノソナタの中でも特別な位置にある作品といっていいでしょう。それは人を喜ばせたり楽しませるよりは自分の心に忠実に、そして心の張り裂けるような想いを素直に音楽に託したといっていいかもしれません。

 有名な交響曲第40番や交響曲第25番のイメージをそのままピアノソナタに置き換えたような雰囲気があります。しかし、ピアノソナタという性格上、管弦楽曲や交響曲よりもっと自由な表現が可能で、デリカシーに満ちた表情が出やすいジャンルであることも間違いありません。それがはっきりと確認できるのが第3楽章プレストでしょう。

 とにかくこの第3楽章はいつ聴いても凄いですね! モーツァルトの数多くのソナタの中にあってもとりわけ豊かさにあふれ至高の輝きを放つ傑作と言えるでしょう。一音符ごとに様々な想いや感情が込められており、繊細で透明感に満ちた旋律が心を揺さぶります。
 涙に濡れながら駆け抜けていくテーマではありますが、メロディはたおやかな表情を保ちながら忘れ難いニュアンスを残していきます。そして中間部での天国的な優しさ……。それは永遠の母性とも言えるような安らぎが顔を覗かせる瞬間でもあるのです! 

 第2楽章アンダンテ・カンタービレも凄い音楽です。そして恐ろしい音楽でもあります。多くのピアニストの方々にとってもその感情表現はかなり苦心されることでしょう。とにかく音楽が純粋無垢であるがために却って感情表現が難しいのです。
 出だしは穏やかで平静を装っているように見えるのですが、既にとめどもなくあふれる涙をどうすることもできないモーツァルトの姿が瞼に浮かんでくるのです。吐息や諦観が絡み合いながらしみじみとした味わいを醸し出していくあたりは筆舌に尽くせません!中間部の激しい慟哭の中で、心がどうにかなってしまうのでは……という寸前でまた現実に引き戻されます。

 もちろん第1楽章も有名な悲劇的なテーマをはじめとして充実し変化に富んだエピソードが無垢な魂の中で次々に展開されます。この作品からもわかりますが、モーツァルトの偉大なところはドラマティックな曲といえども決して感情に溺れることなく、高い次元で結晶化された響きや澄み切った表情を生み出しているところでしょう。

 K310は演奏が難しく、CDの名演奏は現在のところかなり限られているように思います。その中ではディヌ・リパッティの最後の録音リリー・クラウスのCBS盤が双璧でしょう。
 リパッティの演奏は1950年ブザンソン音楽祭でのライブ録音で彼の最後の録音です。もちろんモノーラルで決して良好な録音状態ではありませんが、本質をしっかり捉えた演奏は今でも深い感動を与えてくれます。何よりも飾らず外連味のない清廉な語り口がモーツァルトにはぴったりです。

 クラウスの演奏はリパッティに比べると演奏の振り幅が大きく、この曲にモーツァルトが託した思いがどのようなものであったかが伝わってくるような演奏です。特に第2楽章、第3楽章の深い感情移入と引き締まった表現は他のピアニストからはなかなか聴けません。クラウスは1956年のEMI盤(モノーラル)もありますが、そちらも即興的で深い表情が印象的な素晴らしい名演奏です。