2016年2月13日土曜日

メト・ライブビューイング  プッチーニ「トゥーランドット」




プッチーニの晩年の名作




 オペラの殿堂ニューヨーク・メトロポリタンオペラと映画配給会社の松竹が組んだメト・ライブビューイングはどれも見逃せないプログラムばかり!

 2月27日からの1週間はプッチーニの晩年の名作「トゥーランドット」が登場します。この上演で見逃せないのが演出を担当したフランコ・ゼフィレッリ。ゼフィレッリといえば映画「ロミオとジュリエット」「ブラザー三シスタームーン」をはじめとする繊細な人間感情や情景描写に秀でた監督さんですが、この「トゥーランドット」ではどのような効果を生み出すのか非常に楽しみです。
 時代考証に基づくオーソドックスな舞台を常とする人ですから、当然この舞台も絢爛豪華で夢のようなひとときを約束してくれることでしょう…。 






上映期間:2016年2月27日(土)~3月4日(金)

指揮:パオロ・カリニャーニ 
演出:フランコ・ゼフィレッリ
出演:ニーナ・ステンメ、アニータ・ハーティッグ、
   マルコ・ベルティ、アレクサンダー・ツィムバリュク
上映時間(予定):3時間20分(休憩2回)
[ MET上演日 2016年1月30日 ]
言語:イタリア語




 流浪の王子の熱い愛が「氷の姫君」の心を溶かす!壮大なスケール感と涙を誘う名旋律が同居するプッチーニの遺作。巨匠ゼフィレッリが演出したMET屈指のスペクタクルな舞台を、映画館の大スクリーンで堪能!王子カラフの大人気アリア〈誰も寝てはならぬ〉に酔い、女奴隷リューの辞世のアリア〈氷のような姫君の心も〉に涙する快楽はオペラならでは。当代一のトゥーランドット歌いニーナ・ステンメら粒ぞろいのキャストも見(聴き)逃せない。
伝説の時代の古代中国、北京。皇帝の姫君トゥーランドットは絶世の美女として知られているが、求婚者に謎をかけ、解けないと殺してしまう残酷な姫君でもあった。国が滅んで流浪していたダッタン国の王子カラフは、辿り着いた北京の町で、生き別れになっていた父ティムールと再会する。喜びもつかの間、トゥーランドットを一目見て恋に落ちたカラフは、ティムールとお付きの女奴隷リューの制止もきかずに謎に挑戦するが…。(公式サイトより)




2016年2月7日日曜日

モーツァルト ピアノソナタ第11番イ長調K.331








「トルコ行進曲」の
驚くべき魅力と魔法

 モーツァルトのピアノソナタと言えば、ほとんどのかたが終曲に「トルコ行進曲」を持つK331をあげるのではないでしょうか。確かに「トルコ行進曲」はモーツァルトのピアノの代名詞のような作品で、今なお多くの人々を魅了し続けていることは間違いありません。

 トルコ行進曲を聴けば聴くほど、その凄さに圧倒されます。改めてモーツァルトでしか作れない唯一無二の音楽と言えるでしょう! 

 まず、トルコ風のテーマが何とも不思議で可愛いらしいこと……。一小節ごとに表情が変貌し、生き物のように自在に五線譜を駆け巡る音楽のエネルギーは「魔法のよう」としか言いようがありません。
 変幻自在のリズムと真剣かつ果敢な遊び心が溶け合って、音楽は燃え盛る太陽のようにエネルギーを全開させながら終結していくのです!

 しかもその中にあふれる茶目っ気と無垢な魂の魅力といったらどうでしょう……。まさにモーツァルトならではの魅力満載で、一度聴いたら虜になってしまうのも無理はありません。


変奏曲の先駆をなす
豊かな感情表現

 「トルコ行進曲」の天才的な楽曲もさることながら、もう一つ目を惹くのが第一楽章の変奏曲の見事さです。おそらく変奏曲をこれほど大々的にピアノソナタに取り入れたのはモーツァルトが最初なのではないでしょうか。

 安らぎと愛に満ちた主題が開始されると、その後は調やリズム等を変形させながら6つの変奏曲が流れていきます。それぞれに豊かな感情が込められており、生き生きとした表情が浮かび上がってくるのです。

 変奏曲を得意とするシューベルトは即興曲作品142の第3楽章アンダンテで大変に素晴らしい変奏曲を残してくれましたが、モーツァルトの第一楽章はその原形となるものだったのでしょう。



クラウスの自信に
満ちた演奏

 演奏の筆頭に挙げたいのが、リリー・クラウスのステレオ録音盤(CBS)です。何よりも気品にあふれています。そして揺るぎない自信に満ちていて、モーツァルトの無垢な魂を誠実に反映させた演奏といっていいでしょう。

 つまり演奏にまったく迷いがないのです。頭で考えられて、どうにか意味づけをしたという演奏ではなく、あくまでも身体に染みこんでいる様々な想いを体現した演奏なのです!
 特にトルコ行進曲は自在にテンポを変えているのですが、少しも不自然なところがありません。モーツァルトの音楽の魅力を知り尽くしたクラウスだから出来る演奏なのかもしれません。

 またとかく無味乾燥になりやすい第一楽章の変奏曲を造型を崩さず、これほどまでに豊かな感情を込めて弾いたピアニストは他にいないのではないでしょうか……。