2011年10月1日土曜日

モーツァルト 交響曲第25番ト短調K.183







目が眩むような激しいシンコペーションのリズムで始まるモーツァルトの25番小ト短調。この交響曲を1度聴いたら誰もが強い衝撃と共感を受けることでしょう!ご存知のとおり、第1楽章は映画「アマデウス」に使用されてから一躍有名になりました。CMに使われたこともあり、どなたも一度は耳にされたことがあるのではないでしょうか。

この作品はモーツァルトがわずか17歳の時に書いた不朽の傑作です。こんなに凄い曲を10代の若さで書いた事も驚きですが、それ以上に凄いのは停滞する事なく一筆書きのように音楽を紡ぎ出す芸術的な感性の高さです。25番は徹頭徹尾、不要な音がなくキリッと引き締まった稀有な音楽なのです! 

たとえば、第1楽章冒頭の戦慄が走るテーマに驚く間も無く、次々に現れる不協和音と協和音のゆらめきが強く心を揺さぶります。第4楽章のフィナーレも第1楽章を上回るような心の嵐が吹き荒れます!第2、第3楽章の哀しみを宿命として受入れようとする健気な心も印象に残ります!

けれどもこんなに哀しく痛ましい音楽を書いてもやはりモーツァルトはモーツァルトなのです。忘れてはならないのがモーツァルトの純粋な魂の叫びでしょう!
彼の音楽はどんなに心に嵐が吹き荒れていようと、人の心に距離をつくりません。人を無下に突き放すことはないのです。彼の音楽は基本的には誰をも拒まず、人を信じ愛する気高い魂がいつも根底に流れているのです!これこそがモーツァルトの音楽が200年以上の時を超えて愛される所以なのでしょう。

演奏はブルーノ・ワルターの演奏が素晴らしいの一言に尽きます!この曲はブルーノ・ワルターにとって特別な曲だったようで、残された演奏は他の指揮者の演奏を大きく引き離しています。3種類のCD、コロンビア交響楽団(1954年)ニューヨークフィル(1956年)ウィーンフィル(1956年)はいずれも心技体すべて揃った素晴らしい演奏です。どれを選んでも間違いないでしょう!
コロンビア交響楽団盤はスタジオ録音なので最も聴きやすく、楷書風できっちりとしており、曲の全体像をつかむには一番適した演奏です。ウィーンフィルとニューヨークフィルの演奏はライブだけにさらに凄い集中力と魂のこもった演奏が聴かれます、テンポの動きも激しく疾風怒濤のようなすさまじい演奏が展開されます。ただ唯一残念なのがいずれもモノーラル録音しかないことです。




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2011年9月27日火曜日

バッハ ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052




傍若無人な演奏を思いのままに実現





 バッハのピアノ協奏曲は普段はよほどのことがなければ聴かない曲です。なぜかと言えばチェロ組曲や無伴奏ヴァイオリンソナタのような突き抜けた面白さは無く、演奏ももう一つピンとくるものがなかったからです。そもそもピアノ協奏曲はチェンバロ協奏曲をそのまま楽器を変えてアレンジした作品なので、弾くほうにもそれなりのセンスが要求されるのです。
 しかし偶然20年ほど前に出会った演奏にはすっかり心を奪われてしまいました。それがシプリアン・カツァリスのピアノとヤーノシュ・ローラ指揮リスト室内管弦楽団によるものでした。

 何が凄いかというとそれは1にも2にもカツァリスの超絶的ピアノに尽きることになるでしょう。
 この作品でカツァリスはバッハの作品を少しも臆することなく、自分の信じた表現で傍若無人な演奏を思いのままに実現しているのです。

 彼の演奏の凄いところはすっきりとした古楽奏法や軽妙なタッチにはまったく目もくれず、ストレートに力強い音色を奏で、音と音とのがっちりとした有機的なつながりを実現しているところなのです!そのことが、音楽に決定的な存在感を与えているのです。
 特に凄いのが最初の2曲BWV1052、1056です。それにしても何という胸のすくピアニズム!繊細な和音の表情などよせつけない快刀乱麻の進行にただただ呆然と聴き入るのみです。しかも、瞬間瞬間に命をかけた潔い表現はとても格調高く、風格さえ漂わせるのです。

 多くのピアニストが細部の優美さにこだわるあまり、退屈に聴こえてしまうバッハのピアノ協奏曲をここまで透徹したピアニズムで一貫したカツァリスの表現力には驚かされます。それと同時に、バッハのピアノ協奏曲の作品としての魅力(特にBWV1052)を改めて証明してくれたカツァリスの功績は大きいと言えるでしょう。






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