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2018年3月19日月曜日

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」(2)











チャイコフスキー最後の
作品にして最高傑作

この作品については前も書いたことがあります。ただ、その時と現在では多少作品に対する印象が変わってきましたし、このところ音楽に深く共感するところがありましたので、改めて書かせていただきたいと思います。

チャイコフスキー最後の作品にして、押しも押されぬ最高傑作……。
しかもロマノフ王朝、帝政ロシアの終焉の時を色濃く感じさせる何ともいえない悲壮感や諦観が聴く者の胸を強く締めつけます。

特に両端楽章(第1、第4楽章)は絶品ですね。チャイコフスキーがこの曲に託した想いがどれほどのものだったのかが伝わってきます。

第1楽章の開始からコントラバスとファゴットが奏でる重苦しく救いようのない旋律に先行き不安になってしまいます。このまま音楽が進行していったら一体どうなるのだろうかと……。
しかし、淋しさをいっぱいに湛えた第一主題が現れると、曲の特徴や性格がしっかりと打ち出され、その後は意味深く格調高い音楽が次々と展開されていきます。

しばらくすると、故郷の美しい情景や春の息吹を予感させる儚くも美しい第二主題が現れます。
その主題が高揚し、収束すると、全体のクライマックスとも言える恐ろしい展開部がやってきます。荒れ狂う魂の彷徨や、もがき苦しみながら何かにしがみつこうとする音楽はまさに壮絶そのものとしか言いようがありません。


一度聴いたら忘れられない
第四楽章の衝撃

第2楽章は民謡風の懐かしい情緒とチャイコフスキー独特の美しい旋律が噛み合った稀有の音楽です。終始憂いの心が漂い、最後は名残惜しさを湛えつつ静かに音楽が止んでいきます。
第3楽章ではバレエ音楽で培った絶妙なリズムや色彩豊かな楽器の音色が生きています。行進曲風の威勢のいいテーマが進行して、圧倒的なクライマックスを築き上げるのですが、決して魂の歓喜に至らないのは身に迫る現実との距離感からなのでしょうか……。

第4楽章はむせび泣くような悲しみに彩られた第一主題で始まります。これは誰もが一度聴いたら忘れられない強烈な印象を受ける音楽ではないでしょうか。それまでこんな独創的な開始のフィナーレはなかったでしょうし、当時としては大いに物議を醸しだしたのかもしれません。
そして中間部で慰めに満ちた神秘的なテーマが現れると、瞑想と回想が交錯する中で、いよいよ悲しみの大きさが頂点に達します。遂に悲しみに終止符を打つドラが鳴ると、絶望の中で途方に暮れながらトボトボと歩き始めるのですが、次第にその姿も見えなくなってしまうのです……。


深遠な内容と卓越した音楽性
ムラヴィンスキーの芸術

『悲愴』は名曲のため、昔からかなりの数の名盤が存在します。
メンゲルベルク、フルトヴェングラー、モントゥー、カラヤン、チェリビダッケ、アバド、ザンデルリンク……と挙げればキリがありません。 その中で、演奏の素晴らしさはもちろん、深遠な内容、卓越した音楽性に圧倒されるのが、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラードフィル(現サンクトペテルブルク・フィル)の録音です。端正で格調高く、模範的な演奏スタイルのため、何度も耳にすると聴き飽きてしまうのでは……と思われるかもしれませんが、まったくそのような心配は無用です。

表面的にはクールを装いつつも、実は内面の炎が熱く燃えたぎる演奏をするのがムラヴィンスキーなのです。
特に第一楽章の展開部や第四楽章展開部はあらゆる楽器の音色やフレージング、間のとり方に指揮者の心が強く浸透していることが明らかです。とにかく、フォルティッシモ(最強音)からピアニッシモ(最弱音)まで、その表現には絶えず意味があり、温もりと豊かな音楽が溢れているのです。

当時のソビエト社会主義連邦(現ロシア)の指導者たちが、芸術家たちを社会主義リアリズムで厳しく締めつけ(多くの画家、作曲家、音楽家が亡命)、次第に表現の自由が奪われる中で、ムラヴィンスキーは生涯ソ連国内に居残り、50年にも及びレニングラードフィルを監修し、指揮し続けられたことは本当に奇跡としか言いようがありません。

やはりムラヴィンスキーの芸術が図抜けて素晴らしく、団員からは信頼され、強いカリスマ性の持ち主でもあったため、党の指導者と言えどもむやみにぞんざいな扱いをするわけにはいかなかったということなのでしょうか……。

2016年9月1日木曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36(2)








『悲愴交響曲』と並ぶ
傑作中の傑作

 この曲については以前も書いたことがあります。しかし、第1楽章と第2楽章の素晴らしさについてどうしても書き足らない内容があったので、改めて投稿させていただきました。

 4番はチャイコフスキー後期3大交響曲の中でも6番『悲愴』と並ぶ傑作中の傑作です。おそらくベートーヴェン以降の交響曲をひもといても指折りの傑作だと言っていいのではないでしょうか。

 何といっても素晴らしいのは第1、第2楽章で、この二つの楽章だけでも4番を聴く価値が充分にあるといってもいいでしょう。
 残念なのは圧倒的な二つの楽章に対して、第3、第4楽章の内容が少々物足らないことです。この交響曲が『悲愴交響曲』ほど絶大な支持を得られないのは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれません。それにしても前半と後半の2つの楽章では差がありすぎます。 チャイコフスキーは最初の2つの楽章に心を注ぎすぎて疲れてしまったのでしょうか……!?。

 そうかといって、4番をシューベルトの未完成交響曲のように2楽章で完結させるには到底無理があるでしょう。
 なぜなら、シューベルトの2楽章めはアンダンテで、単一楽章でも充分に曲が成り立っているのに対して、4番の2楽章めはアンダンティーノで明らかに次の楽章への予感を感じさせるからです。
  

4番のすべて
第1楽章、第2楽章

 とはいうものの、この交響曲の第1楽章、第2楽章はそれを補ってあまりある内容といえるでしょう。

 特に素晴らしいのが第1楽章です。 
 出だしの金管楽器のファンファーレが奏されると、そのドラマチックで重厚な響きからただならぬ空気感が伝わってきます! その直後の不安や哀しみ、苦悩が入り混じった第一主題も忘れがたい印象を残します。劇的で、文学的な香りさえ漂わせながら音楽は進行していきます…。

 しかしさらに素晴らしいのは展開部でしょう! たとえば、おどけたメロディによる舞曲は刹那的な喜びや虚しさを強く印象づけますし、運命的な警告を表す金管楽器の強奏や息の長い悲しみのパッセージは心を震わせます。
 とにかく音楽が多彩で緻密、あらゆる手法を駆使しながら、窮屈にならずに真実味にあふれた音楽と緊迫したドラマを展開していくのです。

 第2楽章のオーボエソロと弦楽器による哀愁を帯びたロシア民謡風の主題は、大変もの悲しく心に深く刻み込まれます。それは雪に埋もれた冬の荒野が目の前に広がるようで、何とも言えない情緒が漂います……。
 これに対して展開部では雪解けを待ち望む希望と憧れの感情が次第に高まり、頂点に達します。このコントラストは絶妙で、主題が生きてるからこそ、音楽の深い味わいが生まれたのでしょう。

 先ほど物足らないと書いた第3、第4楽章もひとつの独立した曲として捉えれば、これはこれで充分に魅力的です。
 第3楽章はバレエの間奏曲のようであり、第4楽章はサーカスのテーマ音楽のように華々しく力強く鳴り響きます。全体を通してみればどのように盛り上げていくかは指揮者の適性と力量に任されるといっていいかもしれません。


ムラヴィンスキーの
圧倒的な名演奏

 前回も申し上げたようにこの交響曲はムラヴィンスキー=レニングラードフィル(現サンクトペテルブルクフィル)の独壇場で、中でも作品のすべてともいえる第1楽章が素晴らしい仕上がりです。
 ムラヴィンスキーは最初の金管楽器のファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、それに続く序奏のほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の音が聴く者の胸を痛く締めつけます。

 何という音楽性でしょうか! 20分にも及ぶ楽章ですが、長さをまったく感じさせず、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしになってしまいます。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。
 しかし、この人はあくまでも自然体を貫き、抜群の音学センスに裏打ちされながら深遠で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。





2013年7月17日水曜日

チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調作品64









メロディメーカーの本領を発揮した交響曲

 チャイコフスキーは不世出のメロディメーカーとして、管弦楽曲、バレエ組曲だけでなく、交響曲においても甘美なメロディを駆使した作曲家として有名です。
 チャイコフスキーの交響曲と言えば真っ先に思い浮かぶのが第6番の「悲愴」です。とにかく第1楽章から第4楽章まで隙がなく、曲はフィナーレに向かって深い哀しみに沈んでいくのですが、スコアが細部に至るまでよく書かれているため不自然さを微塵も感じません。作曲家自身が最晩年に到達した円熟味と芸格の高さを表している傑作中の傑作と言われる所以でしょう。
 それに比べると第4番は若干の物足りなさがないわけでもありません。第1楽章の慟哭に満ちた響きや格調高い展開が素晴らしく、第2楽章は民謡調の哀愁を帯びたメロディが美しく印象に残ります。しかしそれを受ける第3、第4楽章がいただけません……。あまりにもあっさりしていて2楽章を無理矢理くっつけたようでどうにも満足できないのですね!?

 そして第5番です。この作品はもしかしたら聴きやすさにおいては「悲愴」より上かもしれません。美しいメロディも随所にあり、その点ではチャイコフスキーの本領発揮と言いたいところですが、作品として今一つ結晶化されていない印象を受けます。実際、意外と心に残らないのですね……残念ながら。そのような状況からして、5番はチャイコフスキーの三大交響曲の中では聴きやすく飽きやすい作品(?)と言っていいかもしれません。
 しかし、そうは言ってもベートーヴェンの交響曲やモーツァルトの後期交響曲、ブルックナーの5番以降の交響曲、ショスタコーヴィチの交響曲あたりと比べなければ充分に管弦楽の響きの素晴らしさやメロディの美しさを堪能できる名曲だと思います。
 特に第1楽章で鳴り響く運命のリズムとそれを払いのけるようなメロディは様々な感情を表出しており見事です!第2楽章のホルンが奏でる優しく美しい第1主題。第3楽章の愛らしく可憐なワルツ。そして手が混んでいて壮麗な第4楽章フィナーレ!こうしてみると交響曲の王道を行く傑作と言っても決して過言ではないと思います!


チェリビダッケの新鮮な名演!

この曲のベストとしてお勧めしたいCDはチェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルによる録音(EMI)です。1991年のライブ録音ですが、音は素晴らしいしチャイコフスキーが書いたスコアの意味をとことんまで追求した演奏です!とにかく、ゆったりとしたテンポから紡ぎ出される重厚な音の響きと細部まで目に見えるほど彫琢されたハーモニーは素晴らしいの一言です!時としてブルックナーを感じさせたりするのですが、それも決して嫌味にならず、逆にこの曲を構成していく上で大きなプラスに作用しているのです。
  特に第2楽章のホルンの瞑想のような深い響きや第4楽章のスケール雄大な造型と壮大なクライマックスを築き上げていく腰の座った表現は最高です。

 悲愴と第4で圧倒的な名演奏を成し遂げているムラヴィンスキーですが、この曲に関しても真っ向勝負のダイナミックな演奏で攻めています。第1楽章の展開部や第2楽章の序奏で聴かれる詩情はやはり素晴らしく、他の指揮者では聴けない表現でしょう! ただ第4楽章あたりはムラヴィンスキーをもってしても、音楽を持て余しぎみという感じがしないでもありません。



2013年1月24日木曜日

バレエ組曲「くるみ割り人形」






  一般的にクラシック音楽は他の音楽ジャンルに比べて高級だとか、敷居が高いと思われることが多いようです。でも、実際はどうでしょうか? 確かに他のジャンルに比べれば決して親しみやすいとは言えませんし、長くて難解な曲も結構あります。

  でも、音楽の表現の領域や可能性が広いのもクラシック音楽の魅力です。たとえばグレゴリオ聖歌やミサ曲のように静謐で心が洗われる音楽こそ音楽の原点だと思われる方もいれば、マーラーやショスタコーヴィチのように劇的で骨太な交響曲こそクラシックの醍醐味だと力説される方もいらっしゃいます。そうかと思えば、ドビュッシーやラヴェルのようにかっちりしていない詩情豊かな作品がいいという方もいらっしゃいます。
  またシューマンやメンデルスゾーンのようなロマンティックで気品に満ちた作品が好きだという方もいらっしゃるでしょう。その一方でヴェルディやワーグナー、プッチーニのオペラのような圧倒的な声の饗宴こそクラシックの王道だとおっしゃる方の気持ちもよくわかります……。

  すっかり前置きが長くなってしまいましたが、要するにクラシックはとっつきやすい作品やカテゴリーから入っていけばいいのであって、「教養や知識のために聴こう」となるととても無理が出てきてしまいます。結局は「嫌になったから聴くのをやめた」ということになりかねません。
 どなたにもそれぞれ個性や好みがありますから、「ショパンのピアノ曲は好きだけれど、モーツァルトのピアノソナタはちょっと…」とか、「プッチーニのオペラは好きだけれど、ベートーヴェンの交響曲は苦手だなあ…」とか、そういう声が出てきて当然でしょう。でも、それでいいんだと思います。クラシック音楽とは無理に背伸びをせず、ちょっとした些細なことから関心や興味を拡げていくのが面白いのではないでしょうか……。

  そのような観点で言えば、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」はクラシック音楽への入り口としてはうってつけの作品ではないかと思います。何より映画音楽を聴くような気軽さで聴け、しかも全体的に高級感が漂うのがうれしいですよね! チャイコフスキーはバレエ音楽の作曲家としての腕前と品格、華麗な作風、雰囲気、聴きやすさ等、どれをとってもそれに必要な条件を満たしているのです!

いや、それ以上に現代バレエはチャイコフスキーの甘美なメロディを駆使した作品の出現によって聴衆に受け入れられるようになったと言っても過言ではありません。特に「くるみ割り人形」の親しみやすさやストーリーテラー的な音楽の愉しさは抜群です! ファンタジックでメルヘンに富んだメロディの数々は屈託が無く、チャイコフスキーの舞台音楽家としての感性が最高に発揮された名品と言っていいでしょう!

 この「くるみ割り人形」組曲はバレエ音楽の全曲から聴きどころを抜粋した、いわばハイライト版と言っていいと思います。 序曲の可愛らしいテーマがヴァイオリンで鳴り始めると、何故か胸がワクワクしてきますね! そして有名な「行進曲」や「花のワルツ」ではさらに楽器がキラキラと光り輝くように奏され、いつのまにか夢にあふれた「くるみ割り人形」の世界に引き込まれていくのです。

 この曲は人気曲だけあって実に多くのCDがあります。その中で1枚だけとるとすれば、ハインツ・レーグナーがベルリン放送交響楽団を指揮した演奏が雰囲気、録音、すべてにおいてバランスがとれた名演奏といっていいでしょう。レーグーナーの導き出す弦の響きは高級感があって艶があります。安心して曲に浸ることができますし、くるみ割り人形の隠れた魅力を発見できるかもしれません……。


2011年6月24日金曜日

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23




ピアニスト冥利につきる協奏曲








 今さら言うまでもないことなのかもしれませんが、クラシック音楽でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ほど華麗な演奏効果が期待できる作品はないのではないでしょうか。演奏効果があがることからこの作品はアメリカで大変に人気があるそうです。事実この作品はアメリカのボストンで初演が行われ、大成功を収めたというではありませんか!

 しかし、根強い人気を持つこの作品も最初から順風満帆だったわけではありません。最初に献呈しようとした友人のニコライ・ルービンシュタインからは「陳腐で貧弱」とか「演奏不能」と酷評され、最後には「私の意見に従って最初から書き直すべきだ」とまで言われたのでした。ひどく自尊心を傷つけられたチャイコフスキーは若干の手直しを加えながら、ボストンの初演を担当したピアニスト兼指揮者のハンス・フォン・ビューローに献呈(結果的にはこの選択が大成功)することにしたのです。

 さまざまな経緯はあったものの、通して聴くとやはりこれは素晴らしい作品です。特に第1楽章冒頭に鳴り響く荘厳で雄大なファンファーレは聴く人の心を瞬間的に捉えてしまいます。そして終楽章のピアノとオーケストラの手に汗握る絡みは音楽の演出効果の秀逸さとともに、最高にエキサイティングなクライマックスを築きあげていくのです!

 オーケストラの響きもチャイコフスキーらしく堂々としていて立体的な響きを奏でます。けれどもその堂々とした響きも主役のピアノを最大限に際立たせるための伏線であり演出なのです。とにかくピアニストにとってこの曲を弾きこなすには気力、体力、テクニックの充実が同時に要求され、なまやさしい作品ではありません。それでも終始ピアノが大活躍し、自在で奔放な表現が可能なこの曲はピアニストにとって今も昔も「弾きたい曲」のナンバー1候補なのです。

 この曲でいかにもチャイコフスキーらしいのが第1楽章中間部で長いモノローグを経て、深い憂愁を滲ませるところではないでしょうか。ため息まじりに吐露される憂愁は、いつの間にかこの作品が豪華絢爛に始まったことさえ忘れてしまうほどです……。しかし、決して深刻にはならず心地良いロマンティズムに支えられ曲は進行していきます。穏やかで美しい抒情に富んだ第2楽章のアダージョを経ると、遂にピアノとオーケストラの掛け合いが絶妙でスリリングな終楽章に達します。圧倒的な演奏効果とともにここは演奏家冥利につきる経過句が連続しているのです!

 演奏に目を移すとマルタ・アルゲリッチはこの曲を大変得意にしており、これまでメジャーレーベルから何度もレコーディングしています。しかもそのすべてが名演奏。よほど曲との相性がいいのでしょう!つまり、即興演奏に強いアルゲリッチの良さはこの曲で最大限に発揮されているのです。中でも1980年にキリル・コンドラシン=バイエルン放送交響楽団と入れた演奏(フィリップス)は奔放なタッチと繊細優美な音色、最後まで持続する情熱等でこの曲を徹底的に堪能させてくれます!

 もう1枚上原彩子がフリューベック・デ・ブルゴス=ロンドン交響楽団と組んで録音したCD(EMI)も素晴らしい出来映えです。上原の充実したテクニック、曲の本質をがっちり掴み風格さえ漂う演奏に魅了されます。録音(2005年)も良く、楽器の陰影や立体感が伝わってくるのも強みではないでしょうか。





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2011年1月31日月曜日

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」




 チャイコフスキーは帝政ロシアの輝かしい時代を最もイメージさせる作曲家です。それを象徴するように、彼は音楽に気品と美しさを求めたのでしょう……。チャイコフスキーの作品からはそのことがよく読み取れます。たとえば、優雅な宮殿の広間を思わせるピアノ協奏曲第1番や、穏やかで懐かしいメロディに満ちたヴァイオリン協奏曲、愛らしく麗しい三大バレエ組曲等、誰もが口ずさめる有名な作品が次々と思い出されていくのです。
 しかし、彼の最後の作品は霞がかかったように極度に重々しく内省的になっていきます。そして、はからずも彼が残した最後の交響曲第6番は彼自身の人生の終焉となり、帝政ロシアの終焉を告げる予兆となったのでした。

 チャイコフスキーの人気レパートリーはたくさんあります。前述のピアノ協奏曲第1番やヴァイオリン協奏曲、6曲の交響曲、バレエ音楽「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」、オペラ「スペードの女王」、「エフゲニー・オネーギン」等、あらゆる人々に純粋に音楽を聴く喜びを与えてくれる名曲が目白押しです。
 しかし誰が何と言おうとも、チャイコフスキーの最高傑作は交響曲第6番「悲愴」と断言しても過言ではないでしょう。その素晴らしさはクラシック初心者から曲を聴き込んだ通の人に至るまで様々なメッセージを与えてくれます。
 以前ご紹介した交響曲第4番はムラヴィンスキークラスの卓越したバトンテクニックと音楽性の持ち主でなければ充分に良さを引き出せない可能性があるのですが、「悲愴」は違います。「悲愴」はそこそこの演奏であれば、まず間違いなく感動します。やはりそれだけスコアが細部に至るまでよく書かれており、作曲家自身の円熟味と最晩年に到達した芸格の高さを表しているのでしょう。
  特に第1楽章の冒頭の部分、打ちひしがれ息を潜めて声ならぬ声で絶望と苦悩が絡んだ想いを吐露するフレーズは誰もがただならぬ気配を感じることでしょう。この暗さは独特のものですが、チャイコフスキーは演出して、わざとそういうイメージを表現したのではありません。これはあくまでもチャイコフスキーの真実な心の叫びがそうさせているのです。
 もちろん、第1楽章第2主題のように哀しいほどに美しいメロディもあり、第4楽章第2主題のように魂が舞い上がるかのような極めて崇高なメロディも現れます。しかし、この作品には美しく聴かせようとか、スケール雄大に描こうとか、愛らしくまとめようとかそういった効果や体裁を取り繕う場面がほとんどないのです。チャイコフスキーはこの曲で心の奥底まで自分をさらけだしたのだと思います。
 特に両端楽章は優れており、チャイコフスキーのこの曲に託した想いがどれほどのものだったのかが伝わってきます。第1楽章の展開部の荒れ狂う魂ともがき苦しみながら生きていくその姿は壮絶そのものです。第4楽章の中間部、瞑想と回想、諦観が交錯する主題もただ事ではなく、チャイコフスキーの魂はもはや地上には無いかのように飛翔していきます。
このようなことを書き綴ると、はたして暗いこの曲の何がいいのかと言われかねませんが、でも随所に人間的な優しさや暖かい眼差しがにじみ出ており、聴いているうちに無性に心が惹かれていくのです……!。

 この曲の名演奏は枚挙にいとまがないくらい沢山あります。古くはメンゲルブルクからフルトヴェングラー、カラヤン、マタチッチ、バーンスタイン、アバド、朝比奈隆、ヴァント等、それぞれに本当に素晴らしい演奏を残してくれています。しかし真の名演奏となると、やはりムラヴィンスキーがレニングラードフィルを指揮したグラモフォン盤が圧倒的に素晴らしいと言わざるを得ないでしょう!何度聴いても飽きない自然体で内側から湧き上がるような音楽は、他の指揮者からは聴けないものでしょう。クールで端正な響きに充満する溢れんばかりの情熱は凄まじく、襟を正される想いです。



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2010年6月15日火曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調作品36







  エフゲニー・ムラヴィンスキーは不世出の大指揮者です。驚くことに彼は約50年に渡ってソ連のレニングラードフィル(現在のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の常任指揮者に君臨したということです。それだけでも奇跡のような出来事といえるでしょう。なぜなら、当時のソ連は泣く子も黙る共産主義国として、多くの国々から恐れられていました。政情は大変不安定で、大多数の国民は貧困と粛清の恐怖におののき、明日は自分がどうなるかわからない状況だったのです。

  しかも、 人間不信と憎悪が渦巻く生き地獄のような世界。それは生きているだけでも心が疲弊し、病んでいく世界なのです。そのような殺伐とした状況下でも数十年に渡って音楽監督に就いていたのはおよそ信じ難い話だし、大いに尊敬に値するといっても過言ではないでしょう。
  やはり、ムラヴィンスキーの芸術性、精神性は突出したものだったのでしょう。また楽団員を魅了する人間性やカリスマ性も持ち合わせていたのだと思います。しかし、彼がどんなに才能があり、実力的には申し分なかったとしても、その職務を全うするためには、想像を絶するような苦労が当然あったに違いありません。彼の紡ぎ出す音楽はそのようなギリギリの限界状況と絶えず向き合ってきた真実性や、厳しい芸術性を多分に持ち合わせています。それとは裏腹に素顔の彼は茶目っ気があり、自然を愛しペットを飼うなどとても心優しい一面を持っていたようです。

 ムラヴィンスキーの演奏はベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスらの交響曲の演奏も目を見張るものがありますが、やはりチャイコフスキーやショスタコヴィッチの交響曲は避けて通れません。その代表作のひとつとして挙げられるのが、西ヨーロッパ公演時にグラモフォンに録音されたチャイコフスキーの交響曲第4番でしょう。 
 チャイコフスキーの交響曲第4番は慟哭と失意の絡まる名作です。バレエ音楽等の劇場音楽に才能を発揮した彼のストーリーテラー的な要素が芸術的な高みに達した作品といってもいいのかも知れません。特に第1楽章と第2楽章は古今の作品を見渡しても稀有の名作であることは間違いないでしょう。ただこれを受ける第3、4楽章は前記二つの楽章に比べれば随分とあっさりした印象です。この二つの楽章は指揮者の手腕がかなり要求されます。

 ムラヴィンスキーの指揮はこの作品のすべてともいえる第1楽章が特に素晴らしいのです。ムラヴィンスキーは最初のトランペットのファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、その後に続くほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の調べが聴く者の胸を締めつけます。何と言う音楽性でしょうか!20分あまりのこの楽章はとても短く感じ、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしなのです。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。しかし、この人の場合は、演奏スタイルが至って自然体で、何も特別なことはしていないのですが、抜群の音学センスとあいまって、実に高貴で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がまたたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。



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