シューベルトのピアノ作品の後期の名作と言えば何と言っても2つの即興曲が挙げられるでしょう。ピアノソナタも21曲作っているのですが、シューベルトは型にはまらない変奏曲等に相性の良さを発揮するようです。
ピアノソナタで時折見られる窮屈さはここでは微塵も見られません。創造の翼が生き生きと羽ばたいているからなのでしょう。
どれもこれも美しい詩情に満ちた珠玉の一篇と言っていいのではないでしょうか。ピアノソナタのように全曲を無理して弾かなくても良く、それぞれが音楽として完成しているためコンサートでも1曲だけ取り出して演奏されることが多いのです。
即興曲の中でも特に印象的なのは、D90の第1曲です。この運命的な主題は心の起伏のように美しい表情を醸し出し、多彩な変化を見せます。調と調の間を繊細に移行するのですが、それにしてもシューベルトらしい自然で理屈っぽくない、しかも心を揺さぶる音楽ですね。D90の第2曲も異国情緒溢れる三連符のリズムが印象的ですが、中間部では魔法にかけられたように神秘の国を旅し、望郷の想いにかられるのです。
D140の第3曲は変奏曲風のメロディに幼い頃の回想が暖かい眼差しの中で鮮やかに蘇ります。甘え、憧れ、はにかみ、悲しみ、寂しさ、安らぎと数々の幼い感性が叙情詩人シューベルトの腕によって色彩豊かに展開されます。
他にもキラキラと輝くような旋律と転調が心に染みるD140の第2曲、永遠を見つめるような緩やかで真摯なテーマが六連符のリズムに乗って流れるD90の第3曲の見事さも忘れられません。
演奏はリリー・クラウスの1967年のヴァンガード盤が最高の1枚でしょう。これほどまでに音楽の意味を深く、愛情豊かに表現し尽くした演奏は他にはありません。もちろん作品に対する共感の度合いも並大抵のものではないのでしょうが、明らかに他のピアニストの演奏とは一味も二味も違って聴こえるのです。即興曲のような作品は聴かせるテクニックもある程度必要でしょうし、独自の表現力も大いに要求されます。そういう意味でクラウスの感性、表現力は最高と言っていいのではないでしょうか。