2015年10月31日土曜日

フランツ・シューベルト ピアノソナタ第20番イ長調 D.959






















無理に作品を構成しない
シューベルトらしさ

 もし、「シューベルトの数あるピアノ曲の中から好きな作品を選びなさい」と言われたら、皆さんは何を選びますか!? 私はたぶん『2つの即興曲』を挙げることになるでしょう……。『即興曲』は変奏曲形式に素晴らしい才能を発揮するシューベルトのリリシズムが充満していて、それぞれが夢の小箱を空けるような初々しい魅力に溢れているのです。

 それでは23曲作られたピアノソナタはどうなのでしょうか? それぞれ魅力作揃いなのですが、ベートーヴェンのような楽章間の緊密な関係性には乏しいし、モーツァルトのような天衣無縫な音楽ではないし、ショパンのような情熱のドラマがあるわけでもありません……。

 では、シューベルトのピアノソナタの魅力って何でしょうか?
 私は無理に作品のつじつまを合わせようとしたり、まとめたりしない……。あるがままの音楽をあるがままに披露してくれるところがシューベルトのピアノソナタの最大の魅力ではないかと思うのです。つまりインスピレーションのおもむくがままに曲を作ってくれるところがシューベルトらしい美点なのです。
 したがって、複数の楽章を持つピアノソナタよりは単一楽章の作品にいい味わいが出るのは当然と言えば当然なのです。

 皆さんご存知のようにシューベルトは多くの珠玉のメロディーをを生み出しています。たとえば未完成交響曲の第2楽章の中間部のテーマや即興曲作品90のアンダンテの尽きせぬ抒情、冬の旅の『菩提樹』の懐かしさ…。等々、挙げればキリがありませんが、まさにシューベルトは天上の調べを自然体で紡ぎ出せる音楽家なのです。


シューベルトらしさが
随所に表れた魅力作

 さて、そのような意味でピアノソナタ第20番は全体を通じた完成度というよりも、個々の楽章にシューベルトらしさが表れた大変な魅力作です。

 特に印象的なのは自身のピアノソナタ第4番から転用した第4楽章のテーマの魅力でしょう。微笑みを振りまくようなこのテーマは少しずつ形を変えながら何度も表れるのですが、懐かしさと愛おしさにあふれていて忘れ難い印象を残します。おそらくこのテーマはシューベルトにとって心の原点とも言えるような何かがあったのでしょうね……。

 毅然としていて躍動感に満ちた分散和音で開始される第1楽章も見事です。多様なメロディーや経過句が素朴な情緒や悲しみの想いを巧みに映し出しながら、充実した展開の中に結晶化されていきます!

 第2楽章のやり場のない深い悲しみはシューベルト晩年の作品に共通するテーマで、彼が最も書きたかったのはこのような心境を綴ったものだったのかもしれません。シューベルトの手にかかるとそれが真実の嘆きに変貌し、私たちの心を次々とかき乱していくのです。


20番の演奏に
新しい視点を開いた
内田の演奏

 演奏は内田光子の録音(デッカ)がこの作品にまったく新しい視点を開いた名演奏です。シューベルトというと素朴でウィーンの情緒をふんだんに持った作曲家だと当然のように思われています。しかし、内田のソナタはそれに対して真っ向から「それは浅い認識!」と言わんばかりに、徹頭徹尾シューベルトの心の動きを垣間見るような深く掘り下げた演奏を実現しているのです。
 特に素晴らしいのは第2楽章アンダンティーノで深い悲しみと嘆きがことさら身にしみます。

 即興曲が絶品だったリリー・クラウスはシューベルトを最も得意にしていました。シューベルト本来の味わいを生かした20番の演奏として、これは芸術的にも群を抜いています。第4楽章のテーマの弾むようなリズムとデリカシーに満ちた表情は一度聴いたらとりこになってしまうほどで、聴くものを幸せな感覚で満たしてくれることでしょう。第1楽章の緊迫感あふれる歌と高揚感も完璧で、シューベルトの音楽の魅力を歪みなく伝えてくれます!




2015年10月25日日曜日

ヘンデル 主は言われた(ディキシット・ドミヌス) HWV 232













灼熱の太陽の輝きに
似た魅力作

 ヘンデルはイタリア滞在時代の若かりし頃にオペラの名曲を次々と発表しました。宗教曲『主は言われた・ディキシット・ドミヌス』もそのような時に誕生したのでした。
 まず、この作品を聴いて感じるのは従来の厳かな宗教曲のイメージとは少し一線を画しているということです。作品を聴いてもわかるように、大変な意欲作で、これまでのカトリック音楽の慣例を打ち破ろうという気概に満ち満ちています!
 それはいい意味で宗教曲の範疇を超えているということで、エネルギッシュで輝かしい合唱はいつの間にか宗教曲であることも忘れさせてくれます。

 灼熱の太陽の輝きを想わせる楽曲の素晴らしさ!聴くものを飽きさせない変化と音楽的な流れがある作曲技法の冴え……。宗教曲と言えど決して難解ではない親しみ安さ!およそ30分少々の作品ですが、聴き始めると曲のとりこになってしまうことうけあいです。

 しかし、技術的には大変な難曲揃いで、少しでも気を抜くとあっという間に音楽が崩壊しかねない恐い作品です。合唱パートのみならず、オーケストラパートやアリアも含めて極めて強い集中力が要求されます。
 



とことん堪能させてくれる
ミンコフスキの演奏

 この作品、実は今年5月のラフォルジュルネオジャポンの演奏プログラムにも組まれました。それがダニエル・ロイス指揮ローザンヌ室内アンサンブルの演奏です。この演奏で初めて「ヘンデルにディキシット・ドミヌスあり!」と認識された方も少なくなかったのではないでしょうか……!?。 
 それほどダニエル・ロイス指揮ローザンヌ室内アンサンブルの演奏は素晴らしく、この曲がどれほど魅力に溢れているのかを実感させてくれたのでした。
 ロイスの音楽性の高さ、合唱の心が溶け合うような至純なハーモニーの素晴らしさは今も心に深く焼き付いています。ただ一つ残念だったのはソリストたちが若干弱く、アリアの部分では深い感動までには至らなかったことでしょうか……。

 まず音楽が求めている解釈とミンコフスキが目指している演奏がぴったり一致しているのではと思えるほど表現に少しも違和感がなく、聴くうちにドンドン引き込まれていきます!

 想いや主張をストレートに込める合唱や気迫のこもったミンコフスキの表現が凄く、それがまったく上滑りしていないどころに音楽への共感の深さを実感させてくれます。音楽は一気呵成に流れるように繋がっていきますが、とにかく細部まで一切妥協しない充実した音楽づくりやセンスの良さに圧倒されますね。

 ソリストたちの表現も最高です。特にマシスとコジェナーのソプラノデュエットはラフマニノフのヴォカリーズを深化させたような心が洗われるような名唱と言っても過言ではないでしょう。