ミサ曲の概念を
変えたミサ曲
ミサ曲は古くから西洋音楽では特別なジャンルでした。「神との対話」を生活の根底に置き、カトリック的な伝統や精神と共に発展してきた西洋文化ではそれは自然の成り行きだったのです。それに対してカトリック的な精神にあまり触れることのない日本においてミサ曲は演奏頻度は高くなく、本質も決して理解されているとはいえません。とはいえ、本質を突いた演奏に出会えば良さを実感したり強く心が惹かれるのは間違いないのです!
ミサ曲といえばバッハの「ミサ曲ロ短調」やジョスカン・デ・プレの「ミサ・パンジェ・リングァ」、ビクトリア「聖週間のレスポンソリウム集」、パレストリーナの「教皇マルチェリスのミサ」、ハイドンの「ネルソンミサ」、モーツァルトの「戴冠式ミサ」あたりがミサ曲の魅力をふんだんに持った名作であり最高峰といえるでしょう!
しかし、それはあくまでもベートーヴェンのミサ・ソレムニスを別格とすればの話で、ミサ・ソレムニスを聴いてしまうと他の作品はすべて影が薄くなってしまいます。ベートーヴェンのミサ・ソレムニスに関する限り、他のミサ曲とはまったく別次元の作品といっていいでしょう!これは初めて世に現れた全人類的なミサ曲と言っても決して過言ではありません!
ベートーヴェンは生涯、特定の教会の音楽監督やお抱えの作曲家になることはありませんでした。これは一定の枠や型にはまることを極端に嫌うベートーヴェンのことですから充分にうなずけることでしょう。
大公に献呈する構想が
神の賛歌へと膨らむ
敬虔なクリスチャンであり、カトリックの信仰を持っていたベートーヴェンでしたが、権威主義的で教理に縛られる教会の価値観にはかなり批判的であったようです。彼は形や典礼よりも心の奥底でしっかりと神を見つめていたのでした。「神は創造主」、「全知全能の親なる神」という言葉が甥や親友に宛てた数々の手紙でも伺い知ることができます。 ベートーヴェンにとって神は遠い存在ではなく、永遠に変わらない心の支えとして心の中や作品に生き続けたのでした。
そんなベートーヴェンだからこそ、ミサ・ソレムニスのような普遍的で真実性に満ちたスケール雄大な作品を生み出すことができたのでしょう。ミサ・ソレムニスはベートーヴェンの個性が最大限に発揮された奇跡ともいうべき作品です。
当初この作品は、親交のあったルドルフ大公の大司教即位式の献呈用として作曲されるはずでした。ところが作曲を進めるにつれて、彼の心の中でインスピレーションがどうしようもなく溢れて、構成は次第に大きく膨らんでいったのです。遂には即位式に間に合うことなく、実際に完成の日を迎えたのは即位式から5年もの歳月が経った時でした……。
おそらくベートーヴェンはルネッサンス期やバロック音楽の大家たちが作曲したミサ曲の通念にとらわれないで、教会音楽という枠組みを超えた壮大な叙情詩を描きたかったのでしょう! そのような観点からも、ミサ・ソレムニスは音楽の性質としてはミサ曲というよりはオラトリオと言っていいのかもしれません。演奏が通常教会ではなく、一般の演奏会場で行なわれるのもこの作品の持つ性格や精神性を充分に物語っていますね!
強靭な魂と
神への熱い想いが
深遠な芸術を誕生させた
この作品は、彼の強靭な魂と神への熱い想いがギリギリの鬩ぎ合いで具体化し、かつて類を見ない深遠な芸術を誕生させたと言っても過言ではありません。
第1楽章キリエの冒頭から山の高峰を仰ぎ見るような堂々とした主題が展開されます! 壮大なオーケストレーションと確信に満ちた合唱の響きは音楽史上なかったものと言っていいでしょう。ひたすら心の告白と訴えを伝えようとする音楽への献身は、やがて神への敬虔な祈りや賛歌へと結晶化されていきます!
『キリエ』 、『グローリア』、『クレド』、『サンクトゥス』、『アニュス・デュイ』のいずれも重要で、それぞれが有機的な繋がりを持って曲が構成されてており、その創作力と芸術的なポリシーには驚かされるばかりです。「どこが聴きどころか」という質問には簡単には答えられないほど曲の内容が深く、充実感は比類がありません!あえて印象に残る箇所をあげるとすれば、まず「in Gloria Dei Patris,Amen」に導かれるグローリア第6部の階段を確実に一歩一歩を踏みしめるような強靭なフーガの魅力。そして心からの訴えを歌に託すアニュス・デュイ前半の哀しみの表現あたりがあげられるでしょうか……。もちろん他にも聴きどころは満載です……。
ミサ-ソレムニスを一貫しているのは一言でいえば巨大な精神でしょう。作為的な要素がないため、音楽性や形式の素晴らしさ以上に精神性の偉大さがひしひしと伝わってくるのです! この作品はまさに精神の勝利によってもたらされたものなのでした。
ベートーヴェンにとって宗教曲は教会の礼拝堂における儀式とか、教義的なものという概念はあまりなかったのでしょう。ミサ-ソレムニスは後のミサ曲や宗教曲に対する考え方を一変させたばかりでなく、歌そのものに対する発想を根本的に変えさせた記念碑的な作品といってもいいのではないでしょうか。
演奏はこれまで演奏会やCDのどちらも満足できる演奏はほとんどありませんでした。やはり集中力の持続やテンポ、合唱の難しさ、深い精神性の表出等に大変な難しさがあるからなのでしょう。唯一素晴らしいのがオットー・クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団とその合唱団を指揮したEMI盤で、これは空前絶後の名演奏と言ってもいいでしょう。テンポやスケール感も申し分なく、この曲に想い描かれるイメージを充分に表現し尽くした演奏です。
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