2011年2月7日月曜日

ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調作品92




 この曲は最近やたらとCMやBGM等で使われることが多い曲です。そもそも数年前にテレビドラマの「のだめカンタービレ」でテーマ音楽として使用されたのがきっかけでないでしょうか。第7は第3「英雄」や第5「運命」ほどの深刻さはなく、第9のように難解ではありません。ベートーヴェンの交響曲としてはとっつきやすく、なじみやすいのです。しかし、とっつきやすいように感じるのも明るく親しみやすい曲調だからであって、一皮むけば気宇雄大で疾風怒濤の如くすさまじい気迫と情熱が爆発、全開するのです。ベートーヴェンの精神的なゆとりからくる円熟した創作力と驚くべきインスピレーション…。それが心技体すべてにおいて合致したまさに特上の名曲といっていいのではないでしょうか。

 第7交響曲を耳にする時、忘れられないメッセージがあります。それはロマン・ロランが彼の名著「ベートーヴェンの生涯」で書いた一節です。
 〝『第7交響曲』それはまだ私の知らないものだった…沈黙…最初の音が鳴りだすと、もう私は一つの森の中にいた。(中略)動揺する森、やがてまた堂々と瞑想の主題を取り戻す森である。(中略)森の荘重なささやきとその巨大な呼吸とがそれを包んでいる。その呼吸は高まり、また落ち入る。一つの休止。耳はそばたつ。こだまの中の応え。森の中の呼びかけ。オーケストラのシンバルの促すような調子。一切が待ち受けている。一切が飛躍の準備をする…すると見よ!短々長音階の音律。舞踏。初めは小さな装飾音と短連符とを持った田舎風の優雅さで、優しく静かである。(ベートーヴェンの生涯、岩波書店刊=ロマン・ロラン著、片山敏彦訳より)〟
 ロマン・ロランの名文によって、ベートーヴェンの音楽が好きになった人はきっと少なくないでしょう。この第7交響曲の場合も彼の卓越した表現力と感性で第7交響曲の魅力を見事に表現し尽くしています。特に最初の出だしで〝森の中にいた〟と明言するあたりは並外れた感性を感じます。

 第7交響曲は自然から受ける普遍的なイメージやインスピレーションがベースになっているのでしょう。田園交響曲を創ったベートーヴェンの創作力は渇くことなく、より自由な形式で次の段階へ発展したことを強く感じさせるのです。
 第1楽章での可憐な小鳥のさえずりや心地よい風、まばゆいほどの太陽の光は闇を照らし、心を照らします。その後次第に荘厳さと輝きを増し、雄大な音楽となっていくのです。第2楽章の悲しみをじっと堪えるようなアレグレットの主題は鎮魂歌のように失われてしまったものへの哀しみを崇高に謳い上げていきます。第3楽章スケルツォは第4楽章へ続く重要な役割を果たす楽章ですが、破壊力満点のエネルギーと求心力が一気に結集されます。
 第4楽章はなりふり構わず突進するベートーヴェンの粗野な魅力がよく出た音楽と言えるでしょう。この曲の真骨頂といってもよく、根源的なエネルギーに満ちた音楽は有機的な響きと微動だにしない緊迫感の中で魂の祭典と化します。低弦(チェロ、ヴィオラやコントラバス等)のえぐる響きが凄く、中間部のティンパニとの絡みでは稲妻のような閃光を呼び起こし、鋼鉄のように強靭な造形を生み出していきます。圧倒的な求心力を保ちながら、フィナーレに向かってぐんぐんと加速を増すくだりはただ呆然とその行方を見守るばかりです。ワグナーがこの曲を「舞踏の神化」と評したように、ここには単に音響的な強さばかりでなく魂を揺さぶる何かがあるのでしょう!
 それだけに本質をしっかりとつかんだ演奏はいても立ってもいられないほどの感動を受けることは間違いありません。

 演奏はフルトヴェングラーがこの曲を非常に得意にしており、実際数種類ある演奏は精神性において抜群でどれも素晴らしい出来栄えです。しかし、なにせ録音も古く半世紀以上経った今、最高の状態では味わうことができません。そこでお薦めしたいのがカルロス・クライバーが1982年にバイエルン放送交響楽団を指揮したライブ演奏です。何よりも録音が良く、演奏は気迫に溢れ「凄い!」の一言です。音色も明るく、この曲に備わった魅力を歪みなく味わうことができます。面白いのは演奏が終わった直後、現実のことと思えないのか、拍手がパラパラなのですが、その後正気に戻った客席から割れんばかりの喝采とアンコールの連呼がされます。まさにライブならではの出来事といえるでしょう!



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