2011年1月31日月曜日

チャイコフスキー 交響曲第6番ロ短調「悲愴」




 チャイコフスキーは帝政ロシアの輝かしい時代を最もイメージさせる作曲家です。それを象徴するように、彼は音楽に気品と美しさを求めたのでしょう……。チャイコフスキーの作品からはそのことがよく読み取れます。たとえば、優雅な宮殿の広間を思わせるピアノ協奏曲第1番や、穏やかで懐かしいメロディに満ちたヴァイオリン協奏曲、愛らしく麗しい三大バレエ組曲等、誰もが口ずさめる有名な作品が次々と思い出されていくのです。
 しかし、彼の最後の作品は霞がかかったように極度に重々しく内省的になっていきます。そして、はからずも彼が残した最後の交響曲第6番は彼自身の人生の終焉となり、帝政ロシアの終焉を告げる予兆となったのでした。

 チャイコフスキーの人気レパートリーはたくさんあります。前述のピアノ協奏曲第1番やヴァイオリン協奏曲、6曲の交響曲、バレエ音楽「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」、「眠れる森の美女」、ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」、オペラ「スペードの女王」、「エフゲニー・オネーギン」等、あらゆる人々に純粋に音楽を聴く喜びを与えてくれる名曲が目白押しです。
 しかし誰が何と言おうとも、チャイコフスキーの最高傑作は交響曲第6番「悲愴」と断言しても過言ではないでしょう。その素晴らしさはクラシック初心者から曲を聴き込んだ通の人に至るまで様々なメッセージを与えてくれます。
 以前ご紹介した交響曲第4番はムラヴィンスキークラスの卓越したバトンテクニックと音楽性の持ち主でなければ充分に良さを引き出せない可能性があるのですが、「悲愴」は違います。「悲愴」はそこそこの演奏であれば、まず間違いなく感動します。やはりそれだけスコアが細部に至るまでよく書かれており、作曲家自身の円熟味と最晩年に到達した芸格の高さを表しているのでしょう。
  特に第1楽章の冒頭の部分、打ちひしがれ息を潜めて声ならぬ声で絶望と苦悩が絡んだ想いを吐露するフレーズは誰もがただならぬ気配を感じることでしょう。この暗さは独特のものですが、チャイコフスキーは演出して、わざとそういうイメージを表現したのではありません。これはあくまでもチャイコフスキーの真実な心の叫びがそうさせているのです。
 もちろん、第1楽章第2主題のように哀しいほどに美しいメロディもあり、第4楽章第2主題のように魂が舞い上がるかのような極めて崇高なメロディも現れます。しかし、この作品には美しく聴かせようとか、スケール雄大に描こうとか、愛らしくまとめようとかそういった効果や体裁を取り繕う場面がほとんどないのです。チャイコフスキーはこの曲で心の奥底まで自分をさらけだしたのだと思います。
 特に両端楽章は優れており、チャイコフスキーのこの曲に託した想いがどれほどのものだったのかが伝わってきます。第1楽章の展開部の荒れ狂う魂ともがき苦しみながら生きていくその姿は壮絶そのものです。第4楽章の中間部、瞑想と回想、諦観が交錯する主題もただ事ではなく、チャイコフスキーの魂はもはや地上には無いかのように飛翔していきます。
このようなことを書き綴ると、はたして暗いこの曲の何がいいのかと言われかねませんが、でも随所に人間的な優しさや暖かい眼差しがにじみ出ており、聴いているうちに無性に心が惹かれていくのです……!。

 この曲の名演奏は枚挙にいとまがないくらい沢山あります。古くはメンゲルブルクからフルトヴェングラー、カラヤン、マタチッチ、バーンスタイン、アバド、朝比奈隆、ヴァント等、それぞれに本当に素晴らしい演奏を残してくれています。しかし真の名演奏となると、やはりムラヴィンスキーがレニングラードフィルを指揮したグラモフォン盤が圧倒的に素晴らしいと言わざるを得ないでしょう!何度聴いても飽きない自然体で内側から湧き上がるような音楽は、他の指揮者からは聴けないものでしょう。クールで端正な響きに充満する溢れんばかりの情熱は凄まじく、襟を正される想いです。



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