2010年6月15日火曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調作品36







  エフゲニー・ムラヴィンスキーは不世出の大指揮者です。驚くことに彼は約50年に渡ってソ連のレニングラードフィル(現在のサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の常任指揮者に君臨したということです。それだけでも奇跡のような出来事といえるでしょう。なぜなら、当時のソ連は泣く子も黙る共産主義国として、多くの国々から恐れられていました。政情は大変不安定で、大多数の国民は貧困と粛清の恐怖におののき、明日は自分がどうなるかわからない状況だったのです。

  しかも、 人間不信と憎悪が渦巻く生き地獄のような世界。それは生きているだけでも心が疲弊し、病んでいく世界なのです。そのような殺伐とした状況下でも数十年に渡って音楽監督に就いていたのはおよそ信じ難い話だし、大いに尊敬に値するといっても過言ではないでしょう。
  やはり、ムラヴィンスキーの芸術性、精神性は突出したものだったのでしょう。また楽団員を魅了する人間性やカリスマ性も持ち合わせていたのだと思います。しかし、彼がどんなに才能があり、実力的には申し分なかったとしても、その職務を全うするためには、想像を絶するような苦労が当然あったに違いありません。彼の紡ぎ出す音楽はそのようなギリギリの限界状況と絶えず向き合ってきた真実性や、厳しい芸術性を多分に持ち合わせています。それとは裏腹に素顔の彼は茶目っ気があり、自然を愛しペットを飼うなどとても心優しい一面を持っていたようです。

 ムラヴィンスキーの演奏はベートーヴェンやモーツァルト、ブラームスらの交響曲の演奏も目を見張るものがありますが、やはりチャイコフスキーやショスタコヴィッチの交響曲は避けて通れません。その代表作のひとつとして挙げられるのが、西ヨーロッパ公演時にグラモフォンに録音されたチャイコフスキーの交響曲第4番でしょう。 
 チャイコフスキーの交響曲第4番は慟哭と失意の絡まる名作です。バレエ音楽等の劇場音楽に才能を発揮した彼のストーリーテラー的な要素が芸術的な高みに達した作品といってもいいのかも知れません。特に第1楽章と第2楽章は古今の作品を見渡しても稀有の名作であることは間違いないでしょう。ただこれを受ける第3、4楽章は前記二つの楽章に比べれば随分とあっさりした印象です。この二つの楽章は指揮者の手腕がかなり要求されます。

 ムラヴィンスキーの指揮はこの作品のすべてともいえる第1楽章が特に素晴らしいのです。ムラヴィンスキーは最初のトランペットのファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、その後に続くほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の調べが聴く者の胸を締めつけます。何と言う音楽性でしょうか!20分あまりのこの楽章はとても短く感じ、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしなのです。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。しかし、この人の場合は、演奏スタイルが至って自然体で、何も特別なことはしていないのですが、抜群の音学センスとあいまって、実に高貴で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がまたたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。



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