2017年6月5日月曜日

ハイドン 交響曲第104番ニ長調

















ワクワクドキドキの
ハイドンの交響曲

ハイドンは生前約40年にわたって100曲以上の交響曲を作り続けてきた文字通り「交響曲の父」でした。
その作品はいずれもハイドンならではの魅力がいっぱいに詰まっています!たとえば、主題では明るい笑顔を振りまいたり、可愛らしい一面を覗かせている……と思いきや、見事な主題の展開に息をのんだり、コーダや中間部では突然、雄大なスケールのフーガに圧倒されたり、終始聴く者の心をワクワクドキドキさせてやまないのです!

そのハイドンの交響曲の集大成のような作品が、言うまでもなく最後の交響曲「ロンドン」ですね!

ただし、これまでの交響曲と違う一面も見られます。
特に顕著なのが第1楽章の序奏でしょう。どちらかというと、これまでは主題への橋渡し的な役割が強かった部分ですが、この作品ではオープニングから緊張感が漲り、哀しみに満ちたテーマが一つのクライマックスを創りあげているのです!これはロンドンセット全般に言えることなのですが、中でも104番は顕著ですね!

第1主題が出てくると曲調は一変。懐かしい微笑みを浮かべたテーマが春のような彩りを届けてくれます。もちろん、それは単に明るく爽やかなだけではありません。涙を振り払いつつ、一歩一歩前進していこうという気概や哀しみに揺れる心が共存しているのです。

その揺れる心が絶対的な確信へと変貌するのが第4楽章フィナーレです。
この踊るような推進力に満ちたテーマを聴けば、誰もがベートーヴェンの交響曲第7番フィナーレ(ワグナーが「舞踏の神化」と称した)を思い出されるかもしれません! 民謡風のメロディーは明るく快活に奏でられ、まるで生きる歓びを謳歌するようにドンドンと音楽は発展していきます。

第2楽章のどっしりとして、心のゆとりや風格を感じるテーマも見事ですし、第3楽章の小気味よいテンポとおどけたテーマも秀逸です!



例外的にモダン楽器演奏がしのぎを削る
交響曲第104番「ロンドン」

ハイドンの交響曲の演奏は近年、オリジナル楽器の演奏が主流であることは間違いありません。確かに名演奏もオリジナル楽器版が多いのですが、私は104番に関する限り、モダン楽器のほうがいいと思いますね。なぜなら、オリジナル楽器だと、どうしても序奏の表現に音色の厚みや芸術的な深さが乏しくなってしまう恐れがあるからなのです……。

そういう観点で最も素晴らしいのが、セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘンフィルハーモニー(ワーナークラシック)の演奏です。まず、序奏の重厚で厳かな響きと緊張感に心を鷲掴みにされます。第1主題への自然なフレージング、呼吸の深さ、楽器の豊かな響き等、いずれもハイドンが伝えたかった本質が伝わってくるといってもいいでしょう。第2、第3楽章も焦らず、急がず、そのインテンポの中でハイドンの音楽の豊かな音色を存分に聴かせてくれます!

カール・シューリヒト指揮フランス国立管弦楽団の録音(ALTUS)は1955年、フランス・モントルー音楽祭のモノーラル・ライブですが、ドラマチックでありながら、ハイドンの本質をしっかりと捉えた屈指の名演奏です。特に第1楽章の1小節ごとに表情が変わる感性の鋭さや楽器の潔い音色、生き生きとしたテンポの流動感、フレージングは見事の一言です。

シギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンド(ドイツハルモニアムンディ)はオリジナル楽器ならではのテンポといい、楽器の彫りの深さ、スタイルの洗練された美しさといい、モダン楽器にはないシャープな感覚で魅了します。奇をてらわず、そうかといって薄味になることもなく、ハイドンの本質を充分に堪能させてくれることには変わりありません。







2017年5月16日火曜日

ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ(ピアノ版)」
















神秘的な余韻と
甘美なロマンチシズム

「亡き王女のためのパヴァーヌ」は以前、管弦楽曲とピアノ曲をまとめてご紹介したことがありますが、今回はピアノ曲だけに絞って書きたいと思います。

今やこの曲は、TVでさえ番組のBGMやCMで使われることが珍しくありません。クラシック音楽ファンでない方にとっても新鮮に聴こえるようで、「こんなに優雅でノスタルジックな音楽があったのか……」と驚かれる方も少なくないようです。そう、ラヴェルのピアノ作品で最もメロディラインが覚えやすく、しっとりとした情感に溢れているのが「亡き王女のためのパヴァーヌ」なのです。

親しみやすい理由はラヴェルがゆるやかな叙情性を前面に押し出しているため、神秘的な余韻があり、甘美なロマンチシズムが音楽に映し出されているからなのでしょう。
私はこの曲を耳にすると、いつも次のような情景が心に浮かんできます。「穏やかな風が心地よい晴れた夕刻の海岸。静かに寄せては返すさざ波と、キラキラと光る水面の変化を見つめながら時が経つのを忘れて身を浸す悠久なひととき……」。 



雰囲気たっぷりで
あるがゆえの難しさ

しかし、繊細で情感豊かなこのピアノ曲は実は演奏が大変難しいことでも有名です。演奏としての個性を出しにくいことと、曲が何度も停止して、少しずつ調を変えながら音楽が進行していく独特のスタイルのため、叙情性に押し流されやすいことがその理由なのでしょう。

フランソワは小品でも素晴らしい演奏をたくさん残しています。以前にも書きましたラヴェルの「水の戯れ」「古風なメヌエット」「ハイドンの名によるメヌエット」がそうですね! 
ここでは、作品が作品だけに、さすがのフランソワでも奔放に振る舞うということは難しいようですが、それでもしっとりとした味わいの魅力的な演奏です。特に素晴らしいのは音色でしょう。ピアニッシモが胸に響きますし、何とも言えない寂寥感が漂います。終始デリケートな感性が際立つのですが、冴えたタッチで弾かれた部分とのメリハリも効いています!

モニク・アース盤は彼女のラヴェル録音の中で最も優れた演奏ですね。このゆったりした叙情性こそ、彼女の演奏スタイルの本領なのかもしれません。例によって特別なことは何一つしていないのですが、ひたすら真摯に弾くことによって音楽が美しく立ち上っていくのです。
宮沢明子盤は1975年のライブですが、音は良く、真摯に曲に向き合った結果生まれたみずみずしさとはかなさが心に染みます。










2017年5月9日火曜日

オネゲル 「ダヴィデ王」
















日本では滅多に
プログラムに組まれない
名作オラトリオ

2017年のクラシック音楽イベント「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で目玉プログラムの一つと言われたのがオネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」でした。
実際、日本でコンサートプログラムに組まれることは極めて稀で、そのような意味でも大変に貴重な演奏会だったと言えるでしょう。

演奏はこのイベントが3年連続登場となるダニエル・ロイスの指揮で、彼が率いるシンフォニア・ヴァルソヴィア、ローザンヌ声楽アンサンブル、リュシー・シャルタン(ソプラノ)、他の豪華な布陣で、予想に違わぬ素晴らしい演奏となりました。

「ダヴィデ王」で、まず印象的なのがオーケストラの楽器編成ですね。音楽を司る役割を果たしているのが金管、木管、打楽器で、他に場面の雰囲気を盛り上げるチェレスタ、ピアノ、ハルモニウム等が加わります。それに対して弦楽器はチェロとコントラバスのみという、いかにも20世紀前半の空気感を伝える構成だったのでした。

特に主軸になるのはトランペット、ホルン、オーボエ、クラリネットでしょうか……。これらの楽器を駆使して、登場人物の心理描写やあたりの情景、場面のイメージ表現を巧みに行っているのです。



不安と恐怖に怯える
時代に生まれた名作

この独特の楽器編成は作曲された当時の世相も微妙に反映しているのかもしれません。
第一次世界大戦の傷跡がまだ癒えないにもかかわらず、日増しに共産主義やファシズムの足音が近づいてくる緊迫した状況下で、多くの人々が不安と恐怖で精神的な心の拠り所を喪失しかけていることを想わせるのです…。
どちらかと言えば、管弦楽や合唱、歌にしても先鋭的でありながら、現実の苦悩や悲しみ、希望をノスタルジックな響きで、聴き手側に様々な感情を喚起しているのです。

この作品で特徴的なのは、劇中の進行役にあたる語り手がいること(オラトリオやカンタータでいうレチタティーヴォ的な役割)です。ただ、これはレチタティーヴォと違い、歌が一切入らないのでナレーションそのものと言えるかもしれません。

しかし音楽は伴わないものの、この語り手の役割はとても大きいですね……。感情過多になって全体の品位を下げてはいけないし、かと言って感情を表現しないわけにはいかないし、音楽の間を縫い、引き立てる役割なので大変に難しいと言えるでしょう。
そんな語り手のメッセージで強烈に印象に残るのが、ダヴィデが死んだ後のフィナーレの詩です。
「いつかお前の樹の株に再び緑が戻り一つの花が咲くだろう。その香りはこの世のすべての民を、命の息吹で満たすだろう。ハレルヤ!」……。最後のハレルヤへ受け継がれる大切な詩で、この作品の核心部分と言っていいでしょう。まさにこの一節には人を信じていきたい切ない想いや、平和へのすがるような想いが込められているような気がしてならないのです。



改訂版のハーガーと
オリジナル版のロイス

さて肝心の演奏ですが、総合的に最も素晴らしいのがレオポルド・ハーガー指揮ミュンヘン放送管弦楽団、バイエルン放送合唱団、他(オルフェオ)です。1923年の改訂版(オリジナル版より大編成)を使用していて、全体的に骨太でスケールが大きいのが特徴です。しかし、細部まで神経が行き届いていて、管弦楽はまろやかで奥行きのある響きを生み出しています。合唱は深さと陰影があり、随所で美しいハーモニーを聴かせてくれます。語りも歌手も水準以上ですし、録音も良いため、この作品を最初に楽しむにはうってつけの名盤と言えるでしょう。

小編成のアンサンブルのため金管や木管楽器の響きが生々しく響きますし、曖昧な表現は極力排除されています。そのため、作品のディテールや構造が鮮明に浮かびあがってきます。また、合唱の透明感のある響きも実に見事です。
前述のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでの演奏もソリストや合唱をはじめ、ズラリと同じメンバーが名前を連ねていました。

2017年4月19日水曜日

「レオナルド×ミケランジェロ展」






レオナルド・ダ・ヴィンチ(少女の頭部/岩窟の聖母の天使のための習作)
1483-85年頃 トリノ王立図書館 ©Torino, Biblioteca Reale




これはミケランジェロ・ブオナローティ《<レダと白鳥>の頭部のための習作》
1530年頃 カーサ・ブオナローティ
©Associazione Culturale Metamorfosi and Fondazione Casa Buonarrot




素描に秀でた大天才2人を対比する
日本初の展覧会

イタリアルネサンスの大巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの描画を集めた展覧会が東京・三菱一号館美術館で開催されます。

特に興味を惹くのが、それぞれのデッサンを通じて創作の原点や魅力に立ち返っていこうとしているところですね。こういう展覧会って意外とありそうでなかった……。そのような観点でも注目の展覧会です。

レオナルドもミケランジェロもご存知のようにイタリアルネサンスのみならず、西洋美術史にあまりにも大きな足跡を残してきました。
彼らから大なり小なり影響を受けた芸術家ははかりしれない数になることでしょう!

これは偉大な両巨匠の創作の秘密や名作が生まれた背景を探っていくだけでも、充分に価値のある展覧会となることでしょう……。





15世紀イタリアで画家として才能を発揮し、建築、科学、解剖学の分野にまで関心を広げ「万能人」と呼ばれたレオナルド・ダ・ヴィンチ。10代から頭角を現し「神のごとき」と称された世紀の天才彫刻家ミケランジェロ・ブオナローティ。本展は、芸術家の力量を示す上で最も重要とされ、全ての創造の源である素描(ディゼーニョ)に秀でた2人を対比する日本初の展覧会です。素描のほかに油彩画、手稿、書簡など、トリノ王立図書館やカーサ・ブオナローティ所蔵品を中心におよそ65点が一堂に会します。「最も美しい」素描とされる、レオナルド作《少女の肖像/〈岩窟の聖母〉の天使のための習作》と、ミケランジェロ作《〈レダと白鳥〉のための頭部習作》を間近で見比べる貴重な機会となります。(公式サイトより)



「レオナルド×ミケランジェロ展」

会期   2017年6月17日(土)~9月24日(日)
会場   三菱一号館美術館
住所   東京都千代田区丸の内2-6-2
時間   10:00~18:00(最終入場時間 17:30)
     ※祝日・振替休日を除く金曜、第2水曜、
     会期最終週平日は20:00まで(最終入場19:30)
     ※臨時の時間変更の場合あり
     休館日:月曜日 
     ※但し、祝日・振替休日の場合は開館

観覧料  当日:一般 1,700円、高校・大学生 1,000円、
     小・中学生 500円
     前売券:一般 1,500円 (2/4~発売中)

ご質問  TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
HP     http://mimt.jp/lemi/

2017年4月6日木曜日

アルベール・マルケ 「ポン=ヌフとサマリテーヌ」








豊かな感性と
卓越した造形センス

マルケという人はちょっと見ただけだと何でもないような絵を描いてるようにしか見えないのですが、実は凄い絵を描いているということが見れば見るほど伝わってきます。

何がどんなふうに凄いのかというと、それは人並み外れた感性の豊かさと繊細さがあげられるでしょうし、それを形や色としてあたりまえのように抽出する造形センスや情報量の多さがあげられるでしょう…。

その情報量の種類は写真とは異質の世界ですし、写真からは絶対に得られない世界といっていいかもしれません……。またそこにこそマルケの絵の大きな存在価値があると言ってもいいでしょう。

たとえば今回ご紹介する「ポン=ヌフとサマリテーヌ」では、モチーフとなったパリの街並みの空気感や騒然とした雰囲気が醸し出されることはもちろん、画家の目に映った風景や絶えず呼吸する街並みのようすが生き生きと伝わってくるではありませんか…。

この絵ではマルケの持ち味であるグレートーンの色調がとても美しく、冬の寒々とした風景を魅力的に描き出しています。

なるほど画面全体に冬空の寒さが拡がっているように感じますし、雨混じりの雪が路面を濡らし、帰路を急ぐ人々の様子が次第に浮かび上がってきます……。
単純化したタッチなのですが、日常的な光景の中に強い共感と関心を寄せる画家の眼は鋭く、感性のフィルターが冴え渡っています。決してリアリズムを追究して描いているわけではありませんが、ここには写実を越えた心の記憶や感性に訴える実感があるのです。
 

2017年3月31日金曜日

ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30






















ライブでこそ真価が発揮される
ピアノ協奏曲

皆さんは期待に胸を弾ませて行った演奏会で、イマイチ音楽の良さを感知できずに終わってしまったとか、もどかしい思いをしながら聴いていると何が何だか分からないうちに演奏が終わってしまった……、というご経験をされたことはありませんか?
私にとって初めて聴いたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番演奏会がまさにそれでした。

彼の有名なピアノ協奏曲第2番がロマンの固まりのような情緒と哀愁に彩られた名曲であるのに比べ、この曲はかなりとっつきにくいという印象を受けたものです。突発的なフレーズが頻出したり、調が変わったりして曲の流れがつかみにくく、音楽の脈絡を追っていくのが大変だ……というのが偽らざる実感でした。

実際この作品は1909年の初演以来、長い間市民権を得られずに不当な扱いを受ける時期があったようですね。ヴィルトゥオーゾ(圧倒的なテクニックと表現力で聴衆を魅了する超一流の演奏家)でなければ容易に弾きこなすことが出来ないテクニック的な難しさや曲の難解さが、このことにますます追い打ちをかけたことも間違いないようです。

ではこの作品は失敗作なのかというと、決してそんなことはありません。上述したヴィルトゥオーゾ的な醍醐味を味わえるのはもちろん、音楽の持つ多彩な表情や緊張感、エネルギーは傑作第2番を越えていると言ってもいいでしょう。

その上、第1楽章全体に流れる寂寥感は凍てつく冬の大地を想わせ、ラフマニノフらしい哀愁とロマンを湛えているのです。 また、第2楽章アダージョ冒頭の郷愁を誘うオーボエの美しい旋律は悲哀に満ちていて、憂鬱でやるせない想いが胸にひたひたと迫ってきます…。
第3楽章は第2楽章から切れ目なく演奏されますが、ここではあらゆるフレーズが奔放に飛び交います。なりふり構わないピアノとオケの絡みがフィナーレに向けて怒濤のように押し寄せる様子が圧巻です!

この曲はCDで聴くよりも、絶対的にライブコンサートで感動と興奮を味わうべきでしょう! まさにライブ向きの音楽だと断言しても決して過言ではありません。私のような失敗例はありますが、演奏会に行く前に、何度もCDを聴いて音楽の良さを実感出来れば、痺れるような感動体験が待っているかもしれませんね……。



揺るがぬ自信と確信を持った
ピアニストのみが
太刀打ち出来る

前述したようにこの曲はピアニスト泣かせの難所が少なくありません。特にピアノパートのおびただしい音符の数は唖然とするほどで、まるでピアノ一台で全体の曲調を創りあげ、歌い、呼吸をするように聴こえるほどなのです。したがってこの曲を演奏するピアニストは技巧的にも精神的にも揺るがぬ自信と確信を持った人でなければ太刀打ちできないということになるでしょう……。

ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)、ベルナルド・ハイティンク指揮ロイヤルコンセルトへボウ管弦楽団(Decca)は作品の本質をどの演奏よりも分かりやすく、かつラフマニノフ3番の音楽の魅力を損なうことなく最大限に伝えてくれる演奏といっていいでしょう。
アシュケナージの端正で雄弁な音の佇まいとロイヤルコンセルトへボウの豊かなハーモニーは聴いていて安心で、ラフマニノフらしいロマンの香りが至る所で鳴り響いているのです。これは3番を聴き始めた方にとっても、また難しいと思っている方にも、その魅力に気づかせてくれる水先案内人のような名盤と言えるかもしれません。

ウラディーミル・ホロヴィッツ(ピアノ)、ユージン・オーマンディ指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(RCA)は今や歴史的な名演奏として、多くの人に語り継がれている名盤です。ホロヴィッツはこの曲を「自分の音楽だ」と豪語し、ピアニストでもあった作曲家(ラフマニノフ)が、その演奏に一目置いていたということは有名なエピソードですね。これは揺るがぬ自信と確信を持ったピアノ演奏の最たるものと言えるでしょう。1977年のライブのため鮮度にやや欠けるのが欠点ですが、ホロヴィッツの奔放で凄みのあるピアノは今聴いても圧倒的です。

ユジャ・ワン(ピアノ)、グスターボ・ドゥダメル指揮ベネズエラ・シモン・ボリバル交響楽団(グラモフォン)もライブ演奏ですが、音も良く、充分にその興奮と緊張感が伝わってきます。ワンのピアノは技巧的に非のうちようがありませんし、ドゥダメルの指揮も冴え渡っていて、終始熱い想いが伝わってくるのです!

2017年3月21日火曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2017







ゴールデンウィークの
クラシック音楽の一大イベント

毎年恒例のゴールデンウィークのクラシック音楽イベントとして、すでに充分な実績を積んできた「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」が今年もやってまいります!

この音楽祭の良さを一言で言うならば、通常のクラシックコンサートにつきまとう堅苦しさがまったくないということですね。日本でも格式張らないで、やっとこのような自由に純粋に音楽が楽しめる空気が出来つつあることに希望を感じますし、うれしい限りです。そのような意味ではこの音楽イベントがもたらした功績は大だと言えるでしょう。

今年のテーマは「ラ・ダンス 舞曲の祭典」。ストラヴィンスキーのバレエ音楽やラヴェルの「ボレロ」あたりが思い浮びますが、ショパンのピアノ音楽もプログラムを賑わしているようです。今から楽しみです!

さて、今回のプログラムをざっと見渡したところ、目をひいたのがアルテュール・オネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」です。
オネゲルと言えば、後年のオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」が有名ですが、これはそれに先立つこと15年前の作品。おそらく日本で演奏されることは滅多にないのではないでしょうか。
今回は昨年のハイドンの「天地創造」が素晴らしかったダニエル・ロイスが指揮を担当するということもあって、期待に胸が膨らみます。