日本では滅多に
プログラムに組まれない
名作オラトリオ
2017年のクラシック音楽イベント「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」で目玉プログラムの一つと言われたのがオネゲルのオラトリオ「ダヴィデ王」でした。
実際、日本でコンサートプログラムに組まれることは極めて稀で、そのような意味でも大変に貴重な演奏会だったと言えるでしょう。
演奏はこのイベントが3年連続登場となるダニエル・ロイスの指揮で、彼が率いるシンフォニア・ヴァルソヴィア、ローザンヌ声楽アンサンブル、リュシー・シャルタン(ソプラノ)、他の豪華な布陣で、予想に違わぬ素晴らしい演奏となりました。
「ダヴィデ王」で、まず印象的なのがオーケストラの楽器編成ですね。音楽を司る役割を果たしているのが金管、木管、打楽器で、他に場面の雰囲気を盛り上げるチェレスタ、ピアノ、ハルモニウム等が加わります。それに対して弦楽器はチェロとコントラバスのみという、いかにも20世紀前半の空気感を伝える構成だったのでした。
特に主軸になるのはトランペット、ホルン、オーボエ、クラリネットでしょうか……。これらの楽器を駆使して、登場人物の心理描写やあたりの情景、場面のイメージ表現を巧みに行っているのです。
不安と恐怖に怯える
時代に生まれた名作
この独特の楽器編成は作曲された当時の世相も微妙に反映しているのかもしれません。
第一次世界大戦の傷跡がまだ癒えないにもかかわらず、日増しに共産主義やファシズムの足音が近づいてくる緊迫した状況下で、多くの人々が不安と恐怖で精神的な心の拠り所を喪失しかけていることを想わせるのです…。
どちらかと言えば、管弦楽や合唱、歌にしても先鋭的でありながら、現実の苦悩や悲しみ、希望をノスタルジックな響きで、聴き手側に様々な感情を喚起しているのです。
この作品で特徴的なのは、劇中の進行役にあたる語り手がいること(オラトリオやカンタータでいうレチタティーヴォ的な役割)です。ただ、これはレチタティーヴォと違い、歌が一切入らないのでナレーションそのものと言えるかもしれません。
しかし音楽は伴わないものの、この語り手の役割はとても大きいですね……。感情過多になって全体の品位を下げてはいけないし、かと言って感情を表現しないわけにはいかないし、音楽の間を縫い、引き立てる役割なので大変に難しいと言えるでしょう。
そんな語り手のメッセージで強烈に印象に残るのが、ダヴィデが死んだ後のフィナーレの詩です。
「いつかお前の樹の株に再び緑が戻り一つの花が咲くだろう。その香りはこの世のすべての民を、命の息吹で満たすだろう。ハレルヤ!」……。最後のハレルヤへ受け継がれる大切な詩で、この作品の核心部分と言っていいでしょう。まさにこの一節には人を信じていきたい切ない想いや、平和へのすがるような想いが込められているような気がしてならないのです。
改訂版のハーガーと
オリジナル版のロイス
さて肝心の演奏ですが、総合的に最も素晴らしいのがレオポルド・ハーガー指揮ミュンヘン放送管弦楽団、バイエルン放送合唱団、他(オルフェオ)です。1923年の改訂版(オリジナル版より大編成)を使用していて、全体的に骨太でスケールが大きいのが特徴です。しかし、細部まで神経が行き届いていて、管弦楽はまろやかで奥行きのある響きを生み出しています。合唱は深さと陰影があり、随所で美しいハーモニーを聴かせてくれます。語りも歌手も水準以上ですし、録音も良いため、この作品を最初に楽しむにはうってつけの名盤と言えるでしょう。
また、ダニエル・ロイス指揮スイス・ロマンド管弦楽団、リュシー・シャルタン(ソプラノ)、クリストフ・パリッサ(語り手)、ローザンヌ声楽アンサンブル他(MIRARE)は1921年のオリジナル小編成版で演奏しています。
小編成のアンサンブルのため金管や木管楽器の響きが生々しく響きますし、曖昧な表現は極力排除されています。そのため、作品のディテールや構造が鮮明に浮かびあがってきます。また、合唱の透明感のある響きも実に見事です。
前述のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでの演奏もソリストや合唱をはじめ、ズラリと同じメンバーが名前を連ねていました。
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