2014年10月27日月曜日

モーツァルト 「ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491」
















内面を見つめるピアノと
木管楽器の美しい響き

 モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中でも、24番K491はかなり謎めいた異質の曲です。同じ短調の曲でもピアノ協奏曲20番K466が若々しい情熱と颯爽とした気品に彩られているのですが、K491は徹頭徹尾、心に深い傷を負った魂の発露のように聴こえるし、鎮魂曲のようにも聴こえるのです。

 ここにはいつものモーツアルトの胸躍るメロディはありません。
 第1楽章冒頭の暗い情念を漂わせる主題と管弦楽の悲痛な叫び……。そしてそれに伴うファゴット、クラリネット、オーボエ等の哀惜に満ちた響きは、まるで悲しみを押し殺した作曲家の心を映し出すかのようです。瞑想と悲嘆にくれる木管楽器の音色は時に哀しい小鳥のさえずりを想わせ、モノトーンの幽玄な世界をも表出していきます。
 苦悩に満ちた表情は曲が進むにしたがってますます強くなっていきます。このような曲調であれば救いようのない暗さに埋没しかねないのですが、さすがはモーツァルト! 内面を見つめるピュアなピアノの響き、ピアノと木管楽器の対話や木管楽器の美しい響きが曲を深刻さや閉塞感から救い、いたるところに澄んだ穏やかな空気を届けてくれるのです!



涙に濡れながら
澄みきった心の世界を表現

 第2楽章は魅力的な音や響きが満載なのですが、聴いていると無性に哀しくなる音楽です。
 第1主題を「天国的なメロディだ」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、私にはとてもそうは思えません……。夢幻的な美しさをたたえたピアノと木管による第1主題は安らかな笑みさえ浮かべて進行していくのですが、この時すでに涙に濡れながら立ちつくしているモーツァルトの姿が目に浮かんでくるようで仕方がないのです。ただ、この主題からはとてつもないモーツァルトの優しさや澄み切った心の世界を感じるのも事実ですね……。
 この主題は中間部や展開部に進んでいく中でさまざまな形に姿を変え発展していきます。音楽がぐんぐんと拡がりを増していくのも見事ですが、淡い水彩画のような木管楽器とピアノとの美しい絡みが特に印象的です。

 第3楽章はひそやかに曲が開始されますが、音楽が冗長な経過句や主題、技法等によって流れが遮断されたり、停滞することは一切なく、音色、リズム、構成等すべてにおいて終楽章を飾るにふさわしい引き締まった名作です。
 8つの変奏曲で構成されていますが、それぞれの変奏曲はあらかじめ音楽の到達点を知っているかのように一直線に進んでいきます。ピアノや木管楽器、管弦楽が有機的に絡まり、発展を重ねる中での音楽からあふれ出る崇高な情感や詩情は比類がありません……。
 また、モーツァルトらしい愉悦感も随所に聴ける魅力作といってもいいでしょう。ここでも木管楽器が奏でる妙なる調べは、大きな効果を生み出しています。
 


内田とハイドシェックの
味わい深い名演

 K491はピアノと管弦楽のバランスをどのように表現するのか難しい曲です。どちらか一方に偏りすぎても曲の本質を生かせないという事実があるのでしょう。

 特に内田盤は第1楽章、第2楽章の情感の深さと木管楽器の美しさに魅了されます。内田のピアノは表情に立体的な奥行きがあり、テイトの指揮も緊迫感あるドラマを展開して、この曲を聴く醍醐味を目一杯味わせてくれます。
 それに対してハイドシェック盤は自在な流れと響きでモーツアルトの音楽の素晴らしさを伝えようとしています! その結果、第3楽章はストレートな進行にもかかわらず、あふれるような音楽の魅力を伝えることに成功しています。グラーフの指揮する管弦楽は悪くはないのですが、メリハリにやや乏しく音楽の美しさや意味が伝わりきらないところも多々見られのがちょっと残念です。 




2014年10月21日火曜日

モンドリアン 「赤・青・黄・黒のコンポジション」











宇宙の調和は
抽象でなければ表現できない

 絵から無駄な要素をすべて取り除いていったら、いったい最後には何が残るのでしょうか…。
 一見、無謀とも思えるこのような試みを実際に絵で実現しようとした人がいます。それがピエト・モンドリアンでした。彼はアムステルダム国立アカデミー卒業後、ゴッホやスーラの点描画に大きな関心を抱き、色彩と線の持つ力を実感するようになります。
 その後、ピカソやブラックらのキュビスム絵画が幾何学形態への展開や発展を絵のテーマとすることに大きな衝撃を受け、一気に抽象絵画へと向かうようになります。しかしそれも後年の極めてシンプルな絵画へと移行する過程でしかなかったのでした…。

 「宇宙の調和を絵画で表現しようと思えば、どこまでも単純明快になるし、不要な線、色彩を排除していかなければならない」。 このようなポリシーのもとに、彼は年を追うごとに幾何学的で抽象的な表現を突き詰めていくようになります。初期は抽象的なかたちの集合体で羅列されていたものが、晩年には「これは記号なのか……」と見間違うほどに一つ一つの事物に大きな意味を持たせるようになっていくのでした。
 
 1920年頃からは黒い枠線と限られた色彩で構成された絵がモンドリアンのスタイルとして定着するようになります。そのような中で生まれた「赤、青、黄、黒のコンポジション」は彼自身における真実、秩序、ルールを構築する一つの理想の実現だったのでしょう。



有機的な線と空間表現

 したがって人によっては「何を描いても同じ」とか、「パターンの組み替えをその都度行っているだけ」とか揶揄する人も少なくなかったでしょうし、そのことゆえに様々な苦悩を背負わざるえない状況に陥ったことは察して余りあります。
 しかし力強く安定感を漂わせる黒い枠線や枠内に彩色された赤、青、黄、黒のヴィジュアル表現からは絶妙なバランス感とともに、優美で端正な空間が拡がっていきます。
 単純な線、色彩の配列、組み合わせによって様々なメッセージを伝達することが可能になり、多くの示唆を与えてくれることを端的に絵として示した稀有な例と言えるでしょう。
 ここまでくると、もはや絵画の領域というよりはすでに20世紀以降のデザインの色面分割・色面構成に通じるものがありますね。
 「真実のものは抽象的な表現からしか出てこない」という彼の理念とスタイルはデザインや建築等の様々な分野で多大な影響を与えていますし、先見の明を持った巨人だったのかもしれません…。





2014年10月14日火曜日

クリストファー・ホグウッドさんの死…










古楽の星
ホグウッドさん逝く


 クリストファー・ホグウッドさんが9月24日に逝去されました。73歳だったということです。今年の秋に日本で公演が予定されていたプログラムはキャンセルになり、心配されていた方も少なくなかったと思いますが、本当に残念です。

 ホグウッドさんといえば、強烈な印象を植えつけられたのがヘンデルの「メサイア」(オワリゾール)でした。それまで大編成のオーケストラとコーラスで圧倒する演奏が主流だった当曲に、オリジナル楽器ならではの魅力をつけ加え、新鮮な驚きと感動を与えてくれたのです。

 小編成のオーケストラから繰り広げられる透明感に満ちた響きやカークビーをはじめとするソリストや合唱から澄んだハーモニーをもたらしてくれた衝撃は35年を経過した今も忘れられません。
 あの名演奏からヘンデルのオペラ、オラトリオの演奏はすっかり変わった…と言っても過言ではないように思います。

 その後もヘンデルのオラトリオ「アタリヤ」、「エステル」、オペラ「オルランド」、「リナウド」、モーツァルトのオペラ、交響曲集、ハイドンのオラトリオ、交響曲集等、バロック、古典派で披露してくれた嫌味のない音楽に胸をワクワクさせたものでした。

 ホグウッドさんがオリジナル楽器に市民権をもたらした功績、ヘンデルの音楽に新たな光をあてた功績は、今後も決して忘れ去られることはないでしょう。
 改めてご冥福をお祈りいたします。





2014年10月7日火曜日

「コンサートホール原盤」復刻シリーズ カール・シューリヒト/モーツァルト交響曲集














過去の名盤をリニューアル販売する
路線の定着

 現在、新譜のクラシックCD売り上げが軒並み頭打ち状態(これは決してクラシックに限ったことではありません…)ですが、これに対する打開策として各レーベルでは過去の名盤をリニューアルして販売するという路線が定着しているようですね。

 昔からのクラシックファンとしてはうれしい限りなのですが、問題は中身です。せっかく名盤を再発売しても録音が良くないと興ざめです。改めて出すのなら、何らかのメリットがなければ出す意味はなくなってしまうでしょう。おそらく多くのファンが期待するのは低価格実現でしょうが、それ以上にファンが望むのはやはり録音でしょう。



デジタル至上主義時代が
終わりを告げる

 たとえば、LP時代にリリースされ録音も良かった名盤が、CDでリリースされたと同時に飛びついて購入したら、どうも様子が違っていたという話をよく耳にします。
 音がキンキンするとか、まろやかさがないとか深みがないとかそのような不満が噴出していたのを覚えています。つまり音が物理的にいい悪いというより、大切な何かが聴こえなくなってしまったということなのですね……。

 どんなにデジタル信号で音を処理するといっても、それを聴くのは生身の人間です。豊かな感性を持ち、心の音を求め続ける敏感な人間の耳を癒すには限界があったということなのでしょう。

 デジタル至上主義といわれた時代もようやく終わり、アナログとの幸福な融合がなされなければ、音楽文化が廃れてしまうと心ある人たちは感づいてきたのでしょう。制作スタッフの方々の努力により、最近リリースされた過去の名盤は以前のCD録音をはるかに凌駕し、初出のLPの音を思わせる素晴らしい録音が増えてきたことは確かですね…。



思いもよらなかった
シューリヒトの名演の復活!

 タワーレコードのサイトの解説では「今回の再発においては、日本コロムビア所蔵のアナログ・マスターより、新規でCDマスターを制作しました。アナログ・マスター・テープから入念にデジタル化(192kHz/24bit)し、さらに綿密なリマスタリングを施した上で発売いたします」とありますが、まさにその言葉どおり並々ならない音へのこだわりが素晴らしい音質のCDとなって蘇っていました。

 今回販売されたシューリヒトのモーツァルト交響曲集では38番「プラハ」(DENON)が様々なところで名演と評されて、例外的にCDショップでも購入可能でした。しかし、シューリヒトのモーツァルト交響曲集の魅力はそれだけにとどまりません。特にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」は以前からシューリヒトのコンサートホール盤でしか味わえない独特の良さがあったために、今回このような形で音質が大きくアップして復刻されたのはうれしい限りです! 

 「ジュピター」の第4楽章フィナーレは晴朗な輝かしい曲でフーガの見事さはもちろんですが、驚くほど深い意味が盛られた音楽ですね。喜びや悲しみ、苦悩、希望等のさまざまな感情が洪水のように押しよせ、一音一音に深い意味が込められていくのですが、音楽は停滞したり冗長することなく、宇宙意思によって深化され、純化された音楽となっているのです。こんなに美しく澄みきった境地を表現した音楽が他にあるでしょうか……。

 シューリヒト盤はその音楽の本質を突いた素晴らしい名演奏と言っていいと思います。派手さは一切ないものの、楽器の響きにシューリヒトの息づかいがはっきりと伝わり、豊かな人間味を伴った音色やフレージング、高貴で厳しい音楽となって現れてくるのです。
  その他、「プラハ」はもちろん、「リンツ」、40番もシューリヒトでしか実現不可能な聴く価値が大いにある名演奏です!



【CD曲目】
モーツァルト:
DISC1
1.
交響曲 36 ハ長調 K.425《リンツ》
2.
交響曲 38 ニ長調 K.504《プラハ》

DISC2
3.
交響曲 40 ト短調 K.550
4.
交響曲 41 ハ長調 K.551《ジュピター》

【演奏】
パリ・オペラ座管弦楽団
カール・シューリヒト(指揮)

【録音】
1961
11(1)19636(2)、パリ
オリジナル記載無し(3,4) [19646月、パリ]
 


2014年10月4日土曜日

オットー・クレンペラー/没後40年記念 アニヴァーサリー・エディション










▲モーツァルト オペラセットBOX







以前は考えられなかった
クレンペラーの名盤が
お得な価格のボックスセットに!

 いまや伝説の巨匠指揮者フルトヴェングラーと同じ時代に生きたオットー・クレンペラー(1885~1973)はクラシックファンにはあまりにも有名なカリスマ的存在の指揮者ですが、そのクレンペラーに最近(と言っても既に2年が経っているのですが……^^;)目を疑うようなCDボックスセット(巨匠クレンペラーの没後40年を記念したアニヴァーサリー・エディション!※輸入盤)がリリースされました。これはクレンペラーファンにとってもそうでない人にとっても、驚愕のCDボックスセットと言ってもいいでしょう。


 どれもこれも見落とせないような名演奏揃いで、しかも一つのボックスが大体6枚から12枚のCDがギュッと詰まった信じられないような珠玉のボックスセットとなっています!価格は平均して2500円前後で発売されており、その安さにもただただ驚いてしまいます。

 ちなみに今回購入したCDセットは「Romantic Symphonies & Overtures」 と題するロマン派交響曲集なのですが、このセットも10枚入りの贅沢な内容になっています。たとえばメンデルスゾーンの3番「スコットランド」や「フィンガルの洞窟序曲」、「真夏の夜の夢組曲」、シューマン1番「春」、3番「ライン」、ベルリオーズ「幻想交響曲」、ウェーバーの序曲集、フランクの交響曲、ドボルザークの新世界交響曲、チャイコフスキーの悲愴等々、昔夢中になった世紀の名演と名高いロマン派の交響曲録音が惜しげも無く投入されているのです!
 これを聴けば誰もがクレンペラーの至芸に打ちのめされてしまうのでは……と思うほど録音も良くすべてに満足度の高いこのボックスセットは、もしかしたらあなたの心の宝物になってしまうかも…。

 一方の雄フルトヴェングラーがステレオ時代に入る前にこの世を去ってしまったのに比べ、ステレオ録音の最盛期1970年代まで活躍したクレンペラーは録音には非常に恵まれていたのかもしれませんね。
 整然としてがっちりとした造型と気品あふれる指揮が大きな魅力だったこの巨匠指揮者の芸術を改めて見直すいい機会になるかもしれません、






2014年10月1日水曜日

クロード・モネ 「睡蓮の池、夕暮れ」









モネの晩年の渾身の作

 全長6メートルにもおよぶ大きさのこの絵は現在「チューリヒ美術館展」(2014年9月25日~12月15日=東京、2015年1月31日~5月10日=神戸)で日本初公開されています。とりわけ印象的なのは画面全体を覆う水面に映った夕陽ですね。
 夕陽に反響した水面は強いエネルギーを獲得し、神秘的な輝きを放っています!これは、当時視力を失いかけていたモネの渾身の作で、そのあまりの絵に対する純粋さに心うたれてしまいます。

 この絵はモネ自身の心象風景なのかもしれませんし、希望の灯を失わずに生きていこうという強い信念が水面に映る夕陽として結実したのかもしれません。

 「時間の流れとともに多彩な表情を映し出す水面とそこに浮かぶ睡蓮の花の対比の面白さ……。」以前の投稿で、モネの睡蓮をテーマとして扱ったとき、こんな表現を使ったことがありました。

 モネは晩年自宅に日本風の池を造り、よくも飽きもせずにと思うくらい睡蓮の絵ばかりを描き続けたのですが、この作品をじっと見ていると、もはや具象とか抽象とかという形式的なジャンルで区分けできるような絵ではないということを痛感するのです。色彩やフォルム、空気感、時間軸までが渾然一体となっており、モネが行きついた最後の境地といっていいかもしれません。

 最晩年にこんなにスケールの大きい意欲作を描きあげたということは、モネにとって睡蓮の池は喜怒哀楽を率直に映し出す鏡であり、心の原風景となっていたのかもしれません……。
 これほどの大作になると、画集や写真で見るよりも原画を直接ご覧になるほうがいいのは間違いないでしょう。なぜなら、画家の絵に込められた息づかいや微妙な色合いのニュアンス等の絵全体から伝わるメッセージは印刷物とではやはり段違いだからです。





2014年9月14日日曜日

ブラームス ピアノ協奏曲第2番(2)











時間の流れが止まってしまったかのような
錯覚を覚える第3楽章

 ブラームスのピアノ協奏曲第2番はあらゆる協奏曲の中でも際立って密度の濃い音楽ですね。この曲については以前も投稿させていただいたことがありました。
  どうしてこのピアノ協奏曲が好きなのかといえばあの第3楽章アンダンテがあるからなのです。夕映えに照らされた広々とした大地を想わせる第1楽章やシンフォニックな第2楽章、無垢な味わいの第4楽章等々それぞれに素晴らしいのですが、私にとっては何といっても第3楽章に尽きます。

 内省的で温もりにあふれたこの第3楽章アンダンテを聴くと、いつも時間の流れが止まってしまったかのような錯覚を覚えるのです……。これまでこのアンダンテにどれほど癒されたことかはかりしれません。心身ともに疲れたときにピアノ協奏曲第2番から第3楽章をとりだして聴くことが多いのですが、やはり他の楽章とは何かがちょっと違う気がします……。何よりも肩の力を抜いてじっくりと音楽に浸れるのが魅力なのでしょう。私にとっては疲れた心を癒し、静かに傍らに寄り添ってくれる数少ない音楽なのです。



万感の思いが込められたテーマと
ピアノのモノローグ

 まず、チェロとヴィオラが奏でる出だしの万感の思いが込められた旋律に強く惹かれます。何という優しさと味わい深さでしょう! ピアノが奏でる旋律はこれといったメロディがなく、管弦楽が奏でる対旋律にモノローグのように語りかけるのみなのですが、これがとても効果的で瞑想や深い余韻が心に沁み渡っていくのです。

 特に印象的なのは中間部でピアノと管弦楽が心の動揺を訴えるように強奏する部分とそれに続くクラリネットとピアノが対話を繰り広げるところから辺りの情景が一変するところですね。様々なしがらみから解放されたような解脱感が心地よく、本当の意味での遊びの境地が夢のような世界を紡ぎ出していきます。

 演奏はやはりバックハウスとベームがウィーンフィルと競演したデッカ盤が永遠不滅の名盤と言ってもさしつかえない素晴らしさです。1967年の録音ですが、録音状態は優秀で今もってその魅力は少しも色あせていません。特に前述の第3楽章は融通無碍のバックハウスのピアノとベームの好サポート(もちろんウィーンフィルの音色の美しさも抜きにはできません)で魅力が倍増したといっても過言ではありません。

 もちろんその他の楽章も最高のできばえで、ピアノと管弦楽が高次元なレベルで最高のバランスを保ちながら進行していきます。これこそ「感動」を共有するために一切妥協しないで生まれた奇跡の産物と言えるのではないでしょうか。ブラームスが伝えたかった強靭な魂や抒情的な美しさもこの演奏によってこそ、本当の意味が刻印されたといっても間違いではないでしょう。