2014年3月29日土曜日

ラフマニノフ 「ヴォカリーズ」














人生の翳りや望郷の想いが浮かんでくる名曲

 この曲は1913年に作曲された「14の歌曲集作品34」の終曲です。「ヴォカリーズ」とは歌詞がなく、母音のみで歌う歌唱法のことで、18世紀のフランスの作曲家たちが声楽の練習曲として用いたのが最初だと言われています。

 おそらく、あまり歌詞ばかりに心を奪われないように、もっと自由な解釈で豊かな表現が出来るように……、という意味もあったのでしょう。 
 さて、現在は「ヴォカリーズと言えばラフマニノフ」というくらい、ラフマニノフの名曲のひとつとして定着してしまった感がある「ヴォカリーズ」ですが、確かにこれはラフマニノフ一世一代の名曲・名旋律ですね。

 例によって「ア~ア~」という母音で切々と哀感を漂わせて歌われるのですが、そこに漂う奥深い情感は「ヴォカリーズ」という形式だからこそ可能だったのかもしれません。人生の翳りや望郷の想い、神秘的な色合い等、様々な情景が浮かんでは消え、また感情が芽生えてきます……。

 「ヴォカリーズ」は曲の性格上、リリックソプラノで透明感のある声の持ち主が適している事は間違いないのでしょうが、曲の哀愁や情感を出すとしたら、決してそうとも言い切れないのがこの曲の難しいところです。しかも歌詞がないため、ソリストの方は自分で表現をアプローチして組み立てていかなければならないところが最大の難所かもしれません。 

 かつての名ソプラノ、アンナ・モッフォが収録した録音は情緒・雰囲気・歌唱共に最高です。決して誇張する事のない自然な歌唱なのですが、様々な情景が次第に開けてくるような情感は他の盤からは聴けないものです。ゆるやかに聴く人の心を包みこむように流れていく歌は時の流れが止まったかのようにさえ思われます。






2014年3月22日土曜日

忘れられないアーティストたち  フルトヴェングラー(1)

           
















ベートーヴェンの唯一無二の魅力

 フルトヴェングラーがこの世を去ってから既に60年ほどの歳月が流れました。返す返すも残念なのは、彼がステレオ録音時代に入る前に世を去ってしまったということです。もしせめて、あと5年だけでも生きていてくれたならば、おそらくステレオ録音の名演奏も数多く残していてくれたのだろう……という無念な想いがいつも胸をよぎるのです。

 私にとってフルトヴェングラーという人は巨匠、天才指揮者という以上に、演奏芸術や指揮の奥深さを実感させてくれた水先案内人という印象が強いのです。彼が残した数々の名演奏の中でも圧倒的に素晴らしいのは、やはりベートーヴェンの交響曲でしょう。特に第9と第5、第3「英雄」は今もなお比較する盤がないくらい別格的な演奏と言っても過言ではありません。

 第9は有名なバイロイト盤をはじめとして、ライブ演奏も含めると何と8回も録音しており、いかにこの曲の本質を理解し、共感していたかを物語っているといえるでしょう。



第9の魅力を教えてくれたフルトヴェングラーの名演

 この曲の最大の関門は抽象的で神秘的な第1楽章です。この楽章が最初にあるため「第9は難しい」と敬遠される方も少なくないのではないかと思います。「哲学的」であるとか「形而上学的」と評されるように、理屈で音楽を表現しようとしても何も語りかけない難解な音楽で、多くの指揮者が表現に苦心惨憺するところなのです。    
 バーンスタインやカラヤンが指揮した第1楽章を聴いた時はまったく意味が理解できず、ますます第9は遠い存在になってしまったことを覚えています……(^_^;)。

 ところがフルトヴェングラーの第9の第1楽章はまったく違いました! それは今や伝説的とも評される有名なバイロイト盤との出会いでした。冒頭からまるで別世界で音が鳴っているような苦渋に満ちた重々しい響きやスケール雄大な独特の雰囲気に満たされ、一瞬にして私の心をつかんで離さなくなったのです…。
この時初めてベートーヴェンの第9の本当の偉大さを実感しましたし、また、こんなにも芸術的に第9を振る指揮者が世の中にいたのか!という驚きと感動が心の中を熱いもので満たしていったのです。

 以来、ベートーヴェンの第9の第1楽章は大好きになり、俄然フルトヴェングラーの芸術は心の奥深くに記憶されたのでした。 今なおこの第1楽章を深遠に意味深く伝えてくれた人は後にも先にもフルトヴェングラーしかいません。もちろん第2楽章のテンポの流動を伴う強靱な意志力の表出、時間の経過を忘れるような第3楽章の深い瞑想と崇高な祈り、そしてコーラスと管弦楽が渾然一体となった恐るべき第4楽章等の素晴らしさは言うまでもないでしょう! 

(第2回に続く)










2014年3月19日水曜日

「赤松陽構造と映画タイトルデザインの世界」








『東京裁判』(1983年、小林正樹監督)赤松氏によるタイトルデザイン






文字の訴求力の強さ=映画タイトルデザイン


 私たちがいつも接している大事な情報に「文字」があります。
 本の表紙には必ず書籍タイトルがありますし、展覧会や演劇のチラシにも必ずタイトル文字が使われています。最近ではWebデザインの世界でもポイントになるフォントの役割の大きさがクローズアップされています。  

 しかし「文字」は見やすい、わかりやすいだけでなく、人の心に忘れられない印象や作品の世界を植え付けることこそ大きな醍醐味なのです! 
 この文字をどう見せるか、扱うかは制作者のセンスと技量にかかってきますし、訴求効果の高い、とてもやりがいのある作業といっていいでしょう。

 さて、東京国立近代美術館で4月より開催される「赤松陽構造と映画タイトルデザインの世界」は、そのような「文字」の効果を最大限に生かした芸術をご紹介する展覧会です。映画の世界をより端的に表現したといってもいい、様々な表情を持った赤松陽構造氏の文字の世界……。
 出来上がった作品を拝見すると、制作者の息づかいが伝わってくるような気がするのですが……。
 この展覧会では無声映画時代からのタイトルデザインの歴史についても同時に紹介されるとのこと。楽しみな展覧会です。






 題名のない映画はありません。どんな映画も、題名とともに観客の記憶に刻まれてゆきます。そして、上映が始まる時、題名の文字がどのようにスクリーンに現われるかも映画の楽しみの一つでしょう。字体や大きさや色、動き方によって題字やクレジットタイトルが映画に与える効果は大きく異なりますが、それを具体的な形にし、映画の魅力を高めるのがタイトルデザインという仕事です。そのためにはデザイン力の高さだけではなく、作品世界の的確な把握、文字を描くための技術的熟練、そして鋭敏なインスピレーションが求められます。
 この展覧会「赤松陽構造と映画タイトルデザインの世界」では、現代の映画タイトルデザイン界の第一人者である赤松陽構造氏の業績を紹介するとともに、無声映画時代から華やかな字体で映画を彩ってきた日本のタイトルデザインの歴史についても解説します。『東京裁判』(1983年)のタイトルで大きく注目された赤松氏は、これまで黒木和雄・北野武・黒沢清・阪本順治・周防正行監督作など400以上の作品にタイトルを提供し、現代日本映画を支えてきました。つい忘れられがちながら、常に映画の本質を担ってきた映画文字の芸術をお楽しみください。(展覧会・公式サイトより)


赤松陽構造  あかまつ・ひこぞう
1948
年、東京都中野区生まれ。1969年に急逝した父親の跡を継いで映画タイトルデザインの仕事を始めてから、現在までに400以上の作品を担当、現代日本の映画タイトルを代表するデザイナーとなる。日本タイポグラフィ協会会員。第66回毎日映画コンクール特別賞、文化庁映画賞[映画功労部門]を受賞(いずれも2012年)。(展覧会サイトより)


展覧会構成

・映画のタイトルデザインとは
・日本の映画タイトルデザインの歴史
・赤松陽構造の映画タイトルデザイン
・赤松陽構造の仕事部屋


会期     2014415()810()
       *月曜日および527日(火)から529日(木)は休室です。
開室時間   11:00am-6:30pm(入室は6:00pmまで)
休室日    月曜日
観覧料    一般210円(100円)/大学生・シニア70円(40円)/高校生以下
       及び18歳未満、障害者(付添者は原則1名まで)、MOMATパスポート 
       をお持ちの方、キャンパスメンバーズは無料

       *消費税増税に伴い、201441日以降、一般(個人)の観覧料を
       210円に改定いたします。
       *料金は常設の「NFCコレクションでみる 日本映画の歴史」の
       入場料を含みます。
       *( )内は20名以上の団体料金です。
       *学生、シニア(65歳以上)、障害者、キャンパスメンバーズの
       方はそれぞれ入室の際、証明できるものをご提示ください。
       *フィルムセンターの上映企画をご覧になった方は当日に限り、
       半券のご提示により団体料金が適用されます。
協力     株式会社日映美術、宮下印刷株式会社





2014年3月18日火曜日

J.S.バッハ 管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1066











明暗を分ける管弦楽組曲

 バッハの管弦楽組曲といえば昔から圧倒的に2番と3番が有名で、CDでハイライト盤が組まれる場合はほぼ例外なく2番、3番が選ばれてきたと言っていいでしょう。
 2番と3番はバッハの作品全体の中でも演奏される機会が多く、録音が多いことでも有名でした。それに比べると地味で(人気がないとは言いませんが…)不幸な立場にある1番と4番ですが、それではバッハの作品としては不出来な部類なのでしょうか……。
 いえいえ決してそんなことはありません。2番のパディヌリや3番のエアのような人気曲こそありませんが、充実した構成と創造的な音楽の展開はバッハの音楽を聴く醍醐味でいっぱいです。

 特に1番の序曲は伸びやかで晴朗な響きが快く、希望の芽が段々と膨らんでいくような実感があります。数々の舞曲も新しい試みでいっぱいで、音楽の息吹が全編にみなぎっています。



不人気な1番、4番に光を照らしたゲーベル

 1番と4番については2番と3番が素晴らしいリヒターやカザルスがもう一つなのですが、ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティーク・ケルン(アルヒーフ)の演奏がこれまでのバッハ演奏の常識を覆した素晴らしい演奏です。スピーディーなテンポなのですが、とにかく響きが新鮮でセンス満点!壮重な構えはないのに過不足な感じがまったくありません。
 それよりもバッハの音楽には、こんな意味もあったのか、こんな処理の仕方もあったのかと驚くことばかりなのです!

 通常だと序曲は壮麗な響きで重厚感たっぷりの演奏スタイルがとられることが一般的なのですが、ゲーベルはそのような常識的なスタイルや音楽の流れにとらわれることは一切ありません。形だけをとれば、とてもバロックスタイルとはほど遠いように思えますし、人間的な温かみがでないように乏しいように感じてしまうでしょう。しかし、バッハの音楽の本質をしっかりと把握しているため、違和感がないのです。

 とにかくゲーベルの演奏は影に隠れてしまいがちな管弦楽組曲の1番、4番に市民権を与えたとも言える名演奏ではないでしょうか!





2014年3月13日木曜日

J.S.バッハ 管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068



















壮麗・荘厳な響きの第3番

 バッハの管弦楽組曲は、バッハ自身の管弦楽曲の白眉であることはもちろん、バロック音楽、フランス風舞曲や宮廷音楽の集大成の作品として、昔から大変有名な作品でした。しかも軽快で愛らしいフランス風舞曲を壮麗な管弦楽作品に仕上げてしまうバッハの創作力にはただ驚くばかりです! あえて例えるなら、ブランデンブルク協奏曲が楽器の編成等のヴァリエーションに富んだ「柔」だとすれば、管弦楽組曲はグイグイと正攻法で押し通した「剛」ということになるかもしれません。
 
 中でも第3番は「剛」の代表格と言っていいでしょう。 序曲のトランペットに象徴される壮麗・荘厳な響きは輝きに満ちていますし、聴いていると襟が正される思いですね! この序曲は主部でフーガとなり、荘厳な建築物を様々な角度から仰ぎ見るようにどんどん発展していきます。

 2曲目は壮大な序曲と打って変わって、清澄な美しさを湛えた傑作で誰もが知るエア(「G線上のアリア」で有名)ですね。弦楽器と通奏低音の対位法的な構成はとてもシンプルなのに、そこからあふれる感動と余韻は深いという…、改めてバッハの深遠な精神世界を垣間見るような思いがいたします。

 ガボット、ブーレー、ジーグ……。いずれも、バッハらしい創造的で強い生命力を持った舞曲に仕上がっており、一本芯の通った魅力にあふれた音楽となっているのです。




リヒターとカザルスの厳しいアプローチ

 第3番はカール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団(アルヒーフ)の演奏が最高です。序曲から物凄い緊張感が漲り、息もつけぬほどの集中力を聴く者に要求します。ここまで厳しい表現に徹する必要があるのか…という声もあがりそうですが、それでも力づくではない威厳に満ちた壮大な表現を実現できたのはリヒターだけでしょう。
 どこをとっても個性的で気まぐれな表現は見当たらず、その一途で真摯な表現に心打たれてしまいます。全体的に颯爽としたリズム感や清廉なアプローチがバッハにふさわしく、いつのまにか奏でられる音楽の魅力に引き込まれていきます。

 カザルス盤(CBS)もなかなか凄いですね。ただ、序曲だけは残念です。表現そのものは深く偉大なのですが、弦の響きが地味で渋く、演奏効果が弱いため、どうも音楽が立体的に展開しないのですね……。リヒターの壮大なアプローチを聴くとなおさらのことでしょう。
 しかし、エア以降の諸曲はリヒター盤以上かもしれません。精神的なゆとりが音楽に即興的な閃きや力強さを与えています。ガボット、ブーレなどのテンポの流動感や生き生きとしたリズムは最高で、あらゆるところにカザルスの名人芸が巧みに生きています。エアの自然な盛り上げかたもさすがで、心の奥底まで余韻が伝わってきそうです。






2014年3月5日水曜日

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」












「フィガロ」のエキスが生きる交響曲

 モーツァルトは1786年に空前の大傑作「フィガロの結婚」を世に送り出しました。「フィガロ」は当時いろいろと物議を醸し出した(貴族社会を痛烈に批判した)問題作でもありましたが、モーツァルトがありとあらゆる創作の限りを尽くした意欲作でもありました。
 ウイーンでの「フィガロ」の上演は成功には至りませんでしたが、プラハ(当時のボヘミアの首都、現在のチェコ)では大反響を呼んだのです。これに気を良くしたモーツァルトは、プラハから招請を受けた際に3楽章形式の魅力的な交響曲を発表したのでした。それが交響曲第38番ニ長調「プラハ」だったのです。この交響曲はモーツァルトが、「フィガロ」を理解し、愛してくれたプラハ市民へ向けての感謝の気持ちであり贈り物だったのかもしれませんね……。

 したがって、交響曲第38番「プラハ」は「フィガロ」の魅力的なアリアが随所にオマージュとして生きているのです。たとえば、フィガロの有名なアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」が、「プラハ交響曲」の第1楽章第1主題の対旋律で使われていますし、スザンナのアリア「さあさあ、お膝をついて」が第2楽章で生きているのです。

 「フィガロ」の魅力が曲のエキスになっているだけでなく、これほど即興的なインスピレーションと高い芸術性を両立させた曲は滅多にないのではないでしょうか……。第1楽章や第3楽章で一小節ごとに変化する表情は愛と気高い霊性に満ちています。特に第1楽章の苦しみ、哀しみをいっぱいに湛えた序奏とそれに続くシンコペーションのリズムで登場する第1主題の無垢な微笑みの対照はモーツァルトでしか作れない最高の音楽でしょう。しかも音楽の端々から宇宙意志を感じさせるような強靭なエネルギーが聴こえてくるのですね! 第2楽章もモーツァルトらしい心の想いや息づかいが愛の音楽としてこぼれ落ちてきます。



時代を超えたシューリヒトの名演奏

 モーツァルトの音楽は当時の貴族文化を背景としているため、表面的にはロココの衣装をまとったような旋律の作品が多いのが特徴です。「プラハ交響曲」も例外ではなく、ロココ的な外観を持つため、貴族的な優雅さや祝祭的な作品として演奏されることが多い作品です。しかしそのことが災いして退屈な演奏になってしまう可能性をはらんでいるのも事実です。「音楽が逃げてしまう」とでも言ったらいいのでしょうか……。しかし、そんな「プラハ交響曲」にも時代を超えた圧倒的な名演奏がありました。

 それが、カール・シューリヒト指揮パリオペラ座管弦楽団の録音(DENON)です。ウイーンフィルを振って録音した交響曲第35番「ハフナー」が素晴らしいように、シューリヒトはモーツァルトを得意にしていましたが、中でもこのプラハ交響曲は絶品と言っていいでしょう。曲との相性がよほどいいのでしょうか…、テンポといい、楽器の雄弁な響きといい、求心力の強さといい、気品に溢れた表情といい誰も真似が出来ないような最高の音楽体験を実感できるのです。
何と言っても既成概念に一切とらわれず、自分が信じた音楽表現を完璧なくらい成し遂げているところが素晴らしいですね。ここまで表現できたのもモーツァルトを骨の瑞まで愛し理解し研究していたからこそ可能だったのでしょう。シューリヒトは早いテンポで造形を磨きあげる解釈が多いのですが、それがここでは充分に生きている感じですね。ロココ的な体裁を強調することもなく、即興的で自然な流れの中で音楽が生命力と輝きを獲得しているのも素晴らしいですね!







2014年3月2日日曜日

明日のデザインと福島治[Social Design&Poster]






ソーシャルデザインが持つ意味



 今、日本だけでなく世界的に本格化しようとしているデザインの動きに「ソーシャルデザイン」があります。「ソーシャルデザイン」とは社会の様々な問題や課題を克服するために、人々の心に調和や幸福感をもたらす行為やデザイン的な発想のことなのだそうですね。 つまり、問題があれば、それと直接向き合うことによって問題の要因を抽出してみたり、それを解消するために社会に呼びかけるムーブメントにデザインが大きく寄与することになる……ということなのでしょう。

 現代は何事においても問題山積みで不確かで不安が充満している時代とも言われていますが、今月より銀座グラフィック・ギャラリーで開催される福島治さんの企画展がソーシャルデザインについて考え、解く大きな鍵になるかもしれません。












2011年~2013年/ unicef祈りのツリープロジェクト/ プロジェクト参加募集ポスター






331回企画展
明日のデザインと福島治[Social DesignPoster]
20140306日(木)~0331日(月)

ソーシャルデザインという言葉との出会いと同時期に、「感謝」という言葉に心が目覚め、残りの人生を使って「デザインにおける社会貢献の可能性」を探求することを決心した福島治氏。
ソーシャルデザイン活動を始めて間もなく、東日本大震災が発生し、福島氏もデザインを使った支援活動をいくつか立ち上げました。デザインによる支援活動は、グラフィックデザインの本質的な役割をもう一度考える機会となり、その中で、社会が必要とするデザインとは何かが、少しずつ理解できるようになってきた、と語る福島氏。
本展覧会では、小規模でも素晴らしい活動を行っているNPOにデザインの力で寄付を集める、新しく立ち上げたソーシャルプロジェクトを中心に、2011年から継続している祈りのツリープロジェクト等、これまで手探りで生み出してきたソーシャルプロジェクトをご紹介します。また併せて、25年の長きに渡って共に歩んできた、劇団山の手事情社の公演ポスターを一挙公開します。
グラフィックデザインという仕事と真摯に向き合い、一過性のものではなく、明日へと繋がる道標として創作し続ける、福島治氏のデザイン精神に触れてください。
また展覧会に併せ、『gggBooks-109 福島治』を刊行します。(公式サイトより)


会場
104-0061 中央区銀座7-7-2 DNP銀座ビル 
tel. 03.3571.5206
1100a.m.700p.m.(土曜日は600p.m.まで) 
休館:日曜・祝日  入場無料

巡回
dddギャラリー199回企画展 
2014627日(金)~731日(木)  
11:00a.m.- 7:00p.m. (土曜日は6:00p.m.まで)
休館:日曜・月曜・祝日  入場無料 
550-8508 大阪市西区南堀江1-17-28 なんばSSビル
tel.06.6110.4635