「フィガロ」のエキスが生きる交響曲
モーツァルトは1786年に空前の大傑作「フィガロの結婚」を世に送り出しました。「フィガロ」は当時いろいろと物議を醸し出した(貴族社会を痛烈に批判した)問題作でもありましたが、モーツァルトがありとあらゆる創作の限りを尽くした意欲作でもありました。
ウイーンでの「フィガロ」の上演は成功には至りませんでしたが、プラハ(当時のボヘミアの首都、現在のチェコ)では大反響を呼んだのです。これに気を良くしたモーツァルトは、プラハから招請を受けた際に3楽章形式の魅力的な交響曲を発表したのでした。それが交響曲第38番ニ長調「プラハ」だったのです。この交響曲はモーツァルトが、「フィガロ」を理解し、愛してくれたプラハ市民へ向けての感謝の気持ちであり贈り物だったのかもしれませんね……。
したがって、交響曲第38番「プラハ」は「フィガロ」の魅力的なアリアが随所にオマージュとして生きているのです。たとえば、フィガロの有名なアリア「もう飛ぶまいぞこの蝶々」が、「プラハ交響曲」の第1楽章第1主題の対旋律で使われていますし、スザンナのアリア「さあさあ、お膝をついて」が第2楽章で生きているのです。
「フィガロ」の魅力が曲のエキスになっているだけでなく、これほど即興的なインスピレーションと高い芸術性を両立させた曲は滅多にないのではないでしょうか……。第1楽章や第3楽章で一小節ごとに変化する表情は愛と気高い霊性に満ちています。特に第1楽章の苦しみ、哀しみをいっぱいに湛えた序奏とそれに続くシンコペーションのリズムで登場する第1主題の無垢な微笑みの対照はモーツァルトでしか作れない最高の音楽でしょう。しかも音楽の端々から宇宙意志を感じさせるような強靭なエネルギーが聴こえてくるのですね! 第2楽章もモーツァルトらしい心の想いや息づかいが愛の音楽としてこぼれ落ちてきます。
時代を超えたシューリヒトの名演奏
モーツァルトの音楽は当時の貴族文化を背景としているため、表面的にはロココの衣装をまとったような旋律の作品が多いのが特徴です。「プラハ交響曲」も例外ではなく、ロココ的な外観を持つため、貴族的な優雅さや祝祭的な作品として演奏されることが多い作品です。しかしそのことが災いして退屈な演奏になってしまう可能性をはらんでいるのも事実です。「音楽が逃げてしまう」とでも言ったらいいのでしょうか……。しかし、そんな「プラハ交響曲」にも時代を超えた圧倒的な名演奏がありました。
それが、カール・シューリヒト指揮パリオペラ座管弦楽団の録音(DENON)です。ウイーンフィルを振って録音した交響曲第35番「ハフナー」が素晴らしいように、シューリヒトはモーツァルトを得意にしていましたが、中でもこのプラハ交響曲は絶品と言っていいでしょう。曲との相性がよほどいいのでしょうか…、テンポといい、楽器の雄弁な響きといい、求心力の強さといい、気品に溢れた表情といい誰も真似が出来ないような最高の音楽体験を実感できるのです。
何と言っても既成概念に一切とらわれず、自分が信じた音楽表現を完璧なくらい成し遂げているところが素晴らしいですね。ここまで表現できたのもモーツァルトを骨の瑞まで愛し理解し研究していたからこそ可能だったのでしょう。シューリヒトは早いテンポで造形を磨きあげる解釈が多いのですが、それがここでは充分に生きている感じですね。ロココ的な体裁を強調することもなく、即興的で自然な流れの中で音楽が生命力と輝きを獲得しているのも素晴らしいですね!
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