2011年8月5日金曜日

堤幸彦 映画「明日の記憶」






この映画は封切された当時からかなり話題を呼んだ映画でした……。

広告代理店の営業部長として同僚やクライアントからの信頼も抜群、精力的に仕事をこなす佐伯雅行。家庭も娘の結婚を間近に控え、すべてに順風満帆と思われました。しかし、物忘れが激しいことやめまいが度々起きることから恐る恐る病院を訪れると……。
耳を疑うような診断結果が下されたのでした。

この映画は若年性アルツハイマー病と診断された佐伯(渡辺謙)が記憶を少しずつ失っていく恐怖や動揺を描き、佐伯を支える妻の枝実子(樋口可南子)が狼狽えながらも、それを真剣に受けとめていく姿を描いています。
日常、誰にでも起こりうる「まさか……。何故?どうして!?」としか言えない不意に訪れる人生の皮肉と不条理……。そして人が生きる意味を深く投げかけた作品でした。

原作は荻原浩の同名小説ですが、主演の渡辺謙はこの小説を読んで居ても立ってもいられなくなるくらい感動したそうです。そこで渡辺は荻原宛に「この作品をぜひ映画化させてほしい」と直接書いて送ったそうです。渡辺謙は自身も病気で死ぬほど辛い体験を身を持って味わっているので、この小説の主人公に大いに共感する部分があったのでしょう。言ってみれば、渡辺謙の強い思いがこの映画を実らせ、稀有な名演技を生み出したのだと思います!
渡辺にとってこの映画は初主演映画で、これ以降本格的にハリウッドに進出し大活躍することになります。まさにこの「明日の記憶」は渡辺にとって人生を変える大きなターニングポイントとなった映画であり、俳優渡辺謙の原点になった作品と考えていいのかもしれません。

……というわけで、この映画の成功の大きな要因は主役2人(渡辺謙、樋口可南子)の自然でデリカシーあふれる演技に尽きると思います。たとえば、佐伯(渡辺)が娘の結婚式でスピーチをする場面で涙で声をつまらせるシーンがあります。このシーンは娘のこと、家族のこと、今自分が置かれている現実も含め様々な感情が湧き上がり、どうしようもなく複雑な佐伯の心の動きが目に見えるかのようでした……。また、医師から病気を宣告され取り乱し、錯乱状態に陥り、人間的弱さを垣間見せるところは本当に凄く、真に迫る何かがありました。

枝実子(樋口)はラストシーンで夫がついに自分のことも忘れてしまい絶望の淵に落ちていきます。その悲しみの表現の絶妙なこと……。来るべき時が来てしまったことに枝実子は深い失意の思いで泣き出してしまいます。しかし、それでも佐伯が出会った頃の馴れ初めを覚えていてくれたことに気をとり直しながら、あるがままを受け入れようとする枝実子の姿にとても大切な何かを見るような想いがするのです。
その他にも光る演技は多々ありますが、この主役二人の随所に安定した印象的な演技がアルツハイマー病の深刻さを強く記憶に留めさせたことも間違いないでしょう。 
脇を固める役者もそれぞれに印象的で、特に二人を結びつけるきっかけをつくった大滝秀治の個性的で存在感のある演技は光ります。渡辺えり、香川照之もしっかりした役作りをしています。 

映画はあっけないラストを迎えますが、おそらく今後も二人は計り知れない苦痛を味わい、様々な不自由を味わうことになるのでしょう。しかし、本当に愛する人が存在したという紛れもない事実とこれからも同じ時間を共有する上で感じる心の世界はこれまでの何倍も何十倍も深い意味を持つようになるのではないかという気がしてくるのです。





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2011年7月26日火曜日

シベリウス 交響曲第7番ハ長調 作品105



激動の時代に生まれた珠玉の交響曲








 この作品は交響曲の扱いにはなっていますが、形式は1楽章のみの構成でどちらかというと交響詩に近いイメージもあります。しかし、交響詩と位置づけるには具体的なテーマがあるわけでもありませんし、複数楽章こそないもののソナタ形式のような起承転結があり、交響曲的な体裁はしっかり持っているのです。

 あまり表面的な形にはこだわらないシベリウスのことですから、このような単一楽章の交響曲もありなのかなと思ってしまうのです。しかしシベリウスはこの交響曲完成以降すっかり作曲のペースが落ち、作曲活動からほとんど身を引いたも同然の状態になってしまうのです。残りの30数年間彼は一体何をしていたのだろう……。と思う方も当然いらっしゃるはずです。

 あの渋い交響曲を作曲した人だから、もっともっと作品は作れたのではないか……!?と。
 しかしシベリウスが晩年を生きた1930年頃から1950年代は20世紀の中でも激動の時代に位置し、ファシズムや共産主義が台頭した時代でもありました。愛する祖国フィンランドもソ連の統治下におかれ、絶えず政情不安定な状況下にありました。音楽の世界でも無調音楽や不協和音が一世を風靡し、ニヒリズムが増殖を始めた時代でもあったのです。祖国愛に満ち、厳粛で音楽に強い信念を持っていたシベリウスでしたが、その激動期に音楽活動に身を捧げることにさまざまな疑念や不安が影を落としたのかもしれません。また音楽活動に専念することは非常に困難な状況だったのでしょう。

 この第7交響曲は6番までの交響曲と比べると愉しさや色彩感がいくぶん減退していることに気づきます。それに代わって厳しさや内省的な傾向が強く滲み出ていることに気づかされます。 
 作品のほうは大気が膨らんでいくような神秘的な和音で始まる冒頭部分が非常に印象的です。そして、それに続き牧歌的で平和な自然の情景を描き出したかと思うと、曲は一瞬鳴り止みます。ほどなく魂の鎮魂歌のような聖歌風のメロディが謳われます。それが次第に大地を満たすと、今度はトロンボーンが祖国愛に満ちたメロディを勇壮に奏でつつ曲を盛り上げるのです。
 この曲は抽象的な主題が多く、場面も突然変化するので指揮者もオーケストラも曲のイメージをあらかじめ頭に描いていないと、とんでもない演奏になってしまいかねません!演奏する側にとってはある意味こわい曲です。


 録音で最もオススメしたいのはムラヴィンスキー=レニングラードフィルの壮絶な演奏です。個性的な演奏かもしれませんし、シベリウスの正統的な演奏ではないという異論は当然出てくるでしょう。しかし全体的に内省の色合いが強く、弦の翳りの深さや管楽器の雄弁さ(特にトロンボーン)は印象的です。やりたいことをやり尽くしているのに本質をズバリ突いている音楽性には驚かされます。

 ベルグルンド=ヘルシンキフィルの演奏はやはり最も安心して聴ける演奏です。厳しい音色の中にも透明感があり、フレッシュな響きが心の栄養となって染み込んでくるようです。



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2011年7月22日金曜日

映画「海洋天堂」



限られた時間で……。親子の絆
映画「海洋天堂」





  これは久しぶりに見た、静かに感動が迫ってくる映画です。驚いたのは主役のジェット・リー(父シンチョン役)があまりにも地味で、最初に画面に登場した時は誰なのかわからなかったことです。ハリウッドのアクションスターとして、眼光鋭く精悍な風貌が持ち味のジェット・リーのイメージはここにはありません。生気がなく、とても何かに疲れた表情をしているのです。でもそれは無理もないことなのです。なにせ医者から末期癌で、あと数か月の命と告知されているのですから……。

 でもシンチョンにはそれ以上にずっと大きな問題がありました。息子のターフー(ウェン・ジャン)が自閉症で障害があるために人の手を借りないと生きていけないことです……。ターフーの母親は幼い時に亡くなってしまい、「自分が死んでしまうと、ターフーは間違いなく路頭に迷ってしまう……」そのことを恐れていたのです。子を想う不憫で切ない親の気持ちが、限られた時間や我が子を取り巻く難しい環境の中で強烈に浮かび上がってきます。映像は極端な演出や描写がなく、ある意味淡々とクールに流れていきます。しかし説明過多ではないぶん、かえってこの映画に詩的な広がりや余韻を与えているように思うのです。

 この映画を支えているのは主役の二人(ジェット・リー、ウェン・ジャン)の素晴らしい演技でしょう。とにかく役柄への入れ込みようが凄いです。どこからどこまでが演技なのかわからなくなるぐらい自然で迫真の演技を展開しています。ジェット・リーはこの脚本に大いに感銘を受け、ノーギャラでいいからやりたいと語ったといいます。その名演技もなるほどという感じです。

 また障害を抱えながらもピュアでおちゃめなターフーを演じるウェン・ジャンの演技も素晴らしいです!ターフーは自分で感情を表現できなかったり、時に感情をコントロールできなかったりするのですが、一方で泳いだり、イルカと戯れたりするときに天性の輝きを放ち始めるのです。
 現実的な問題、親子の絆、人と人とのかかわり、生命の大きさとさまざまなことを考えさせながら静かに映画は幕を閉じます。脚本の素晴らしさとともに、撮影のクリストファー・ドイル、音楽の久石譲も映画に彩りを添えていることを申し上げておきたいと思います。この夏、多くの人に見ていただきたいおすすめの一本です。
公式サイト http://kaiyoutendo.com/index.html




上映映画館・公開日(公開予定日)

【関東・東京】
銀座     シネスイッチ銀座        7月9日

横浜     シネマ・ジャック&ベティ    9月3日
川崎     川崎市アートセンター      10月22日
千葉     千葉劇場            9月24日
伊勢崎    プレビ劇場ISESAKI       8月20日
那須塩原   フォーラム那須塩原       調整中


【北海道・東北】
札幌     シアターキノ          9月10日
八戸     フォーラム八戸         9月17日
秋田     シアター・プレイタウン     9月23日
盛岡     フォーラム盛岡         8月27日
山形     フォーラム山形         8月27日
鶴岡     鶴岡まちなかキネマ       10月29日
仙台     フォーラム仙台         8月27日
福島     フォーラム福島         10月8日


【信 越】
長野     長野ロキシー          11月19日
新潟     シネ・ウインド         10月1日


【北 陸】
金沢     シネモンド           9月10日
富山     フォルツァ総曲輪        9月24日


【東 海】
名古屋    名演小劇場           7月30日
静岡     静岡シネ・ギャラリー      9月17日
静岡     ジョイランドシネマ沼津     10月22日
浜松     シネマe_ra          9月17日
伊勢     進富座             9月3日


【近 畿】
大阪     梅田ガーデンシネマ       7月16日
京都     京都シネマ           9月
神戸     シネ・リーブル神戸       7月23日


【中国・四国】
広島     サロンシネマ          秋
福山     CINEFUKU大黒座/シネマモード 10月
尾道     シネマ尾道           11月
岡山     シネマ・クレール        11月
松山     シネマルナティック       12月

【九州・沖縄】
福岡     KBCシネマ           7月30日
大分     シネマ5            10月
長崎     セントラル劇場         8月20日
宮崎     宮崎キネマ館          10月1日
熊本     Denkikan        秋
鹿児島    ガーデンズシネマ        8月20日
那覇     桜坂劇場




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2011年7月13日水曜日

国立西洋美術館常設展9 モネ「睡蓮」









 モネは見慣れた何でもない風景にちょっとした魅力を発見し、それを光と色彩の巧みな描写によって良さを引き出した人でした。
 ところで「モネの代表作は何か?」とたずねられたら何と答えますか?おそらくほとんどの方は「睡蓮」と答えるのではないでしょうか?モネ=睡蓮だとおっしゃる方もいらっしゃるくらいです。確かにこの「睡蓮」のシリーズは画家としてのモネのすべてがあるといっても過言ではないと思います。それほど生命力、色彩の神秘的な鮮やかさ、存在感では際立っているのです。

 世界各国に連作として結構な数の「睡蓮」が展示されていますが、国立西洋美術館のこの「睡蓮」も素晴らしい出来映えです。モネはアトリエにわざわざ日本式の庭園を造り、晩年の創作のほとんどを「睡蓮」に費やしたといいます。

 おそらくモネは「睡蓮」を描くことに画家としての大切な何かを見つけたのでしょう。絶えず時間の流れとともに多彩な表情を映し出す水面とそこに浮かぶ睡蓮の花の対比の面白さ……。それはモネの創作意欲をこの上なく刺激したのかもしれません!
 この作品はモネ自身、庭園の池というわずかな空間に表出する神秘の世界をまるで宇宙を見るような興味と関心を注いで描き綴ったような気がしてなりません。画面全体を埋め尽くす水面の大胆な構図や迷うことなく運ばれる筆のタッチは神秘の世界を醸し出しています。



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2011年7月8日金曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450



可愛らしく愛嬌のあるピアノ協奏曲





 モーツァルトは何と可愛らしく愛嬌のあるピアノ協奏曲を書いたのでしょうか!
 この作品の持ち味は一言で言えば「親しみやすさ」に尽きます。ピアノ協奏曲15番はおそらくモーツァルトのピアノ協奏曲の中で最も親しみやすい曲なのではないでしょうか。語弊の無いように言い換えるならば、その「親しみやすさ」とは音楽が無理なくすんなり心にとけ込んでくる親しみやすさなのです。

 もちろん、傑作にしようという気負いや飾り気は微塵も感じられません。ただひたすら心の動きに素直に書かれたピアノによるエピソードといっていいかもしれません。第1楽章のテーマのなごやかさはもちろん、第2楽章の柔らかな光の中で綴られる万感の想い、第3楽章の心のゆとりやユーモアに至るまでまったく淀みがなく、飾り気がありません。

 しかも随所に活躍する管楽器の無垢な表情やピアノの感情表現の豊かさは驚くほどです。それはまるでハイハイをする赤ちゃんが人の心をつかんで離さないように、それに通ずる愛おしさがこの曲には漂っているように思えるのです。

 バーンスタインのピアノは自在な表情としなやかなタッチで聴く者をすっかり虜にしてしまいます。何よりも即興的な閃きとセンスが抜群で、あらゆるフレーズがモーツァルトの純粋無垢な音楽の粋を伝えてやまないのです。特に第2楽章の深く透明感あふれるピアノは絶品です。
 
 ここでのバーンスタインはマーラーやショスタコーヴィチで見せる重厚で熱く燃えたぎるパワフルな演奏を成し遂げているのではありません。優しく気どらない演奏がいつもの彼とは違うゆとりと微笑みさをもたらしてくれているのです。







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2011年7月1日金曜日

ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第95番ハ短調 Hob.I:95




ユーモアと剛毅な迫力




  最近ハイドンの交響曲が演奏会で取り上げられる頻度がかなり減ってしまったように思います。マーラーやブルックナー、そしてショスタコヴィッチのように演奏時間が長く重厚なイメージの交響曲がプログラムのメインを占め、もてはやされているのに比べると少々寂しい現状ですね。
  それはなぜなのでしょうか?ハイドンは交響曲の父と言われるように完成された交響曲のスタイルを最初に作った人です。そして104曲という他の作曲家とは比較にならない数の交響曲を世に送り出した人でもあります。しかし、現在ハイドンの交響曲の演奏は明らかにひとつの岐路に立たされているようです。

 その大きな問題は演奏スタイルにあるのではないでしょうか?ハイドンの交響曲は1970年代まではモダン楽器のスケールが大きく豊かで硬質な響きの演奏が主流でした。思い出すだけでもワルター、シューリヒト、ベーム、クレンペラー、ヨッフム、バーンスタイン、カラヤン、セル等、それぞれに味わい深い魅力的な演奏がたくさんありました。しかし、1980年代以降はオリジナル楽器が台頭し、新鮮な音色と爽やかでスッキリと引き締まった造型スタイルが一世を風靡するようになったのです。特にハイドンの交響曲はこぞってオリジナル楽器の演奏が録音され、演奏されるようになりました。つまり、この10年の間でハイドンの交響曲の演奏は大きく様変わりしたのです。

  それはベートーヴェンやモーツァルトの演奏も例外ではありません。ただ、両者の場合はハイドンほど顕著ではなく、モダン楽器、オリジナル楽器の双方でいい演奏は現在も聴かれるのです。しかし、ハイドンの場合はほぼオリジナル楽器が大多数を占めるような状況になったのです。これまでの密度が濃くがっちりしていて剛毅な演奏はあまり聴けなくなりました。

 表面的な体裁はモーツァルトに似ているようにも思われますが、性格、音楽性はまったく違うと言っていいでしょう。モーツァルトでは良いと思われる表現もハイドンでは駄目な場合がよくあります。オリジナル楽器での演奏は爽やかで新鮮かもしれませんが、時として薄味に陥ってしまう恐れは充分にあるわけです。ある意味、曲の本当の魅力から遠ざかってしまうことが怖いことではないでしょうか。

 剛毅な迫力を持ちながらもユーモアに富み、時には大らかな人柄の良さが偲ばれるハイドンの交響曲。でもその大らかさは決してのんびりしているとか、単にお人好しというのとはちょっと訳が違うのです。あらゆるものを達観した純粋さなのであり、心のゆとりが表れているのです。
 この交響曲第95番は88番、94番「驚愕」、100番「軍隊」、101番「時計」、103番「太鼓連打」、104番「ロンドン」のように一般的ではありませんが、各楽章における主題の魅力はこれらの曲に一歩も譲るところがありません。

 第1楽章は強い意志がみなぎり、展開部では立体的な拡がりと愛らしい表情が同居する独特の魅力があります。打って変わって第2楽章では気品にあふれた旋律が続々と展開され、深い安らぎと余韻を与えてくれるのです。第3楽章の一度聴いたら忘れられない印象的な主題と中間部のユーモアにあふれたチェロの独奏の対比も魅力満点です。そして第4楽章は人なつっこい主題で始まり、中間部で対位法のフーガが曲を大きく盛り上げていくのです!
   この作品は意外といい演奏が少なかったのですが、最近注目されるCDが発売されました。とは言っても40年以上も前にパブロ・カザルスがマールボロ音楽祭で指揮した実況録音なのですが……。この95番のCD化は今回が初めてということらしいです。
 カザルスの演奏は少しも力を抜くことなく、最高に充実した演奏を聴かせてくれます!特に第2楽章の大変味わい深い指揮ぶり……。見事というしかありません。格調高く気品にあふれ、楽器に音色が滲み出ているかのようです。この曲では終始揺らぐことの無い強い信念、理想が表出されているのではないかと思います。とにかくカザルスの人間的な大きさを垣間見れる貴重な記録とも言えるでしょう!同時に収録されている94番「驚愕」、45番「告別」も文句なしの名演奏です。



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2011年6月27日月曜日

パウル・クレー ― おわらないアトリエ



クレーの創作の原点に迫る




スイス生まれの画家パウル・クレー(Paul Klee, 1879-1940)は、長らく日本の人々に愛され、これまでにも数多くの展覧会が開催されてきました。それらの展覧会では作品の物語性や制作上の理念が詩情豊かに詠われ、多くの人々にクレーの芸術の魅力を伝える役割をはたしました。 

 国立近代美術館で初となる今回のクレー展では、今までの展覧会成果を踏まえた上で、これまでクローズアップされてこなかった「クレーの作品は物理的にどのように作られたのか」という点にさまざまな角度から迫ります。この観点から作品を見てみるならば、視覚的な魅力を体感できるのみならず、その魅力がいかなる技術に支えられているのか、ということまでもが明らかになるでしょう。(展覧会サイトより)







 パウル・クレーは音楽一家に育ち、自身も演奏家を目指していた人でした。文学にも非常に造詣が深く、さまざまな分野で秀でた才能を発揮した人でした。ですから彼の作品には美しい色彩のハーモニーがあり、デザイン的なフォルムの表現を追求したり、叙情的なオリジナリティを持つ等、独特の魅力を放っていたのです。作品は好奇心にあふれ、さまざまな技法やシチュエーションで多くの作品を生み出してきました。20世紀の画壇においてパウル・クレーは派閥に属さない稀有な存在だったのです。

 この展覧会では技法や過程という、難しそうなテーマを扱っています。しかし、技法や過程はクレーにとって彼の創造の原点を探る手がかりになるものなのです!おそらくこれまでの難解なパウル・クレーの印象を、根こそぎ変えるになることでしょう。展覧会が見終えた時、あなたにとってクレーがいっそう近しく、愛しい存在に変わるかもしれません! 




会期:   2011年5月31日(火)~2011年7月31日(日)

会場:   東京国立近代美術館 
      東京都千代田区北の丸公園3-1
開館時間: 午前10時~午後5時
     (6月の金、土曜は午後6時まで、7月の金・土曜は午後8時まで開館)
      ※入館は閉館の30分前まで
休館日:  月曜日(ただし7月18日[月・祝]は開館)
主催:   東京国立近代美術館、日本経済新聞社
後援:   スイス大使館
お問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600  

観覧料金: 一般1,500円、大学生1,100円、高校生700円
中学生以下は無料
障害者手帳等お持ちの方と付添者(1名)は無料。
 



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