2011年7月1日金曜日

ヨーゼフ・ハイドン 交響曲第95番ハ短調 Hob.I:95




ユーモアと剛毅な迫力




  最近ハイドンの交響曲が演奏会で取り上げられる頻度がかなり減ってしまったように思います。マーラーやブルックナー、そしてショスタコヴィッチのように演奏時間が長く重厚なイメージの交響曲がプログラムのメインを占め、もてはやされているのに比べると少々寂しい現状ですね。
  それはなぜなのでしょうか?ハイドンは交響曲の父と言われるように完成された交響曲のスタイルを最初に作った人です。そして104曲という他の作曲家とは比較にならない数の交響曲を世に送り出した人でもあります。しかし、現在ハイドンの交響曲の演奏は明らかにひとつの岐路に立たされているようです。

 その大きな問題は演奏スタイルにあるのではないでしょうか?ハイドンの交響曲は1970年代まではモダン楽器のスケールが大きく豊かで硬質な響きの演奏が主流でした。思い出すだけでもワルター、シューリヒト、ベーム、クレンペラー、ヨッフム、バーンスタイン、カラヤン、セル等、それぞれに味わい深い魅力的な演奏がたくさんありました。しかし、1980年代以降はオリジナル楽器が台頭し、新鮮な音色と爽やかでスッキリと引き締まった造型スタイルが一世を風靡するようになったのです。特にハイドンの交響曲はこぞってオリジナル楽器の演奏が録音され、演奏されるようになりました。つまり、この10年の間でハイドンの交響曲の演奏は大きく様変わりしたのです。

  それはベートーヴェンやモーツァルトの演奏も例外ではありません。ただ、両者の場合はハイドンほど顕著ではなく、モダン楽器、オリジナル楽器の双方でいい演奏は現在も聴かれるのです。しかし、ハイドンの場合はほぼオリジナル楽器が大多数を占めるような状況になったのです。これまでの密度が濃くがっちりしていて剛毅な演奏はあまり聴けなくなりました。

 表面的な体裁はモーツァルトに似ているようにも思われますが、性格、音楽性はまったく違うと言っていいでしょう。モーツァルトでは良いと思われる表現もハイドンでは駄目な場合がよくあります。オリジナル楽器での演奏は爽やかで新鮮かもしれませんが、時として薄味に陥ってしまう恐れは充分にあるわけです。ある意味、曲の本当の魅力から遠ざかってしまうことが怖いことではないでしょうか。

 剛毅な迫力を持ちながらもユーモアに富み、時には大らかな人柄の良さが偲ばれるハイドンの交響曲。でもその大らかさは決してのんびりしているとか、単にお人好しというのとはちょっと訳が違うのです。あらゆるものを達観した純粋さなのであり、心のゆとりが表れているのです。
 この交響曲第95番は88番、94番「驚愕」、100番「軍隊」、101番「時計」、103番「太鼓連打」、104番「ロンドン」のように一般的ではありませんが、各楽章における主題の魅力はこれらの曲に一歩も譲るところがありません。

 第1楽章は強い意志がみなぎり、展開部では立体的な拡がりと愛らしい表情が同居する独特の魅力があります。打って変わって第2楽章では気品にあふれた旋律が続々と展開され、深い安らぎと余韻を与えてくれるのです。第3楽章の一度聴いたら忘れられない印象的な主題と中間部のユーモアにあふれたチェロの独奏の対比も魅力満点です。そして第4楽章は人なつっこい主題で始まり、中間部で対位法のフーガが曲を大きく盛り上げていくのです!
   この作品は意外といい演奏が少なかったのですが、最近注目されるCDが発売されました。とは言っても40年以上も前にパブロ・カザルスがマールボロ音楽祭で指揮した実況録音なのですが……。この95番のCD化は今回が初めてということらしいです。
 カザルスの演奏は少しも力を抜くことなく、最高に充実した演奏を聴かせてくれます!特に第2楽章の大変味わい深い指揮ぶり……。見事というしかありません。格調高く気品にあふれ、楽器に音色が滲み出ているかのようです。この曲では終始揺らぐことの無い強い信念、理想が表出されているのではないかと思います。とにかくカザルスの人間的な大きさを垣間見れる貴重な記録とも言えるでしょう!同時に収録されている94番「驚愕」、45番「告別」も文句なしの名演奏です。



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