2011年7月26日火曜日

シベリウス 交響曲第7番ハ長調 作品105



激動の時代に生まれた珠玉の交響曲







 この作品は交響曲の扱いにはなっていますが、形式は1楽章のみの構成でどちらかというと交響詩に近いイメージもあります。しかし、交響詩と位置づけるには具体的なテーマがあるわけでもありませんし、複数楽章こそないもののソナタ形式のような起承転結があり、交響曲的な体裁はしっかり持っているのです。

 あまり表面的な形にはこだわらないシベリウスのことですから、このような単一楽章の交響曲もありなのかなと思ってしまうのです。しかしシベリウスはこの交響曲完成以降すっかり作曲のペースが落ち、作曲活動からほとんど身を引いたも同然の状態になってしまうのです。残りの30数年間彼は一体何をしていたのだろう……。と思う方も当然いらっしゃるはずです。

 あの渋い交響曲を作曲した人だから、もっともっと作品は作れたのではないか……!?と。
 しかしシベリウスが晩年を生きた1930年頃から1950年代は20世紀の中でも激動の時代に位置し、ファシズムや共産主義が台頭した時代でもありました。愛する祖国フィンランドもソ連の統治下におかれ、絶えず政情不安定な状況下にありました。音楽の世界でも無調音楽や不協和音が一世を風靡し、ニヒリズムが増殖を始めた時代でもあったのです。祖国愛に満ち、厳粛で音楽に強い信念を持っていたシベリウスでしたが、その激動期に音楽活動に身を捧げることにさまざまな疑念や不安が影を落としたのかもしれません。また音楽活動に専念することは非常に困難な状況だったのでしょう。

 この第7交響曲は6番までの交響曲と比べると愉しさや色彩感がいくぶん減退していることに気づきます。それに代わって厳しさや内省的な傾向が強く滲み出ていることに気づかされます。 
 作品のほうは大気が膨らんでいくような神秘的な和音で始まる冒頭部分が非常に印象的です。そして、それに続き牧歌的で平和な自然の情景を描き出したかと思うと、曲は一瞬鳴り止みます。ほどなく魂の鎮魂歌のような聖歌風のメロディが謳われます。それが次第に大地を満たすと、今度はトロンボーンが祖国愛に満ちたメロディを勇壮に奏でつつ曲を盛り上げるのです。
 この曲は抽象的な主題が多く、場面も突然変化するので指揮者もオーケストラも曲のイメージをあらかじめ頭に描いていないと、とんでもない演奏になってしまいかねません!演奏する側にとってはある意味こわい曲です。


 録音で最もオススメしたいのはムラヴィンスキー=レニングラードフィルの壮絶な演奏です。個性的な演奏かもしれませんし、シベリウスの正統的な演奏ではないという異論は当然出てくるでしょう。しかし全体的に内省の色合いが強く、弦の翳りの深さや管楽器の雄弁さ(特にトロンボーン)は印象的です。やりたいことをやり尽くしているのに本質をズバリ突いている音楽性には驚かされます。

 ベルグルンド=ヘルシンキフィルの演奏はやはり最も安心して聴ける演奏です。厳しい音色の中にも透明感があり、フレッシュな響きが心の栄養となって染み込んでくるようです。



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