2017年9月12日火曜日

ヴィヴァルディ グローリア ニ長調 RV.589










穏やかな癒やしを与えてくれる
「グローリア」

イタリアバロックの大作曲家ヴィヴァルディといえば膨大な数の作品を残したことで有名ですが、ヴィヴァルディといえば「四季」、「四季」といえばヴィヴァルディというくらいクラシック音楽の人気曲として今や知らない人はいないほどです。しかし、それ以外の作品は一般的にあまり知られていませんし、認知度がぐっと下がってしまいます。
実際は魅力的な作品がたくさんあるのに、埋もれてしまう傾向があるのはちょっと残念なことですね……。

そこで、ヴィヴァルディのおすすめ作品を一つあげてみることにしましょう! 
私がおすすめしたいのは宗教音楽「グローリア」です。 決して大作ではありませんが、何度聴いても飽きない素直な語り口が、穏やかな癒やしや心地よいひとときを与えてくれることでしょう。

「グローリア」の良さは、何と言っても親しみやすさではないでしょうか!

つまり宗教音楽にしばしば見られる堅苦しい約束事や、重々しい情念に束縛されることがありませんし、どこまでも明朗快活なのです。音楽はあくまでも楷書風できっちりとしていますし、誰が聴いたとしても見通しの良い作風に魅了されることでしょう。

第3曲のソプラノの二重唱も涼風のような爽やかな余韻を残してくれるし、第7曲の合唱曲「ひとり子である主」(Domine, Fili unigenite)の弾むような喜ばしい情感も聴いていてうれしくなってきます。

最後の合唱曲、聖霊とともに(Cum Sancto Spiritu)は天上から穏やかな陽射しがゆっくりと差し込むような神秘的な情緒を醸し出しつつ曲を閉じていきます。


絶品の演奏
プレストン盤

演奏はサイモン・プレストン指揮エンシェント室内管弦楽団、オックスフォードクライストチャーチ聖歌隊、エマ・カークビー(S)、ジュディス・ネルソン(S)、キャロライン・ワトキンソン(MS)他(Decca)が最高です。まさにこの作品を演奏するために生まれた音楽集団と言えば言いすぎかもしれませんが……、それくらい魅力いっぱいの名演奏です!

この作品を荘厳に盛り上げようとしようとしたり、華々しいフィナーレにしようとしたりすると大抵は失敗してしまいます。そもそも音楽自体がそのような激しい演奏を要求していないのですね。 むしろ引き締まったリズムや造形スタイル、柔らかで透明感のある歌声こそがこの音楽に相応しいのだと思います。

その中でもプレストン盤は絶品で、どこをとっても過不足のない、この音楽の理想とする美しい演奏のひとつなのではないでしょうか。

ソロの透明な歌声や、柔軟性のある管弦楽の音色やリズム、そして無垢で温かい合唱の魅力が他の演奏を大きく引き離しています。中でも大好きな第7曲の合唱、 ひとり子である主(Domine, Fili unigenite)の胸の弾むような喜びと優しさは例えようがなく、この作品の魅力を引き立たせています!

2017年9月9日土曜日

モーツァルト 「エクスルターテ・ユビラーテ」




















無垢な喜びが躍動する
リリック・ソプラノのための傑作

エクスルターテ・ユビラーテは17歳の青年モーツァルトが作曲した無垢な喜びが躍動する、愛らしいリリック・ソプラノのための管弦楽作品です!

日本語タイトルとしては、「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ!」で親しまれていますが、まさに喜びが弾けて、気持ちが晴れやかになる作品と言っていいでしょう。

曲は三部形式になっていて、モーツァルトらしい素直な感情の吐露が秀逸です。

私が注目したいのは、ともすれば地味な印象を受けやすい第二楽章アンダンテです。無類の優しさや憂いの心を漂わせていて深く心に刻まれます。17歳でこんなに深い音楽を作ってしまうなんて……。
改めてモーツァルトの凄さを感じてしまいます。

最後の有名な「アレルヤ」ですが、アレルヤ!と連呼するたびに無限に変化する愛らしい表情や天国的な美しさ、そして湧き上がる無限の喜びの想い…。これはモーツァルトでしか作れない天性の音楽かもしれません。ソプラノ歌手たちがこぞって歌いたくなるのも分かるような気がします!



天衣無縫な愉しさを
表現する難しさ

この曲はオペラのように表情をつけると、天衣無縫な愉しさから遠ざかってしまうし、力を入れすぎたり、テクニックに比重が置かれると曲の本質からかけ離れてしまうという……、文字通り簡単なようでなかなか厄介な作品です。


バトルの表情はとてもすっきりしているのですが、その透明感のある歌声の中に多彩な音色の変化があり、心の動きが巧みに表現されています。 特に「アレルヤ」はまったく力んでいないのに、どこまでも伸びやかで澄み切った声と鋭敏な感性! これはモーツァルトの神髄を突いた唯一無二の表現と言っていいかもしれません。


特にボニーの伸びやかでヴィブラートを極力抑えた素直な歌声はモーツァルトにピッタリです。可憐で優しさに満ちた表情が至福の時を約束してくれることでしょう。 特に第2楽章はその優しさが音楽と一体となり、深い情感を醸し出す名唱となりました。










2017年8月30日水曜日

注目のメサイア演奏








最もオーソドックスで
最も音楽的なメサイア

今回も前回のホグウッド盤に引き続き、ヘンデル=メサイアの名演についてお話したいと思います。

まず注目したいのが、ダイクストラ&バイエルン放送合唱団、B'ROCK他のCDです。演奏、合唱、ソリストの歌声等、どれをとっても高い次元でまとめられ、しかも演奏が喜びに溢れていることが伝わってきます。

自然と胸が高鳴っていく感覚というのはこのような演奏を指して言うのでしょう。やはりヘンデルの音楽には愉しさや生き生きとした感動、作品への深い共感が必要不可欠なことがよく分かります。
ソリストも「この人が凄い!」という飛び抜けた存在こそいませんか、皆、音楽性が優れているし、メサイアをよく知っていますね。

また、合唱はオリジナル楽器演奏によくあるソプラノを前面に据えて透明感を押し出した演奏とは違い、ソプラノ、アルト、テノール、バス、各声部がそれぞれの強さと主張を持っていて、豊かさや立体感を兼ね備えたハーモニーになっているのです!

ダイクストラのオリジナリティ溢れる指揮や豊かな音楽性にも正直驚きました。もしかしたら、今後ヘンデルのオラトリオでわくわくする演奏を届けてくれるのはこの人かもしれません……。








ミンコフスキ
面目躍如のメサイア

もう一枚はミンコフスキのメサイア(アルヒーフ)です。発売当時、メサイアらしくない演奏だ!?とか、過激だとか……、あまりよろしくない評価を受けてきました。
でも本当にそうなのでしょうか?

改めて聴いてみるとこの演奏に込めたミンコフスキの並々ならぬ思いが伝わってきます。それはメサイアの音符から生きたドラマや精神性を描き出そうという強い信念なのです。それならメサイアの本質や透明感のある響きから遠ざかってしまうのでは……、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、決してそうではありません。

全体的にこのメサイアの合唱は強いダイナミズムに貫かれていて、一気呵成に進められていくし、求心力があります。けれども威圧的にはなってないし、とことん突き詰めた深い表現が、さすがミンコフスキと思わせます。

たとえば、第二部の「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」の 合唱は他の演奏からは聴くことができない苦悩や孤独がひたひたと伝わってきます。
また、ドーソンやエインズリー、アサワらの歌はいずれも心の歌を強く印象づけますし、存在感充分です。

ただ納得できないのは「ほふられた子羊たちは~アーメンコーラス」で結ばれる最後の大規模な合唱の部分です……。深い内容を引き出そうとしたのかもしれませんが、これだけはちょっといただけません。とにかく最後の最後まで苦悩を引きずっているような感じがしてくどいのです……。

「終わりよければすべて良し」とはよく言いますが、よりによって最後の感動的で大事なコーラスだけに、これは少々後味が悪いし残念ですね。

2017年8月25日金曜日

ホグウッドのメサイアを聴く












ホグウッドの
メサイアを堪能!

ホグウッドのメサイアを久しぶりに聴いてみました。
これはもともとデジタル録音(1980年)として発売されたCDを2014年に改めてデジタルリマスターし直したものなのですが…、やっぱりいいものはいいです……!
言うまでもなく、古楽器を使用したメサイアというだけではなく、初めてこの作品の魅力を世に問いただしたセンセーショナルな名演といっていいでしょう。

今振り返ると、当時音楽界が騒然としたことに違和感を感じたりもするのですが、それはこの演奏が生まれた時代背景が大きく反映していることは間違いありません。

それまでのメサイアの演奏といえばハレルヤコーラスに代表されるような高揚感を出すために、これ見よがしに大音量で圧倒したり、威圧的な表現を選ぶ演奏が大多数を占めていたのでした。

しかしこのホグウッド盤を聴くと、そのような威圧的なところは微塵もなく、作品の隠された美しさを忠実に描き出そうという極めて良心的で真摯な姿勢に貫かれているのです。

それはまったく力みのないソリストたちの歌唱や合唱を聴けば明白ですし、全体的に音楽の原点に立ち返ったような懐かしさと爽やかな情感に満たされていたのでした。
今までの手垢にまみれていたメサイアの虚像が洗い流されて、私たちの心に寄りそうような「メサイア」がやっと登場したことに胸が熱くなったものです。

あのセンセーショナルな名演の誕生から40年弱、ホグウッドやソプラノのジュディス・ネルソンはすでに世を去り、時の流れの早さに驚くばかりですが、音楽的な価値は今もまったく変わりありません。このたびのデジタルリマスターで音質に拡がりや豊かさが出てきたのは本当にうれしい限りです!







2017年8月22日火曜日

久々に聴いたヘンデルの「ユダス・マカベウス」









ヌリア・リアルの
「イスラエル女性」

先日、久々にヘンデルのオラトリオCDを聴いてみましたので、ちょっとだけ感想をお伝えしたいと思います。ハルモニアムンディから発売されたロルフ・ベック指揮、エルビポリス・バロックオーケストラ・ハンブルク他の「ユダス・マカベウス」がそれです。
このオラトリオは名曲なのですが、サウルやソロモンあたりに比べると明らかに録音が少なく残念に思っていただけに、ヘンデルをこよなく愛する私としては少々嬉しくなったのでした……。

このCDの売りの一つは何と言ってもバロックオペラやヘンデル、ハイドンのアリアCDで現在注目を集めているソプラノのヌリア・リアルでしょう。美しく透き通る声だけではなく、陰影に満ちた表情や気品溢れる表現が女性ならではの発声の美しさとあいまって至福の時を約束してくれるのです。

したがって、期待に胸が高まりながら聴いたのは勿論のことなのですが、ロルフ・ベック指揮する序曲のふんわり(?)した軽い出だしから「あれっ!」と肩透かしを食ってしまいます。

これは古楽器が市民権を得た1980年代の演奏スタイルそのものではないか……、そう思ったのでした。しかし、それ以降はオケが、特にトランペットやティンパニが往年のしっかり、がっちり型の演奏形式に豹変し、ますます戸惑ってしまうのです!? でも演奏そのものは深さがあり、ドラマがあって、なかなか聴き応えがありました。

特にシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭合唱団のコーラスは優秀で、全体的にゆっくりめのテンポから美しいハーモニーを繰り広げていきます。



やはり難しい
ヘンデルのオラトリオ演奏

そして注目のイスラエルの女性役で出ているヌリア・リアルですが、これが本当に美しい!繊細でウエット感のある優しげな声で歌われると堪りません……!
過去これだけ美しく、魅惑に満ちた歌を披露してくれた「イスラエル女性」があったでしょうか……。非の打ち所がないというのはこのことを言うのでしょう。

カークビー、アージェンタあたりと比べてもまったく遜色ないのですが、もし難点をあげるとしたらイスラエル女性役としては綺麗すぎることと、やや線が細いかな…ということ位でしょうね。もちろんそれは贅沢な望みなのでしょうが。

ただしこのCDには問題があります。曲をずっと聴き進めていくのですが、どうも退屈なのです…。しかも全体的に重苦しいし、愉しくありません…。おそらくベックの指揮する演奏スタイルが伸び伸びと音を開放していくスタイルではなく、意外に細かな表情をつけて締めつけてしまうスタイルが影響しているのではないかと思うのです。

この演奏を聴いて思い出したのがレオナルド・ガルシア・アラルコン指揮ナミュール室内合唱団およびレザグレマンのCDです。あの時聴いた「ユダスマカベウス」のストレートで求心力のある響き!新鮮で味わい深い表現!まったく感動に満ちた至福の時でした。しかし、このCDには何故かそれがありません…。

男性のソリストたちの声も指揮者の要求なのか、発声の癖なのかわかりませんが、どうも力んで歌っているように思えて仕方ありません。そのことがこのオラトリオ全体の求心力、格調を下げてしまうのではないかと感じるのです。

改めてヘンデルの作品は簡単ではない……。演奏するには作品への愛情が必要だけれども、それ以上に高いレベルで本質をしっかりとつかんでいなければならないと痛感させられたのでした。

最後に少し口直しと言うことで、ヌリア・リアルのお勧めCDを挙げておきます。



2017年8月9日水曜日

ビル・エヴァンス 「alone」











平凡な時間の流れを
彩り豊かな時間に
変えてくれるアルバム


ビル・エヴァンスは20世紀後半のジャズシーンを彩る稀代の名ピアニストですが、「alone」は彼のピアニスティックな特徴が縦横無尽に発揮されたソロアルバムです。

デリカシー豊かで生き生きとしたピアノのタッチ、遊び心満点のアレンジと自然にほとばしる音楽の熱量、クラシカルな音楽要素をセンス満点に採り入れたバランス感覚……。誰に媚びるわけでもなく、心から音楽を愛し、楽しんで弾いている様子がひしひしと伝わってくるのです。おそらくこれはビルのベストパフォーマンスと言っていいのではないでしょうか……。

このアルバムはコアなジャズファンには何故か不評です。それは「真正なジャズらしくない」というのが理由なようです。でも、私は音楽的に大変優れたアルバムだと思いますね。

私はこのアルバムのノンジャンルとも言えそうなBGM的な親しみやすさと魅力は他のどんなジャンルのアルバムを持ってきたとしても敵わないし、追随を許さないものだと思うのです。

つまり、日常のどのようなシーンにも自然と馴染み、平凡な時間の流れを彩り豊かな時間に変えてくれる音楽としての魅力が光っているのです。

おそらく公園の木陰やカフェ、リビングルーム、博物館、寝室……、たとえどこで鳴っていようともここに収録された音楽は新たな発見と癒やしを与えてくれるに違いありません。

2017年7月27日木曜日

ジェシー・ネルソン I am Sam











「障害」というハンディが
背負う十字架

一人の人間が身体的、あるいは精神的に「障害」というハンディを背負うということはどういうことなのでしょうか?

ハンディがあるということは、当然生きる上で様々な壁が立ちはだかります。
通勤・通学、人とのコミュニケーションをとること、教育を受けること、就労や様々な手続きであったり……、影響は多方面に及びます。

それだけでなく、気持ちを伝えたくても伝わらない疎外感や周囲の人々の偏見の目や心ない言葉がもたらす心の傷……。それはおそらく健常者が考える想像をはるかに超えているのではないでしょうか?

周囲の温かな眼差しや気遣いがあってこそ、当事者の道が切り開かれていくのはもちろんなのでしょうけど……。それよりも大切なのは一人の人間として一切の偏見や変な同情心を捨てて心を開くことでしょうし、また、心の支えになっていく以外にないのかもしれません。

映画「I am Sam」の主人公サムも鑑定によると「精神年齢七歳」の知能の持ち主だったのでした。しかし、映画の中で知的障害者という特別な響きからくる重苦しさや哀しさは感じません。
なぜなら、同じアパートの住人でサムの娘の面倒をよく見てくれるアニーの存在や同じ知的障害を持つ仲間たちとの交流がサムにとっては何よりも心の拠り所であり、癒やしとして描かれているからなのです。

彼らはちょっと摩訶不思議なコミュニケーションを交わすのですが、まるで自分のことのように相手の気持ちを汲んだり、お互いを認め合っているのです。映画ではこのやりとりが丁寧に、そしてユーモラスに描かれています! それが何やら微笑ましく、見ているほうも次第に素直な気持ちになっていくのです。


一人娘ルーシーに注がれる
ピュアな愛情

この映画で最も美しい場面はサムが一人娘ルーシーに注ぐまっすぐな愛情でしょう。
言葉足らずでぶっきらぼうなのですが、サムが語りかける言葉や想いはルーシーにとってピュアな愛そのものだったのでした。 ルーシーもそのことを実感していたのでしょう。

ある日、「お父さんは普通のお父さんとなぜ違うの…」と素直に問いかけます。それに対してサムが「こんなお父さんでごめんよ」とすまなさそうに答えます。 見ていて何とも胸が詰まる場面ですね……。このとき、幼な子の心に初めて知的障害という概念を明確に認識した瞬間だったのでした。

一方でサムの人生は波乱の連続です。オープニングで妻のレベッカが産まれたばかりのルーシーを置き去りにして失踪したり、最愛の娘ルーシーの誕生日に近所の子を押し倒したことが発端で誤認逮捕されたり、それを契機にサムの人生の歯車が少しずつ狂いはじめます。

そして遂には親としての資格や養育能力がないという理由で、司法の力でルーシーとの親子の絆さえも引き裂かれてしまうことになります。それならば親として誰が本当にふさわしいのか?という、いつの時代においても難しい究極の質問が見る者に突きつけられるのです。それにしても検事や弁護士たちの答弁や質問が、あまりにも健常者の視点でしか物事を見ようとしないことに愕然とするではありませんか……。

それは、ルーシーを取り戻すために立ち上がってくれた女性弁護士のミシェル・ファイファーや里親としてルーシーを預かることになったローラ・ダーンも同じで、最初は「知的障害者」という色眼鏡で見たのでした。

しかし、サムと一人の人間として向き合う中で、結局人を引きつけるものは世間体や処世術ではなく、人間としての素直さやピュアな感情や無償の愛でしかないことに気づくことになるのです……。

小気味よいテンポとウイットに富んだユーモアが秀逸ですし、ショーン・ペンを始めとする出演者たちの見事な演技にも魅了されます。また動きがあり、時折アップの表情をとらえるカメラワークも最高で、終始見る者を惹きつけてやみません。ともすればお涙頂戴になったり、暗くなりがちなテーマですが、ウイットに富んだユーモアと奇をてらわない演出がさわやかな感動を呼びます。