2014年12月3日水曜日

レンブラント 「放蕩息子の帰還」











年々深刻さを増す
親子関係

 最近、家庭の崩壊がよく話題になりますが、それと同様に深刻なのが親子の断絶です。2000年以降、急速に親子関係が希薄になっているという話もよく聞きます。
 親子同士なのに会話がまったくなかったり、互いが互いを無視したり、子どもが親を親として認めていなかったりとか……、このような心が通わない親子が急増しているというのです。親というものは代われるものではありませんから、一度関係がこじれると修復が難しい泥沼状態になることが多く、第三者が立ち入れない敵対関係に発展したりする問題もあるようですね。

 でもよく考えると、本来は「親子の絆」ほど美しく麗しい関係はないでしょう。あえて申し上げるならば人間が地上に生を受けてから体験できる最も深く尊い関係と言ってもいいかもしれません。もちろん仲の良い夫婦や兄弟、親友との絆も深い関係であることに間違いないのでしょうが、やはり親子の絆は別格と言ってもいいのではないでしょうか……。
 「親子の絆」……。それは子どもや親が何を願い、何を考えているのかを無意識のうちに感知し、理解し受けとめる関係なのです。 そして、それはもはや言葉が必要のない世界なのです。 

 

感動的な「放蕩息子」の
エピソード

 「親子の絆」、「親子の情愛」を描いた絵画作品は過去にたくさんありました。でも表面的な描写であったり、演出がかった構図やテーマであったりとか、どうももうひとつピンとくるものがありませんでした。しかし例外的に鑑賞に堪えうる素晴らしい作品がありました! レンブラントが晩年に描いた「放蕩息子の帰還」です。

 レンブラントが活躍したバロック絵画の時代は宗教画や歴史画が頻繁に描かれ、もてはやされた時代でした。レンブラントも当然のように宗教画、歴史画をたくさん描いていますが、この「放蕩息子の帰還」はただの宗教画ではありません。史実を演出効果たっぷりに描いた宗教画とは明らかに一線を画しているのです。何が違うのかというと、この絵では絵柄や構図、技法はもはや問題ではなく、絵そのものが史実を超えた崇高な感情、真実のエピソードとして語りかけてくるのです。

 この絵は新約聖書、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のエピソードがテーマになっています。
 話の要旨は以下のとおりです。
 父から財産を等しく分け与えられた二人の兄弟がいました。長男は家業を継ぎ熱心に仕事をしていましたが、次男は家出をして放蕩三昧をしたあげくに財産を潰し、乞食のような食うや食わずの生活をしていました。ある日、このままではどうにもならないと観念した次男は実家へまい戻る決心をします。
 この時の次男の心中は深刻そのものでした。「もう父には会ってもらえないだろうし、おそらく親子の縁も切られだろう」などと覚悟していたのです……。しかし、父の態度はまったく予想していなかったものでした。
 親子の縁を切るどころか、息子が久々に帰ってきたことを心から喜び、飼っていた子牛で祝宴をあげようと言うのです。
『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』(ルカによる福音書15章)

思いがけない父の赦しと大きな愛に触れた次男は改心し、ただただ父の懐で嗚咽するしかなかったのでした……。



「親子の絆」を崇高に描いた
レンブラント晩年の傑作

  レンブラントの「放蕩息子の帰還」はそのような決死の想いで帰郷した息子が父の懐に抱かれる瞬間を描いたものです。
 親子はここに至るまでにどれほど多くの紆余曲折を味わってきたのでしょうか……。身勝手に家を出て、苦しくなって戻ってきた弟に対して、どうにも納得できない表情を浮かべる兄や雇人たちの気持ちも充分に理解できます。しかし、父と息子にとってそんなことはもうどうでもよかったのです。この瞬間、二人は純粋に“親子”として心を通わせ、感動の再会を果たしているのです。

 生気がなく憔悴しきった息子の顔、衣服はボロボロで足裏には無数の傷があり、惨めな姿を晒しているのですが、それでも心おきなく親の懐に身を寄せる子の表情からは最高に満ち足りた様子や安堵感が伝わってきます。大きな手のひらで子を強く抱き寄せる父親の慈愛に満ちた表情……。レンブラントの深遠な表現は二人の劇的な再会をこれ以上ないくらい見るものの心に強く訴えかけるのです。

 親子の愛は「無償の愛」だとも言われますが、レンブラントの絵を眺めていると、「言葉を超えた愛こそが最も貴い」と教えられているような気がします。
 バロック絵画を代表する巨匠と言われ、光と闇を絶妙のコントラストと精神性で描ききったレンブラント……。
 この絵でも光と闇が覆う空間構成は冴えわたっており、スポットライトに照らし出されるような親子の抱擁は深い輝きに満ちた色彩と筆触によって見る人を別世界に誘います。

 「放蕩息子の帰還」もそうですが、晩年のレンブラントの絵は中期(「夜警」で見せたようなドラマチックな光と闇のコントラスト)の絵に比べると劇的な効果において一歩譲るかもしれません。しかし筆のタッチには人々の心の機微を映し出す深い息づかいや温もりが感じられ、可能な限り彫琢された美しい色彩がさらに人々の崇高な魂や人生の哀感を伝えてやまないのです! 丹念に描かれた手の表情、肌の色味や微妙な陰影、何気ないしぐさからはその人物が辿ってきた内面の世界が伝わってきますし、人々の奥行きのある美しい表情には溜息が出るばかりです。
 いつまでも感動を共有し、その余韻に浸っていたいと思わせる数少ない名画といっていいでしょう。



2014年11月18日火曜日

レハール ワルツ「金と銀」







愛らしいメロディと
可憐な響きで心がいっぱいに

 レハールが作曲した「金と銀」。このワルツ、どこかで聴いたことありませんか? かつては小学校の音楽の教科書に鑑賞曲として紹介され、多くの人たちに愛されていた曲でした。この曲を聴くと、古き良き時代の懐かしい香りが甦ってきますし、愛らしいメロディで心がいっぱいになります……。
 その名のとおり、キラキラと輝くような旋律やエレガントな気品が魅力のワルツですが、それだけではありません。大らかで情感あふれる曲調や御伽の国に遊ぶような雰囲気が夢のようなひとときを届けてくれるのです。

 オペレッタやミュージカルの始まりのように颯爽とした装飾音の提示で序奏が開始され、ハープのカデンツァ、ピッコロの経過句と続き、可憐な第2ワルツの後半の主題が出てくると……そこはもう「金と銀」の世界でいっぱいになります! その後の第1ワルツ、第2ワルツ、第3ワルツと続くあふれるようなメロディと見事な転調に胸はワクワクしますし、一気に心が童心に戻っていくような気がいたします。

 レハールはよほど楽器の扱い方に精通していたのでしょうか、グロッケンシュピールやタムタム、ハープ、木管楽器、それぞれが生き生きとした表情で微笑んでるではありませんか。 特に印象的なのが、哀愁に彩られた第2ワルツとそれを受ける後半の愛らしいワルツの対比です。本当に見事としか言いようがありません!
 


ケンペの理想的な名演  

 この曲はなかなか名盤に恵まれませんね……。ウインナーワルツだからとか短い曲だからとか、またレハールの曲ということで、もしかしたら軽く見られているところがあるのかもしれません。音楽はとても魅力的なのに、演奏がサラリと流すような感じだとやはり感動とはほど遠いものになってしまうでしょう。

 しかし唯一といっていいほど、この曲を大まじめに生き生きと演奏してくれる人がいました! それがルドルフ・ケンペです。
 「金と銀」はウィンナ・ワルツ・コンサートと題するアルバムの中に納められているのですが、ケンペ指揮シュターツカペレ・ドレスデン(DENON)の演奏さえあれば他はいらないといってもいいかもしれません! 何よりも軽く流す演奏にしていないところがいいですし、全編に楽器の表情が生き生きしています。
 したたるような弦楽器の魅力、エレガントな雰囲気、深い呼吸、絶妙なリズム、楽器のメリハリ等、どれをとっても理想的で、この一曲だけでもケンペの名前は永遠に記憶されるのではないかと思います。

 実際ケンペはこの曲を得意にしていて、ウイーンフィルと入れた録音もありますし、実演でもよくとりあげたという話を聞きます。やはり曲に大きな愛情を抱いているということは演奏家にとって必要不可欠条件なのでしょう。



2014年11月12日水曜日

「ジョルジョ・デ・キリコー変遷と回帰」








不思議な空間構成と
存在感に惹きつけられる
キリコの作品

 キリコの絵はお好きですか? とにかく不思議な空間と謎めいた雰囲気を湛えた絵は独特で、シュルレアリスムの典型的な画家といっていいでしょう。
 形而上学的なスタイルを生み出した画家ですから相当に哲学的な背景があるのかと思えば、ある時はバロックやロマン主義絵画にテーマを求めたり、また再び原点に戻ったり……と、なかなか一筋縄ではいかない人だったようです。
 この展覧会は、彼がどうして幾度も画風を変えざるをえなかったのかを探ると言う意味で、絵の変遷の歴史を眺めながら、彼の絵と同様に不思議で興味深い体験ができるかもしれません!


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「ジョルジョ・デ・キリコー変遷と回帰」

期  日   2014年10月25日(土)~12月26日(金) 
開館時間   午前10時より午後6時まで(ご入館は午後5時30分まで)
休館日    毎週水曜日(但し12月3・10・17・24日は開館)
入館料    一般:1,000円 65歳以上:900円 大学生:700円 
       中・高校生:500円 小学生以下:無料 
       20名以上の団体:各100円割引 
       障がい者手帳をご提示の方、および付添者1名まで
       無料でご入館いただけます。
主  催  パナソニック 汐留ミュージアム、朝日新聞社、テレビ朝日




 20世紀を代表する画家ジョルジョ・デ・キリコ(1888­–1978)。イタリア人の両親のもとギリシャで生まれたデ・キリコは、青年期をミュンヘンで過ごした後、パリで画家としてデビューします。彫像や建築物の影が伸びる人気の無い広場、そこに配されるマネキンや玩具。「形而上絵画」と称されるこうしたデ・キリコ独自の世界が描かれた作品は、目に見える日常の裏側に潜む神秘や謎を表現しようとしたもので、後のシュルレアリストたちに大きな影響を与えました。第一次世界大戦以後は、古典主義絵画への関心からその様式を大きく変え、伝統的な技法と題材で制作を続けます。しかし晩年は、再び形而上絵画に回帰し、絶えることのない創作意欲で、新たな形而上的主題に取り組むのです。

 本展は、パリ市立近代美術館に寄贈された未亡人イザベッラの旧蔵品を中心に、イタリアの美術館や個人のほか、日本国内の所蔵作品から、画家の各時代の代表作約100点を紹介します。謎めいた憂愁が漂い、神秘的で詩的な雰囲気を持つ彼の作品の魅力に触れていただくことはもちろん、生気に満ちた70年もの彼の画業を通観する貴重な機会となっております。(公式サイトより)



2014年10月27日月曜日

モーツァルト 「ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491」
















内面を見つめるピアノと
木管楽器の美しい響き

 モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中でも、24番K491はかなり謎めいた異質の曲です。同じ短調の曲でもピアノ協奏曲20番K466が若々しい情熱と颯爽とした気品に彩られているのですが、K491は徹頭徹尾、心に深い傷を負った魂の発露のように聴こえるし、鎮魂曲のようにも聴こえるのです。

 ここにはいつものモーツアルトの胸躍るメロディはありません。
 第1楽章冒頭の暗い情念を漂わせる主題と管弦楽の悲痛な叫び……。そしてそれに伴うファゴット、クラリネット、オーボエ等の哀惜に満ちた響きは、まるで悲しみを押し殺した作曲家の心を映し出すかのようです。瞑想と悲嘆にくれる木管楽器の音色は時に哀しい小鳥のさえずりを想わせ、モノトーンの幽玄な世界をも表出していきます。
 苦悩に満ちた表情は曲が進むにしたがってますます強くなっていきます。このような曲調であれば救いようのない暗さに埋没しかねないのですが、さすがはモーツァルト! 内面を見つめるピュアなピアノの響き、ピアノと木管楽器の対話や木管楽器の美しい響きが曲を深刻さや閉塞感から救い、いたるところに澄んだ穏やかな空気を届けてくれるのです!



涙に濡れながら
澄みきった心の世界を表現

 第2楽章は魅力的な音や響きが満載なのですが、聴いていると無性に哀しくなる音楽です。
 第1主題を「天国的なメロディだ」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、私にはとてもそうは思えません……。夢幻的な美しさをたたえたピアノと木管による第1主題は安らかな笑みさえ浮かべて進行していくのですが、この時すでに涙に濡れながら立ちつくしているモーツァルトの姿が目に浮かんでくるようで仕方がないのです。ただ、この主題からはとてつもないモーツァルトの優しさや澄み切った心の世界を感じるのも事実ですね……。
 この主題は中間部や展開部に進んでいく中でさまざまな形に姿を変え発展していきます。音楽がぐんぐんと拡がりを増していくのも見事ですが、淡い水彩画のような木管楽器とピアノとの美しい絡みが特に印象的です。

 第3楽章はひそやかに曲が開始されますが、音楽が冗長な経過句や主題、技法等によって流れが遮断されたり、停滞することは一切なく、音色、リズム、構成等すべてにおいて終楽章を飾るにふさわしい引き締まった名作です。
 8つの変奏曲で構成されていますが、それぞれの変奏曲はあらかじめ音楽の到達点を知っているかのように一直線に進んでいきます。ピアノや木管楽器、管弦楽が有機的に絡まり、発展を重ねる中での音楽からあふれ出る崇高な情感や詩情は比類がありません……。
 また、モーツァルトらしい愉悦感も随所に聴ける魅力作といってもいいでしょう。ここでも木管楽器が奏でる妙なる調べは、大きな効果を生み出しています。
 


内田とハイドシェックの
味わい深い名演

 K491はピアノと管弦楽のバランスをどのように表現するのか難しい曲です。どちらか一方に偏りすぎても曲の本質を生かせないという事実があるのでしょう。

 特に内田盤は第1楽章、第2楽章の情感の深さと木管楽器の美しさに魅了されます。内田のピアノは表情に立体的な奥行きがあり、テイトの指揮も緊迫感あるドラマを展開して、この曲を聴く醍醐味を目一杯味わせてくれます。
 それに対してハイドシェック盤は自在な流れと響きでモーツアルトの音楽の素晴らしさを伝えようとしています! その結果、第3楽章はストレートな進行にもかかわらず、あふれるような音楽の魅力を伝えることに成功しています。グラーフの指揮する管弦楽は悪くはないのですが、メリハリにやや乏しく音楽の美しさや意味が伝わりきらないところも多々見られのがちょっと残念です。 




2014年10月21日火曜日

モンドリアン 「赤・青・黄・黒のコンポジション」











宇宙の調和は
抽象でなければ表現できない

 絵から無駄な要素をすべて取り除いていったら、いったい最後には何が残るのでしょうか…。
 一見、無謀とも思えるこのような試みを実際に絵で実現しようとした人がいます。それがピエト・モンドリアンでした。彼はアムステルダム国立アカデミー卒業後、ゴッホやスーラの点描画に大きな関心を抱き、色彩と線の持つ力を実感するようになります。
 その後、ピカソやブラックらのキュビスム絵画が幾何学形態への展開や発展を絵のテーマとすることに大きな衝撃を受け、一気に抽象絵画へと向かうようになります。しかしそれも後年の極めてシンプルな絵画へと移行する過程でしかなかったのでした…。

 「宇宙の調和を絵画で表現しようと思えば、どこまでも単純明快になるし、不要な線、色彩を排除していかなければならない」。 このようなポリシーのもとに、彼は年を追うごとに幾何学的で抽象的な表現を突き詰めていくようになります。初期は抽象的なかたちの集合体で羅列されていたものが、晩年には「これは記号なのか……」と見間違うほどに一つ一つの事物に大きな意味を持たせるようになっていくのでした。
 
 1920年頃からは黒い枠線と限られた色彩で構成された絵がモンドリアンのスタイルとして定着するようになります。そのような中で生まれた「赤、青、黄、黒のコンポジション」は彼自身における真実、秩序、ルールを構築する一つの理想の実現だったのでしょう。



有機的な線と空間表現

 したがって人によっては「何を描いても同じ」とか、「パターンの組み替えをその都度行っているだけ」とか揶揄する人も少なくなかったでしょうし、そのことゆえに様々な苦悩を背負わざるえない状況に陥ったことは察して余りあります。
 しかし力強く安定感を漂わせる黒い枠線や枠内に彩色された赤、青、黄、黒のヴィジュアル表現からは絶妙なバランス感とともに、優美で端正な空間が拡がっていきます。
 単純な線、色彩の配列、組み合わせによって様々なメッセージを伝達することが可能になり、多くの示唆を与えてくれることを端的に絵として示した稀有な例と言えるでしょう。
 ここまでくると、もはや絵画の領域というよりはすでに20世紀以降のデザインの色面分割・色面構成に通じるものがありますね。
 「真実のものは抽象的な表現からしか出てこない」という彼の理念とスタイルはデザインや建築等の様々な分野で多大な影響を与えていますし、先見の明を持った巨人だったのかもしれません…。





2014年10月14日火曜日

クリストファー・ホグウッドさんの死…










古楽の星
ホグウッドさん逝く


 クリストファー・ホグウッドさんが9月24日に逝去されました。73歳だったということです。今年の秋に日本で公演が予定されていたプログラムはキャンセルになり、心配されていた方も少なくなかったと思いますが、本当に残念です。

 ホグウッドさんといえば、強烈な印象を植えつけられたのがヘンデルの「メサイア」(オワリゾール)でした。それまで大編成のオーケストラとコーラスで圧倒する演奏が主流だった当曲に、オリジナル楽器ならではの魅力をつけ加え、新鮮な驚きと感動を与えてくれたのです。

 小編成のオーケストラから繰り広げられる透明感に満ちた響きやカークビーをはじめとするソリストや合唱から澄んだハーモニーをもたらしてくれた衝撃は35年を経過した今も忘れられません。
 あの名演奏からヘンデルのオペラ、オラトリオの演奏はすっかり変わった…と言っても過言ではないように思います。

 その後もヘンデルのオラトリオ「アタリヤ」、「エステル」、オペラ「オルランド」、「リナウド」、モーツァルトのオペラ、交響曲集、ハイドンのオラトリオ、交響曲集等、バロック、古典派で披露してくれた嫌味のない音楽に胸をワクワクさせたものでした。

 ホグウッドさんがオリジナル楽器に市民権をもたらした功績、ヘンデルの音楽に新たな光をあてた功績は、今後も決して忘れ去られることはないでしょう。
 改めてご冥福をお祈りいたします。





2014年10月7日火曜日

「コンサートホール原盤」復刻シリーズ カール・シューリヒト/モーツァルト交響曲集














過去の名盤をリニューアル販売する
路線の定着

 現在、新譜のクラシックCD売り上げが軒並み頭打ち状態(これは決してクラシックに限ったことではありません…)ですが、これに対する打開策として各レーベルでは過去の名盤をリニューアルして販売するという路線が定着しているようですね。

 昔からのクラシックファンとしてはうれしい限りなのですが、問題は中身です。せっかく名盤を再発売しても録音が良くないと興ざめです。改めて出すのなら、何らかのメリットがなければ出す意味はなくなってしまうでしょう。おそらく多くのファンが期待するのは低価格実現でしょうが、それ以上にファンが望むのはやはり録音でしょう。



デジタル至上主義時代が
終わりを告げる

 たとえば、LP時代にリリースされ録音も良かった名盤が、CDでリリースされたと同時に飛びついて購入したら、どうも様子が違っていたという話をよく耳にします。
 音がキンキンするとか、まろやかさがないとか深みがないとかそのような不満が噴出していたのを覚えています。つまり音が物理的にいい悪いというより、大切な何かが聴こえなくなってしまったということなのですね……。

 どんなにデジタル信号で音を処理するといっても、それを聴くのは生身の人間です。豊かな感性を持ち、心の音を求め続ける敏感な人間の耳を癒すには限界があったということなのでしょう。

 デジタル至上主義といわれた時代もようやく終わり、アナログとの幸福な融合がなされなければ、音楽文化が廃れてしまうと心ある人たちは感づいてきたのでしょう。制作スタッフの方々の努力により、最近リリースされた過去の名盤は以前のCD録音をはるかに凌駕し、初出のLPの音を思わせる素晴らしい録音が増えてきたことは確かですね…。



思いもよらなかった
シューリヒトの名演の復活!

 タワーレコードのサイトの解説では「今回の再発においては、日本コロムビア所蔵のアナログ・マスターより、新規でCDマスターを制作しました。アナログ・マスター・テープから入念にデジタル化(192kHz/24bit)し、さらに綿密なリマスタリングを施した上で発売いたします」とありますが、まさにその言葉どおり並々ならない音へのこだわりが素晴らしい音質のCDとなって蘇っていました。

 今回販売されたシューリヒトのモーツァルト交響曲集では38番「プラハ」(DENON)が様々なところで名演と評されて、例外的にCDショップでも購入可能でした。しかし、シューリヒトのモーツァルト交響曲集の魅力はそれだけにとどまりません。特にモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」は以前からシューリヒトのコンサートホール盤でしか味わえない独特の良さがあったために、今回このような形で音質が大きくアップして復刻されたのはうれしい限りです! 

 「ジュピター」の第4楽章フィナーレは晴朗な輝かしい曲でフーガの見事さはもちろんですが、驚くほど深い意味が盛られた音楽ですね。喜びや悲しみ、苦悩、希望等のさまざまな感情が洪水のように押しよせ、一音一音に深い意味が込められていくのですが、音楽は停滞したり冗長することなく、宇宙意思によって深化され、純化された音楽となっているのです。こんなに美しく澄みきった境地を表現した音楽が他にあるでしょうか……。

 シューリヒト盤はその音楽の本質を突いた素晴らしい名演奏と言っていいと思います。派手さは一切ないものの、楽器の響きにシューリヒトの息づかいがはっきりと伝わり、豊かな人間味を伴った音色やフレージング、高貴で厳しい音楽となって現れてくるのです。
  その他、「プラハ」はもちろん、「リンツ」、40番もシューリヒトでしか実現不可能な聴く価値が大いにある名演奏です!



【CD曲目】
モーツァルト:
DISC1
1.
交響曲 36 ハ長調 K.425《リンツ》
2.
交響曲 38 ニ長調 K.504《プラハ》

DISC2
3.
交響曲 40 ト短調 K.550
4.
交響曲 41 ハ長調 K.551《ジュピター》

【演奏】
パリ・オペラ座管弦楽団
カール・シューリヒト(指揮)

【録音】
1961
11(1)19636(2)、パリ
オリジナル記載無し(3,4) [19646月、パリ]