年々深刻さを増す
親子関係
最近、家庭の崩壊がよく話題になりますが、それと同様に深刻なのが親子の断絶です。2000年以降、急速に親子関係が希薄になっているという話もよく聞きます。
親子同士なのに会話がまったくなかったり、互いが互いを無視したり、子どもが親を親として認めていなかったりとか……、このような心が通わない親子が急増しているというのです。親というものは代われるものではありませんから、一度関係がこじれると修復が難しい泥沼状態になることが多く、第三者が立ち入れない敵対関係に発展したりする問題もあるようですね。
でもよく考えると、本来は「親子の絆」ほど美しく麗しい関係はないでしょう。あえて申し上げるならば人間が地上に生を受けてから体験できる最も深く尊い関係と言ってもいいかもしれません。もちろん仲の良い夫婦や兄弟、親友との絆も深い関係であることに間違いないのでしょうが、やはり親子の絆は別格と言ってもいいのではないでしょうか……。
「親子の絆」……。それは子どもや親が何を願い、何を考えているのかを無意識のうちに感知し、理解し受けとめる関係なのです。 そして、それはもはや言葉が必要のない世界なのです。
感動的な「放蕩息子」の
エピソード
「親子の絆」、「親子の情愛」を描いた絵画作品は過去にたくさんありました。でも表面的な描写であったり、演出がかった構図やテーマであったりとか、どうももうひとつピンとくるものがありませんでした。しかし例外的に鑑賞に堪えうる素晴らしい作品がありました! レンブラントが晩年に描いた「放蕩息子の帰還」です。
レンブラントが活躍したバロック絵画の時代は宗教画や歴史画が頻繁に描かれ、もてはやされた時代でした。レンブラントも当然のように宗教画、歴史画をたくさん描いていますが、この「放蕩息子の帰還」はただの宗教画ではありません。史実を演出効果たっぷりに描いた宗教画とは明らかに一線を画しているのです。何が違うのかというと、この絵では絵柄や構図、技法はもはや問題ではなく、絵そのものが史実を超えた崇高な感情、真実のエピソードとして語りかけてくるのです。
この絵は新約聖書、ルカによる福音書15章の「放蕩息子」のエピソードがテーマになっています。
話の要旨は以下のとおりです。
父から財産を等しく分け与えられた二人の兄弟がいました。長男は家業を継ぎ熱心に仕事をしていましたが、次男は家出をして放蕩三昧をしたあげくに財産を潰し、乞食のような食うや食わずの生活をしていました。ある日、このままではどうにもならないと観念した次男は実家へまい戻る決心をします。
この時の次男の心中は深刻そのものでした。「もう父には会ってもらえないだろうし、おそらく親子の縁も切られだろう」などと覚悟していたのです……。しかし、父の態度はまったく予想していなかったものでした。
親子の縁を切るどころか、息子が久々に帰ってきたことを心から喜び、飼っていた子牛で祝宴をあげようと言うのです。
『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』(ルカによる福音書15章)
思いがけない父の赦しと大きな愛に触れた次男は改心し、ただただ父の懐で嗚咽するしかなかったのでした……。
「親子の絆」を崇高に描いた
レンブラント晩年の傑作
レンブラントの「放蕩息子の帰還」はそのような決死の想いで帰郷した息子が父の懐に抱かれる瞬間を描いたものです。
親子はここに至るまでにどれほど多くの紆余曲折を味わってきたのでしょうか……。身勝手に家を出て、苦しくなって戻ってきた弟に対して、どうにも納得できない表情を浮かべる兄や雇人たちの気持ちも充分に理解できます。しかし、父と息子にとってそんなことはもうどうでもよかったのです。この瞬間、二人は純粋に“親子”として心を通わせ、感動の再会を果たしているのです。
生気がなく憔悴しきった息子の顔、衣服はボロボロで足裏には無数の傷があり、惨めな姿を晒しているのですが、それでも心おきなく親の懐に身を寄せる子の表情からは最高に満ち足りた様子や安堵感が伝わってきます。大きな手のひらで子を強く抱き寄せる父親の慈愛に満ちた表情……。レンブラントの深遠な表現は二人の劇的な再会をこれ以上ないくらい見るものの心に強く訴えかけるのです。
親子の愛は「無償の愛」だとも言われますが、レンブラントの絵を眺めていると、「言葉を超えた愛こそが最も貴い」と教えられているような気がします。
バロック絵画を代表する巨匠と言われ、光と闇を絶妙のコントラストと精神性で描ききったレンブラント……。
この絵でも光と闇が覆う空間構成は冴えわたっており、スポットライトに照らし出されるような親子の抱擁は深い輝きに満ちた色彩と筆触によって見る人を別世界に誘います。
「放蕩息子の帰還」もそうですが、晩年のレンブラントの絵は中期(「夜警」で見せたようなドラマチックな光と闇のコントラスト)の絵に比べると劇的な効果において一歩譲るかもしれません。しかし筆のタッチには人々の心の機微を映し出す深い息づかいや温もりが感じられ、可能な限り彫琢された美しい色彩がさらに人々の崇高な魂や人生の哀感を伝えてやまないのです! 丹念に描かれた手の表情、肌の色味や微妙な陰影、何気ないしぐさからはその人物が辿ってきた内面の世界が伝わってきますし、人々の奥行きのある美しい表情には溜息が出るばかりです。
いつまでも感動を共有し、その余韻に浸っていたいと思わせる数少ない名画といっていいでしょう。
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