2012年3月23日金曜日

映画「おかえり、はやぶさ」








 先日、渋谷の映画館で「おかえり、はやぶさ」を見てきました。この映画は「はやぶさ」の打ち上げから帰還までのプロセスを科学的な実証や解説を施した少々硬派な映画かと思いましたが実際はそうではありませんでした。

 一言で言えばこの映画は小惑星宇宙探査機「はやぶさ」にかけるプロジェクトチームの不屈の信念と忍耐を描いた作品ということになるでしょう。
  予想はしていたものの、日本の宇宙開発事業をとりまく環境は決して恵まれたものではないようです。かけられる予算はとても低く、アメリカの10分の1、中国やインドにすら遅れをとっているという現実…。しかも、日本の宇宙開発事業における周囲の無理解はプロジェクトチームの士気や活動にも大きく影響していきます。結果が出なければ容赦なく予算を削られたり、国民の税金の無駄遣いをしたと言われる等、さまざまなことがスタッフにプレッシャーとして重くのしかかってきます。

「目に見えないもの」にはあまり価値をおかない日本の国民性からすれば致し方ないのかもしれませんが、 それにしてもこれで日本の未来はあるのだろうか…。と思ってしまいます。
  映画としては意外にあっさりしていますし、完成度や芸術性という面ではさほどではないかもしれません。スタッフがどうしてここまで「はやぶさ」に情熱を注げるのかという視点ももう少し描いてほしかったという要望もあります。 出演スタッフの演技は総じてなかなか良かったものの、配役に関してはミスマッチもありました。

 でもこの映画はとても好感が持てました! 見終わった後の心地良さや、気持ちを前向きにさせてくれたことになぜかとてもうれしくなったのです。自分にとって今は芸術性云々や難しい映画より見終った後に疲れない、さわやかな希望を与えてくれる映画を見たいんだなと再認識させられた次第です。



2012年3月20日火曜日

「セザンヌ パリとプロヴァンス」展




セザンヌの創造の軌跡を探る


 これはとても面白そうな展覧会ですね!
 ご承知のようにセザンヌは近代絵画に新しい風をもたらした巨匠です。セザンヌの描いた絵は一見すると何も特筆するものがない平凡な描画のように見えます。しかし彼は存在する物の真実の姿を描き出すために絵に様々な考察を加えた大家でもありました!描かれた多くの絵は派手ではないけれど、確かな存在感と存在理由を持って見る人に問いかけてきます。いわば、見れば見るほど多くの発見や本当の良さを実感できるのがセザンヌの絵の特徴と言えるでしょう! 
 今回の「セザンヌ パリとプロヴァンス」展はさまざまな角度からセザンヌの実像を浮かび上がらせようとするユニークな展覧会です。予備知識を持ってご覧になればセザンヌの絵がいろんなメッセージを語り始めるかもしれません…。


Nature-morte aux pommes et aux oranges (1895-1900. Musée d'Orsay)




「セザンヌ パリとプロヴァンス」展は、「近代絵画の父」と称されるポール・セザンヌ(1839-1906年)の画業を、パリとプロヴァンスという2つの場所に注目して振り返る大規模な個展です。
南仏のエクス=アン=プロヴァンスに生まれたセザンヌは、1860年代のはじめに、画家としての成功を夢見てパリに出ます。1870年代に入り、セザンヌは、当時世に出た印象派の輝くような明るい色彩に大いに感化される一方、形態と空間の表現に創意を凝らしました。そして、伝統的なアカデミスム絵画とも同時代の印象派とも袂を分かつ、全く新しい絵画を確立したのです。
...
本展は、セザンヌの芸術的創造の軌跡を、南北の対比という新たな視座から捉えなおそうという画期的な試みです。[公式サイトより]




会場     国立新美術館 
       東京都港区六本木7-22-2
会期     2012328日(水)~611日(月)
入場料    一般=15001300)円
       大学生=12001000)円
       高校生=800600)円
       *( )内は前売/20人以上の団体料金
        *中学生以下は無料
       *障害者とその介護者1名は無料(要障害者手帳)
休館日    火曜日(ただし、5/1は開館)
開館時間   10001800(金曜日は20時まで開館)
        *入館は閉館の30分前まで
問い合わせ  tel. 03-5777-8600(ハローダイヤル)
主催     国立新美術館、日本経済新聞社
公式サイト  http://cezanne.exhn.jp/



2012年3月16日金曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503







もう25年ぐらい前のことになりますが、この曲には懐かしい思い出があります。特に第3楽章のアレグレットを耳にすると秋晴れの野原に可憐に咲いていた色とりどりのコスモスが鮮やかに思い出されるのです!  

ちょうどこの時、私はヘッドホンステレオを聴きながら外を歩いていたのですが、その時聴いていた曲がモーツアルトのピアノ協奏曲第25番のアレグレットだったのでした。何故なのかはわかりませんが、私にとってあのメロディや曲調はちょうど太陽の光を浴びて輝くコスモスの透明な美しさと不思議と通じる何かがあったのでしょう…。
とてもその情景が印象的だったため、しばし時間を忘れて目で追い続けたのがついこの前のように思い出されます。

モーツアルトのピアノ協奏曲第25番は彼の20番代のピアノ協奏曲としては比較的演奏頻度も少なく、どちらかというと地味な部類の作品なのかもしれません。しかし、晴れた秋空を感じさせるような透明な詩情や純粋無垢な魅力はやはりモーツアルトならではですし、決して騒ぎたてないつつましやかな表情も印象的です!

この曲の第1楽章は出だしがファンファーレのような大合奏で始まり、これからどれほど盛り上がっていくのだろうかという期待感を抱かせるのですが、実際は思ったほどではありません。
それどころか音楽はどんどん内省的になり、静かな諦観さえ湛えながら進行していきます。一見華麗で力強く感じられるものの、実は多くの苦悩や哀しみを抱えながら周囲には努めて自然で明るく振る舞おうとするモーツアルトの意地らしい側面がうかがえるのです!

第2楽章になるとその傾向は一層強まり、ピアノが夢の中を彷徨い歩くようなモノローグを延々と弾いていきます。ここには自分を飾ろうとか自己主張しようという美意識はほとんどありません。ただひたすらに流れる音楽がモーツアルトの澄み切った心の境地を静かに伝えていくのです。

第3楽章のアレグレットは透明感に満ちたさわやかな音楽が本当に印象的です。ピアノと管弦楽の掛け合いや遊びの境地が心地よく、モーツアルトの魅力が全開している感じです。ピアノ協奏曲第27番のような枯れた透明感とは少し違う色彩感や華のあるメロディがとても心に響きます!

エリック・ハイドシェックのピアノとアンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団による演奏(EMI)はこの曲の魅力を最大限に引き出している感じです。特にハイドシェックの自由奔放で感性豊かな演奏は地味と思われているこの作品に彩りを添えています! ただしこの録音は現在廃盤になっており、手に入れるのは少々困難かもしれません。ハイドシェック新盤のハンス・グラーフ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団との録音(ビクター)は閃きや奔放なタッチは減少し、少々大人しくなったもののしっとりとした味わいで充実した音楽を聴くことができます。
内田光子(ピアノ)、ジェフリー・ティト(指揮)イギリス室内管弦楽団の演奏はすべてにおいて理想的な演奏を繰り広げています。中でも第2楽章のしみじみとした深い味わいは他の演奏からはなかなか聴けないものでしょう。






2012年3月15日木曜日

モーツァルト: 2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K.365








 モーツァルトの2台のためのピアノ協奏曲はとびきり明るくて清々しい情感が印象的な曲です。交響曲で言えば祝典的な華やかさのある第35番「ハフナー」あたりに似た作品になるのではないでしょうか。後年のピアノ協奏曲のような深さはありませんが、聴いているととても気持ちが晴れ晴れとして幸せな気持ちになってきます!

 とにかくすこぶる演奏効果の上がる曲なので、音楽を聴きながら自然と身体が動いてきたりします…。主題も覚えやすいし、モーツアルトらしいメロディの魅力も随所にあります。第1楽章の広々とした情景を想わせるテーマの魅力、第3楽章の颯爽とした上機嫌な音楽。1度聴いたらその音楽に魅了されることでしょう! 

 しかし、もしかしたらこの作品で一番気持ちがいいのはピアノを弾いている2人の奏者かもしれません!
 それぞれのピアノパートを風のように駆け抜けたり、こだまのように反復したり、ささやきあったりと…、聴いていくとピアノの掛け合いがユニークで、まるでおしゃべりのように楽しいのです!何だか聴いているほうも「よほど楽しいんだろうな…」と羨ましい気持ちになるんですね!

 こういう曲ですからピアノ演奏はお互いに遠慮せずに、自分の持ち味をフルに発揮して、オーケストラもやりたい放題やってくれればいいのにと思うのですが…。意外に自分の持ち味を発揮してやりきった演奏というのは少ないのです!
 しかし、そんな中でペライアがルプーと組みイギリス室内管弦楽団を振った演奏は息がぴったり合い、いい意味での緊迫感があり、音も然ることながらメリハリの利いた演奏は実に気持ちよく、最高にエキサイティングな演奏になっています。



2012年3月12日月曜日

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン2012




「ロシア音楽」のルーツを辿る旅



すっかりゴールデンウィークの定番となりつつあるクラシックイベント「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャパン2012」が今年もやってきます! 今回はテーマが「ロシア音楽」だそうで、通常あまり光が当たらない名曲のルーツや様々な作曲家の系譜を取り上げたプログラムが組まれるようです。
 チャイコフスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ムソルグスキー、リムスキー・コルサコフ、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー…とさまざまな個性的な作曲家を輩出してきたロシア音楽の歴史と真髄を探る上で絶好の機会になるのかもしれません!乞うご期待

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ノスタルジーと美に満ちたロシア音楽の世界へ


ルネ・マルタン(René Martin
今年で8回目を迎える「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」。今回は、深みのある人間の生と「宿命性」を感じさせ、聴き手の心を震わせるメロディが印象的な、ロシア音楽の旅へご案内いたしましょう。
この旅は、1804年に誕生したグリンカからスタートします。ウィーンでベートーヴェンが活動していた時代であり、音楽の歴史が古典派からロマン派ヘと移行する時期でもありました。近代ロシア音楽は「父」と呼べるグリンカから、ムソルグスキーやボロディンらが集まって活動した「ロシア五人組」へと受け継がれ、首都サンクトペテルブルクを舞台として国民楽派の音楽が生まれます。中でもリムスキー=コルサコフは管弦楽法に精通し、ストラヴィンスキーをはじめとする多くの弟子を育てて、20世紀へと伝統をつなぎました。
その一方で「ロシア五人組」と同じ時代に、モスクワで活躍したのがチャイコフスキーです。ヨーロッパ音楽に近い作風で多くの美しい作品を書いたのは、皆さんもよくご存知でしょう。チャイコフスキーはたくさんの後輩も育てましたが、最後のロマン派の巨匠ラフマニノフもその一人です。彼はピアニストとしても一流の腕前をもっていましたから、素晴らしいピアノ協奏曲や数多くのピアノ作品を作曲しました。
 20世紀になると、それまでロシアにおける政治の実権を握ってきた皇帝や貴族たちへの反感が強まり、1917年に革命が起こってソヴィエトという新社会主義国家が誕生します。こうした混乱期に新しい才能として登場したのが、ストラヴィンスキーやプロコフィエフといった作曲家でした。またソヴィエト時代を代表する作曲家となったショスタコーヴィチも、「サクル・リュス(ロシア音楽の祭典)」では忘れるわけにいきません。そして彼らが守ったロシア的な精神は、20世紀後半のシュニトケやグバイドゥーリナといった作曲家にも受け継がれているのです。プーシキン、トルストイ、ドストエフスキーなどが文学で表現してきた人間の「宿命性」というテーマは、常にロシア音楽にも流れているのです。
このように、およそ2世紀という期間の中、多くの作曲家たちが登場してロシア音楽を世界的な存在にまで高めました。皆さんにはぜひ、ノスタルジーと美に満ちたロシアの音楽に耳を傾け、心を熱くしていただきたいと思っています。(公式サイトより)

2012年3月31日(土)10:00よりチケット一般発売開始

4月25日(水)以降はチケットぴあのみでの販売となります。

2012年3月9日金曜日

モーツァルト ピアノ協奏曲第6番 変ロ長調 K.238







 モーツァルトはピアノに格別な愛情を注いでいたようです。それは27曲のピアノ協奏曲と何十曲にも上るピアノソナタ,独奏曲の充実度からも充分うかがえます。
 ところで モーツァルトのピアノ協奏曲は第20番(K466)以降の作品でなければその良さは味わえないと思いこんでらっしゃる方も意外に多いようです。もちろん全般的に曲が深化し、完成度が格段に上がったことは間違いないでしょう。しかし、初期や中期の作品に魅力が無いのかと言えば、まったくそんなことはありません!
 むしろ初期の作品でも魅力においては後期の作品を上回る作品も少なくないのです。

 ピアノ協奏曲6番はそんな初期の魅力に溢れた作品の代表格でしょう!
 この曲は一聴して耳をとらえる主題の特徴はありませんが、自然な陰影がありメロディが少しずつ形を変えながら空気のように聴く人の心にスーッと染み込んでくるのです。ちょっとしたリズムやメロディに込められた繊細なニュアンス、音楽的な味わいは最高で、音楽を聴く喜びにいつのまにか満たされることでしょう。 
 全編に溢れる無邪気な微笑みはとても愛らしく、キラキラ輝くような魅力を放ちながら曲は進行します。そして明るさの中に時折垣間みられる透明感を湛えたメランコリックなメロディも印象的で、まるで無垢な天使の涙を想わせるです…。

 モーツァルトはこの曲を典型的な18世紀のロココ形式に沿って作曲しているようですが、しばらく聴いていくとそんなことはどうでも良くなってきます。つまりロココ形式は当時の流行ということで踏襲したに過ぎず、バロックであろうがロマン派であろうが現代音楽であろうとモーツァルトにとっては何でも良かったのです…。モーツァルト自身が伝えたい音楽の心さえ伝えられれば…!

 演奏はマレイ・ペライアがピアノと指揮を担当し、イギリス室内管弦楽団を振った演奏がモーツァルトの純粋な心を美しく再現しています!第3楽章でホルンがピアノに寄り添うテーマをこんなに楽しく聴かせてくれた演奏は他にありません。何よりもペライアのピアノは純粋、透明、しなやかでモーツァルトが伝えたかった心を代弁するかのように自然体で弾いてくれます。
 最近ペライアがCBS時代に録音したピアノ協奏曲全集(12枚組)が破格の価格で発売されました。どれも質の高い演奏で、モーツァルトのピアノ協奏曲の名演として永く語り継がれる演奏と言っていいと思います。




2012年3月6日火曜日

アルベール・マルケ 「夏のルーブル河岸」


Quai du Louvre, Summer(1906)


 この人の絵を見るといつもホッとします。そして無性にうれしくなってくるんですね!なぜなのかはよくわからないのですが、やはり的確な描写力に裏付けられた詩情豊かな感性が溢れているからなのでしょう。

 マルケは川辺や海岸を愛し、自宅近郊のパリの風景も日常的に描いていたようです。マルケはこのような何の変哲もない慣れ親しんだ光景をとても気にいっていたのでしょう。見慣れた光景ゆえの愛着感もひしひしと伝わってきますし、感動や生への喜びが絵にストレートに表れている感じです。この絵を見続けていると忘れていたものに出会ったようなうれしさと懐かしく愛おしい想いが溢れてきます。

 薄紫やグレーといった中間色の絶妙なハーモニーが素晴らしく、余計な説明を排除したシンプルな形が夕陽を浴びる街並みの美しい表情を引き立たせています。その場の平和でのどかな空気感や柔らかい光が穏やかな色彩によって実に臨場感豊かに表現されていることに驚かされます。
 そして何よりも変に説明的であったり写実的でないのがいいですね。マルケの心のフィルターを通して描かれた世界が不思議なくらい郷愁を奏で絵を魅力的にしているだと思います!いい意味での飾り気のなさとさりげなさがとても洒落た雰囲気を醸し出しているように思います!

 こういう自然で飾らない絵は意外に少ないので、貴重なタイプの画家なのかもしれません。いつか日本でも何らかの形で個展が実現されればいいのですが…。