もう25年ぐらい前のことになりますが、この曲には懐かしい思い出があります。特に第3楽章のアレグレットを耳にすると秋晴れの野原に可憐に咲いていた色とりどりのコスモスが鮮やかに思い出されるのです!
ちょうどこの時、私はヘッドホンステレオを聴きながら外を歩いていたのですが、その時聴いていた曲がモーツアルトのピアノ協奏曲第25番のアレグレットだったのでした。何故なのかはわかりませんが、私にとってあのメロディや曲調はちょうど太陽の光を浴びて輝くコスモスの透明な美しさと不思議と通じる何かがあったのでしょう…。
とてもその情景が印象的だったため、しばし時間を忘れて目で追い続けたのがついこの前のように思い出されます。
モーツアルトのピアノ協奏曲第25番は彼の20番代のピアノ協奏曲としては比較的演奏頻度も少なく、どちらかというと地味な部類の作品なのかもしれません。しかし、晴れた秋空を感じさせるような透明な詩情や純粋無垢な魅力はやはりモーツアルトならではですし、決して騒ぎたてないつつましやかな表情も印象的です!
この曲の第1楽章は出だしがファンファーレのような大合奏で始まり、これからどれほど盛り上がっていくのだろうかという期待感を抱かせるのですが、実際は思ったほどではありません。
それどころか音楽はどんどん内省的になり、静かな諦観さえ湛えながら進行していきます。一見華麗で力強く感じられるものの、実は多くの苦悩や哀しみを抱えながら周囲には努めて自然で明るく振る舞おうとするモーツアルトの意地らしい側面がうかがえるのです!
第2楽章になるとその傾向は一層強まり、ピアノが夢の中を彷徨い歩くようなモノローグを延々と弾いていきます。ここには自分を飾ろうとか自己主張しようという美意識はほとんどありません。ただひたすらに流れる音楽がモーツアルトの澄み切った心の境地を静かに伝えていくのです。
第3楽章のアレグレットは透明感に満ちたさわやかな音楽が本当に印象的です。ピアノと管弦楽の掛け合いや遊びの境地が心地よく、モーツアルトの魅力が全開している感じです。ピアノ協奏曲第27番のような枯れた透明感とは少し違う色彩感や華のあるメロディがとても心に響きます!
エリック・ハイドシェックのピアノとアンドレ・ヴァンデルノート指揮パリ音楽院管弦楽団による演奏(EMI)はこの曲の魅力を最大限に引き出している感じです。特にハイドシェックの自由奔放で感性豊かな演奏は地味と思われているこの作品に彩りを添えています! ただしこの録音は現在廃盤になっており、手に入れるのは少々困難かもしれません。ハイドシェック新盤のハンス・グラーフ指揮ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団との録音(ビクター)は閃きや奔放なタッチは減少し、少々大人しくなったもののしっとりとした味わいで充実した音楽を聴くことができます。
内田光子(ピアノ)、ジェフリー・ティト(指揮)イギリス室内管弦楽団の演奏はすべてにおいて理想的な演奏を繰り広げています。中でも第2楽章のしみじみとした深い味わいは他の演奏からはなかなか聴けないものでしょう。
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