2010年9月15日水曜日

バッハ ブランデンブルク協奏曲第4番









天国的な美しささえ醸し出す第4番

 バッハは生涯、オペラは1曲も作曲しませんでした。それは決して毛嫌いして書かなかったのではなく、書けなかったのでもなく、彼のポリシーやプロテスタントの要職という立場から書かなかったのだと思います。実際、マタイやヨハネのような受難曲は劇的ですし、ストーリー的な組み立てもかなり綿密に構成されているので、恐らくバッハはオペラを書いても後世に残る作品を書いたに違いないでしょう。
 意外にも堅物な価値観から解放されていたバッハは器楽曲にも数多くの傑作を残しました。ケーテンの宮廷楽長時代は音楽好きの領主レオポルドの下で生気に溢れた作品を次々に発表した時代でした。まさに彼の創造の翼が一気に飛翔したのがこの時なのです。
 ブランデンブルク協奏曲もその一つです。この作品は全部で6曲で構成されており、6曲それぞれが独奏楽器が存分に活躍する、実に変化に富んだ愉しい音楽であることは改めて言うまでもないでしょう。
  たとえば1番ではホルンが効果的に現れ、2番ではトランペットが輝かしい響きを随所に奏で、5番ではチェンバロやフルートが軽快に曲を盛り上げ、6番ではチェロやヴィオラが重厚で柔らかい響きを演出する等……。どれもこれも独奏楽器がそれぞれの曲の印象に重要な役割を果たしているのです。
 この中で最も親しみやすくて味わい深く、何度聴いても飽きがこないのは4番ではないでしょうか。どうして親しみやすいのかといえば、何と言っても独奏楽器として活躍するリコーダーの響きが純粋無垢で、心を癒す優しさがあるからでしょう。
 特に第1楽章の展開部でリコーダーにヴァイオリンが絡むところは天国的な美しささえ醸し出していきます。第2楽章のこの世のものとは思えぬほどの高貴で澄んだ哀しみ。リコーダーが弦楽器の悲嘆に暮れる旋律に身を寄せるように添える嘆きが心を打ちます。そして、哀しみに沈んだ光景に突如として希望の光が差し込んでくるように始まる第3楽章のフーガ!この楽章に入ってくると、「もう一度やり直そう。必ず素晴らしい出会いが待っているから……」。そんなふうに勇気づけられているような気がしてならないのです。全曲を通じて嫌味がなく、すうーと心に染み込んでくる4番はバッハのあらゆる管弦楽曲、協奏曲の中で最高傑作といってもいいのではないでしょうか。


リヒターの永遠の名盤

 ブランデンブルク協奏曲との最初の出会いはカラヤンがベルリンフィルを指揮したものでした。格調高く何て魅力にあふれた作品だろうと思いました。でもしばらくすると、他の演奏が無性に聴きたくなり、当時大変に評判が良かったカール・リヒターの演奏を聴いてみました。これが本当に素晴らしく、失礼ながらカラヤンの演奏と比べると曲の追及度がまるで違うことをはっきりと認識したのです! 
 バッハのスペシャリストとして、バッハの精神を妥協無く伝えようとするリヒターの演奏には恐ろしいほどの気迫を感じたものでした。この4番ももちろんすばらしく、特に第2楽章はリヒターの演奏を聴いて初めて曲の素晴らしさを理解するほどです。

 しかし、今ブランデンブルク協奏曲は古楽全盛時代を迎えています。古楽器の演奏に目を見張るような演奏が増えてきたことは事実です。これまでの精神論や格調を重んじる重厚な演奏はほとんど聴くことはできなくなりました。
 既成概念は抜きにして、純粋に楽器の響きの面白さや様々なアプローチで眠っていた曲の魅力に光をあてた演奏が主流を占めるようになったのです。これもバッハのイメージの幅を大きく拡げるという意味ではいいことなのかもしれませんね!中でもベルリン古楽アカデミーゲーベル=ムジカ・アンティクワ・ケルンの演奏は底抜けに愉しく、新鮮な楽器の響きで聴く者を魅了します。 






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2010年9月11日土曜日

レンブラント 三本の木








気品溢れる名品

 あっという間に9月も10日を過ぎてしまいました。そして、連日の猛暑日……!?。こんなに暑い9月はこれまで記憶にありません。心配なのは、1年中で最も美しくて穏やかなはずの秋がなくなってしまうのではないかという恐怖です。
 ここ数年、街路樹の紅葉もほとんどみかけなくなりましたし、秋の日差しを浴びて美しく映えるコスモスも目にとまらなくなってしまいました。もうあの穏やかな秋の日々が戻ってくることはないのでしょうか……?。本格的な芸術の秋を謳歌しよう!と言いたいところですが、これだけ暑いとどうしても気後れしてしまいます。

 さて、今回はレンブラントのエッチングを紹介しようと思います。エッチングはルネッサンス期からバロック期にかけて特に多く制作された銅版画の技法ですが、画家によって表現のレベルや方向性はまるで違ってきます。レンブラントのこの作品は、押しも押されぬ芸術品であり、名作です。エッチングは線のタッチや強さ等で表現するために、油彩に比べると表現の可能性という点で、どうしても一歩譲らざるを得ません。

 しかし、白黒で表現されるシンプルな画面からは雑多な情報をかき消すことができますし、劇的な表現、崇高で深遠な世界を表出することも可能になってくるのです。この作品は画面全体から物凄い情報量がひしひしと伝わってくるのです。そして、いつの間にやらエッチングを鑑賞していることさえ忘れさせ、画面の中にぐいぐいと引き込まれていくのです。
 何を素材にするのか、材料として使うのかということは、絵の完成度を決定する上で大変に重要な要素ですが、この作品はそういう次元を超えています。

 上空で渦巻く風や雲の動きはまるで天変地異を垣間見るかのようです。恐らくこれはレンブラント自身の心の中で吹き荒れる嵐なのでしょう。この尋常ならぬ自然の姿は人生の悲哀さえ感じさせ、また厳しさも感じさせます。画面の中央右に位置する三本の木は風雨に晒されながらも信念を持って生き抜いていく強い人間の姿をも表しているかのようです。その毅然とした佇まいが、またたとえようのない感動を生むのかもしれません。
 この美しく気品あふれる名品。これはレンブラントの傑作というより、人類が共有すべき宝だと言っても差しつかえないと思います。





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2010年9月8日水曜日

シベリウス 交響曲第6番


 


神秘的な自然の情景と透明な響き


 シベリウスはフィンランドの国民的な作曲家です。フィンランドは地理的にはロシアに近いのですが、生活、文化、習慣はロシアとは大いに違います。それは音楽の傾向にも顕著に表れていて、特にメロディの扱いひとつにも大きな違いが出てきます。たとえば骨太で重量感たっぷり、ムード満点のロシア音楽に対し、より楽器の響きや和音を重視するフィンランド音楽。よりオリジナリティが育まれてきたという観点ではフィンランド系の音楽に分があるのかもしれません。とにかく西洋音楽の中では独自の文化を育んできた土地柄なのです。

  そんなフィンランド音楽の顔ともいうべきシベリウスの音楽には他の西洋の作曲家とはちょっと違う独特の響きがあるのは言うまでもありません。特にシベリウスの交響曲はチャイコフスキーやブラームス、マーラー、ブルックナーのいずれの作曲家の特徴とも同類に語れない独特のものです。土俗的な要素があるかと思えば、とてつもなく透明でチャーミングなテーマも随所に現れたりしてなかなか一言でこうだと述べるのは難しいのです。それでも全体を一貫している重要なテーマは大自然と人間との関係が神への感謝と畏敬の念の中で渾然一体となり、幸福な融合へと導かれることでしょう。
 交響曲第6番はそのようなシベリウスの重要なテーマが無理なく、バランスよく最高度の次元で結集された名作だと思います。交響曲第6番の第1楽章の冒頭部分は霧に包まれた神秘的な自然の情景を思わせます。すると、間もなく弦の美しいユニゾンやハーモニーが自然の息吹を伝え、それに呼応するように木管楽器の瞑想に満ちた旋律が小鳥のさえずりや心のざわめきのように響きます。このようなパッセージを北欧的と言ってしまえばそれまでなのですが、透明感があり、心洗われるような弦のピッチカートやハープの響きに乗せながら絶妙に美しく絡む響きはシベリウス独特のものなのです。決して、大言壮語しないのに、心をグッとつかんで離さないこの魅力とは一体何なのでしょうか?
 第2楽章からフィナーレまでも充実した楽想がますます神秘的で雄大な自然の情景を表出していきます

 演奏はパーヴォ・ベルグルンドが1980年代の中頃にヘルシンキフィルと録音したEMI盤が最高です。奥行きののある表現と瑞々しい響きがシベリウスの持つ瞑想や詩情をものの見事に刻印しています。特に木管楽器の瞑想に満ちた音色が印象的で、時間の流れを忘れてしまいそうです。



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2010年9月6日月曜日

プッチーニ グロリア・ミサ




美しくワクワクするミサ曲



   プッチーニは20世紀を代表するイタリアオペラの大作曲家ですが、オペラに比べると宗教曲や声楽曲はあまり知られていません。しかし、このグロリア・ミサは一言ではとても言い尽くせない魅力に溢れた素晴らしい作品です。

  何が素晴らしいかというと、一応ミサの形式に準じた曲なのですが、厳粛なグレゴリオ聖歌風ではなく、カトリック的な情感を基調にしたものでもない、あくまでも歌を基調にした創作にあります。つまり一言で言えば、ミサ曲らしくないミサ曲なのです。
 形にとらわれないあたりはベートーヴェンと似ているのかも知れませんね。ミサ曲というと室内の薄暗い灯りに照らされた神秘的なイメージが彷彿とされますが、この曲はちょっと違います。

 聴いていると密室に閉ざされた雰囲気は微塵も無く、まるで屋外の太陽の光に照らされたとても開放的なイメージが広がっていきます。たとえば夕陽に照らされた海岸を想わせたり、晴れた秋空の心地良い風を感じたり、光と影の美しいコントラストだったり、オペラの情景のように様々な感覚が湧き上がってくるのです。そのことからもこの作品がいかに自由でイマジネーションに溢れているかを如実に示していると言えましょう。この作品を聴くと、後年の素晴らしいオペラへとつながる萌芽がはっきりと出来上がっているのをお気づきになるに違いありません。

 演奏はユルゲン・ブッダイが指揮したマウルブロン聖歌隊、バーデンバーデン・フライブルク放送交響楽団とのライブ演奏が最高にエキサイティングで、この曲の魅力をあますところなく伝えてくれます。コーラスの心がこもり、熱のこもったハーモニーは立体的な造形と共に、この作品の深い陰影を浮き彫りにします。

 特にグロリアの後半部の見事な盛上がり!それはテクニックや調和、響き云々以上に、作品に心底共感し、表現しているからこそ素晴らしさや感動がひしひしと伝わってくるのです。変化に富み、多彩なテーマが繰り広げられるこのミサ曲の魅力をとことんまで表現するブッダイの力量にも驚かされます。ライブならではの緊張感と共有感がますますこの演奏を生きたものにしているのは、間違いないところでしょう。






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2010年8月26日木曜日

シューマン 交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」







びっくりするような情感を描き出す、感性のフィルター

 シューマンは歌曲やピアノ曲に驚くべき才能を発揮した人です。たとえば、「ミルテの花」の美しく気品に溢れたメロディ……。「女の愛と生涯」の繊細で情感豊かなメロディ……。クライスレリアーナの流れるような旋律。
 彼は甘く切ない抒情や夢見るようなロマンを旋律として書き得た稀有な作曲家だったのだろうと思います。シューマンは最高の作曲技術と手垢にまみれていない正統的なクラシカルな作品を描き出す才能を持っていた人なんだろうと思います。

 たとえば、有名な「子供の情景」。この作品はピアノソナタには内面的な意味がなければ価値が薄いという評論家筋からはあまり評価されていないようですね。けれども、子供から受けたイマジネーションを内面的にどうのこうのというより、等身大でみずみずしく表現するシューマンの姿勢にはとても好感が持てるのです。しかも、時にはびっくりするような自分の内面を見つめる詩的な情感も描き出し、その感性のフィルターは実に敏感で多様なのです。
   当然、大掛かりな交響曲や協奏曲よりも小編成の作品に傑作が多いのはうなずけるところです。いわゆる長編小説向きというよりは一瞬のきらめきを捉えた詩人といってもいいのかもしれません。

 とはいっても、彼の交響曲の魅力も大変なもので、特に3番のラインはロマンティシズムと正統的なクラシックの伝統が融合された素晴らしい作品と言ってもいいと思います。
 第1楽章の堂々として勇壮な開始は少しベートーヴェンの英唯に近いものを感じます。この有名な冒頭部分が奏された直後、今度は感情を目一杯に吐露した主題が奏されるのですが、ここでは回想を巡らせ、感傷に浸る情景が延々と展開されていきます。まさにシューマンらしい理想と愛に満ちた曲調ではないでしょうか。第4楽章の荘厳で訴えかけるような旋律も一度聴いたら忘れられませんし、第5楽章の朗らかに着実に大地を踏みしめるような主題も魅力いっぱいです。

 演奏は1982年にカルロ・マリア・ジュリーニがロサンゼルスフィルと組み録音したグラモフォン版が格別の名演奏です。まず、出だしの主題から金管楽器、木管楽器、弦楽器ともにバランスが絶妙で、それでいながら立体的な構築にも欠けていません。どこまでも充実感満点でこの素晴らしい旋律を心ゆくまで味わうことができます。全楽章を通じて少しも薄味の所がなく、この曲との相性の良さに本当に驚かされます。シューマン交響曲第3番「ライン」の作品に隠された魅力をものの見事に表出した演奏といってもいいかもしれません。





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2010年8月11日水曜日

ルイ・マル 死刑台のエレベーター









 この映画はルイ・マル25歳の時のサスペンス映画の傑作です。この作品によってルイ・マルの名声は確立したといってもいいでしょう。
モーリス・ロネ扮する主人公が愛人の夫を殺し、すべては完全犯罪のシナリオが成立したかのようでしたが……。ふとしたことからエレベーターに閉じ込められてしまい、そこからシナリオは大きく崩れていってしまいます。それは崩壊への序章だったのでした。最後の思いがけない結末に至るまで、すべては偶然の一致による状況証拠がストーリーを二重にも三重にも面白くさせるのです。
 
 ルイ・マルの演出は素晴らしく、冒頭のシーンから日常に潜む運命のいたずらを見事に表現し、見る者を釘付けにします。クールな殺人者を演じる モーリス・ロネや薄幸の愛人役のジャンヌ・モローも迫真の演技で、この作品を盛り上げています。そして、クールで救いようのないムードをさらに引き立てるのが、マイルス・デイビスのトランペットを基調にした音楽です。夜の静寂にこだまするようなこの音楽は白黒の画面と相まって独特の雰囲気を醸し出ています。
 それにしても自らが引き起こした事件に翻弄され、動揺や焦燥感を募らせる当事者の心理的側面を憎らしいほどにうまく描いており、ただ、ただ、「悪いことはできないな……」。と痛感させられるばかりです。

 本作は近々、デジタルニュープリント版でリバイバル上映されるとのこと。フランス映画黄金時代のサスペンス傑作に触れたい方は、是非この機会にご覧になってみてください。








2010年8月6日金曜日

リー・アンクリッチ トイ・ストーリー3






年齢・性別問わずに楽しめる
最高のエンターティメント

 先日、トイストーリー33D版を観にいって来ました。結論としては本当に観にいって良かったです。久々に時間を忘れて笑い、泣きました。これは良質のエンターティメントとして、子どもからお年寄りまで間違いなく楽しめる映画でしょう!
 とにかくそれぞれのキャラクターが魅力に溢れています。まさにおもちゃ箱をひっくり返したようなキラキラした個性とワクワク感で一杯なのです。寂しい過去を持つクマのロッツォやビッグベビーにもなぜか深く感情移入してしまいます。

 この映画ではアンディが大学性になるのをきっかけに家を離れることになり、自分の部屋を整理するために、いるものといらないものとに振り分けるシーンから始まります。しかし、ちょっとしたことで玩具たちは保育園に寄付する分に紛れ込んでしまいます。
 結局はサニーサイド保育園という所に寄付されることになります。玩具たちはいい所に来たと喜びますが、実はクマのロッツォによる監視体制がしっかり出来上がっていたのでした……


さりげない
愛のメッセージ

 今回の映画では人間たちがすっかり顔を見せており、人間から見た玩具と玩具から見た人間というのが非常に興味深く描かれています。そして、人間たちと玩具たちとの距離がかなり縮まった印象があります。
 特にラストでアンディが親戚の女の子ボニーに自分のおもちゃをあげるシーンが強く印象に残ります。「君は玩具を大事にしてくれる子だってね」……。ウッディ、バズライトイヤーやポテトヘッド、レックスをひとつ一つを取り出しては熱い語り口で紹介していきます。もはやアンディにとって玩具はただの玩具ではなく、自分を嬉しいときも辛いときも支えてくれた相棒だったのです。 
 
 その語り口は自分の人生とオーバーラップさせながら玩具に寄せる愛情が自然とにじみ出てくるのです。それはアンディが玩具とともに育ち、成長したことを告げる瞬間でした。


 もし玩具に心があるとするなら、玩具を置き去りにしないで精一杯遊びたい、大切にしたい……。なぜかそう思わされてしまいます。それと忘れてならないのが、日本の有名なアニメのキャラクターがエンドタイトル中に特別出演のような形で出てくることです。本当に最後の最後まで楽しませることに徹底した映画で、すっかり気分が良くなって家路につくことが出来ました。