2016年10月15日土曜日

内田光子のモーツァルト ピアノ協奏曲第17番・第25番(1)








今なお深化する
内田のモーツァルト

  久しぶりに内田光子が弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴きました。

 それは最近リリースされたばかりの新譜、ピアノ協奏曲第17番・第25番(DECCA/UCCD-1434)のことで、彼女がクリーブランド管弦楽団の指揮も兼ねる一連のシリーズ(ライブ録音・音質大変良好)のひとつです。
 実を言うと、このシリーズのピアノ協奏曲を最初から最後まで通して聴くのは初めてで、恥ずかしながら私がいかに内田光子のピアノと距離を置いていたかを如実に示している証拠かもしれません……。


 2曲を聴いた率直な感想ですが、これは凄いです!とにかく徹頭徹尾、内田の音楽に対する真摯な音楽観と深い解釈で貫かれていて、その演奏にはまったく妥協がないのです。
 以前録音され、あらゆる面で究め尽くされた感があるジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団とのピアノ協奏曲集(フィリップス、1985~1988年)の演奏を一段も二段も越えているのです。これは凄いことで、今なお内田のモーツァルトが深化し続けていることに驚かされた次第です。

 内田さんといえばシューベルトにしても、モーツァルトにしても翳りの濃い音色が魅力なのですが、この録音ではそれが一層徹底されているのです。よくモーツァルトの演奏は弾むようなタッチ、微笑みながら自由自在に、遊び心満点に演奏するのが理想……云々、ということをよく聴きます。
 けれども私はモーツァルトの演奏は明るく茶目っ気タップリても、穏やかで内面的であろうが構わないと思っています。基本的にその演奏が心に響く演奏であればスタイルはどうであれ関係ありませんから。



心技体が備わった円熟のピアノ
美しい表情が満載!

 そのような視点からすれば、内田さんのモーツァルトは明らかに後者、「穏やかで内面的」な部類に属するでしょう。ただし、旧盤にあった「気品に溢れ優雅」という形容詞はもうここではあてはまらないかもしれません。

 それでは今回は第25番に絞って感想を述べてみたいと思います。
 25番ニ長調は冒頭のクリーブランド管弦楽団の合奏から何ともいえない音のひろがりとゆとりがあり、聴き応え充分と言っていいでしょう。遅めのテンポも楽器の細かな表情や曲の本質を浮き彫りにするには効果的で、まったく外連味のない音楽が流れていきます!
 ベートーヴェンのような強い意志で弾かれるピアノの密度の濃いテーマや経過句は、こんな捉えかたもできたのか! と驚くことばかりです。しかもモーツアルトの本質はしっかりと捉えているので、違和感がありませんし、聴き疲れがしないのです。
   このCDのライナーノートで「この作品はハ長調で進行するのだが、印象はハ短調のように哀愁の彩りを湛えながら進行していく」というくだりがありますが、内田さんのピアノはそれを自然な形で体現しているのです。
 そしてさらに凄いのが第2楽章アンダンテです。ここは旧盤でも他の追随を許さない素晴らしい演奏でしたが、新盤はさらに内面の深化が著しく、音色に心が滲み出ているとはこういうことを言うのではないでしょうか。
 このアンダンテは平穏な日常が淡々と流れるように音楽が展開するため、下手をすればとても退屈な演奏になりかねません。しかし、内田さんの演奏は違いますね……。一音一音に驚くような深い感性のきらめきと内面の吐露があり、モーツァルトがどのような思いを込めて作曲したのかが伝わってくるのです。

 第3楽章アレグロも相変わらずゆったりとしたテンポを保ちながら、表面上の効果には目もくれず、自分が伝えたい音楽の心を紡ぎ出していきます。 それは中間部での夢の中をさまよい歩くような部分の抑制が効き、愁いに満ちた表情の深さにも表れており、真摯でかつゆとりを持った遊びの境地が最高です。
 モーツァルトが伝えたかったであろう愛おしさや無垢な心の表現をいっぱいに持ちながらも、それをあえて表面には出さないところが内田さんのモーツァルトの真骨頂です。しかしその演奏は紛れもなく透明感と清澄な詩情を湛えつつ心をいっぱいに満たしていくのです。

2016年10月9日日曜日

バッハ ブランデンブルク協奏曲第2番ヘ長調 BWV1047
















輝かしい響きと
快活なリズム
  バッハの代表作ブランデンブルク協奏曲(全6曲)の中で最も快活で輝かしい響きが心地よいのが第2番です。
 ブランデンブルク協奏曲は序奏なしですぐに主題が出てくるのが特徴ですが、中でも2番は第1楽章の冒頭からリズムがキビキビしていているのと、主題の展開が素晴らしいため自然に身体が動き出してしまいます。
 ソロ楽器が重要な主題を担い、それぞれに活躍するのがブランデンブルク協奏曲の魅力で、2番でもトランペットとオーボエが魅力いっぱいで、ヴァイオリンとリコーダーも随所にいい味を出しています。
 2番を聴きながら想うのは、バッハの楽器の扱い方の天才的な上手さです。たとえばトランペットのパートをオーボエに置き換えたり、ソロパート部分を合奏にしたら、これほどの魅力が出たかどうか‥‥。
 第1楽章の輝かしくも変化に富んだ曲調、第2楽章のエレジーのような澄んだ哀しみ、第3楽章の楽器の魅力を存分に味わえるフーガ! どれもこれもバッハだからこそ作り得た崇高であるけれども遊び心満載の傑作と言えるでしょう。

リヒターとゲーベル
新旧の名盤
 2番はソロ楽器のどこに力点を置くかによって、演奏も様変わりしますし、曲の印象も大いに変わってきます。その好例がカール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ・管弦楽団(グラモフォン)ラインハルト・ゲーベル指揮ムジカ・アンティーク・ケルン(アルヒーフ)の新旧の名盤と言っていいでしょう。
 新旧と言っても新しいほうのゲーベルの演奏も1986年の録音ですから、かれこれ30年以上も前になってしまいますね……。
 リヒター盤は快活という表現がぴったりするくらい、ダイナミックに曲に切り込んでいきます! その表現は聴いていて思わず襟が正されるほどで、一気呵成の進行に心が奪われてしまいます。
冒頭のトランペットの一節をこれほど朗々と響かせたのは今もってリヒターしかありません。しかもそれが曲の本質を逸脱せず、ピタリとハマっているのはさすがです!
 第3楽章のトランペットとオーボエの神々しい響きに導かれて、光が差し込むような崇高な音楽として盛り上げていくのもリヒターならではです。
 これに対してゲーベル盤は音楽の推進力を充分に保ちながらも、ソロ楽器の響きの魅力を充分に引き出した演奏です。オリジナル楽器を使用しているだけでなく、各楽器がよくブレンドされて美しい響きを生み出しているのも特徴です。
 オーボエやリコーダーが実はこんなに魅力的なパートを演奏していたのかと再認識するような演奏と言ってもいいでしょう。
 特に第2楽章はソロ楽器の魅力が際立っていて、透明感溢れるスタイルの中に無垢の哀しみが漂うのです。

2016年9月27日火曜日

ラヴェル 「ハイドンの名によるメヌエット」








遊び心が功を奏した
魅力作

 これはわずか2分足らずのメヌエット風のピアノ曲です。
 タイトルからしてハイドンに敬意を表して、古典的な曲調で書かれた曲と思われがちです。
 でも実際はそうではなく、ハイドン没後100年を記念して、パリの音楽雑誌が当時のフランスの大作曲家たちに作曲依頼した企画だったのでした。その内容というのはHAYDNの5文字を音にあてはめて主題を作るという、いわばロジカル的と言うかパズル的な発想の企画だったのです。
 そのような企画ですから、比較的に遊び心のある作曲家は好意的に受け入れたようですが、そうでない作曲家は「もってのほか!」という感じでまったく相手にしなかったらしいですね……。

 ラヴェルは遊び心のある人ですから、当然のようにこの企画に乗って美しい作品を残してくれました! 出来上がった音楽は雰囲気があって機知に富んだラヴェルらしいセンスが光る作品といっていいでしょう! 光と心地よい空気が漂う中を夢と現実の世界を行き交うような……、とてもファンタジックな作品だと思います。
 
 演奏はサンソン・フランソワのピアノ(EMI)が聴く者を夢の世界に誘ってくれます。フランソワの演奏はただただ素晴らしいの一言に尽きます! 音の一つ一つに気持ちが浸透し、のびのびとしたフレージングや即興的な演奏が音楽を大きく息づかせているといえるでしょう。


2016年9月21日水曜日

ルーベンス  虹のある風景










人々の生活を反映した
エネルギッシュな自然の姿

 風景画は描いた人の人柄や人生観が絵に表れやすいとよく言われます。

 ここで紹介する「虹のある風景」は歴史画、人物画の大家としてバロック絵画の頂点を極めたルーベンスが晩年に描いた風景画です。ルーベンスといえば筋骨隆々とした力強く豊満な肉体の人物画を描いてきた人としてあまりにも有名ですね。

 でもそのルーベンスが晩年になると次第に農夫や動物たちをを配置した風景画を描くようになります。これはどういうことなのでしょうか……。
 もちろんルーベンスが外交官という多忙な職を離れたということもあるでしょうし、故郷のアントウェルペン(現在のベルギー)郊外に家を購入したことや気持ちの余裕が出てきたこともあるでしょう。
 少なくとも若い頃のルーベンスは風景画を描くという発想がなかったようです。いや、風景画を描く機会に恵まれなかったといってもいいでしょう。

 これは推測ですが、若い頃からその才能を認められ、宮廷で精力的に絵を描き続け、外交官としても重要な職務をこなし、そのうえ富と名誉にも恵まれたルーベンスが晩年に至って自分自身を見つめる……、そのような心境に至ったとしてもまったく不思議ではありません。

 とはいえ、この絵でもルーベンス独特の力強く人生を肯定するような画風がはっきりと認められます。たとえば、くっきりと空に浮かび上がった虹や、まばゆいほどに大地を照らす光は印象的ですし、大気の状態を表す空や雲の多彩で奥行きのある表現、木々が放つムンムンするような空気感は本当に見事です。
 それは安らぎや心の原風景を届けてくれるような自然の姿ではなく、人々の生活を反映した生命力に溢れたエネルギッシュな姿なのです。

2016年9月17日土曜日

ゴッホとゴーギャン展










切削琢磨しながら
最高の作品を生み出そうとした


 ゴッホとゴーギャン、画風も性格もまったく違う19世紀を代表する画家の二人‥‥‥。

 なぜこの二人がフランス・アルルの地で共同生活をしながら創作に励んだのかは今もって謎です。またいろいろ詮索してもあまり意味のないことなのかもしれません。
  ただ一つ言えるのはお互いに自分にはない世界を共有しつつ、切削琢磨しながら生涯最高の作品を生み出そうとしていたことでしょう。
 そんな二人を同時公開する展覧会が『ゴッホとゴーギャン展』(2016年10月8日~12月18日、東京都美術館)です。
 なにもかもが違う二人ですが、様々な角度から見ることで不思議と浮かび上がってくる何かがあるのかもしれません。
 


展覧会基本情報

会期    2016年10月8日(土)~12月18日(日)
会場    東京都美術館・企画棟 企画展示室
休室日   月曜日、10月11日(火)
      ※ただし、10月10日(月・祝)は開室
開室時間  9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室  金曜日、10月22日(土)、11月2日(水)、3日(木・祝)、
      5日(土)は9:30~20:00(入室は閉室の30分前まで)
観覧料   前売券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生1,100円
       / 高校生 600円 / 65歳以上800円
      ※前売券等の詳細は特設WEBサイトへ
      当日券 | 一般 1,600円 / 大学生・専門学校生1,300円 
      / 高校生 800円 / 65歳以上1,000円
      団体券 | 一般 1,300円 / 大学生・専門学校生1,100円
       / 高校生 600円 / 65歳以上800円
      
      ※団体割引の対象は20名以上
      ※中学生以下は無料
      ※身体障害者手帳・愛の手帳・療育手帳
      精神障害者保健福祉手帳・被爆者健康手帳をお持ちの方と
      その付添いの方(1名まで)は無料
      ※いずれも証明できるものをご持参ください
特設サイト http://www.g-g2016.com     

2016年9月8日木曜日

ヘンデル 組曲HWV426











日々の生活の中で吸収する
自然のエネルギー

 皆様は日々の生活の中で、自然の営みがもたらす恵みやその影響について関心を寄せられたことがありますでしょうか……。普段は気づかないかもしれませんが、それは私たちにとって確実に心の重要な部分を占めていて、知らず知らずに心の養分として吸収されていることは間違いないでしょう。

  たとえば、太陽が大地をくまなく照らすようすに無限の希望を感じたり、温かな陽射しや涼やかな風が心をなごませるように、ごく当たり前のように展開される自然の営みが私たちにとっては心の成長や発展、精神的な回復を促すきっかけになっていたりするのです。このことからも私たちの心を刺激する重要な要素が自然のエネルギーにあるといってもいいでしょう。
 私たちは自然が放つ汚れのない美しさや気高さ、愛らしさ、無限のインスピレーションを日々受けながら、それに感動し、感応しているのです。 


堅実なスタイルを持った
生命力に溢れた音楽

 ヘンデルの組曲HWV426をそうした自然の美しさや気高さに見立てるのは少々無理があるかもしれません。でも、さりげなくて自己主張しない音楽なのに、創造性豊かで包容力があるところは近しい何かを感じるのです。
 その音楽の魅力をひとことで言うと「堅実なスタイルを持った生命力に溢れた音楽」といってもいいでしょう。
 何がそんなに魅力的なのかというと、飾らないスタイルもそうですが、音楽に生成と発展の要素があり、さまざまなパートに永遠の余韻を感じさせる響きがあるところでしょう。なぜなのでしょうか? ヘンデルの音には不思議と輝きと生命力が宿っていますね……。

 プレリュードは単純明快な主題から音が積み重ねられると、音楽はどんどん発展し、雄大な世界が広がっていくのを感じます!
 特に見事なのがアルマンドとクーラントです。主題やメロディに少しも誇張はないのに、音楽が開始されると光を浴びて眠っていたあらゆるものが起き上がるように、音楽は美しく気高く彩られながら様々な表情を映し出していきます!
 HWV426はチェンバロの演奏が高貴で堅実なロココ調を感じさせていいのですが、ピアノの演奏で聴くと神秘的でエレガントな雰囲気が醸し出され、時代を超えた普遍的な音楽としてさらに作品の魅力が高められるような気がします。


ハイドシェックが成し遂げた
ピアノの名演

  この作品はいかにもチェンバロにふさわしい高雅な雰囲気が支配する音色と形式を持っています。そのため演奏も圧倒的にチェンバロ版が多く、ピアノは少数派かもしれません。しかしピアノでその構造や音色を丹念に掘り下げていくと稀に見る名演奏が実現したりします。
 エリック・ハイドシェックの演奏はその代表的な名盤と言ってもいいでしょう! もぎたての果実のようにフレッシュで、しかも語り口が上手く、フランス風の様式を用いたこの曲を実に魅力的に聴かせてくれます。

 バロック音楽だからといって、一般的な演奏様式に倣って弾かないのがハイドシェックの凄いところで、この録音もヘンデルの音楽の隠れた魅力を充分に引き出していますね。一音一音に感動と発見があり、その驚くべき感性の豊かさとしなやかな演奏スタイルには唖然とさせられます。

2016年9月1日木曜日

チャイコフスキー 交響曲第4番ヘ短調 作品36(2)








『悲愴交響曲』と並ぶ
傑作中の傑作

 この曲については以前も書いたことがあります。しかし、第1楽章と第2楽章の素晴らしさについてどうしても書き足らない内容があったので、改めて投稿させていただきました。

 4番はチャイコフスキー後期3大交響曲の中でも6番『悲愴』と並ぶ傑作中の傑作です。おそらくベートーヴェン以降の交響曲をひもといても指折りの傑作だと言っていいのではないでしょうか。

 何といっても素晴らしいのは第1、第2楽章で、この二つの楽章だけでも4番を聴く価値が充分にあるといってもいいでしょう。
 残念なのは圧倒的な二つの楽章に対して、第3、第4楽章の内容が少々物足らないことです。この交響曲が『悲愴交響曲』ほど絶大な支持を得られないのは、もしかしたらそういうところにあるのかもしれません。それにしても前半と後半の2つの楽章では差がありすぎます。 チャイコフスキーは最初の2つの楽章に心を注ぎすぎて疲れてしまったのでしょうか……!?。

 そうかといって、4番をシューベルトの未完成交響曲のように2楽章で完結させるには到底無理があるでしょう。
 なぜなら、シューベルトの2楽章めはアンダンテで、単一楽章でも充分に曲が成り立っているのに対して、4番の2楽章めはアンダンティーノで明らかに次の楽章への予感を感じさせるからです。
  

4番のすべて
第1楽章、第2楽章

 とはいうものの、この交響曲の第1楽章、第2楽章はそれを補ってあまりある内容といえるでしょう。

 特に素晴らしいのが第1楽章です。 
 出だしの金管楽器のファンファーレが奏されると、そのドラマチックで重厚な響きからただならぬ空気感が伝わってきます! その直後の不安や哀しみ、苦悩が入り混じった第一主題も忘れがたい印象を残します。劇的で、文学的な香りさえ漂わせながら音楽は進行していきます…。

 しかしさらに素晴らしいのは展開部でしょう! たとえば、おどけたメロディによる舞曲は刹那的な喜びや虚しさを強く印象づけますし、運命的な警告を表す金管楽器の強奏や息の長い悲しみのパッセージは心を震わせます。
 とにかく音楽が多彩で緻密、あらゆる手法を駆使しながら、窮屈にならずに真実味にあふれた音楽と緊迫したドラマを展開していくのです。

 第2楽章のオーボエソロと弦楽器による哀愁を帯びたロシア民謡風の主題は、大変もの悲しく心に深く刻み込まれます。それは雪に埋もれた冬の荒野が目の前に広がるようで、何とも言えない情緒が漂います……。
 これに対して展開部では雪解けを待ち望む希望と憧れの感情が次第に高まり、頂点に達します。このコントラストは絶妙で、主題が生きてるからこそ、音楽の深い味わいが生まれたのでしょう。

 先ほど物足らないと書いた第3、第4楽章もひとつの独立した曲として捉えれば、これはこれで充分に魅力的です。
 第3楽章はバレエの間奏曲のようであり、第4楽章はサーカスのテーマ音楽のように華々しく力強く鳴り響きます。全体を通してみればどのように盛り上げていくかは指揮者の適性と力量に任されるといっていいかもしれません。


ムラヴィンスキーの
圧倒的な名演奏

 前回も申し上げたようにこの交響曲はムラヴィンスキー=レニングラードフィル(現サンクトペテルブルクフィル)の独壇場で、中でも作品のすべてともいえる第1楽章が素晴らしい仕上がりです。
 ムラヴィンスキーは最初の金管楽器のファンファーレから聴く者に戦慄を覚えさせます。そして、それに続く序奏のほの暗い哀愁に満ちた美しい弦楽器の音が聴く者の胸を痛く締めつけます。

 何という音楽性でしょうか! 20分にも及ぶ楽章ですが、長さをまったく感じさせず、その圧倒的な表現力に終始心を奪われっぱなしになってしまいます。多くの指揮者が聴衆を酔わせるためにオーバーアクションになったり、個性的な表現をしたり、技巧を凝らしたりするものです。
 しかし、この人はあくまでも自然体を貫き、抜群の音学センスに裏打ちされながら深遠で格調高い音楽を生み出しているのです。第1、第2楽章ではそれが最高の形で発揮されています。

 しかし、もちろんそれだけではありません。爆発するようなパッションがあり、音符の端々からは溢れるような抒情性を表出しているのです。第4楽章の超スピードで、思うがままにオーケストラの響きをコントロールしていく爽快感がたまりません。とにかく1度耳にしたら忘れられない強烈なインパクトを植えつけられる名演奏です。